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第二章:屍山血河
第57話:閑話2・上杉謙信初陣
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天文十二年(1543)5月20日:信濃更級郡:長尾景虎視点
殿が認めてくださったので、ようやく還俗がかなった。
還俗がかなっただけでなく、元服が許され景虎を名乗る事になった。
烏帽子親は三条長尾家譜代の家老、山吉伊予守が能登から出向いて務めてくれた。
わざわざ信濃の善光寺まで出向いて務めてくれた。
そのまま初陣が終わるまで後見してくれるという。
他に新たな後見人として、山吉伊予守の次男山吉丹波守が加わった。
善光寺にいた時から後見してくれている、僧兵の三好清海入道と三好伊佐入道がそのまま付き従ってくれるのは心強い。
殿の御厚意で、善光寺で共に武芸と学問を学んだ僧兵を与力同心としてもらえた。
その数三千兵、小国の大名に匹敵する大軍だ。
殿の御恩に報いるために、何としても功名を得なければならぬ!
殿の軍略は吾の及ぶところではない。
百万もの兵を得たら、普通は直ぐに隣国に攻め入るものだ。
それを殿は、万全の準備を整えようと屯田させられた。
近臣達には魏の曹操を真似ただけだと笑って言われたそうだが、誰もできぬ事だ。
六韜三略に書かれているから出来ると言うのなら、当の昔に誰かが行っていた。
そもそも、大麦を五倍も収穫できるようにするなど、神仏の御加護としか思えぬ!
それに曹操は、雪深く誰も動けぬ季節に屯田兵を戦わせたりしなかった。
越後と同じく海の有る青洲の屯田兵を、船を使って他国に攻め込ませなかった。
殿の方が、三国志の奸雄曹操よりも遥かに上だ!
軍略においても殿の右に出る者はいない。
十二万の軍を三軍に分けて信濃に攻め込まれた。
柿崎和泉守殿率いる四万は、関川を遡り安曇郡から信濃に入った。
大宮城の沢渡兵部盛方など、仁科氏の中で、殿ではなく武田や村上につくか迷っていた連中を、大軍の威圧で全て味方に纏め上げた。
新たに臣従を誓った国人と地侍は、父上の時代から誼を通じていた仁科盛明の与力同心とされた。
信濃守護の家柄を誇る小笠原右馬助は、膝を屈する事も逃げる事もなく、正々堂々と柿崎和泉守殿の軍を迎え討とうとされた。
とても勇敢で、武将たる者はこうあるべきと感心した。
だが、小笠原右馬助が支配下に置いているには信濃でも筑摩郡一帯だけ。
国人地侍が全員味方して、領民を無理矢理戦わせるにしても、三千兵も集められれば良い方だ。
殿の総兵力は、ひと口に百万と言っているが、実際には百二十万近い。
水軍の兵と耕作専門の奴隷、国人地侍まで集めれば百三十万はいる。
一つの戦場に集められるのが百万と言うだけだ。
この度の合戦では、小笠原勢に対する柿崎和泉守殿だけで四万。
味方に加わった仁科勢だけで二千四百も集まった。
仁科勢が多いのは、勝ち戦には尻馬に乗ろうとする者が大勢集まるからだ。
絶対に負けると分かっている大将に味方する国人地侍は、殆どいない。
腹立たしい事だが、領地を守るためには意地も誇りも捨ててしまう者が多い。
小笠原右馬助殿は難攻不落の平瀬城を拠点に、梓川を天然の水濠にして柿崎和泉守殿の軍を迎え討とうとされたが、僅か五十騎五百兵しか集まらなかった。
小笠原流弓馬術礼法宗家を継ぐ小笠原右馬助殿は、弓馬に優れた勇猛な大将ではあられたが、国人地侍を死地に従わせるだけの魅力はなかった。
味方に裏切られた小笠原右馬助殿は、怒りと絶望の余り無謀な突撃をしようとしたが、軍師の神田将監が命懸けの諫言を行った事で考えを改め居城に戻って籠城した。
