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解説・人物紹介
「史実の上杉謙信を中心にした年表」資料によって多くの説がある
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以下を参考参照、引用させていただいています。
歴史の目的をめぐって
関東戦国史 1438-1590 Produced by 温泉コム
参照参考文献
戦国大名探究 出自事典 地方別武将家 大名一覧
ウィキペディア
世界の帝王辞典・府中長尾氏(越後長尾氏)
武家家伝_足利長尾氏参照
戦国南越後国人名辞典 - 戦国武将録
戦国北越後国人名辞典 - 戦国武将録
平姓長尾氏の系譜
上杉謙信の家系とその子孫
旧国郡別石高の変遷
刀剣・日本刀の専門サイト「刀剣ワールド」
国史研究の窓
https://sengoku-period.com/sengokudaimyo/uesugi/uesugi_katyu01/
長尾上杉存亡記
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881457110
箕輪城と上州戦国史
https://minowa1059.wiki.fc2.com/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E9%A1%95%E5%AE%9A
「史実の上杉謙信を中心にした年表」
年月日:年齢:出来事
1506:
7月 :九頭竜川の戦いで越前朝倉家と一向一揆30万が激突、朝倉家が勝つ
9/19:上杉謙信の祖父・長尾能景が守護上杉房能の罠で戦死
1507:
1508
:越後守護・上杉房能が長尾為景討伐の準備
8月 :長尾為景は先手を打って上杉房能の館を急襲
:上杉房能は自刃
:上杉房能の養子・上杉定実を傀儡として守護に擁立
:長尾為景は銭貨80貫文を室町幕府に献上
11/6:上杉定実は越後守護就任、長尾為景は越後守護代就任
1509:
7/28:上杉房能の実兄である関東管領・上杉顕定とその子・憲房が復仇
:関東管領軍は越後上田荘を拠点に越後府中を落とし中越・上越地方を抑える
:長尾為景は劣勢となって上杉定実と共に越中国に逃亡
:長尾為景の長兄・長尾晴景誕生?
11月:上杉定実の越後守護就任が正式に認められる
1510:
6/10:長森原の戦いで退却する上杉軍に猛攻をかけ関東管領上杉顕定を敗死させる
:上杉顕実と上杉憲房が関東管領の座を巡って戦う
1511
:足利義晴誕生
1512
:永正の乱・上杉顕実が上杉憲房に負けて関東管領の実権を失う。
:上杉憲房が山内上杉家の家督を継ぐ
5月 :揚北衆の鮎川氏が反逆するが、山吉・築地ら武将を使わして鎮圧
1513
:越後守護・上杉定実と長尾為景が対立・上杉定実が春日山城を占拠
:上条定憲や宇佐美房忠・定満父子が上杉定実味方して長尾為景と戦う
10月:下旬には長尾為景に上杉定実が幽閉される
:真田幸綱(幸隆)誕生
2/14:足利義晴と足利義尹が和睦する
1514
:長尾為景の長兄・長尾晴景誕生?
正月:上田荘六日市の合戦で長尾為景が上杉定実勢に大勝利
5月 :上杉定実勢の宇佐美房忠が岩手城で自害
:長尾為景が越後守護・上杉定実を傀儡とする
1515
:上杉顕実が病死、上杉憲房が正式に関東管領となる
1516:
9月:長尾為景が神保慶宗と合戦
1517:
:朝倉宗滴、幕命で若狭守護・武田氏の援軍として幕命で若狭・丹後に出陣
:朝倉宗滴、若狭逸見氏と丹後守護代・延永氏の反乱を鎮圧する
1518:
:能登守護・畠山勝王が長尾為景に越中一向一揆討伐の支援要請
:本願寺が「三法令」を定める
:本願寺蓮如の子の勢力争い
:本願寺10世証如と後見人蓮淳が法主の権限強化を図った結果
:武装・合戦の禁止
:派閥・徒党の禁止
:年貢不払いの禁止
:顕証寺の蓮淳、本福寺の門徒を脅迫して証拠を捏造した真実と認めさせる署名
:捏造した証拠を真実と認めさせる署名までさせ本福寺を破門
:顕証寺と本福寺の地域が重複し門徒・布施の取り合いだ負けた腹いせ
:捏造が発覚して実如によって破門は解かれる
1519
:本願寺が戦国大名のような一族統制を行う
:連枝 - 法主の子供・兄弟。
:一門 - 連枝の嫡男(第二世代)。
:一家 - 連枝の次男以下と蓮如以前に分かれた一族「末の一家衆」
:紀伊・河内・越中の守護・畠山尚順が謀叛人・神保慶宗の討伐を決意
:猶子・畠山勝王を大将として同族の能登守護・畠山義総に援軍要請
:越後の実質的支配者・長尾為景にも援軍要請
1520
:長尾為景は父能景の仇と憎む越中の神保慶宗と椎名慶胤を滅ぼす
:長尾為景は一向衆禁止令を布告し越中征服に乗出す
:一向一揆の蜂起に遭って越中の完全制服を断念
12/26:足利義晴・赤松義村が置塩を脱し明石の榛谷に移る。
1521:
4月:長尾為景は越中の一向一揆討伐に出陣。
2月 :長尾為景、一向宗を信仰することを禁止
3/7 :足利義稙が京都を密かに抜け出して堺南荘に赴く
3/10:足利義稙が淡路国に入る
:武田信玄誕生
12月:畠山尚順が長尾為景の越中平定の功を認め新川郡守護代に任命
12/24:足利義晴が細川高国に擁立され第12代征夷大将軍就任
1522
:長尾為景、管領細川高国の調停により越中一向一揆と和睦
2/13:三好元長の長男・三好長慶誕生
1523:
4/9 :阿波国で足利義稙が死去する
1524
:長尾為景の長姉・仙桃院誕生
:信濃国中野が拠点の高梨政頼(政盛の孫)が長尾為景に援軍要請
1525
:上杉憲房が病死、養子の上杉憲寛が関東管領となる
:長尾為景は関東管領上杉方の誘いを拒否して北条氏綱と盟約
:朝倉宗滴、美濃の内乱に介入した浅井亮政を牽制する
:朝倉宗滴、六角氏と協力し小谷城へ出陣
:朝倉宗滴、5ヶ月に亘って小谷城の一角に金吾嶽を増築在陣
:朝倉宗滴、浅井亮政をよく助け浅井家は固い絆で結ばれる
1526
:長尾為景の長兄・長尾晴景誕生?
7月 :細川高国が細川尹賢の讒言を信じて家臣の香西元盛を殺害
:香西元盛の兄弟、波多野元清と柳本賢治が挙兵
:細川高国と対立していた細川晴元も挙兵
7/18:長尾為景の次女光子誕生(史実では上条頼房妻)
1527
:本願寺証如と後見人蓮淳が再び悪事を働く
:本福寺が称徳寺の門徒・布施の取り合いに抵抗
:蓮淳は抵抗を本願寺への反逆と難癖をつけて本福寺明宗を破門
:本福寺は代々の財産も門徒もことごとく失ってしまう
:春日虎綱(高坂 昌信)農民として誕生
:川原の戦いで細川晴元が細川高国に勝利
:三好元長の次男・三好之虎(実休)誕生
:長野業正、長尾為景に靡いた惣社長尾顕景・白井長尾景誠を降す
:両守護代家に傀儡当主を据えて西上野を掌握
:長尾為景に内通する惣社長尾顕景を隠居させて嫡子景孝に継がせる
:朝倉宗滴、近江逃亡中の足利義晴と細川高国の要請で上洛
:朝倉宗滴、川勝寺口の戦いで三好勢らとの諸戦で勝利
1528
:朝倉宗滴、細川高国と対立して京都から撤退、孤立した高国は流浪
:朝倉宗滴の活躍で朝倉家は中央での発言力が強くなり盤石の体制
:朝倉宗滴、敦賀郡司の職は養子の朝倉景紀に譲るも軍奉行は続ける
:長尾為景、12代将軍足利義晴から白傘袋・毛氈鞍覆の格式を許される
:長尾為景、「随分衆」となる
:三好元長の三男・安宅冬康誕生
:長野業正、長尾景誠を暗殺して顕景次男の憲景を白井長尾氏当主に
9/8:足利義晴が朽木に逃れる
1529:
1530
:越後守護・上杉定実と上条定憲を中心に叛乱
:上条定憲と長尾為景の間で抗争が勃発
:北条氏康が初陣の小沢原の戦いで扇谷上杉朝興に大勝した
1/21:越後守護代・長尾為景の四男・上杉謙信誕生
10月:上条城主・上条定憲が長尾為景に反乱を起こす
:上田長尾房長、宇佐美貞満、中条藤資など反長尾為景で結集
1531
:享禄の錯乱または大小一揆
:本願寺蓮如の子の勢力争い
:本願寺10世証如と後見人蓮淳が法主の権限強化を図った結果
:朝倉宗滴、加賀の大小一揆に乗じて能登畠山氏と共に加賀に出陣
:関東享禄の内乱、上杉憲房の実子が上杉憲寛を追い関東管領となる
:古河公方家の足利高基と足利晴氏の親子が争い晴氏が勝利
:足利晴氏が関東享禄の内乱で味方した北条氏綱を関東管領に補任
:12代将軍・足利義晴の調停で長尾為景と上条定憲が和睦
6/6:細川高国が大物(摂津国)の広徳寺にて切腹する
:長尾為景、後ろ盾だった細川高国を失い不利になる
9月 :関東管領・上杉憲寛は上杉憲政を支持する家臣らに攻められ追放
:上杉憲政が山内上杉家の家督を継ぎ、関東管領に就任。
:古河公方と山内上杉家は、またもや不和状態に陥る
:関東管領職を剥奪された上杉憲寛、古河に戻ることが出来ない
:真里谷信政を頼って小弓公方・足利義明の支配下にあった上総宮原に移住
:上杉憲寛は足利晴直に改名
1532:
:武田信虎が領内の反抗する豪族たちを武力で圧倒し甲斐を統一
:天文の錯乱、浄土真宗本願寺宗門における教団改革を巡る内紛勃発
:本願寺蓮如の子の勢力争い
:本願寺10世証如と後見人蓮淳が法主の権限強化を図った結果
:三好元長の四男・十河一存誕生
:細川晴元の側近で播磨守護代の木沢長政が播磨守護畠山義堯に叛逆
:三好元長・一秀が畠山に加勢し木沢を飯盛城に追い詰める
:細川晴元、山科本願寺証如・蓮淳を味方にして10万の一向一揆勢を得る
:朝倉宗滴の実子と言われている蒲庵古渓が誕生、出家して下野国足利学校
6/19:三好長慶、父・元長の命により堺から阿波国に逃れる
6/20:三好元長が細川晴元に裏切られ本願寺一向衆に襲われ自害
:暴徒化した本願寺一向一揆勢は奈良を劫掠して京都へ侵入
:細川晴元は本願寺と決別、六角定頼と法華一揆を動員して撃退
8/20:堺にいた細川晴元が本願寺一向衆に包囲されるが合戦にて勝利する
:町衆を中心とする日蓮宗門徒が京都の自治権を掌握する
:山科本願寺焼打ちなどで他宗派を排斥
:本願寺証如と後見人・蓮淳が真っ先に逃亡
:本願寺証如と後見人・蓮淳が本福寺明宗を3度目の破門
:本福寺明宗が72歳で餓死
1533:
5/5 :三好千熊丸(長慶)木沢長政、法華衆が大坂本願寺を攻める
6月 :上条上杉定憲が揚北衆や長尾房長と反長尾為景で再挙兵
9月 :長尾為景と上杉定憲の間で再抗争
9/4 :越前・朝倉義景誕生
9/23:三好伊賀守、三好長虎、池田信正、伊丹氏が瓦林氏の越水城攻撃
1534
4/6:勢場ヶ原の戦いで大友義鑑と大内義隆が引き分ける
5/12:尾張那古野城主・織田信秀の嫡子・織田信長誕生
:足利義維が志筑(淡路国)に下向して当地に住む
:足利義維が平島荘(阿波国)に下向して当地に住む
6/4 :足利義晴は前関白・近衛尚通の娘(慶寿院)を正室に迎える
9/3 :足利義晴は上洛して南禅寺に入る
1535
:第3代古河公方・足利高基が死去
:第4代古河公方・足利晴氏は北条氏綱に接近
:阿賀北の国人や上田長尾家が上条定憲に味方して長尾為景に再叛乱
:今川氏輝の要請で北条氏綱・氏康親子が甲斐に出陣
:北条氏綱・氏康親子が武田信虎の弟・信友を討ち取る
:扇谷上杉朝興は北条氏綱の甲斐遠征に乗じて相模中央部まで攻略
2/26:後奈良天皇、10年かけて即位の礼を行えるようになる。
1536
:延暦寺の僧兵約6万人が京都に押し寄せる
:日蓮宗寺院二十一本山を焼払い門徒を虐殺
:武田信玄、元服して12代将軍・足利義晴より晴の偏諱を賜る
2月 :長尾晴景は朝廷から「私敵治罰」の綸旨を下された
3月:長尾為景、上条の乱から避難させるため謙信を春日山城近くの林泉寺へ
:長尾為景、朝廷の綸旨を得て叛乱を食い止め巻き返す
3/10:足利義晴の嫡男・義藤(義輝)誕生
3/17:駿河の守護大名・今川氏輝が後継なく死去
:今川家で二人の弟による相続争い、花倉の乱勃発
:北条氏綱は花倉の乱で梅岳承芳(今川義元)を支持
4/10:長尾為景が三分一ヶ原合戦で上杉定憲に快勝
4/24:追い詰められてた上杉定憲が敗死
6月 :今川義元、太原崇孚/雪斎禅師の補佐で今川家の当主となる
7月 :武田晴信、今川義元の斡旋により、左大臣・三条公頼の娘を正室に
8月 :父・長尾為景が隠居して兄・長尾晴景が家督を継ぐ
:長尾為景、虎千代を元服させと平三景虎(上杉謙信)と名乗らせた
:上杉謙信は林泉寺に入門し住職・天室光育の教えを受ける
:天文法華の乱
11月:武田晴信、初陣で佐久の海ノ口城へ出陣
12月:武田晴信わずか300の兵による奇襲を成功させる
:父・信虎が8000の兵で落とせなった海ノ口城を攻略して初陣を飾る
1537:
:長尾晴景の父・長尾為景が病死?
