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武田義信

撤退侵攻

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 3月『美濃・稲葉山城・鷹司義信』

 激烈に忙しい3月も終わろうとしている。何とか一通りの準備は終わったが、何か見落としが無いか、思い上がっているところは無いか心配になる。もう場所によったら田起こしが始まっている、今なら諏訪に戻っても大丈夫なはずなのだが、それでも心配だ。今回の合戦については武田家の全力で当たる事に成った。

 加賀・越中の信繁叔父上は専守防衛に全力を尽くす。

 越後の信廉叔父上は農繁期でも動員できる専業武士3000兵を甲斐送った。

 甲斐からは美濃土岐家庶流の原昌胤が、専業武士1000兵と莫大に軍需物資を運ぶ商人と共に美濃の援軍に向かった。

 西美濃には相良友和に預けた2000騎の騎馬鉄砲隊を残留させた。彼らは関ヶ原に駐屯し、万が一細川・六角が美濃侵攻を企てた場合、馬上4段後退連続射撃で安全圏から撤退漸減迎撃を行い、徐々に稲葉山城にまで引く予定だ。

 美濃全体の城砦群には籠城を命じた、稲葉山城には鉄砲足軽1000兵を残したし、大桑城・揖斐城・揖斐城は道三の猛攻にも長年耐え抜いてきたのだ、1年間は籠城可能だろう。国衆たちの多少の裏切りや落城は仕方が無い、しかし国衆の妻子は全て諏訪に人質として連れて行く、残る男達には衆寡敵せずと思えば、城を放棄して稲葉山に撤退せよと言ってある。だがまあ大丈夫だろう、直轄化した城砦群には黒鍬衆が守備に入っている。細川・六角相手なら、騎馬鉄砲隊の機動攻撃と、籠城衆の連携で守り切れるはずだ。

 三河方面は滝川一益に預けた4000騎に任せた、ここで田上善親を副将に抜擢した。彼らには自由裁量権を与え、三河・遠江の国衆・地侍を指揮させた。2人は適宜に国衆を蜂起させ今川に開戦を決意させる予定だ。

 俺は残った兵を連れて諏訪に戻ることにした。

 
 4月『三河』

 一益が調略してきた三河国衆が一斉に今川から離反した。特に松平宗家の松平親長・福釜家の松平親次・桜井家の松平清定の離反は三河国衆に衝撃を与え著しく動揺させた。松平庶流各家は竹千代を駿河に囚われている安祥松平家以外は様子見に入った。

 庶流の今川義元への隷属を強いられていた吉良家は、進んで鷹司卿へ臣従する使者を一益に送って来た。その為に松平系以外の国衆の過半数は鷹司家へ臣従の使者を送った。

 今川義元に攻め滅ぼされた国衆縁の者たちが蜂起し、三々五々一益の下に集まり復権の機会を窺った。

 水野一族は勝敗の帰趨を見定めるまでは軍を動かす事を止めた、鷹司・今川・信長を秤に掛けて確実に勝てる方に付く、そうしなければ国衆に生き残る道は無いからだ。

 今川義元は激怒して大動員令を国衆に命じたが、駿河・遠江・三河の国衆の動揺は激しく、兵の集まりは著しく悪かった。その状況を見た一益は設楽城まで一気に軍を進めて遠江国境まで進出した。


 4月『駿河』

 三河国衆の今川離反は公家衆に衝撃を与えた、今逃げなければ皆殺しに会うと思ったのだろう、海岸線を鷹司卿が抑える前に逃げる為、危険を覚悟で船を仕立てて西を目指した。駿河・遠江・三河・尾張に安全な場所は無い。伊勢も北畠が鷹司卿寄りだと噂が有り逃げ込む事が出来ない。紀伊の一向宗を頼るか、摂津を抑える三好を頼るか、更に西に落ちて大内を頼るほかなくなった。

 公家衆の形振り構わない逃亡劇は、今川方国衆の動揺を更に助長させてしまった。義元・寿桂尼・太原雪斎は必至で国衆の動揺を抑え、鷹司・武田の侵攻を迎え討つ体制を整えようとした。同時に尾張の信長・一向宗、近江の細川・六角に美濃に侵攻し挟撃しようと使者を送った。

 
 4月『近江』

 鷹司の撤退を知った細川と六角は今後の対応で意見が分かれた、史実でも動きと判断力が悪かった六角義賢は、大山崎の三好に備えつつ美濃国衆の調略による美濃支配を望んだが、細川は直接侵攻による美濃支配を望んだ。両者は何度も話し合い、貴重な時間を浪費した上で細川単独の美濃侵攻直轄化で話が纏まった。六角にしても軍資金が切れた細川軍が霧散し、その将兵が近衛府に集まる事は避けたかったのだ。

 しかし細川晴元の窮状を身近で知る将兵は、美濃侵攻直後に相良友和旗下の騎馬鉄砲隊の一斉射撃を受けて潰走した。勝てぬ戦で命を懸ける馬鹿はいない、まして彼らは鷹司卿の銭で雇われている事を知っている。鷹司卿と敵対した細川晴元に、勝ち目のない事など百も承知していたのだ。だが近江にいる間に離反すれば下手すれば死罪だ、だが美濃に入って合戦中に逃げれば助かる、いや銭主の鷹司卿の下に逃げ込めば今まで通り銭が支給される。