今では全ての領民を兵に仕立てて武田の援軍を待っている。
だが武田の兵は小笠原の援軍には来られない。
筑摩郡の倍、八万の兵が村上の更級郡と埴科郡に向かったからだ。
村上で防がなければ、武田は多くの犠牲を払って手に入れた小県と佐久を失う事になるにだから、小笠原よりも村上を選ぶのは当然だ。
元々武田と村上は海野平の戦いで同盟を結び、海野家を上野に追い払っている。
もっとも、最後は同盟を結んでいた諏訪に裏切られているが、その分一緒に裏切られた村上には親しみを感じていたのだろう。
殿の指示を受けた直江大和守殿の四万は、長岡から信濃川千曲川を遡り高梨家と争っていた奥信濃の市河藤若を仙当城と城坂城から叩き出した。
更に千曲川を遡り、信濃平に入って高梨勢と合流して村上勢と対峙した。
色部修理進殿の四万は、関川を遡り赤川城で高梨勢と合流した。
直江大和守の四万と日時を合わせて信濃に入る事で、行軍の先頭と殿の間を狭め、短い時間で全軍が高梨勢と合流できるようした。
殿の軍勢が二軍八万兵で、私が率いる元善光寺僧兵が三千兵。
戸隠山勧修院顕光寺の僧兵だった者達が三千兵。
勝ち馬に乗ろうと高梨殿の軍に集まった者達が総勢七千兵。
絶望的な状況の村上左近衛少将殿だったが、小笠原右馬助殿よりは国人や地侍の心を得ていたようで、二百騎二千兵が集まった。
援軍に駆け付けた武田勢七百騎七千兵が心強かったのもあるだろう。
村上左近衛少将殿が、兵力差を考えて盆地での戦いを諦め、千曲川の狭隘部で殿の軍を迎え討つ事にした事で、味方に勝ち目があると思わせたのも大きいだろう。
村上左近衛少将殿の居城、葛尾城の有る葛尾山の下には千曲川が流れている。
葛尾山には支城の岩崎城と姫城があり、なかなか堅固だ。
千曲川が山の斜面の直ぐ近くを流れているから、殿の軍も強行突破し難い。
千曲川を少し下った対岸側、冠着山から千曲川へ向かって伸びる舌状尾根の突端部には難攻不落の荒砥城がある。
荒砥城は葛尾城の支城なのだが、郭をいくつも連ねた連郭式山城で、郭の幾つかは荒砥小城、若宮入山城、證城と独立した城に数えられるほどの規模を誇る。
千曲川を少し遡った反対側にも葛尾城の支城がある。
千曲川の川下、私たちの陣に近い方から新山に築かれた入山氏の入山城。
その川上、岩井堂山に築かれた出浦氏の出浦城。
蛇行する千曲川を挟んだ川下右岸に、長尾軍八万七千兵が厚みのある陣を敷いて、何時でも攻め立てられる状態だ。
一方川上左岸には、武田勢が七百騎七千兵で陣を構えている。
武田勢は、数の不利を少しでも補おうと土塁を築き柵を設けている。
それでも、圧倒的な不利を覆す事はできない。
川下から攻め上がる不利、川上の対岸に堅固な陣を築いて待ち受ける有利。
その程度の有利不利では、十倍の兵力差は覆せない。
武田勢と村上勢の中から裏切者が出るのは仕方がないのかもしれない……
しかたがないのかもしれないが、卑怯である、恥知らずである、好きになれん!
卑怯者を利用するような軍略を重ねなくても、押し出すだけで勝てるのに!
万千代のこういう所だけは好きになれん!
「虎千代様、しっかりとついて来て下さい」
「爺こそ遅れるなよ」
私は初陣を飾るために雄沢川を遡り、荒砥城、入山城、出浦城を迂回する
武田勢の背後に出て殿の軍と挟み撃ちにするのだ!
実際に戦うのは高梨殿の軍勢だけだろうが……
腹立たしいのは、道案内をするのが出浦周防守と出浦主計頭の親子だからだ。
戦の途中で村上左近衛少将殿を裏切るくらいなら、最初から殿に味方しろ!
私達に貸し与えられた馬は、山の斜面をものともしなかった……
殿は信濃に兵を進められる前から、背後に廻って奇襲される心算だったのか?!