:長尾晴景、揚北衆と和し姉(仙洞院)を長尾房長の長子政景の妻にする
:長尾晴景、上杉定実を守護の座に復活させる
:細川晴元は六角定頼の猶子(実父は三条公頼)を妻に迎える
:豊臣秀吉が尾張国中村の下層民(焙烙売り・賤民とも)の家に誕生
:上総の里見義堯は北条氏綱に単独で対抗することは難しいと考える
:里見義堯は小弓公方の足利義明と同盟を結ぶ
:里見義堯は真里谷信隆を攻めて降伏させる
:里見義堯は久留里城に本拠を移転
:里見義堯が上総南部に勢力拡大
:今川義元が信虎の長女を正室とし甲駿同盟成立
2月 :今川氏親・北条早雲以来の駿相同盟を解消する
:反北条の色彩の強い甲駿同盟に対抗するため北条氏綱が駿河に出陣
:北条氏綱、富士川以東を占拠
7月 :北条氏綱が扇谷上杉家の河越城攻略
:扇谷上杉氏は松山城に本拠地を移転
9/15:三好長慶が堺へ入る
9/17:三好長慶が淡路国へ赴く
11/5:三好長慶の出陣につき本願寺証如が太刀・馬(河原毛)を贈る
11/13:足利義晴に次男・足利義昭が誕生
1538
:斎藤道三が守護代となり美濃の実権を掌握
:武田晴信の長子・義信誕生
:第4代古河公方・足利晴氏が北条氏綱と同盟
:足利晴氏の父の代から敵対する叔父で自称小弓公方の足利義明を滅ぼすため
:北条氏政誕生
:越後守護・上杉定実は、後継者である男子に恵まれない
:血筋としてもっと近かった曾孫の伊達時宗丸を養子に望む
:伊達時宗丸の父・稙宗は家格の違いを理由に固辞
:揚北衆の実力者・中条藤資(時宗丸の母方の伯父)が養子を強く推し進める
:長尾為景も伊達時宗丸の養子に賛成
3/3 :本願寺証如が年始の祝儀といて三好長慶に3種5荷を贈る
3/19:三好長慶が本願寺証如に年始の祝儀の返礼に太刀・馬(栗毛雲雀)送る
4/29:伊東義祐が偏諱の礼として足利義晴に30000疋(300貫)進上する
:伊勢貞孝に5000疋(50貫)を進上する
6/7 :足利義晴が御殿の葺替えにつき10000疋(100貫)を支出する。
6/14:本願寺証如が三好長慶に三好元長の七回忌として小経1巻・500疋を贈る
9月 :養子反対派、阿賀北小泉荘の本庄房長領に伊達氏の軍勢が侵入
10/7:北条氏綱は小弓公方・足利義明と安房の里見義堯らの連合軍と戦う
:北条氏綱・氏康父子は足利・里見連合軍に大勝する
:北条氏綱・氏康父子は足利義明を討ち取って小弓公方を滅亡させた
:北条氏は武蔵南部から下総にかけて勢力を拡大する
:戦線離脱し兵力を温存した安房里見氏が漁夫の利を得る
:里見氏は久留里城・大多喜城を落とし房総半島の大半を掌握
:古河公方・足利晴氏は合戦の勝利を賞して氏綱を関東管領に補任
:実際には上杉憲政が関東管領、二重手形
10/16:本願寺証如が三好長慶に音信として書状、太鼓・小鼓5枚ずつ13種5荷贈る
1539:
:北条氏綱の娘が古河公方・足利晴氏に嫁ぐ
:伊達時宗丸を上杉定実の養子るする件で越後国内は賛成派と反対派に割れた
:賛成派は守護の上杉定実、中条藤資
:反対派は守護代・長尾晴景、揚北衆の大半
:反対派は越後上杉家、伊達家、中条家の血縁連合誕生を恐れた。
1/14:三好長慶が軍勢2500を引き連れ上洛する
6/23:三好長慶の母死去に本願寺証如が香典1000疋を送る
6/28:足利義晴の次男千歳丸(義昭)が興福寺一乗院に入ることが決まる
閏6/3:大村純前が上洛、足利義晴に対面太刀1腰(国宗)馬代100貫を進上
:足利義晴が剣を下賜
:大村純前がさらに太刀1腰(菊一文字)、馬を進上
:義藤(義輝)にも対面し馬・太刀を進上
閏6/13 :三好長慶と三好政長が決裂、足利義晴が和平の御内書を数多く発給
閏6/24 :伊勢貞孝が陸奥国南部の商人 左藤掃部助時吉と面会する
:左藤掃部助時吉より樽代100疋、太刀が時吉より進上される
:伊勢貞孝より左藤掃部助時吉に肩衣を下賜し、盃を遣わす
7/25:伊勢貞孝が政所公人・開闔雑色をもって徳政停止を触れさせる
:上京・下京の土倉が5荷3種を貞孝に進上
8/23:坂本(近江国)に滞在中の六角定頼より伊勢貞孝のもとへ
:馬、太刀、10荷10合が贈られる。
9/6 :大友家の被官 斎藤掃部助、斎藤新左衛門尉、津久見が伊勢貞孝に訪れる
:手配の御礼として太刀、馬を贈られる
:伊勢貞孝は3献にて3人をもてなす
10月:三好利長(長慶)と三好政長が和睦する
11/19:赤松政村より伊勢貞孝に礼として太刀、馬1疋、杉原20帖が贈られる
:政村の使者・円光寺からも礼に杉原3束が贈られる
1540:
:越後では伊達時宗丸の養子縁組に賛成反対で争う
:中条藤資と本庄房長・色部勝長・鮎川清長軍が争い揚北衆は分裂
:揚北衆は独立性を守護や守護代に対する独立性を失う
6/17:禁裏にて天下大疫御祈祷として不動小法が修される。
:費用3000疋(30貫)は足利義晴が土倉に賦課する
11月:武田晴信の妹、祢々が諏訪頼重に嫁ぐ
1541
5月:武田信虎・晴信父子は北佐久、南小県郡に出陣
:武田家は諏訪頼重、村上義清と協力し小県の滋野一族を攻撃
:海野氏(うんのうじ)の嫡男・海野幸義は村上義清によって戦死
:海野棟綱は村上義清・諏訪頼重、武田信虎に敗れて上野に逃亡
:海野棟綱や真田幸隆は上杉憲政の家臣、長野業正を頼って逃れる
6/14:武田晴信が重臣と共謀して父・信虎を駿河に追放、国主の座に就く
7/4 :関東管領上杉憲政は海野棟綱の願いを受けて信濃佐久に出陣
:上杉憲政は北条家包囲網を築く
:諏訪頼重は晴信を侮り、単独で出兵
:諏訪頼重、盟約関係にある武田・村上らに無断で憲政と和睦
:諏訪頼重、武田・村上に無断で所領を分割する
7/19:北条氏綱が病没、北条氏康が家督を継ぐ
9/21:本願寺証如が三好長慶に音信として書状と3種5荷を贈る
10月:北条氏綱に敗れた扇谷上杉朝定が山内上杉家の上杉憲政と共同で河越城攻め
:北条が勝利するも今川との戦いも長期化
10/18:本願寺証如が音信として三好範長(長慶)に3種5荷を贈る
:三好政長に3種3荷を贈る
:加地肥前に樽代100疋を贈る
:塩田左馬助に樽代100疋を贈る
10/29:木沢長政が細川晴元に謀叛を起こす
12/12:細川晴元の出陣に本願寺証如が音信として太刀1腰、5種10荷を贈る
:本願寺証如が出陣の音信として細川藤賢に太刀1腰・3種5荷を贈る
:三好長慶に太刀1腰・綿10把を贈る
:波多野備前に太刀1腰・綿10把を贈る
:三好政長に太刀1腰・綿10把を贈る
:高畠長直に綿3把を贈る
:藤賢取次の小河民部丞に太刀1腰・綿3把を贈る
12/26:本願寺証如が歳末の礼として細川晴元に太刀1腰を贈る
:三好長慶に太刀1腰を贈る
:出陣中の芥川孫十郎に太刀1腰・梅染2端を贈る
:出陣中の池田長正に太刀1腰・梅染2端を贈る
1542
:春日虎綱は父親の遺産を巡り姉夫婦と争い敗訴
:春日虎綱、信玄の近習として召抱えられる。
:板垣信方、武田晴信に築城術)に通じた駿河の牢人山本勘助を推挙
:伊達晴宗が時宗丸の養子縁組に対し反発、父・稙宗を幽閉
1月 :防長の大名・大内義隆が毛利元就などの諸勢力を率い尼子に侵攻
3/9 :遊佐長教が斎藤山城守を殺害
3/17:太平寺の合戦で細川勢が木沢長政を討ち取る
閏3/8:三宅国村が毛氈免許の礼に馬・太刀・3000疋を足利義晴に進上
4月 :祢々御料人が諏訪頼重の嫡男・寅王を出産
4月 :上杉定実、時宗丸の養子を出家の起請文を書いて脅迫
:上杉定実が守護代・長尾晴景と和睦
6月 :武田晴信が高遠頼継と結び諏訪に侵攻
:諏訪頼重が守る上原城を攻撃
:北条氏の早雲寺が勅願寺となる
:北条氏康一斉検地を行う
7月 :諏訪頼重は桑原城に逃亡
:武田晴信が諏訪頼重と講和して頼重を甲府へ移す
:諏訪頼重を切腹させる
:大井貞隆が武田の間隙をついて長窪城を奪回
7/13:宗晴康が偏諱の礼に足利義晴に進上
:太刀1腰、曇金1端、毛氈1枚、虎皮1枚、鳥目3000疋
:、伊勢貞孝に太刀1腰、豹皮1枚、鳥目1000疋
7/22:宗彦七(義調)が偏諱の礼に足利義晴に進上
:太刀1腰、曇金1端、紅綿1斤、鳥目2000疋
:伊勢貞には太刀1腰、鞍覆、鳥目500疋が進上
7/29:有馬晴純が礼に足利義晴に進上
:太刀(国久)、馬、曇金1端、唐錦1端(紋唐草)、緞子3段、毛氈5枚
:有馬晴直が太刀、馬、黄金30両
9月 :高遠頼継は諏訪の分領に不満を持ち挙兵
:武田晴信は諏訪頼重の遺児・寅王を擁して出陣
:武田晴信は高遠頼継を破り上伊那郡に兵を進める
10月:武田晴信が諏訪全土を掌握
:武田晴信が寅王の後見役となり諏訪家の旧家臣を召し抱える
11/20:千歳丸(足利義昭)が興福寺一乗院に入室
12/ :父・長尾為景が病死?
:伊達氏における内訌・天文の乱により養子話が頓挫
12/26:三河国岡崎にて徳川家康(松平元信→元康)が誕生
1543:
:長尾晴景が越後守護代を継ぐが弱腰を侮られる
:越後国人衆が傀儡守護上杉定実を担いで蜂起
7/25:細川氏綱が細川晴元打倒の兵を挙げる
8月 :兄・長尾春景の計らいで還俗・元服して長尾景虎と名乗る
8/25:ポルトガル船、種子島に漂着→ポルトガル人により鉄砲伝来。
9月 :長尾景虎、三条城を経て栃尾城に入る
10/30:足利義晴が本願寺証如に加賀国分禁裏御修理料100貫文を納めさせる
1544
:長尾景虎、栃尾城の戦いで謀反を鎮圧・15歳で初陣
:長尾景虎、初陣にして才覚を発揮し家臣や諸将に一目置かれる
7/9 :京都と東海で大雨洪水、京中の人馬が流出する。
:四条大橋、五条大橋、貴船社、黒谷坊流出、京都で死者多数
1545:
5/24:細川晴元が上野玄蕃頭を討つ為に山城南部に三好長慶、三好宗三を派遣
10月 :越後守護・上杉定実の家臣・黒田秀忠の謀反。
:兄・長尾景康と長尾景房が殺害される。
:黒滝城の戦いで黒田秀忠が降伏
:上杉憲政は北条家包囲網に今川義元や里見義堯を引き入れる
:今川義元、第二次河東一乱で北条家を駿河に誘き寄せる
1546:
2月 :黒田秀忠が再度挙兵したため、黒田氏を滅亡させる
:河越城の戦いで関東管領上杉憲政は北条氏康に大敗
2/17:本願寺証如が三好長慶とその被官・塩田に当年の樽を遣わす
2/19:三好長慶と塩田が2/17の音信の返しとして本願寺証如に太刀を送る
7/27:足利嘉晴の嫡男菊童丸が爵を受け義藤と名乗る
9/5 :本願寺証如が中島(摂津国)に在陣中の三好長慶に3種3荷を贈る
:安宅神太郎(冬康)、十河孫六郎、三好政長にも贈る
12/6:本願寺証如が出陣中の諸将に音信として綿を贈った。
:三好長慶、三好之虎、三好政長、山中三郎太郎
:山中橘左衛門、三木与左衛門、塩田
12/19:足利義晴の嫡男義藤が元服し征夷代将軍となる
12/20:足利義晴は義晴を右近衛大将になる
1547
:小田井原の戦いで武田信玄が上杉憲政を破る
3月晦日:足利義晴・義藤父子が北白川城(山城国)に900余騎で籠城
4/1 :細川晴元が三好長慶ら淡路・四国衆3万で北白川城を攻める
6/25:三好長慶が芥川山城(摂津国)の薬師寺与一を降伏させる
7/12:細川晴元の要請を受けた六角定頼・義賢が北白川城を包囲
7/19:足利義晴・義藤父子が坂本に逃れる
7/29:足利義藤が細川晴元・六角定頼・義賢父子を赦免
閏7/5:細川晴元が細川国慶の籠る高雄城(山城国)を攻め落とす
1548
:長森原の戦いで関係が断絶していた関東管領山内上杉家との関係を修復
:上杉謙信の人望が高まり越後の国人や親族が守護代に担ぎだす。
3月 :朝倉宗滴、若年で宗家当主になった朝倉義景を補佐
4月 :六角定頼が細川氏綱派と細川晴元派を和解させる
6/17:足利義晴・義藤父子が坂本から上洛
9月 :三好長慶が細川に対する軍事行動を開始
12月 :越後守護・上杉定実の介入で兄・長尾晴景が隠退。
:上杉謙信が督相続して守護代となる
1549
:石山本願寺が勅願寺となる
:三好長慶に長男が生まれる
6/24:江口の戦いで三好長慶が細川晴元に勝利
6/28:足利義晴・義藤父子が細川晴元と坂本に逃れる
7/9 :三好長慶が細川氏綱を奉じて上洛
1550
:越後の守護大名・上杉定実が病死。
1/15:足利義晴が水腫張満という病を患う
2月 :室町13代将軍・足利義輝から越後守護の地位を認められる
5/4 :足利義晴が死去する
5/11:足利義藤は細川晴元と六角義賢の諫言で比叡辻(近江国)宝泉寺に移る
7/14:三好勢が義藤の拠点、京東郊外に侵攻、細川晴元は戦わず越前に逃亡
11/19:三好勢4万が京に侵攻、細川・六角勢は敗退
11/21:足利義藤は中尾城を自焼して近江堅田へ逃亡
1551:
1月 :長尾政景(謙信の姉の夫)が謀反・坂戸城の戦いで勝利・越後統一
1月末:幕府政所頭人・伊勢貞孝が義藤を強引に京に連れ戻そうとする
:三好勢との和睦を図ろうとするが失敗
1/30:伊勢貞孝が三好勢に寝返る
:三好勢と六角勢が近江と山城で放火・略奪などを繰り返す
3/14:伊勢貞孝屋敷の宴会で進士賢光が三好長慶を3度斬り付ける
:暗殺に失敗した進士賢光は自害する
5/5 :三好長慶派の河内守護代・遊佐長教が時宗の僧侶・珠阿弥に暗殺される
7月 :相国寺の戦いで三好勢が幕府勢に勝利
1552:
1月 :北条氏康に攻められ逃れてきた関東管領上杉憲政を御館に住まわせる
1/28:足利義藤が三好長慶と和解して入京
:細川京兆家は細川氏綱が当主となり細川晴元は若狭武田家に落ちる
:細川典厩家は細川氏綱の弟・細川藤賢が当主となる
2/26:足利義藤が三好長慶を陪臣から幕府直臣の御供衆とする
:足利義藤が政所頭人・伊勢貞孝を赦免
4/4:三好長慶が朝廷へ勅筆古今の御礼のため参内して太刀・折紙・万疋を進上
6月 :足利義藤が伊勢貞孝らの反対を押し切り山名氏や赤松氏の守護職を奪う
:足利義藤が尼子晴久を8か国守護に任命する
6/16:朝倉義景、足利義輝より義の字を与えられ、延景から義景と改名する
:朝倉義景、左衛門督に任官
:朝倉義景、庭籠の巣鷹を義輝に献上
8月 :上野沼田城を攻める北条軍を撃退する
:上杉憲政の居城・平井城を奪還
10月:細川晴元が丹波で味方を募り三好勢を撃破
1553
:武田信玄に信濃を追われた村上義清を匿う
1月 :細川晴元の反撃で京周辺の政情が不安定になる
:反三好派の上野信孝らが密かに細川晴元と内通して長慶を除こうとした
2月 :親三好派の伊勢貞孝が上野信孝らの追放の足利義藤に諫言
:幕臣内部で親三好派と反三好派が激しく争う
3/8 :足利義藤は長慶との和約を破棄して東山霊山城に入城する
7/22:北野社右近馬場にて足利義藤が細川晴元を赦免
8/1 :東山霊山城の戦いで細川晴元は三好勢の猛攻に恐れ一戦もせず退却
:三好長慶が足利義藤に従う者の領地を没収すると宣言
8/30:多くの者に見捨てられた足利義藤は40程度と近江朽木に逃れる
9月 :第一次川中島の合戦で武田晴信との初の戦となる
11/13:長尾景虎、堺に到着して三好長慶も助言で本願寺証如に連絡
:表向き太刀・馬の目録を遣わす
:実際には鳥目1000疋と樽代を送る
11/24:本願寺証如が長尾景虎に音信の返礼を送る。
:太刀(2貫相当)・緞子10端(13貫余相当)・嶋織色20端(15貫相当)
:初めて上洛し後奈良天皇、13代将軍・足利義輝に拝謁する
:後奈良天皇に拝謁した際、御剣と天杯を下賜される。
1554
:武田家・今川家・北条家の間で三国同盟
:家臣・北条高広が武田信玄の調略を受けて謀叛、鎮圧
2/12:足利義藤は朽木滞在中に従三位に昇叙し名を義輝に改める
5/19:本願寺証如が堺に到着した安宅冬康に音信として5種5荷を贈る
:菅若狭に3種3荷を贈る
:大友義鎮が足利義輝に肥前国守護任命の礼に鉄砲を献上
1555
:北条城の戦い
4月 :第二次川中島の合戦・今川義元の仲介で和睦
7/21:朝倉宗滴、越後上杉氏の長尾景虎に呼応して加賀に出陣
7/23:朝倉宗滴、加賀一向一揆の南郷・津葉・千足の3城を1日で落とす
7/24:朝倉宗滴、江沼郡に入って焼き働きし大聖寺付近の敷地山に本陣を布く
8月 :一揆側も朝倉軍に反撃し一進一退
:朝倉宗滴、陣中で病に倒れ朝倉景隆に総大将を任せて一乗谷に帰還
9/8 :朝倉宗滴、一乗谷で手厚い看病を受けたが病死
:朝倉義景、直接政務を執る
10/23:元号が「天文」から「弘治」に改まる
1556
:駒帰の戦い
:上杉謙信、突如出家するも、家臣の反乱や武田軍が気になり還俗
6/5 :足利義輝が六角義賢を介して本願寺顕如に朝倉義景との和睦を命じる
:朝倉義景も朝倉宗滴が陣病没しており不利を悟って和睦に応じる
1557
:第三次川中島の合戦
4月 :本願寺顕如に細川晴元の娘が六角義賢の猶子として輿入
1558
:桶狭間の戦いで今川義元が死去
2月 :朝廷は正親町天皇の即位のために年号を永禄に改元
:足利義輝は朽木にいて改元を知らされず朝廷に抗議
:改元は朝廷と室幕府の協議で行われてきたが朝廷は三好長慶にだけ相談
3/13:義輝は改元の一件もあって三好打倒のため朽木で挙兵
6/2 :北白川の戦いで足利義藤勢と三好長慶勢が戦うも膠着状態となる
9/18:堺に三好長慶、三好之虎、安宅冬康、十河一存の4兄弟が集まる
11/27:六角義賢の仲介により足利義輝と三好長慶が和睦
:長慶・慶興父子が上洛して義輝に出仕する
12/22:三好之虎、安宅冬康が堺から尼崎(摂津国)に入る
12/23:足利義輝は伯父・近衛稙家の娘(大陽院)を正室に迎え
1559:
2/4 :足利義輝の参内に三好長慶が供奉する
:三好長慶は幕府の御相伴衆になり桐紋の使用を許され修理大夫に
:三好孫次郎が義輝から偏諱を拝領して義長を名乗り御相伴衆・筑前守
:三好実休や松永久秀なども御供衆に加えられる
:松永久秀は弾正少弼に任官
2/20:足利義輝が熊谷信直の伊豆守の名乗りを認可する
2/25:足利義輝が熊谷信直に太刀1腰・青銅1000疋の礼状を発給
5月 :上杉謙信、足利義輝の要請で再度上洛し正親町天皇にも拝謁する
11/9:朝倉義景、従四位下に叙位
1560
:上杉謙信、越中、神保長職に攻められた椎名康胤を救援
:上杉謙信、神保長職の居城である富山城を落とす。
4/8 :洲本(淡路国)で不和となっていた三好長慶と三好之虎が会見する
1561
:小田原城の戦い・上杉謙信、10万兵で1カ月包囲に諦める。
8月 :上杉謙信、関東管領・上杉憲政の養子となり家督を譲られる
:上杉謙信、上杉政虎と改名し、関東管領を引き継ぐ
:第四次川中島の合戦
:上杉謙信、生野山の戦いで北条氏康と対峙し敗れる。
:上杉謙信、唐沢山城の戦い
:上杉謙信、上杉輝虎と改名
:上野の箕輪城主・長野業正(上杉家家臣)が死去
:上杉謙信、箕輪城が武田信玄に落とされ西上野が支配下になる。
:第四次川中島の合戦
1562
:上杉謙信、関東出兵・上野の赤井氏を攻め滅ぼす。
:上杉謙信、越中へ出兵、神保長職を降伏させる。
1563
:上杉謙信、武蔵の松山城が北条軍の攻撃を受け落城
:上杉謙信は武蔵での拠点を失う
:上杉謙信は武蔵へ侵攻して小田朝興の守る騎西城を攻め落す。
:上杉謙信、小田朝興の兄である武蔵忍城主・成田長泰を降伏させる。
1564
:第五次川中島の合戦
:唐沢山城の戦い・下野の佐野昌綱が上杉謙信に降伏する・度々叛乱
1565
:永禄の変で将軍・13代将軍足利義輝が暗殺される
:上杉謙信、北条軍に攻められた下総の関宿城へ援軍を送る。
1566
:上杉謙信、常陸国へ出兵・小田氏治を降伏させた。
:臼井城の戦い、上杉謙信、北条氏に与する千葉氏の臼井城を攻めるも敗北
:上杉謙信に味方降伏していた関東の豪族らが次々と北条氏に寝返る
1567
:唐沢山城の戦い
:上杉謙信、厩橋城代を務める上杉家家臣・北条高広が北条に通じて叛乱
:上杉謙信、北条高広を破り、厩橋城を奪還
1568
:上杉謙信、新将軍の足利義昭からも関東管領に任命される
:武田信玄が今川氏真を破り駿府城を攻略
4月 :上杉謙信の恩賞に不満を持った本庄繁長が武田信玄に調略されて叛乱
:上杉謙信、椎名康胤と越中の一向宗、本庄繁長に併せて叛乱
1569
:上杉謙信、北条氏康と越相同盟を結ぶ
1570
:上杉謙信、法号・不識庵謙信を称する
4/11:北条氏康の七男・三郎が上杉謙信の養子となり上杉景虎を名乗る。
1571
:越中大乱、上杉謙信、2万8千人の兵を率いて越中に出陣
:上杉謙信、徳川家康から太刀を贈られる
:上杉謙信、椎名康胤が籠もる富山城ほか新庄城、守山城などを落とす。
:北条氏康が死去、後継の氏政が越相同盟を破棄
1572
:尻垂坂の戦い、織田信長と同盟を締結
:上杉謙信、武田信玄と通じている加賀、越中の一揆衆が越中で大暴れ
:上杉謙信、富山城など上杉方の城が落ちるも越中に出兵
:上杉謙信、越中で勝利を飾り一揆衆を蹴散らす
1573
:越中の一向一揆討伐
:椎名康胤が再叛乱、上杉の支城・富山城を奪うが上杉謙信は無事に奪還。
4月 :武田信玄が死去
:上杉謙信、神保と椎名、一揆衆などを降し越中の大半を支配、加賀にも侵攻
12月:上杉謙信、足利義昭に足利家再興を依頼される
1574
:上杉謙信、織田信長から『洛中洛外図屛風』を贈られる
:上杉謙信、上野武蔵等に侵攻して北条氏の支城を落すも関東武士は日和見
1575
:
1576
:上杉謙信、石山本願寺の顕如と講和、信長との同盟を破棄して包囲網
:上杉謙信、足利義昭の要請で武田・北条と和睦
:上杉謙信、越中守護代・椎名康胤を討ち取り、同国を平定する。
:上杉謙信、七尾城の戦いで遊佐氏を調略、反乱を起こさせて七尾城を落とす
1577
:上杉謙信、手取川の戦いで七尾城の救援に来た柴田勝家の軍勢と戦い勝利
1578:
3月 :上杉謙信、春日山城内の厠で倒れ、急逝
「創作年表」
「創作年表」
年月日:年齢:出来事
1506:
9/19:祖父・長尾能景が守護上杉房能の罠で戦死
1507:
1508:越後守護・上杉房能が長尾為景討伐の準備
8月 :長尾為景は先手を打って上杉房能の館を急襲
:上杉房能は自刃
:上杉房能の養子・上杉定実を傀儡として守護に擁立
:長尾為景は銭貨80貫文を室町幕府に献上
:長尾為景は銭貨80貫文を室町幕府に献上
11/6:上杉定実は越後守護就任、長尾為景は越後守護代就任
1509:
7/28:上杉房能の実兄である関東管領・上杉顕定とその子・憲房が復仇
:関東管領軍は越後上田荘を拠点に越後府中を落とし中越・上越地方を抑える
:長尾為景は劣勢となって上杉定実と共に越中国に逃亡
:長兄・長尾晴景誕生
8月 :長尾為景が銭貨80貫文を室町幕府に献上
11月:上杉定実の越後守護就任が正式に認められる
1510:
6/10:長森原の戦いで退却する上杉軍に猛攻をかけ関東管領上杉顕定を敗死させ
:上杉顕実と上杉憲房が関東管領の座を巡って戦う
1511:
1512:永正の乱・上杉顕実が上杉憲房に負けて関東管領の実権を失う。
:上杉憲房が山内上杉家の家督を継ぐ
5月 :揚北衆の鮎川氏が反逆するが、山吉・築地ら武将を使わして鎮圧
1513:越後守護・上杉定実と対立・上杉定実が春日山城を占拠
:真田幸綱(幸隆)誕生
2/14:足利義晴と足利義尹が和睦する
1514:
5月 :越後守護・上杉定実を破り守護不在状態とする
1515:上杉顕実が病死、上杉憲房が正式に関東管領となる
1516:
1517:
1518:
1519:
1520:長尾為景は越中の神保慶宗と椎名慶胤を滅ぼす
12/26:足利義晴・赤松義村が置塩を脱し明石の榛谷に移る。
1521:能登守護畠山義綱の越中侵略に荷担して越中新川郡の守護代職を獲得
2月 :長尾為景、一向宗を信仰することを禁止
3/7 :足利義稙が京都を密かに抜け出して堺南荘に赴く
3/10:足利義稙が淡路国に入る
:武田信玄誕生
12/24:足利義晴が細川高国に擁立され第12代征夷大将軍就任
1522:
1523:
4/9 :阿波国で足利義稙が死去する
1524:長尾為景の長女・桃子(仙桃院)誕生
1525:上杉憲房が病死、養子の上杉憲寛が関東管領となる。
1526:長尾為景の次女・光子誕生
:長尾為景の三女誕生夭折
7月 :細川高国が細川尹賢の讒言を信じて家臣の香西元盛を殺害
:香西元盛の兄弟、波多野元清と柳本賢治が挙兵
:細川高国と対立していた細川晴元も挙兵
1527:長尾為景の四女誕生夭折
:春日虎綱(高坂 昌信)農民として誕生
:川原の戦いで細川晴元が細川高国に勝利
1528:12代将軍足利義晴から白傘袋・毛氈鞍覆の格式を許される
:「随分衆」
9/8:足利義晴が朽木に逃れる
:長尾為景の五女(道五姫、法名:玉嶺妙金)玉子誕生
:長尾為景の六女(加地春綱正室)杉子
1529:
12/12:長尾為景の次男・景康(鬼次郎)誕生
1530:越後守護・上杉定実と上条定憲を中心に叛乱
:上条定憲と長尾為景の間で抗争が勃発
2/1 :長尾為景の三男・景房(竜五郎)誕生
2/18:長尾為景の四男・上杉謙信誕生
1531:関東享禄の内乱、上杉憲房の実子が上杉憲寛を追い関東管領となる
:古河公方家の足利高基と足利晴氏の親子が争い晴氏が勝利
:足利晴氏が関東享禄の内乱で味方した北条氏綱を関東管領に補任
:12代将軍・足利義晴の調停で長尾為景と上条定憲が和睦
6/6:細川高国が大物(摂津国)の広徳寺にて切腹する
:長尾為景、後ろ盾だった細川高国を失い不利になる
1532:長尾為景の七女誕生夭折
6/20:三好元長が細川晴元に裏切られ本願寺一向衆に襲われ自害
8/20:堺にいた細川晴元が本願寺一向衆に包囲されるが合戦にて勝利する
1533:長尾為景の八女(道八姫、法名:松厳明貞、小黒氏室)松子誕生
9月 :長尾為景と上杉定憲の間で再抗争
1534:
6/4 :足利義晴は前関白・近衛尚通の娘(慶寿院)を正室に迎える
9/3 :足利義晴は上洛して南禅寺に入る
12/28:長尾為景の五男・長尾内記(万千代:法名・実岑一貞)誕生
1535:阿賀北の国人や上田長尾家が上条定憲に味方して再叛乱
1536:父親に朝廷に綸旨をもらって和平する事を提案。
3/10:足利義晴の嫡男・義藤(義輝)誕生
:朝廷の綸旨を得て叛乱を食い止める
4/10:長尾為景が三分一ヶ原合戦で上杉定憲に快勝
4/24:追い詰められてた上杉定憲が敗死
8月 :父・長尾為景が隠居して兄・長尾晴景が家督を継ぐ
:庶兄の上杉謙信と曹洞宗林泉寺に入門し住職・天室光育の教えを受ける
:武田信玄元服して初陣を飾る
:花倉の乱で今川義元が今川家の当主となる
1537:父・長尾為景が病死?