出浦親子の案内で、村上と武田の透波には一人も出会わなかった。
「虎千代様、武田はまだこちらに気がついておりません。
ただひたすら前だけを見て、敵を槍で突かれよ。
他の事は我らが心得ております」
「うむ、任せたぞ、皆の者、かかれ!」
「「「「「おう!」」」」」
殿が認めてくださったので、ようやく還俗がかなった。
還俗がかなっただけでなく、元服が許され景虎を名乗る事になった。
烏帽子親は三条長尾家譜代の家老、山吉伊予守が能登から出向いて務めてくれた。
わざわざ信濃の善光寺まで出向いて務めてくれた。
そのまま初陣が終わるまで後見してくれるという。
他に新たな後見人として、山吉伊予守の次男山吉丹波守が加わった。
善光寺にいた時から後見してくれている、僧兵の三好清海入道と三好伊佐入道がそのまま付き従ってくれるのは心強い。
殿の御厚意で、善光寺で共に武芸と学問を学んだ僧兵を与力同心としてもらえた。
その数三千兵、小国の大名に匹敵する大軍だ。
殿の御恩に報いるために、何としても功名を得なければならぬ!
殿の軍略は吾の及ぶところではない。
百万もの兵を得たら、普通は直ぐに隣国に攻め入るものだ。
それを殿は、万全の準備を整えようと屯田させられた。
近臣達には魏の曹操を真似ただけだと笑って言われたそうだが、誰もできぬ事だ。
六韜三略に書かれているから出来ると言うのなら、当の昔に誰かが行っていた。
そもそも、大麦を五倍も収穫できるようにするなど、神仏の御加護としか思えぬ!
それに曹操は、雪深く誰も動けぬ季節に屯田兵を戦わせたりしなかった。
越後と同じく海の有る青洲の屯田兵を、船を使って他国に攻め込ませなかった。
殿の方が、三国志の奸雄曹操よりも遥かに上だ!
軍略においても殿の右に出る者はいない。
十二万の軍を三軍に分けて信濃に攻め込まれた。
柿崎和泉守殿率いる四万は、関川を遡り安曇郡から信濃に入った。
大宮城の沢渡兵部盛方など、仁科氏の中で、殿ではなく武田や村上につくか迷っていた連中を、大軍の威圧で全て味方に纏め上げた。
新たに臣従を誓った国人と地侍は、父上の時代から誼を通じていた仁科盛明の与力同心とされた。
信濃守護の家柄を誇る小笠原右馬助は、膝を屈する事も逃げる事もなく、正々堂々と柿崎和泉守殿の軍を迎え討とうとされた。
とても勇敢で、武将たる者はこうあるべきと感心した。
だが、小笠原右馬助が支配下に置いているには信濃でも筑摩郡一帯だけ。
国人地侍が全員味方して、領民を無理矢理戦わせるにしても、三千兵も集められれば良い方だ。
殿の総兵力は、ひと口に百万と言っているが、実際には百二十万近い。
水軍の兵と耕作専門の奴隷、国人地侍まで集めれば百三十万はいる。
一つの戦場に集められるのが百万と言うだけだ。
この度の合戦では、小笠原勢に対する柿崎和泉守殿だけで四万。
味方に加わった仁科勢だけで二千四百も集まった。
仁科勢が多いのは、勝ち戦には尻馬に乗ろうとする者が大勢集まるからだ。
絶対に負けると分かっている大将に味方する国人地侍は、殆どいない。
腹立たしい事だが、領地を守るためには意地も誇りも捨ててしまう者が多い。
小笠原右馬助殿は難攻不落の平瀬城を拠点に、梓川を天然の水濠にして柿崎和泉守殿の軍を迎え討とうとされたが、僅か五十騎五百兵しか集まらなかった。
小笠原流弓馬術礼法宗家を継ぐ小笠原右馬助殿は、弓馬に優れた勇猛な大将ではあられたが、国人地侍を死地に従わせるだけの魅力はなかった。
味方に裏切られた小笠原右馬助殿は、怒りと絶望の余り無謀な突撃をしようとしたが、軍師の神田将監が命懸けの諫言を行った事で考えを改め居城に戻って籠城した。
今では全ての領民を兵に仕立てて武田の援軍を待っている。
だが武田の兵は小笠原の援軍には来られない。
筑摩郡の倍、八万の兵が村上の更級郡と埴科郡に向かったからだ。