:細川晴元は六角定頼の猶子(実父は三条公頼)を妻に迎える
:父の長尾為景に永楽銭の東西差を利用して稼ぐと提案
:関船を建造してもらう。
:麦翁・権田愛三の農業法を取り入れる
:加賀前田藩の五箇山硝煙作りを始める。
:天室光育の仲介を受けて戸隠神社と善光寺と交流
:修験道場戸隠十三谷三千坊として比叡山、高野山と共に「三千坊三山」
:1468年天台派の宣澄法師が真言派に暗殺された
:これを機に天台派が真言派を追い出した。
:戸隠山に向かって奥社参道左手が真言宗、右手が天台宗だった。
:高野山と潜んでいた真言派を味方につける。
11/13:足利義晴に次男・足利義昭が誕生
1538:北条氏政誕生
:上杉定実が伊達稙宗の子である時宗丸を養子に望む
:父の長尾為景も兄の晴景も時宗丸養子に賛成
:駿河に使者を送って山本勘助を100貫で召し抱える。
4/29:伊東義祐が偏諱の礼として足利義晴に30000疋(300貫)進上する
:伊勢貞孝に5000疋(50貫)を進上する
6/7 :足利義晴が御殿の葺替えにつき10000疋(100貫)を支出する。
6/28:足利義晴の次男千歳丸(義昭)が興福寺一乗院に入ることが決まる
閏6/3:大村純前が上洛、足利義晴に対面太刀1腰(国宗)、馬代100貫を進上
:足利義晴が剣を下賜
:大村純前がさらに太刀1腰(菊一文字)、馬を進上
:義藤(義輝)にも対面し馬・太刀を進上
閏6/13 :三好長慶と三好政長が決裂、足利義晴が和平の御内書発給
10月:三好利長(長慶)と三好政長が和睦する
:
:
9月 :養子反対派、阿賀北小泉荘の本庄房長領に伊達氏の軍勢が侵入
:
:
:
:
1539:
1/14:三好長慶が軍勢2500を引き連れ上洛する
:
:
:
:
1540:
6/17:禁裏にて天下大疫御祈祷として不動小法が修される。
:費用3000疋(30貫)は足利義晴が土倉に賦課する
:
:
:
:
1541:海野平の戦いで海野棟綱は村上義清・諏訪頼重、武田信虎に敗れる
:真田幸隆と共に上野に逃亡
:関東管領上杉憲政は海野棟綱の願いを受けて信濃佐久に出陣
:上杉憲政は北条家包囲網を築く
10/29:木沢長政が細川晴元に謀叛を起こす
1542:春日虎綱は父親の遺産を巡り姉夫婦と争い敗訴
:使者を送って春日虎綱を家臣に迎える。
3/9 :遊佐長教が斎藤山城守を殺害
3/17:太平寺の合戦で細川勢が木沢長政を討ち取る
閏3/8:三宅国村が毛氈免許の礼に馬・太刀・3000疋を足利義晴に進上
4月 :上杉定実、時宗丸の養子を出家の起請文を書いて脅迫
7/13:宗晴康が偏諱の礼に足利義晴に進上
:太刀1腰、曇金1端、毛氈1枚、虎皮1枚、鳥目3000疋
:、伊勢貞孝に太刀1腰、豹皮1枚、鳥目1000疋
7/22:宗彦七(義調)が偏諱の礼に足利義晴に進上
:太刀1腰、曇金1端、紅綿1斤、鳥目2000疋
:伊勢貞には太刀1腰、鞍覆、鳥目500疋が進上
7/29:有馬晴純が礼に足利義晴に進上
:太刀(国久)、馬、曇金1端、唐錦1端(紋唐草)、緞子3段、毛氈5枚
:有馬晴直が太刀、馬、黄金30両
11/20:千歳丸(足利義昭)が興福寺一乗院に入室
12/ :父・長尾為景が病死?
:伊達氏における内訌・天文の乱により養子話が頓挫
1543:
7/25:細川氏綱が細川晴元打倒の兵を挙げる
8月 :兄・長尾春景の計らいで還俗・元服して長尾景虎と名乗る
9月 :三条城を経て栃尾城に入る
10/30:足利義晴が本願寺証如に加賀国分禁裏御修理料100貫文を納めさせる
1544:栃尾城の戦いで謀反を鎮圧・15歳で初陣
:初陣にして才覚を発揮し、家臣や諸将に一目置かれる存在となる。
7/9 :大洪水により京中の人馬が流出する。
1545:
10月 :越後守護・上杉定実の家臣・黒田秀忠の謀反。
:兄・長尾景康と長尾景房が殺害される。
:黒滝城の戦いで黒田秀忠が降伏
:上杉憲政は北条家包囲網に今川義元や里見義堯を引き入れる
:今川義元、第二次河東一乱で北条家を駿河に誘き寄せる
1546:
2月 :黒田秀忠が再度挙兵したため、黒田氏を滅亡させる
:河越城の戦いで関東管領上杉憲政は北条氏康に大敗
7/27:足利嘉晴の嫡男菊童丸が爵を受け義藤と名乗る
12/19:足利義晴の嫡男義藤が元服し征夷代将軍となる
12/20:足利義晴は義晴を右近衛大将になる
1547:小田井原の戦いで武田信玄が上杉憲政を破る
3月晦日:足利義晴・義藤父子が北白川城(山城国)に900余騎で籠城
4/1 :細川晴元が三好長慶ら淡路・四国衆3万で北白川城を攻める
6/25:三好長慶が芥川山城(摂津国)の薬師寺与一を降伏させる
7/12:細川晴元の要請を受けた六角定頼・義賢が北白川城を包囲
7/19:足利義晴・義藤父子が坂本に逃れる
7/29:足利義藤が細川晴元・六角定頼・義賢父子を赦免
閏7/5:細川晴元が細川国慶の籠る高雄城(山城国)を攻め落とす
1548:長森原の戦いで関係が断絶していた関東管領山内上杉家との関係を修復
:真田幸隆に使者を送って家臣にする。
:上杉謙信の人望が高まり越後の国人や親族が守護代に担ぎだす。
4月 :六角定頼が細川氏綱派と細川晴元派を和解させる
6/17:足利義晴・義藤父子が坂本から上洛
9月 :三好長慶が細川に対する軍事行動を開始
12月 :越後守護・上杉定実の介入で兄・長尾晴景が隠退。
:上杉謙信が督相続して守護代となる
1549:石山本願寺が勅願寺となる
6/24:江口の戦いで三好長慶が細川晴元に勝利
6/28:足利義晴・義藤父子が細川晴元と坂本に逃れる
7/9 :三好長慶が細川氏綱を奉じて上洛
1550:越後の守護大名・上杉定実が病死。
1/15:足利義晴が水腫張満という病を患う
2月 :室町13代将軍・足利義輝から越後守護の地位を認められる
5/4 :足利義晴が死去する
5/11:足利義藤は細川晴元と六角義賢の諫言で比叡辻(近江国)宝泉寺に移る
7/14:三好勢が義藤の拠点、京東郊外に侵攻、細川晴元は戦わず越前に逃亡
11/19:三好勢4万が京に侵攻、細川・六角勢は敗退
11/21:足利義藤は中尾城を自焼して近江堅田へ逃亡
1551:
1月 :長尾政景(謙信の姉の夫)が謀反・坂戸城の戦いで勝利・越後統一
1月末:幕府政所頭人・伊勢貞孝が義藤を強引に京に連れ戻そうとする
:三好勢との和睦を図ろうとするが失敗
1/30:伊勢貞孝が三好勢に寝返る
:三好勢と六角勢が近江と山城で放火・略奪などを繰り返す
3/14:伊勢貞孝屋敷の宴会で進士賢光が三好長慶を3度斬り付ける
:暗殺に失敗した進士賢光は自害する
5/5 :三好長慶派の河内守護代・遊佐長教が時宗の僧侶・珠阿弥に暗殺される
7月 :相国寺の戦いで三好勢が幕府勢に勝利
1552:
1月 :北条氏康に攻められ逃れてきた関東管領上杉憲政を御館に住まわせる
1/28:足利義藤が三好長慶と和解して入京
:細川京兆家は細川氏綱が当主となり細川晴元は若狭武田家に落ちる
:細川典厩家は細川氏綱の弟・細川藤賢が当主となる
2/26:足利義藤が三好長慶を陪臣から幕府直臣の御供衆とする
:足利義藤が政所頭人・伊勢貞孝を赦免
8月 :上野沼田城を攻める北条軍を撃退する
:上杉憲政の居城・平井城を奪還
10月:細川晴元が丹波で味方を募り三好勢を撃破
1553:武田信玄に信濃を追われた村上義清を匿う
1月 :細川晴元の反撃で京周辺の政情が不安定になる
:反三好派の上野信孝らが密かに細川晴元と内通して長慶を除こうとした
2月 :親三好派の伊勢貞孝が上野信孝らの追放の足利義藤に諫言
:幕臣内部で親三好派と反三好派が激しく争う
3/8 :足利義藤は長慶との和約を破棄して東山霊山城に入城する
7/22:北野社右近馬場にて足利義藤が細川晴元を赦免
8/1 :東山霊山城の戦いで細川晴元は三好勢の猛攻に恐れ一戦もせず退却
:三好長慶が足利義藤に従う者の領地を没収すると宣言
8/30:多くの者に見捨てられた足利義藤は40程度と近江朽木に逃れる
9月 :第一次川中島の合戦で武田晴信との初の戦となる
9月 :第一次川中島の合戦で武田晴信との初の戦となる
:初めて上洛し後奈良天皇、13代将軍・足利義輝に拝謁する
:後奈良天皇に拝謁した際、御剣と天杯を下賜される。
1554:武田家・今川家・北条家の間で三国同盟
:家臣・北条高広が武田信玄の調略を受けて謀叛、鎮圧
1555:北条城の戦い
4月 :第二次川中島の合戦・今川義元の仲介で和睦
10/23:元号が「天文」から「弘治」に改まる
1556:駒帰の戦い
:上杉謙信、突如出家するも、家臣の反乱や武田軍が気になり還俗。
6/5 :足利義輝が六角義賢を介して本願寺顕如に朝倉義景との和睦を命じる
:朝倉義景も朝倉宗滴が陣病没しており不利を悟って和睦に応じる
1557:第三次川中島の合戦
4月 :本願寺顕如に細川晴元の娘が六角義賢の猶子として輿入
1558:桶狭間の戦いで今川義元が死去
2月 :朝廷は正親町天皇の即位のために年号を永禄に改元
:足利義輝は朽木にいて改元を知らされず朝廷に抗議
:改元は朝廷と室幕府の協議で行われてきたが朝廷は三好長慶にだけ相談
3/13:義輝は改元の一件もあって三好打倒のため朽木で挙兵
6/2 :北白川の戦いで足利義藤勢と三好長慶勢が戦うも膠着状態となる
11/27:六角義賢の仲介により足利義輝と三好長慶が和睦
:長慶・慶興父子が上洛して義輝に出仕する
12/23:足利義輝は伯父・近衛稙家の娘(大陽院)を正室に迎え
1559:
2/4 :足利義輝の参内に三好長慶が供奉する
:三好長慶は幕府の御相伴衆になり桐紋の使用を許され修理大夫に
:三好孫次郎が義輝から偏諱を拝領して義長を名乗り御相伴衆・筑前守
:三好実休や松永久秀なども御供衆に加えられる
:松永久秀は弾正少弼に任官
2/20:足利義輝が熊谷信直の伊豆守の名乗りを認可する
2/25:足利義輝が熊谷信直に太刀1腰・青銅1000疋の礼状を発給
5月 :13代将軍足利義輝の要請で再度上洛し正親町天皇にも拝謁する
1560:越中、神保長職に攻められた椎名康胤を救援
:神保長職の居城である富山城を落とす。
1561:小田原城の戦い・10万兵で1カ月包囲に諦める。
8月 :関東管領・上杉憲政の養子となり家督を譲られる
:上杉政虎と改名し、関東管領を引き継ぐ
:第四次川中島の合戦
:生野山の戦いで北条氏康と対峙し敗れる。
:唐沢山城の戦い
:上杉輝虎と改名
:上野の箕輪城主・長野業正(上杉家家臣)が死去
:箕輪城が武田信玄に落とされ西上野が支配下になる。
:第四次川中島の合戦
1562:関東出兵・上野の赤井氏を攻め滅ぼす。
:越中へ出兵、神保長職を降伏させる。
1563:武蔵の松山城が北条軍の攻撃を受け落城
:上杉謙信は武蔵での拠点を失う
:上杉謙信は武蔵へ侵攻して小田朝興の守る騎西城を攻め落す。
:小田朝興の兄である武蔵忍城主・成田長泰を降伏させる。
1564:第五次川中島の合戦
:唐沢山城の戦い・下野の佐野昌綱が謙信に降伏する・度々叛乱
1565:永禄の変で将軍・13代将軍足利義輝が暗殺される
:上杉謙信、北条軍に攻められた下総の関宿城へ援軍を送る。
1566:常陸国へ出兵・小田氏治を降伏させた。
:臼井城の戦い・北条氏に与する千葉氏の臼井城を攻めるも敗北
:上杉謙信に味方降伏していた関東の豪族らが次々と北条氏に寝返る
1567:唐沢山城の戦い
:厩橋城代を務める上杉家家臣・北条高広が北条に通じて叛乱
:北条高広を破り、厩橋城を奪還
1568:新将軍の足利義昭からも関東管領に任命される
:武田信玄が今川氏真を破り駿府城を攻略
4月 :恩賞に不満を持った本庄繁長が武田信玄に調略されて叛乱
:椎名康胤と越中の一向宗、本庄繁長に併せて叛乱
1569:北条氏康と越相同盟を結ぶ
1570:法号・不識庵謙信を称する
4/11:北条氏康の七男・三郎が上杉謙信の養子となり上杉景虎を名乗る。
1571:越中大乱、2万8千人の兵を率いて越中に出陣
:徳川家康から太刀を贈られる
:椎名康胤が籠もる富山城ほか新庄城、守山城などを落とす。
:北条氏康が死去、後継の氏政が越相同盟を破棄
1572:尻垂坂の戦い、織田信長と同盟を締結
:武田信玄と通じている加賀、越中の一揆衆が越中で大暴れ.
:富山城など上杉方の城を落とすも越中に出兵、に勝利を飾り一揆衆を蹴散らす
1573:越中の一向一揆討伐
:椎名康胤がまた兵を起こして上杉の支城・富山城を奪うが無事に奪還。
4月 :武田信玄が死去
:神保と椎名、一揆衆などを降し越中の大半を支配下に置いて加賀にも着手
12月:足利義昭に足利家再興を依頼される
1574:織田信長から『洛中洛外図屛風』を贈られる
:上野や武蔵等に侵攻して北条氏の支城を落すも関東武士の味方は得られず。
1575:
1576:石山本願寺の顕如と講和、信長との同盟を破棄して包囲網
:足利義昭の要請で武田・北条と和睦
:越中守護代・椎名康胤を討ち取り、同国を平定する。
:七尾城の戦いで遊佐氏を調略、反乱を起こさせて七尾城を落とす
1577:手取川の戦いで七尾城の救援に来た柴田勝家の軍勢と戦い勝利
1578:
3月 :春日山城内の厠で倒れ、急逝
麦の根元をしっかりさせ倒伏を防止する「土入れ」、麦の茎の枝分かれと根部の伸長を促す「麦踏み」、堆肥をふんだんに使った「土づくり」を行うというものでした。大正12年には集大成ともいえる「実験麦作栽培改良法」
歴史の目的をめぐって
関東戦国史 1438-1590 Produced by 温泉コム
参照参考文献
戦国大名探究 出自事典 地方別武将家 大名一覧
ウィキペディア
世界の帝王辞典・府中長尾氏(越後長尾氏)
武家家伝_足利長尾氏参照
戦国南越後国人名辞典 - 戦国武将録
戦国北越後国人名辞典 - 戦国武将録
平姓長尾氏の系譜
上杉謙信の家系とその子孫
旧国郡別石高の変遷
刀剣・日本刀の専門サイト「刀剣ワールド」
国史研究の窓
https://sengoku-period.com/sengokudaimyo/uesugi/uesugi_katyu01/
長尾上杉存亡記
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881457110
箕輪城と上州戦国史
https://minowa1059.wiki.fc2.com/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E9%A1%95%E5%AE%9A
「史実の上杉謙信を中心にした年表」
年月日:年齢:出来事
1506:
7月 :九頭竜川の戦いで越前朝倉家と一向一揆30万が激突、朝倉家が勝つ
9/19:上杉謙信の祖父・長尾能景が守護上杉房能の罠で戦死
1507:
1508
:越後守護・上杉房能が長尾為景討伐の準備
8月 :長尾為景は先手を打って上杉房能の館を急襲
:上杉房能は自刃
:上杉房能の養子・上杉定実を傀儡として守護に擁立
:長尾為景は銭貨80貫文を室町幕府に献上
11/6:上杉定実は越後守護就任、長尾為景は越後守護代就任
1509:
7/28:上杉房能の実兄である関東管領・上杉顕定とその子・憲房が復仇
:関東管領軍は越後上田荘を拠点に越後府中を落とし中越・上越地方を抑える
:長尾為景は劣勢となって上杉定実と共に越中国に逃亡
:長尾為景の長兄・長尾晴景誕生?
11月:上杉定実の越後守護就任が正式に認められる
1510:
6/10:長森原の戦いで退却する上杉軍に猛攻をかけ関東管領上杉顕定を敗死させる
:上杉顕実と上杉憲房が関東管領の座を巡って戦う
1511
:足利義晴誕生
1512
:永正の乱・上杉顕実が上杉憲房に負けて関東管領の実権を失う。
:上杉憲房が山内上杉家の家督を継ぐ
5月 :揚北衆の鮎川氏が反逆するが、山吉・築地ら武将を使わして鎮圧
1513
:越後守護・上杉定実と長尾為景が対立・上杉定実が春日山城を占拠
:上条定憲や宇佐美房忠・定満父子が上杉定実味方して長尾為景と戦う
10月:下旬には長尾為景に上杉定実が幽閉される
:真田幸綱(幸隆)誕生
2/14:足利義晴と足利義尹が和睦する
1514
:長尾為景の長兄・長尾晴景誕生?
正月:上田荘六日市の合戦で長尾為景が上杉定実勢に大勝利
5月 :上杉定実勢の宇佐美房忠が岩手城で自害
:長尾為景が越後守護・上杉定実を傀儡とする
1515
:上杉顕実が病死、上杉憲房が正式に関東管領となる
1516:
9月:長尾為景が神保慶宗と合戦
1517:
:朝倉宗滴、幕命で若狭守護・武田氏の援軍として幕命で若狭・丹後に出陣
:朝倉宗滴、若狭逸見氏と丹後守護代・延永氏の反乱を鎮圧する
1518:
:能登守護・畠山勝王が長尾為景に越中一向一揆討伐の支援要請
:本願寺が「三法令」を定める
:本願寺蓮如の子の勢力争い
:本願寺10世証如と後見人蓮淳が法主の権限強化を図った結果
:武装・合戦の禁止
:派閥・徒党の禁止
:年貢不払いの禁止
:顕証寺の蓮淳、本福寺の門徒を脅迫して証拠を捏造した真実と認めさせる署名
:捏造した証拠を真実と認めさせる署名までさせ本福寺を破門
:顕証寺と本福寺の地域が重複し門徒・布施の取り合いだ負けた腹いせ
:捏造が発覚して実如によって破門は解かれる
1519
:本願寺が戦国大名のような一族統制を行う
:連枝 - 法主の子供・兄弟。
:一門 - 連枝の嫡男(第二世代)。
:一家 - 連枝の次男以下と蓮如以前に分かれた一族「末の一家衆」
:紀伊・河内・越中の守護・畠山尚順が謀叛人・神保慶宗の討伐を決意
:猶子・畠山勝王を大将として同族の能登守護・畠山義総に援軍要請
:越後の実質的支配者・長尾為景にも援軍要請
1520
:長尾為景は父能景の仇と憎む越中の神保慶宗と椎名慶胤を滅ぼす
:長尾為景は一向衆禁止令を布告し越中征服に乗出す
:一向一揆の蜂起に遭って越中の完全制服を断念
12/26:足利義晴・赤松義村が置塩を脱し明石の榛谷に移る。
1521:
4月:長尾為景は越中の一向一揆討伐に出陣。
2月 :長尾為景、一向宗を信仰することを禁止
3/7 :足利義稙が京都を密かに抜け出して堺南荘に赴く
3/10:足利義稙が淡路国に入る
:武田信玄誕生
12月:畠山尚順が長尾為景の越中平定の功を認め新川郡守護代に任命
12/24:足利義晴が細川高国に擁立され第12代征夷大将軍就任
1522
:長尾為景、管領細川高国の調停により越中一向一揆と和睦
2/13:三好元長の長男・三好長慶誕生
1523:
4/9 :阿波国で足利義稙が死去する
1524
:長尾為景の長姉・仙桃院誕生
:信濃国中野が拠点の高梨政頼(政盛の孫)が長尾為景に援軍要請
1525
:上杉憲房が病死、養子の上杉憲寛が関東管領となる
:長尾為景は関東管領上杉方の誘いを拒否して北条氏綱と盟約
:朝倉宗滴、美濃の内乱に介入した浅井亮政を牽制する
:朝倉宗滴、六角氏と協力し小谷城へ出陣
:朝倉宗滴、5ヶ月に亘って小谷城の一角に金吾嶽を増築在陣
:朝倉宗滴、浅井亮政をよく助け浅井家は固い絆で結ばれる
1526
:長尾為景の長兄・長尾晴景誕生?
7月 :細川高国が細川尹賢の讒言を信じて家臣の香西元盛を殺害
:香西元盛の兄弟、波多野元清と柳本賢治が挙兵
:細川高国と対立していた細川晴元も挙兵
7/18:長尾為景の次女光子誕生(史実では上条頼房妻)
1527
:本願寺証如と後見人蓮淳が再び悪事を働く
:本福寺が称徳寺の門徒・布施の取り合いに抵抗
:蓮淳は抵抗を本願寺への反逆と難癖をつけて本福寺明宗を破門
:本福寺は代々の財産も門徒もことごとく失ってしまう
:春日虎綱(高坂 昌信)農民として誕生
:川原の戦いで細川晴元が細川高国に勝利
:三好元長の次男・三好之虎(実休)誕生
:長野業正、長尾為景に靡いた惣社長尾顕景・白井長尾景誠を降す
:両守護代家に傀儡当主を据えて西上野を掌握
:長尾為景に内通する惣社長尾顕景を隠居させて嫡子景孝に継がせる
:朝倉宗滴、近江逃亡中の足利義晴と細川高国の要請で上洛
:朝倉宗滴、川勝寺口の戦いで三好勢らとの諸戦で勝利
1528
:朝倉宗滴、細川高国と対立して京都から撤退、孤立した高国は流浪
:朝倉宗滴の活躍で朝倉家は中央での発言力が強くなり盤石の体制
:朝倉宗滴、敦賀郡司の職は養子の朝倉景紀に譲るも軍奉行は続ける
:長尾為景、12代将軍足利義晴から白傘袋・毛氈鞍覆の格式を許される
:長尾為景、「随分衆」となる
:三好元長の三男・安宅冬康誕生
:長野業正、長尾景誠を暗殺して顕景次男の憲景を白井長尾氏当主に
9/8:足利義晴が朽木に逃れる
1529:
1530
:越後守護・上杉定実と上条定憲を中心に叛乱
:上条定憲と長尾為景の間で抗争が勃発
:北条氏康が初陣の小沢原の戦いで扇谷上杉朝興に大勝した
1/21:越後守護代・長尾為景の四男・上杉謙信誕生
10月:上条城主・上条定憲が長尾為景に反乱を起こす
:上田長尾房長、宇佐美貞満、中条藤資など反長尾為景で結集
1531
:享禄の錯乱または大小一揆
:本願寺蓮如の子の勢力争い
:本願寺10世証如と後見人蓮淳が法主の権限強化を図った結果
:朝倉宗滴、加賀の大小一揆に乗じて能登畠山氏と共に加賀に出陣
:関東享禄の内乱、上杉憲房の実子が上杉憲寛を追い関東管領となる
:古河公方家の足利高基と足利晴氏の親子が争い晴氏が勝利
:足利晴氏が関東享禄の内乱で味方した北条氏綱を関東管領に補任
:12代将軍・足利義晴の調停で長尾為景と上条定憲が和睦
6/6:細川高国が大物(摂津国)の広徳寺にて切腹する
:長尾為景、後ろ盾だった細川高国を失い不利になる
9月 :関東管領・上杉憲寛は上杉憲政を支持する家臣らに攻められ追放
:上杉憲政が山内上杉家の家督を継ぎ、関東管領に就任。
:古河公方と山内上杉家は、またもや不和状態に陥る
:関東管領職を剥奪された上杉憲寛、古河に戻ることが出来ない
:真里谷信政を頼って小弓公方・足利義明の支配下にあった上総宮原に移住
:上杉憲寛は足利晴直に改名
1532:
:武田信虎が領内の反抗する豪族たちを武力で圧倒し甲斐を統一
:天文の錯乱、浄土真宗本願寺宗門における教団改革を巡る内紛勃発
:本願寺蓮如の子の勢力争い
:本願寺10世証如と後見人蓮淳が法主の権限強化を図った結果
:三好元長の四男・十河一存誕生
:細川晴元の側近で播磨守護代の木沢長政が播磨守護畠山義堯に叛逆
:三好元長・一秀が畠山に加勢し木沢を飯盛城に追い詰める
:細川晴元、山科本願寺証如・蓮淳を味方にして10万の一向一揆勢を得る
:朝倉宗滴の実子と言われている蒲庵古渓が誕生、出家して下野国足利学校
6/19:三好長慶、父・元長の命により堺から阿波国に逃れる
6/20:三好元長が細川晴元に裏切られ本願寺一向衆に襲われ自害
:暴徒化した本願寺一向一揆勢は奈良を劫掠して京都へ侵入
:細川晴元は本願寺と決別、六角定頼と法華一揆を動員して撃退
8/20:堺にいた細川晴元が本願寺一向衆に包囲されるが合戦にて勝利する
:町衆を中心とする日蓮宗門徒が京都の自治権を掌握する
:山科本願寺焼打ちなどで他宗派を排斥
:本願寺証如と後見人・蓮淳が真っ先に逃亡
:本願寺証如と後見人・蓮淳が本福寺明宗を3度目の破門
:本福寺明宗が72歳で餓死
1533:
5/5 :三好千熊丸(長慶)木沢長政、法華衆が大坂本願寺を攻める
6月 :上条上杉定憲が揚北衆や長尾房長と反長尾為景で再挙兵
9月 :長尾為景と上杉定憲の間で再抗争
9/4 :越前・朝倉義景誕生
9/23:三好伊賀守、三好長虎、池田信正、伊丹氏が瓦林氏の越水城攻撃
1534
4/6:勢場ヶ原の戦いで大友義鑑と大内義隆が引き分ける
5/12:尾張那古野城主・織田信秀の嫡子・織田信長誕生
:足利義維が志筑(淡路国)に下向して当地に住む
:足利義維が平島荘(阿波国)に下向して当地に住む
6/4 :足利義晴は前関白・近衛尚通の娘(慶寿院)を正室に迎える
9/3 :足利義晴は上洛して南禅寺に入る
1535
:第3代古河公方・足利高基が死去
:第4代古河公方・足利晴氏は北条氏綱に接近
:阿賀北の国人や上田長尾家が上条定憲に味方して長尾為景に再叛乱
:今川氏輝の要請で北条氏綱・氏康親子が甲斐に出陣
:北条氏綱・氏康親子が武田信虎の弟・信友を討ち取る
:扇谷上杉朝興は北条氏綱の甲斐遠征に乗じて相模中央部まで攻略
2/26:後奈良天皇、10年かけて即位の礼を行えるようになる。
1536
:延暦寺の僧兵約6万人が京都に押し寄せる
:日蓮宗寺院二十一本山を焼払い門徒を虐殺
:武田信玄、元服して12代将軍・足利義晴より晴の偏諱を賜る
2月 :長尾晴景は朝廷から「私敵治罰」の綸旨を下された
3月:長尾為景、上条の乱から避難させるため謙信を春日山城近くの林泉寺へ
:長尾為景、朝廷の綸旨を得て叛乱を食い止め巻き返す
3/10:足利義晴の嫡男・義藤(義輝)誕生
3/17:駿河の守護大名・今川氏輝が後継なく死去
:今川家で二人の弟による相続争い、花倉の乱勃発
:北条氏綱は花倉の乱で梅岳承芳(今川義元)を支持
4/10:長尾為景が三分一ヶ原合戦で上杉定憲に快勝
4/24:追い詰められてた上杉定憲が敗死
6月 :今川義元、太原崇孚/雪斎禅師の補佐で今川家の当主となる
7月 :武田晴信、今川義元の斡旋により、左大臣・三条公頼の娘を正室に
8月 :父・長尾為景が隠居して兄・長尾晴景が家督を継ぐ
:長尾為景、虎千代を元服させと平三景虎(上杉謙信)と名乗らせた
:上杉謙信は林泉寺に入門し住職・天室光育の教えを受ける
:天文法華の乱
11月:武田晴信、初陣で佐久の海ノ口城へ出陣
12月:武田晴信わずか300の兵による奇襲を成功させる
:父・信虎が8000の兵で落とせなった海ノ口城を攻略して初陣を飾る
1537:
:長尾晴景の父・長尾為景が病死?