村上で防がなければ、武田は多くの犠牲を払って手に入れた小県と佐久を失う事になるにだから、小笠原よりも村上を選ぶのは当然だ。
元々武田と村上は海野平の戦いで同盟を結び、海野家を上野に追い払っている。
もっとも、最後は同盟を結んでいた諏訪に裏切られているが、その分一緒に裏切られた村上には親しみを感じていたのだろう。
殿の指示を受けた直江大和守殿の四万は、長岡から信濃川千曲川を遡り高梨家と争っていた奥信濃の市河藤若を仙当城と城坂城から叩き出した。
更に千曲川を遡り、信濃平に入って高梨勢と合流して村上勢と対峙した。
色部修理進殿の四万は、関川を遡り赤川城で高梨勢と合流した。
直江大和守の四万と日時を合わせて信濃に入る事で、行軍の先頭と殿の間を狭め、短い時間で全軍が高梨勢と合流できるようした。
殿の軍勢が二軍八万兵で、私が率いる元善光寺僧兵が三千兵。
戸隠山勧修院顕光寺の僧兵だった者達が三千兵。
勝ち馬に乗ろうと高梨殿の軍に集まった者達が総勢七千兵。
絶望的な状況の村上左近衛少将殿だったが、小笠原右馬助殿よりは国人や地侍の心を得ていたようで、二百騎二千兵が集まった。
援軍に駆け付けた武田勢七百騎七千兵が心強かったのもあるだろう。
村上左近衛少将殿が、兵力差を考えて盆地での戦いを諦め、千曲川の狭隘部で殿の軍を迎え討つ事にした事で、味方に勝ち目があると思わせたのも大きいだろう。
村上左近衛少将殿の居城、葛尾城の有る葛尾山の下には千曲川が流れている。
葛尾山には支城の岩崎城と姫城があり、なかなか堅固だ。
千曲川が山の斜面の直ぐ近くを流れているから、殿の軍も強行突破し難い。
千曲川を少し下った対岸側、冠着山から千曲川へ向かって伸びる舌状尾根の突端部には難攻不落の荒砥城がある。
荒砥城は葛尾城の支城なのだが、郭をいくつも連ねた連郭式山城で、郭の幾つかは荒砥小城、若宮入山城、證城と独立した城に数えられるほどの規模を誇る。
千曲川を少し遡った反対側にも葛尾城の支城がある。
千曲川の川下、私たちの陣に近い方から新山に築かれた入山氏の入山城。
その川上、岩井堂山に築かれた出浦氏の出浦城。
蛇行する千曲川を挟んだ川下右岸に、長尾軍八万七千兵が厚みのある陣を敷いて、何時でも攻め立てられる状態だ。
一方川上左岸には、武田勢が七百騎七千兵で陣を構えている。
武田勢は、数の不利を少しでも補おうと土塁を築き柵を設けている。
それでも、圧倒的な不利を覆す事はできない。
川下から攻め上がる不利、川上の対岸に堅固な陣を築いて待ち受ける有利。
その程度の有利不利では、十倍の兵力差は覆せない。
武田勢と村上勢の中から裏切者が出るのは仕方がないのかもしれない……
しかたがないのかもしれないが、卑怯である、恥知らずである、好きになれん!
卑怯者を利用するような軍略を重ねなくても、押し出すだけで勝てるのに!
万千代のこういう所だけは好きになれん!
「虎千代様、しっかりとついて来て下さい」
「爺こそ遅れるなよ」
私は初陣を飾るために雄沢川を遡り、荒砥城、入山城、出浦城を迂回する
武田勢の背後に出て殿の軍と挟み撃ちにするのだ!
実際に戦うのは高梨殿の軍勢だけだろうが……
腹立たしいのは、道案内をするのが出浦周防守と出浦主計頭の親子だからだ。
戦の途中で村上左近衛少将殿を裏切るくらいなら、最初から殿に味方しろ!
私達に貸し与えられた馬は、山の斜面をものともしなかった……
殿は信濃に兵を進められる前から、背後に廻って奇襲される心算だったのか?!
出浦親子の案内で、村上と武田の透波には一人も出会わなかった。
「虎千代様、武田はまだこちらに気がついておりません。
ただひたすら前だけを見て、敵を槍で突かれよ。
他の事は我らが心得ております」
「うむ、任せたぞ、皆の者、かかれ!」
「「「「「おう!」」」」」
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