:長尾晴景、揚北衆と和し姉(仙洞院)を長尾房長の長子政景の妻にする
:長尾晴景、上杉定実を守護の座に復活させる
:細川晴元は六角定頼の猶子(実父は三条公頼)を妻に迎える
:豊臣秀吉が尾張国中村の下層民(焙烙売り・賤民とも)の家に誕生
:上総の里見義堯は北条氏綱に単独で対抗することは難しいと考える
:里見義堯は小弓公方の足利義明と同盟を結ぶ
:里見義堯は真里谷信隆を攻めて降伏させる
:里見義堯は久留里城に本拠を移転
:里見義堯が上総南部に勢力拡大
:今川義元が信虎の長女を正室とし甲駿同盟成立
2月 :今川氏親・北条早雲以来の駿相同盟を解消する
:反北条の色彩の強い甲駿同盟に対抗するため北条氏綱が駿河に出陣
:北条氏綱、富士川以東を占拠
7月 :北条氏綱が扇谷上杉家の河越城攻略
:扇谷上杉氏は松山城に本拠地を移転
9/15:三好長慶が堺へ入る
9/17:三好長慶が淡路国へ赴く
11/5:三好長慶の出陣につき本願寺証如が太刀・馬(河原毛)を贈る
11/13:足利義晴に次男・足利義昭が誕生
1538
:斎藤道三が守護代となり美濃の実権を掌握
:武田晴信の長子・義信誕生
:第4代古河公方・足利晴氏が北条氏綱と同盟
:足利晴氏の父の代から敵対する叔父で自称小弓公方の足利義明を滅ぼすため
:北条氏政誕生
:越後守護・上杉定実は、後継者である男子に恵まれない
:血筋としてもっと近かった曾孫の伊達時宗丸を養子に望む
:伊達時宗丸の父・稙宗は家格の違いを理由に固辞
:揚北衆の実力者・中条藤資(時宗丸の母方の伯父)が養子を強く推し進める
:長尾為景も伊達時宗丸の養子に賛成
3/3 :本願寺証如が年始の祝儀といて三好長慶に3種5荷を贈る
3/19:三好長慶が本願寺証如に年始の祝儀の返礼に太刀・馬(栗毛雲雀)送る
4/29:伊東義祐が偏諱の礼として足利義晴に30000疋(300貫)進上する
:伊勢貞孝に5000疋(50貫)を進上する
6/7 :足利義晴が御殿の葺替えにつき10000疋(100貫)を支出する。
6/14:本願寺証如が三好長慶に三好元長の七回忌として小経1巻・500疋を贈る
9月 :養子反対派、阿賀北小泉荘の本庄房長領に伊達氏の軍勢が侵入
10/7:北条氏綱は小弓公方・足利義明と安房の里見義堯らの連合軍と戦う
:北条氏綱・氏康父子は足利・里見連合軍に大勝する
:北条氏綱・氏康父子は足利義明を討ち取って小弓公方を滅亡させた
:北条氏は武蔵南部から下総にかけて勢力を拡大する
:戦線離脱し兵力を温存した安房里見氏が漁夫の利を得る
:里見氏は久留里城・大多喜城を落とし房総半島の大半を掌握
:古河公方・足利晴氏は合戦の勝利を賞して氏綱を関東管領に補任
:実際には上杉憲政が関東管領、二重手形
10/16:本願寺証如が三好長慶に音信として書状、太鼓・小鼓5枚ずつ13種5荷贈る
1539:
:北条氏綱の娘が古河公方・足利晴氏に嫁ぐ
:伊達時宗丸を上杉定実の養子るする件で越後国内は賛成派と反対派に割れた
:賛成派は守護の上杉定実、中条藤資
:反対派は守護代・長尾晴景、揚北衆の大半
:反対派は越後上杉家、伊達家、中条家の血縁連合誕生を恐れた。
1/14:三好長慶が軍勢2500を引き連れ上洛する
6/23:三好長慶の母死去に本願寺証如が香典1000疋を送る
6/28:足利義晴の次男千歳丸(義昭)が興福寺一乗院に入ることが決まる
閏6/3:大村純前が上洛、足利義晴に対面太刀1腰(国宗)馬代100貫を進上
:足利義晴が剣を下賜
:大村純前がさらに太刀1腰(菊一文字)、馬を進上
:義藤(義輝)にも対面し馬・太刀を進上
閏6/13 :三好長慶と三好政長が決裂、足利義晴が和平の御内書を数多く発給
閏6/24 :伊勢貞孝が陸奥国南部の商人 左藤掃部助時吉と面会する
:左藤掃部助時吉より樽代100疋、太刀が時吉より進上される
:伊勢貞孝より左藤掃部助時吉に肩衣を下賜し、盃を遣わす
7/25:伊勢貞孝が政所公人・開闔雑色をもって徳政停止を触れさせる
:上京・下京の土倉が5荷3種を貞孝に進上
8/23:坂本(近江国)に滞在中の六角定頼より伊勢貞孝のもとへ
:馬、太刀、10荷10合が贈られる。
9/6 :大友家の被官 斎藤掃部助、斎藤新左衛門尉、津久見が伊勢貞孝に訪れる
:手配の御礼として太刀、馬を贈られる
:伊勢貞孝は3献にて3人をもてなす
10月:三好利長(長慶)と三好政長が和睦する
11/19:赤松政村より伊勢貞孝に礼として太刀、馬1疋、杉原20帖が贈られる
:政村の使者・円光寺からも礼に杉原3束が贈られる
1540:
:越後では伊達時宗丸の養子縁組に賛成反対で争う
:中条藤資と本庄房長・色部勝長・鮎川清長軍が争い揚北衆は分裂
:揚北衆は独立性を守護や守護代に対する独立性を失う
6/17:禁裏にて天下大疫御祈祷として不動小法が修される。
:費用3000疋(30貫)は足利義晴が土倉に賦課する
11月:武田晴信の妹、祢々が諏訪頼重に嫁ぐ
1541
5月:武田信虎・晴信父子は北佐久、南小県郡に出陣
:武田家は諏訪頼重、村上義清と協力し小県の滋野一族を攻撃
:海野氏(うんのうじ)の嫡男・海野幸義は村上義清によって戦死
:海野棟綱は村上義清・諏訪頼重、武田信虎に敗れて上野に逃亡
:海野棟綱や真田幸隆は上杉憲政の家臣、長野業正を頼って逃れる
6/14:武田晴信が重臣と共謀して父・信虎を駿河に追放、国主の座に就く
7/4 :関東管領上杉憲政は海野棟綱の願いを受けて信濃佐久に出陣
:上杉憲政は北条家包囲網を築く
:諏訪頼重は晴信を侮り、単独で出兵
:諏訪頼重、盟約関係にある武田・村上らに無断で憲政と和睦
:諏訪頼重、武田・村上に無断で所領を分割する
7/19:北条氏綱が病没、北条氏康が家督を継ぐ
9/21:本願寺証如が三好長慶に音信として書状と3種5荷を贈る
10月:北条氏綱に敗れた扇谷上杉朝定が山内上杉家の上杉憲政と共同で河越城攻め
:北条が勝利するも今川との戦いも長期化
10/18:本願寺証如が音信として三好範長(長慶)に3種5荷を贈る
:三好政長に3種3荷を贈る
:加地肥前に樽代100疋を贈る
:塩田左馬助に樽代100疋を贈る
10/29:木沢長政が細川晴元に謀叛を起こす
12/12:細川晴元の出陣に本願寺証如が音信として太刀1腰、5種10荷を贈る
:本願寺証如が出陣の音信として細川藤賢に太刀1腰・3種5荷を贈る
:三好長慶に太刀1腰・綿10把を贈る
:波多野備前に太刀1腰・綿10把を贈る
:三好政長に太刀1腰・綿10把を贈る
:高畠長直に綿3把を贈る
:藤賢取次の小河民部丞に太刀1腰・綿3把を贈る
12/26:本願寺証如が歳末の礼として細川晴元に太刀1腰を贈る
:三好長慶に太刀1腰を贈る
:出陣中の芥川孫十郎に太刀1腰・梅染2端を贈る
:出陣中の池田長正に太刀1腰・梅染2端を贈る
1542
:春日虎綱は父親の遺産を巡り姉夫婦と争い敗訴
:春日虎綱、信玄の近習として召抱えられる。
:板垣信方、武田晴信に築城術)に通じた駿河の牢人山本勘助を推挙
:伊達晴宗が時宗丸の養子縁組に対し反発、父・稙宗を幽閉
1月 :防長の大名・大内義隆が毛利元就などの諸勢力を率い尼子に侵攻
3/9 :遊佐長教が斎藤山城守を殺害
3/17:太平寺の合戦で細川勢が木沢長政を討ち取る
閏3/8:三宅国村が毛氈免許の礼に馬・太刀・3000疋を足利義晴に進上
4月 :祢々御料人が諏訪頼重の嫡男・寅王を出産
4月 :上杉定実、時宗丸の養子を出家の起請文を書いて脅迫
:上杉定実が守護代・長尾晴景と和睦
6月 :武田晴信が高遠頼継と結び諏訪に侵攻
:諏訪頼重が守る上原城を攻撃
:北条氏の早雲寺が勅願寺となる
:北条氏康一斉検地を行う
7月 :諏訪頼重は桑原城に逃亡
:武田晴信が諏訪頼重と講和して頼重を甲府へ移す
:諏訪頼重を切腹させる
:大井貞隆が武田の間隙をついて長窪城を奪回
7/13:宗晴康が偏諱の礼に足利義晴に進上
:太刀1腰、曇金1端、毛氈1枚、虎皮1枚、鳥目3000疋
:、伊勢貞孝に太刀1腰、豹皮1枚、鳥目1000疋
7/22:宗彦七(義調)が偏諱の礼に足利義晴に進上
:太刀1腰、曇金1端、紅綿1斤、鳥目2000疋
:伊勢貞には太刀1腰、鞍覆、鳥目500疋が進上
7/29:有馬晴純が礼に足利義晴に進上
:太刀(国久)、馬、曇金1端、唐錦1端(紋唐草)、緞子3段、毛氈5枚
:有馬晴直が太刀、馬、黄金30両
9月 :高遠頼継は諏訪の分領に不満を持ち挙兵
:武田晴信は諏訪頼重の遺児・寅王を擁して出陣
:武田晴信は高遠頼継を破り上伊那郡に兵を進める
10月:武田晴信が諏訪全土を掌握
:武田晴信が寅王の後見役となり諏訪家の旧家臣を召し抱える
11/20:千歳丸(足利義昭)が興福寺一乗院に入室
12/ :父・長尾為景が病死?
:伊達氏における内訌・天文の乱により養子話が頓挫
12/26:三河国岡崎にて徳川家康(松平元信→元康)が誕生
1543:
:長尾晴景が越後守護代を継ぐが弱腰を侮られる
:越後国人衆が傀儡守護上杉定実を担いで蜂起
7/25:細川氏綱が細川晴元打倒の兵を挙げる
8月 :兄・長尾春景の計らいで還俗・元服して長尾景虎と名乗る
8/25:ポルトガル船、種子島に漂着→ポルトガル人により鉄砲伝来。
9月 :長尾景虎、三条城を経て栃尾城に入る
10/30:足利義晴が本願寺証如に加賀国分禁裏御修理料100貫文を納めさせる
1544
:長尾景虎、栃尾城の戦いで謀反を鎮圧・15歳で初陣
:長尾景虎、初陣にして才覚を発揮し家臣や諸将に一目置かれる
7/9 :京都と東海で大雨洪水、京中の人馬が流出する。
:四条大橋、五条大橋、貴船社、黒谷坊流出、京都で死者多数
1545:
5/24:細川晴元が上野玄蕃頭を討つ為に山城南部に三好長慶、三好宗三を派遣
10月 :越後守護・上杉定実の家臣・黒田秀忠の謀反。
:兄・長尾景康と長尾景房が殺害される。
:黒滝城の戦いで黒田秀忠が降伏
:上杉憲政は北条家包囲網に今川義元や里見義堯を引き入れる
:今川義元、第二次河東一乱で北条家を駿河に誘き寄せる
1546:
2月 :黒田秀忠が再度挙兵したため、黒田氏を滅亡させる
:河越城の戦いで関東管領上杉憲政は北条氏康に大敗
2/17:本願寺証如が三好長慶とその被官・塩田に当年の樽を遣わす
2/19:三好長慶と塩田が2/17の音信の返しとして本願寺証如に太刀を送る
7/27:足利嘉晴の嫡男菊童丸が爵を受け義藤と名乗る
9/5 :本願寺証如が中島(摂津国)に在陣中の三好長慶に3種3荷を贈る
:安宅神太郎(冬康)、十河孫六郎、三好政長にも贈る
12/6:本願寺証如が出陣中の諸将に音信として綿を贈った。
:三好長慶、三好之虎、三好政長、山中三郎太郎
:山中橘左衛門、三木与左衛門、塩田
12/19:足利義晴の嫡男義藤が元服し征夷代将軍となる
12/20:足利義晴は義晴を右近衛大将になる
1547
:小田井原の戦いで武田信玄が上杉憲政を破る
3月晦日:足利義晴・義藤父子が北白川城(山城国)に900余騎で籠城
4/1 :細川晴元が三好長慶ら淡路・四国衆3万で北白川城を攻める
6/25:三好長慶が芥川山城(摂津国)の薬師寺与一を降伏させる
7/12:細川晴元の要請を受けた六角定頼・義賢が北白川城を包囲
7/19:足利義晴・義藤父子が坂本に逃れる
7/29:足利義藤が細川晴元・六角定頼・義賢父子を赦免
閏7/5:細川晴元が細川国慶の籠る高雄城(山城国)を攻め落とす
1548
:長森原の戦いで関係が断絶していた関東管領山内上杉家との関係を修復
:上杉謙信の人望が高まり越後の国人や親族が守護代に担ぎだす。
3月 :朝倉宗滴、若年で宗家当主になった朝倉義景を補佐
4月 :六角定頼が細川氏綱派と細川晴元派を和解させる
6/17:足利義晴・義藤父子が坂本から上洛
9月 :三好長慶が細川に対する軍事行動を開始
12月 :越後守護・上杉定実の介入で兄・長尾晴景が隠退。
:上杉謙信が督相続して守護代となる
1549
:石山本願寺が勅願寺となる
:三好長慶に長男が生まれる
6/24:江口の戦いで三好長慶が細川晴元に勝利
6/28:足利義晴・義藤父子が細川晴元と坂本に逃れる
7/9 :三好長慶が細川氏綱を奉じて上洛
1550
:越後の守護大名・上杉定実が病死。
1/15:足利義晴が水腫張満という病を患う
2月 :室町13代将軍・足利義輝から越後守護の地位を認められる
5/4 :足利義晴が死去する
5/11:足利義藤は細川晴元と六角義賢の諫言で比叡辻(近江国)宝泉寺に移る
7/14:三好勢が義藤の拠点、京東郊外に侵攻、細川晴元は戦わず越前に逃亡
11/19:三好勢4万が京に侵攻、細川・六角勢は敗退
11/21:足利義藤は中尾城を自焼して近江堅田へ逃亡
1551:
1月 :長尾政景(謙信の姉の夫)が謀反・坂戸城の戦いで勝利・越後統一
1月末:幕府政所頭人・伊勢貞孝が義藤を強引に京に連れ戻そうとする
:三好勢との和睦を図ろうとするが失敗
1/30:伊勢貞孝が三好勢に寝返る
:三好勢と六角勢が近江と山城で放火・略奪などを繰り返す
3/14:伊勢貞孝屋敷の宴会で進士賢光が三好長慶を3度斬り付ける
:暗殺に失敗した進士賢光は自害する
5/5 :三好長慶派の河内守護代・遊佐長教が時宗の僧侶・珠阿弥に暗殺される
7月 :相国寺の戦いで三好勢が幕府勢に勝利
1552:
1月 :北条氏康に攻められ逃れてきた関東管領上杉憲政を御館に住まわせる
1/28:足利義藤が三好長慶と和解して入京
:細川京兆家は細川氏綱が当主となり細川晴元は若狭武田家に落ちる
:細川典厩家は細川氏綱の弟・細川藤賢が当主となる
2/26:足利義藤が三好長慶を陪臣から幕府直臣の御供衆とする
:足利義藤が政所頭人・伊勢貞孝を赦免
4/4:三好長慶が朝廷へ勅筆古今の御礼のため参内して太刀・折紙・万疋を進上
6月 :足利義藤が伊勢貞孝らの反対を押し切り山名氏や赤松氏の守護職を奪う
:足利義藤が尼子晴久を8か国守護に任命する
6/16:朝倉義景、足利義輝より義の字を与えられ、延景から義景と改名する
:朝倉義景、左衛門督に任官
:朝倉義景、庭籠の巣鷹を義輝に献上
8月 :上野沼田城を攻める北条軍を撃退する
:上杉憲政の居城・平井城を奪還
10月:細川晴元が丹波で味方を募り三好勢を撃破
1553
:武田信玄に信濃を追われた村上義清を匿う
1月 :細川晴元の反撃で京周辺の政情が不安定になる
:反三好派の上野信孝らが密かに細川晴元と内通して長慶を除こうとした
2月 :親三好派の伊勢貞孝が上野信孝らの追放の足利義藤に諫言
:幕臣内部で親三好派と反三好派が激しく争う
3/8 :足利義藤は長慶との和約を破棄して東山霊山城に入城する
7/22:北野社右近馬場にて足利義藤が細川晴元を赦免
8/1 :東山霊山城の戦いで細川晴元は三好勢の猛攻に恐れ一戦もせず退却
:三好長慶が足利義藤に従う者の領地を没収すると宣言
8/30:多くの者に見捨てられた足利義藤は40程度と近江朽木に逃れる
9月 :第一次川中島の合戦で武田晴信との初の戦となる
11/13:長尾景虎、堺に到着して三好長慶も助言で本願寺証如に連絡
:表向き太刀・馬の目録を遣わす
:実際には鳥目1000疋と樽代を送る
11/24:本願寺証如が長尾景虎に音信の返礼を送る。
:太刀(2貫相当)・緞子10端(13貫余相当)・嶋織色20端(15貫相当)
:初めて上洛し後奈良天皇、13代将軍・足利義輝に拝謁する
:後奈良天皇に拝謁した際、御剣と天杯を下賜される。
1554
:武田家・今川家・北条家の間で三国同盟
:家臣・北条高広が武田信玄の調略を受けて謀叛、鎮圧
2/12:足利義藤は朽木滞在中に従三位に昇叙し名を義輝に改める
5/19:本願寺証如が堺に到着した安宅冬康に音信として5種5荷を贈る
:菅若狭に3種3荷を贈る
:大友義鎮が足利義輝に肥前国守護任命の礼に鉄砲を献上
1555
:北条城の戦い
4月 :第二次川中島の合戦・今川義元の仲介で和睦
7/21:朝倉宗滴、越後上杉氏の長尾景虎に呼応して加賀に出陣
7/23:朝倉宗滴、加賀一向一揆の南郷・津葉・千足の3城を1日で落とす
7/24:朝倉宗滴、江沼郡に入って焼き働きし大聖寺付近の敷地山に本陣を布く
8月 :一揆側も朝倉軍に反撃し一進一退
:朝倉宗滴、陣中で病に倒れ朝倉景隆に総大将を任せて一乗谷に帰還
9/8 :朝倉宗滴、一乗谷で手厚い看病を受けたが病死
:朝倉義景、直接政務を執る
10/23:元号が「天文」から「弘治」に改まる
1556
:駒帰の戦い
:上杉謙信、突如出家するも、家臣の反乱や武田軍が気になり還俗
6/5 :足利義輝が六角義賢を介して本願寺顕如に朝倉義景との和睦を命じる
:朝倉義景も朝倉宗滴が陣病没しており不利を悟って和睦に応じる
1557
:第三次川中島の合戦
4月 :本願寺顕如に細川晴元の娘が六角義賢の猶子として輿入
1558
:桶狭間の戦いで今川義元が死去
2月 :朝廷は正親町天皇の即位のために年号を永禄に改元
:足利義輝は朽木にいて改元を知らされず朝廷に抗議
:改元は朝廷と室幕府の協議で行われてきたが朝廷は三好長慶にだけ相談
3/13:義輝は改元の一件もあって三好打倒のため朽木で挙兵
6/2 :北白川の戦いで足利義藤勢と三好長慶勢が戦うも膠着状態となる
9/18:堺に三好長慶、三好之虎、安宅冬康、十河一存の4兄弟が集まる
11/27:六角義賢の仲介により足利義輝と三好長慶が和睦
:長慶・慶興父子が上洛して義輝に出仕する
12/22:三好之虎、安宅冬康が堺から尼崎(摂津国)に入る
12/23:足利義輝は伯父・近衛稙家の娘(大陽院)を正室に迎え
1559:
2/4 :足利義輝の参内に三好長慶が供奉する
:三好長慶は幕府の御相伴衆になり桐紋の使用を許され修理大夫に
:三好孫次郎が義輝から偏諱を拝領して義長を名乗り御相伴衆・筑前守
:三好実休や松永久秀なども御供衆に加えられる
:松永久秀は弾正少弼に任官
2/20:足利義輝が熊谷信直の伊豆守の名乗りを認可する
2/25:足利義輝が熊谷信直に太刀1腰・青銅1000疋の礼状を発給
5月 :上杉謙信、足利義輝の要請で再度上洛し正親町天皇にも拝謁する
11/9:朝倉義景、従四位下に叙位
1560
:上杉謙信、越中、神保長職に攻められた椎名康胤を救援
:上杉謙信、神保長職の居城である富山城を落とす。
4/8 :洲本(淡路国)で不和となっていた三好長慶と三好之虎が会見する
1561
:小田原城の戦い・上杉謙信、10万兵で1カ月包囲に諦める。
8月 :上杉謙信、関東管領・上杉憲政の養子となり家督を譲られる
:上杉謙信、上杉政虎と改名し、関東管領を引き継ぐ
:第四次川中島の合戦
:上杉謙信、生野山の戦いで北条氏康と対峙し敗れる。
:上杉謙信、唐沢山城の戦い
:上杉謙信、上杉輝虎と改名
:上野の箕輪城主・長野業正(上杉家家臣)が死去
:上杉謙信、箕輪城が武田信玄に落とされ西上野が支配下になる。
:第四次川中島の合戦
1562
:上杉謙信、関東出兵・上野の赤井氏を攻め滅ぼす。
:上杉謙信、越中へ出兵、神保長職を降伏させる。
1563
:上杉謙信、武蔵の松山城が北条軍の攻撃を受け落城
:上杉謙信は武蔵での拠点を失う
:上杉謙信は武蔵へ侵攻して小田朝興の守る騎西城を攻め落す。
:上杉謙信、小田朝興の兄である武蔵忍城主・成田長泰を降伏させる。
1564
:第五次川中島の合戦
:唐沢山城の戦い・下野の佐野昌綱が上杉謙信に降伏する・度々叛乱
1565
:永禄の変で将軍・13代将軍足利義輝が暗殺される
:上杉謙信、北条軍に攻められた下総の関宿城へ援軍を送る。
1566
:上杉謙信、常陸国へ出兵・小田氏治を降伏させた。
:臼井城の戦い、上杉謙信、北条氏に与する千葉氏の臼井城を攻めるも敗北
:上杉謙信に味方降伏していた関東の豪族らが次々と北条氏に寝返る
1567
:唐沢山城の戦い
:上杉謙信、厩橋城代を務める上杉家家臣・北条高広が北条に通じて叛乱
:上杉謙信、北条高広を破り、厩橋城を奪還
1568
:上杉謙信、新将軍の足利義昭からも関東管領に任命される
:武田信玄が今川氏真を破り駿府城を攻略
4月 :上杉謙信の恩賞に不満を持った本庄繁長が武田信玄に調略されて叛乱
:上杉謙信、椎名康胤と越中の一向宗、本庄繁長に併せて叛乱
1569
:上杉謙信、北条氏康と越相同盟を結ぶ
1570
:上杉謙信、法号・不識庵謙信を称する
4/11:北条氏康の七男・三郎が上杉謙信の養子となり上杉景虎を名乗る。
1571
:越中大乱、上杉謙信、2万8千人の兵を率いて越中に出陣
:上杉謙信、徳川家康から太刀を贈られる
:上杉謙信、椎名康胤が籠もる富山城ほか新庄城、守山城などを落とす。
:北条氏康が死去、後継の氏政が越相同盟を破棄
1572
:尻垂坂の戦い、織田信長と同盟を締結
:上杉謙信、武田信玄と通じている加賀、越中の一揆衆が越中で大暴れ
:上杉謙信、富山城など上杉方の城が落ちるも越中に出兵
:上杉謙信、越中で勝利を飾り一揆衆を蹴散らす
1573
:越中の一向一揆討伐
:椎名康胤が再叛乱、上杉の支城・富山城を奪うが上杉謙信は無事に奪還。
4月 :武田信玄が死去
:上杉謙信、神保と椎名、一揆衆などを降し越中の大半を支配、加賀にも侵攻
12月:上杉謙信、足利義昭に足利家再興を依頼される
1574
:上杉謙信、織田信長から『洛中洛外図屛風』を贈られる
:上杉謙信、上野武蔵等に侵攻して北条氏の支城を落すも関東武士は日和見
1575
:
1576
:上杉謙信、石山本願寺の顕如と講和、信長との同盟を破棄して包囲網
:上杉謙信、足利義昭の要請で武田・北条と和睦
:上杉謙信、越中守護代・椎名康胤を討ち取り、同国を平定する。
:上杉謙信、七尾城の戦いで遊佐氏を調略、反乱を起こさせて七尾城を落とす
1577
:上杉謙信、手取川の戦いで七尾城の救援に来た柴田勝家の軍勢と戦い勝利
1578:
3月 :上杉謙信、春日山城内の厠で倒れ、急逝
「創作年表」
「創作年表」
年月日:年齢:出来事
1506:
9/19:祖父・長尾能景が守護上杉房能の罠で戦死
1507:
1508:越後守護・上杉房能が長尾為景討伐の準備
8月 :長尾為景は先手を打って上杉房能の館を急襲
:上杉房能は自刃
:上杉房能の養子・上杉定実を傀儡として守護に擁立
:長尾為景は銭貨80貫文を室町幕府に献上
:長尾為景は銭貨80貫文を室町幕府に献上
11/6:上杉定実は越後守護就任、長尾為景は越後守護代就任
1509:
7/28:上杉房能の実兄である関東管領・上杉顕定とその子・憲房が復仇
:関東管領軍は越後上田荘を拠点に越後府中を落とし中越・上越地方を抑える
:長尾為景は劣勢となって上杉定実と共に越中国に逃亡
:長兄・長尾晴景誕生
8月 :長尾為景が銭貨80貫文を室町幕府に献上
11月:上杉定実の越後守護就任が正式に認められる
1510:
6/10:長森原の戦いで退却する上杉軍に猛攻をかけ関東管領上杉顕定を敗死させ
:上杉顕実と上杉憲房が関東管領の座を巡って戦う
1511:
1512:永正の乱・上杉顕実が上杉憲房に負けて関東管領の実権を失う。
:上杉憲房が山内上杉家の家督を継ぐ
5月 :揚北衆の鮎川氏が反逆するが、山吉・築地ら武将を使わして鎮圧
1513:越後守護・上杉定実と対立・上杉定実が春日山城を占拠
:真田幸綱(幸隆)誕生
2/14:足利義晴と足利義尹が和睦する
1514:
5月 :越後守護・上杉定実を破り守護不在状態とする
1515:上杉顕実が病死、上杉憲房が正式に関東管領となる
1516:
1517:
1518:
1519:
1520:長尾為景は越中の神保慶宗と椎名慶胤を滅ぼす
12/26:足利義晴・赤松義村が置塩を脱し明石の榛谷に移る。
1521:能登守護畠山義綱の越中侵略に荷担して越中新川郡の守護代職を獲得
2月 :長尾為景、一向宗を信仰することを禁止
3/7 :足利義稙が京都を密かに抜け出して堺南荘に赴く
3/10:足利義稙が淡路国に入る
:武田信玄誕生
12/24:足利義晴が細川高国に擁立され第12代征夷大将軍就任
1522:
1523:
4/9 :阿波国で足利義稙が死去する
1524:長尾為景の長女・桃子(仙桃院)誕生
1525:上杉憲房が病死、養子の上杉憲寛が関東管領となる。
1526:長尾為景の次女・光子誕生
:長尾為景の三女誕生夭折
7月 :細川高国が細川尹賢の讒言を信じて家臣の香西元盛を殺害
:香西元盛の兄弟、波多野元清と柳本賢治が挙兵
:細川高国と対立していた細川晴元も挙兵
1527:長尾為景の四女誕生夭折
:春日虎綱(高坂 昌信)農民として誕生
:川原の戦いで細川晴元が細川高国に勝利
1528:12代将軍足利義晴から白傘袋・毛氈鞍覆の格式を許される
:「随分衆」
9/8:足利義晴が朽木に逃れる
:長尾為景の五女(道五姫、法名:玉嶺妙金)玉子誕生
:長尾為景の六女(加地春綱正室)杉子
1529:
12/12:長尾為景の次男・景康(鬼次郎)誕生
1530:越後守護・上杉定実と上条定憲を中心に叛乱
:上条定憲と長尾為景の間で抗争が勃発
2/1 :長尾為景の三男・景房(竜五郎)誕生
2/18:長尾為景の四男・上杉謙信誕生
1531:関東享禄の内乱、上杉憲房の実子が上杉憲寛を追い関東管領となる
:古河公方家の足利高基と足利晴氏の親子が争い晴氏が勝利
:足利晴氏が関東享禄の内乱で味方した北条氏綱を関東管領に補任
:12代将軍・足利義晴の調停で長尾為景と上条定憲が和睦
6/6:細川高国が大物(摂津国)の広徳寺にて切腹する
:長尾為景、後ろ盾だった細川高国を失い不利になる
1532:長尾為景の七女誕生夭折
6/20:三好元長が細川晴元に裏切られ本願寺一向衆に襲われ自害
8/20:堺にいた細川晴元が本願寺一向衆に包囲されるが合戦にて勝利する
1533:長尾為景の八女(道八姫、法名:松厳明貞、小黒氏室)松子誕生
9月 :長尾為景と上杉定憲の間で再抗争
1534:
6/4 :足利義晴は前関白・近衛尚通の娘(慶寿院)を正室に迎える
9/3 :足利義晴は上洛して南禅寺に入る
12/28:長尾為景の五男・長尾内記(万千代:法名・実岑一貞)誕生
1535:阿賀北の国人や上田長尾家が上条定憲に味方して再叛乱
1536:父親に朝廷に綸旨をもらって和平する事を提案。
3/10:足利義晴の嫡男・義藤(義輝)誕生
:朝廷の綸旨を得て叛乱を食い止める
4/10:長尾為景が三分一ヶ原合戦で上杉定憲に快勝
4/24:追い詰められてた上杉定憲が敗死
8月 :父・長尾為景が隠居して兄・長尾晴景が家督を継ぐ
:庶兄の上杉謙信と曹洞宗林泉寺に入門し住職・天室光育の教えを受ける
:武田信玄元服して初陣を飾る
:花倉の乱で今川義元が今川家の当主となる
1537:父・長尾為景が病死?
:細川晴元は六角定頼の猶子(実父は三条公頼)を妻に迎える
:父の長尾為景に永楽銭の東西差を利用して稼ぐと提案
:関船を建造してもらう。
:麦翁・権田愛三の農業法を取り入れる
:加賀前田藩の五箇山硝煙作りを始める。
:天室光育の仲介を受けて戸隠神社と善光寺と交流
:修験道場戸隠十三谷三千坊として比叡山、高野山と共に「三千坊三山」
:1468年天台派の宣澄法師が真言派に暗殺された
:これを機に天台派が真言派を追い出した。
:戸隠山に向かって奥社参道左手が真言宗、右手が天台宗だった。
:高野山と潜んでいた真言派を味方につける。
11/13:足利義晴に次男・足利義昭が誕生
1538:北条氏政誕生
:上杉定実が伊達稙宗の子である時宗丸を養子に望む
:父の長尾為景も兄の晴景も時宗丸養子に賛成
:駿河に使者を送って山本勘助を100貫で召し抱える。
4/29:伊東義祐が偏諱の礼として足利義晴に30000疋(300貫)進上する
:伊勢貞孝に5000疋(50貫)を進上する
6/7 :足利義晴が御殿の葺替えにつき10000疋(100貫)を支出する。
6/28:足利義晴の次男千歳丸(義昭)が興福寺一乗院に入ることが決まる
閏6/3:大村純前が上洛、足利義晴に対面太刀1腰(国宗)、馬代100貫を進上
:足利義晴が剣を下賜
:大村純前がさらに太刀1腰(菊一文字)、馬を進上
:義藤(義輝)にも対面し馬・太刀を進上
閏6/13 :三好長慶と三好政長が決裂、足利義晴が和平の御内書発給
10月:三好利長(長慶)と三好政長が和睦する
:
:
9月 :養子反対派、阿賀北小泉荘の本庄房長領に伊達氏の軍勢が侵入
:
:
:
:
1539:
1/14:三好長慶が軍勢2500を引き連れ上洛する
:
:
:
:
1540:
6/17:禁裏にて天下大疫御祈祷として不動小法が修される。
:費用3000疋(30貫)は足利義晴が土倉に賦課する
:
:
:
:
1541:海野平の戦いで海野棟綱は村上義清・諏訪頼重、武田信虎に敗れる
:真田幸隆と共に上野に逃亡
:関東管領上杉憲政は海野棟綱の願いを受けて信濃佐久に出陣
:上杉憲政は北条家包囲網を築く
10/29:木沢長政が細川晴元に謀叛を起こす
1542:春日虎綱は父親の遺産を巡り姉夫婦と争い敗訴
:使者を送って春日虎綱を家臣に迎える。
3/9 :遊佐長教が斎藤山城守を殺害
3/17:太平寺の合戦で細川勢が木沢長政を討ち取る
閏3/8:三宅国村が毛氈免許の礼に馬・太刀・3000疋を足利義晴に進上
4月 :上杉定実、時宗丸の養子を出家の起請文を書いて脅迫
7/13:宗晴康が偏諱の礼に足利義晴に進上
:太刀1腰、曇金1端、毛氈1枚、虎皮1枚、鳥目3000疋
:、伊勢貞孝に太刀1腰、豹皮1枚、鳥目1000疋
7/22:宗彦七(義調)が偏諱の礼に足利義晴に進上
:太刀1腰、曇金1端、紅綿1斤、鳥目2000疋
:伊勢貞には太刀1腰、鞍覆、鳥目500疋が進上
7/29:有馬晴純が礼に足利義晴に進上
:太刀(国久)、馬、曇金1端、唐錦1端(紋唐草)、緞子3段、毛氈5枚
:有馬晴直が太刀、馬、黄金30両
11/20:千歳丸(足利義昭)が興福寺一乗院に入室
12/ :父・長尾為景が病死?
:伊達氏における内訌・天文の乱により養子話が頓挫
1543:
7/25:細川氏綱が細川晴元打倒の兵を挙げる
8月 :兄・長尾春景の計らいで還俗・元服して長尾景虎と名乗る
9月 :三条城を経て栃尾城に入る
10/30:足利義晴が本願寺証如に加賀国分禁裏御修理料100貫文を納めさせる
1544:栃尾城の戦いで謀反を鎮圧・15歳で初陣
:初陣にして才覚を発揮し、家臣や諸将に一目置かれる存在となる。
7/9 :大洪水により京中の人馬が流出する。
1545:
10月 :越後守護・上杉定実の家臣・黒田秀忠の謀反。
:兄・長尾景康と長尾景房が殺害される。
:黒滝城の戦いで黒田秀忠が降伏
:上杉憲政は北条家包囲網に今川義元や里見義堯を引き入れる
:今川義元、第二次河東一乱で北条家を駿河に誘き寄せる
1546:
2月 :黒田秀忠が再度挙兵したため、黒田氏を滅亡させる
:河越城の戦いで関東管領上杉憲政は北条氏康に大敗
7/27:足利嘉晴の嫡男菊童丸が爵を受け義藤と名乗る
12/19:足利義晴の嫡男義藤が元服し征夷代将軍となる
12/20:足利義晴は義晴を右近衛大将になる
1547:小田井原の戦いで武田信玄が上杉憲政を破る
3月晦日:足利義晴・義藤父子が北白川城(山城国)に900余騎で籠城
4/1 :細川晴元が三好長慶ら淡路・四国衆3万で北白川城を攻める
6/25:三好長慶が芥川山城(摂津国)の薬師寺与一を降伏させる
7/12:細川晴元の要請を受けた六角定頼・義賢が北白川城を包囲
7/19:足利義晴・義藤父子が坂本に逃れる
7/29:足利義藤が細川晴元・六角定頼・義賢父子を赦免
閏7/5:細川晴元が細川国慶の籠る高雄城(山城国)を攻め落とす
1548:長森原の戦いで関係が断絶していた関東管領山内上杉家との関係を修復
:真田幸隆に使者を送って家臣にする。
:上杉謙信の人望が高まり越後の国人や親族が守護代に担ぎだす。
4月 :六角定頼が細川氏綱派と細川晴元派を和解させる
6/17:足利義晴・義藤父子が坂本から上洛
9月 :三好長慶が細川に対する軍事行動を開始
12月 :越後守護・上杉定実の介入で兄・長尾晴景が隠退。
:上杉謙信が督相続して守護代となる
1549:石山本願寺が勅願寺となる
6/24:江口の戦いで三好長慶が細川晴元に勝利
6/28:足利義晴・義藤父子が細川晴元と坂本に逃れる
7/9 :三好長慶が細川氏綱を奉じて上洛
1550:越後の守護大名・上杉定実が病死。
1/15:足利義晴が水腫張満という病を患う
2月 :室町13代将軍・足利義輝から越後守護の地位を認められる
5/4 :足利義晴が死去する
5/11:足利義藤は細川晴元と六角義賢の諫言で比叡辻(近江国)宝泉寺に移る
7/14:三好勢が義藤の拠点、京東郊外に侵攻、細川晴元は戦わず越前に逃亡
11/19:三好勢4万が京に侵攻、細川・六角勢は敗退
11/21:足利義藤は中尾城を自焼して近江堅田へ逃亡
1551:
1月 :長尾政景(謙信の姉の夫)が謀反・坂戸城の戦いで勝利・越後統一
1月末:幕府政所頭人・伊勢貞孝が義藤を強引に京に連れ戻そうとする
:三好勢との和睦を図ろうとするが失敗
1/30:伊勢貞孝が三好勢に寝返る
:三好勢と六角勢が近江と山城で放火・略奪などを繰り返す
3/14:伊勢貞孝屋敷の宴会で進士賢光が三好長慶を3度斬り付ける
:暗殺に失敗した進士賢光は自害する
5/5 :三好長慶派の河内守護代・遊佐長教が時宗の僧侶・珠阿弥に暗殺される
7月 :相国寺の戦いで三好勢が幕府勢に勝利
1552:
1月 :北条氏康に攻められ逃れてきた関東管領上杉憲政を御館に住まわせる
1/28:足利義藤が三好長慶と和解して入京
:細川京兆家は細川氏綱が当主となり細川晴元は若狭武田家に落ちる
:細川典厩家は細川氏綱の弟・細川藤賢が当主となる
2/26:足利義藤が三好長慶を陪臣から幕府直臣の御供衆とする
:足利義藤が政所頭人・伊勢貞孝を赦免
8月 :上野沼田城を攻める北条軍を撃退する
:上杉憲政の居城・平井城を奪還
10月:細川晴元が丹波で味方を募り三好勢を撃破
1553:武田信玄に信濃を追われた村上義清を匿う
1月 :細川晴元の反撃で京周辺の政情が不安定になる
:反三好派の上野信孝らが密かに細川晴元と内通して長慶を除こうとした
2月 :親三好派の伊勢貞孝が上野信孝らの追放の足利義藤に諫言
:幕臣内部で親三好派と反三好派が激しく争う
3/8 :足利義藤は長慶との和約を破棄して東山霊山城に入城する
7/22:北野社右近馬場にて足利義藤が細川晴元を赦免
8/1 :東山霊山城の戦いで細川晴元は三好勢の猛攻に恐れ一戦もせず退却
:三好長慶が足利義藤に従う者の領地を没収すると宣言
8/30:多くの者に見捨てられた足利義藤は40程度と近江朽木に逃れる
9月 :第一次川中島の合戦で武田晴信との初の戦となる
9月 :第一次川中島の合戦で武田晴信との初の戦となる
:初めて上洛し後奈良天皇、13代将軍・足利義輝に拝謁する
:後奈良天皇に拝謁した際、御剣と天杯を下賜される。
1554:武田家・今川家・北条家の間で三国同盟
:家臣・北条高広が武田信玄の調略を受けて謀叛、鎮圧
1555:北条城の戦い
4月 :第二次川中島の合戦・今川義元の仲介で和睦
10/23:元号が「天文」から「弘治」に改まる
1556:駒帰の戦い
:上杉謙信、突如出家するも、家臣の反乱や武田軍が気になり還俗。
6/5 :足利義輝が六角義賢を介して本願寺顕如に朝倉義景との和睦を命じる
:朝倉義景も朝倉宗滴が陣病没しており不利を悟って和睦に応じる
1557:第三次川中島の合戦
4月 :本願寺顕如に細川晴元の娘が六角義賢の猶子として輿入
1558:桶狭間の戦いで今川義元が死去
2月 :朝廷は正親町天皇の即位のために年号を永禄に改元
:足利義輝は朽木にいて改元を知らされず朝廷に抗議
:改元は朝廷と室幕府の協議で行われてきたが朝廷は三好長慶にだけ相談
3/13:義輝は改元の一件もあって三好打倒のため朽木で挙兵
6/2 :北白川の戦いで足利義藤勢と三好長慶勢が戦うも膠着状態となる
11/27:六角義賢の仲介により足利義輝と三好長慶が和睦
:長慶・慶興父子が上洛して義輝に出仕する
12/23:足利義輝は伯父・近衛稙家の娘(大陽院)を正室に迎え
1559:
2/4 :足利義輝の参内に三好長慶が供奉する
:三好長慶は幕府の御相伴衆になり桐紋の使用を許され修理大夫に
:三好孫次郎が義輝から偏諱を拝領して義長を名乗り御相伴衆・筑前守
:三好実休や松永久秀なども御供衆に加えられる
:松永久秀は弾正少弼に任官
2/20:足利義輝が熊谷信直の伊豆守の名乗りを認可する
2/25:足利義輝が熊谷信直に太刀1腰・青銅1000疋の礼状を発給
5月 :13代将軍足利義輝の要請で再度上洛し正親町天皇にも拝謁する
1560:越中、神保長職に攻められた椎名康胤を救援
:神保長職の居城である富山城を落とす。
1561:小田原城の戦い・10万兵で1カ月包囲に諦める。
8月 :関東管領・上杉憲政の養子となり家督を譲られる
:上杉政虎と改名し、関東管領を引き継ぐ
:第四次川中島の合戦
:生野山の戦いで北条氏康と対峙し敗れる。
:唐沢山城の戦い
:上杉輝虎と改名
:上野の箕輪城主・長野業正(上杉家家臣)が死去
:箕輪城が武田信玄に落とされ西上野が支配下になる。
:第四次川中島の合戦
1562:関東出兵・上野の赤井氏を攻め滅ぼす。
:越中へ出兵、神保長職を降伏させる。
1563:武蔵の松山城が北条軍の攻撃を受け落城
:上杉謙信は武蔵での拠点を失う
:上杉謙信は武蔵へ侵攻して小田朝興の守る騎西城を攻め落す。
:小田朝興の兄である武蔵忍城主・成田長泰を降伏させる。
1564:第五次川中島の合戦
:唐沢山城の戦い・下野の佐野昌綱が謙信に降伏する・度々叛乱
1565:永禄の変で将軍・13代将軍足利義輝が暗殺される
:上杉謙信、北条軍に攻められた下総の関宿城へ援軍を送る。
1566:常陸国へ出兵・小田氏治を降伏させた。
:臼井城の戦い・北条氏に与する千葉氏の臼井城を攻めるも敗北
:上杉謙信に味方降伏していた関東の豪族らが次々と北条氏に寝返る
1567:唐沢山城の戦い
:厩橋城代を務める上杉家家臣・北条高広が北条に通じて叛乱
:北条高広を破り、厩橋城を奪還
1568:新将軍の足利義昭からも関東管領に任命される
:武田信玄が今川氏真を破り駿府城を攻略
4月 :恩賞に不満を持った本庄繁長が武田信玄に調略されて叛乱
:椎名康胤と越中の一向宗、本庄繁長に併せて叛乱
1569:北条氏康と越相同盟を結ぶ
1570:法号・不識庵謙信を称する
4/11:北条氏康の七男・三郎が上杉謙信の養子となり上杉景虎を名乗る。
1571:越中大乱、2万8千人の兵を率いて越中に出陣
:徳川家康から太刀を贈られる
:椎名康胤が籠もる富山城ほか新庄城、守山城などを落とす。
:北条氏康が死去、後継の氏政が越相同盟を破棄
1572:尻垂坂の戦い、織田信長と同盟を締結
:武田信玄と通じている加賀、越中の一揆衆が越中で大暴れ.
:富山城など上杉方の城を落とすも越中に出兵、に勝利を飾り一揆衆を蹴散らす
1573:越中の一向一揆討伐
:椎名康胤がまた兵を起こして上杉の支城・富山城を奪うが無事に奪還。
4月 :武田信玄が死去
:神保と椎名、一揆衆などを降し越中の大半を支配下に置いて加賀にも着手
12月:足利義昭に足利家再興を依頼される
1574:織田信長から『洛中洛外図屛風』を贈られる
:上野や武蔵等に侵攻して北条氏の支城を落すも関東武士の味方は得られず。
1575:
1576:石山本願寺の顕如と講和、信長との同盟を破棄して包囲網
:足利義昭の要請で武田・北条と和睦
:越中守護代・椎名康胤を討ち取り、同国を平定する。
:七尾城の戦いで遊佐氏を調略、反乱を起こさせて七尾城を落とす
1577:手取川の戦いで七尾城の救援に来た柴田勝家の軍勢と戦い勝利
1578:
3月 :春日山城内の厠で倒れ、急逝
麦の根元をしっかりさせ倒伏を防止する「土入れ」、麦の茎の枝分かれと根部の伸長を促す「麦踏み」、堆肥をふんだんに使った「土づくり」を行うというものでした。大正12年には集大成ともいえる「実験麦作栽培改良法」
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