 細川晴元は1万の兵をほぼ全て失い、命辛々近江に逃げ帰った。
 
 
 4月『尾張』
 
 信長は義信撤退の好機を受けて美濃侵攻を開始した、尾張の反信長勢が壊滅した為、動員できる国衆兵力が半減してる、銭による雑兵集めも義信相手では勝てなかった。仕方なく一向宗の戦闘専業要員を直臣化して、戦死させる心算の棄兵として動員したのだが、一向宗も強かで死地への突入は拒否した。今一向宗との手切れが不可能な信長は、勝算のある戦闘しか出来なくなってしまった。

 長島などの河内からの侵攻は、大弩砲・大弓・鉄砲による迎撃で阻まれた。木曽川右岸に築かれた堤防兼用の土塁に阻まれ、信長指揮の兵も美濃に乱入する事が出来なかった。しかし、明智家や遠山家が支配していた領地は川の防御が無い、信長は直接稲葉山城攻略を諦め、室原城・塩河城・今城の攻略に向かった。

 
 4月『美濃・室原城・可児秀行』

 室原城主・可児秀行は、鷹司家の直轄城となった塩河城・今城と連携しつつ必死の防戦を行った。鷹司家から豊富な兵糧と武具・軍資金を支援され、3年実りが無くても暮らして行ける保証を得た秀行は、領内の民百姓を全て城内に収容して籠城戦を行った。秀行も必至である、ここまで厚遇して貰って容易く裏切れば、鷹司卿が戻って来た時の報復は凄惨を極めるだろう。万が一負けて死ぬ事になっても、諏訪に人質として送られた妻子は厚遇される。最前線の城砦が多少落とされようとも、今の鷹司家が容易く負けるとは思えない、無駄死にになる事だけは無いだろう。


 4月『遠江・井伊谷』

 「伯父上、悪い話ではないと思うのですが?」

 「御前はそれでよいのか? 直親。」

 「伯父上や二郎法師殿には申し訳無く思っておりますが、既に奥山親朝殿の娘を妻に迎え、鷹司家で侍大将に取り立てて頂き、2000貫文の扶持を頂いております。 田上善親の諱も賜り十二分に評価して頂いております」

 「なんと! 2000貫文の扶持と諱まで賜っておるのか?」

 「はい、このように鷹司卿直筆の誓紙まで私に預けて下さっております、鷹司卿は約束を反故にされるような方ではありません。義元の様に猜疑心が強く、国衆を理不尽に征伐される事も有りません。二郎法師殿も大切にして下さいますでしょう。」

 「う~む、確かに御屋形様の仕打ちに恨みが無いとは言わぬ。いや直親の父である弟たちが、小野めの讒言で討たれた事は今でも腸が煮え繰り返る思いじゃ! しかし我ら国衆が生き残る為には仕方のなことと思っておる。直親が鷹司卿の元で栄達したのであれば尚更じゃ、我らは今川に残り何方が勝っても井伊の血脈が残るようにした方がいいのではないか?」

 「事ここに至ってはその心配は御座いません。今川に勝ち目が無い事は、公家衆の逃亡や三河国衆の動きを見ても明白でございます。井伊家が他の遠江国衆に先駆けて鷹司家に御味方すれば、褒美は厚くなりましょう。二郎法師殿が男子を御産みになれば、井伊家は鷹司家の分家として高き地位を約束されます。ここは二郎法師殿を鷹司卿の側室に送られ、鷹司家と縁を結ばれるのが最善でございます。」

 「う~む、確かに悪い話では無い、いやむしろこれほど厚遇して頂けるとは思えなかったくらいじゃ。だが今川殿が井伊家討伐に出てきたらどうする? 周りの国衆が全て敵に回る事も有り得るぞ?」

 「その心配は御座いません、三河や美濃の事、越中・越後・出羽と鷹司卿が動かれる時は、国境の国衆を調略した後でございます。こうして伯父上の下に我を使わされたのは、三河・信濃の国衆が御味方すると決まったからでございます。義元の様に調略しておいて見捨てたり、君臣相争わせるような真似はされません。」

 「それは言い過ぎであろう、儂も鷹司卿の事は調べておる。幼き頃は暗殺を多用されたとの噂も有れば、出羽で籠城する城に矢文を送り、銭で君臣争わせたことも知っておる。」

 「いやそれは伯父上・・・・・」

 「まあ待て! それが悪いと言っている訳でもないし、信用出来ぬと言っておる訳でもない。鷹司家の援軍が国境の今川方城砦を越えるまでは、容易く御味方する約束は出来んと言っておるのだ。」

 「残念では御座いますが、伯父上が井伊家の為に慎重になられるお気持ちも重々理解できます。では二郎法師殿の側室の件はどういたしましょう? 御受けになられますか? お断りになられますか?」

 「率直に尋ねるが、この縁組は井伊家を裏切らせぬための人質では無いのか? 儂が早々に味方せぬと言った以上、反故に成る話では無いのか?」

 「私が承ったのは二郎法師殿を側室に迎えたい事と、叔父上を近衛府・従六位上・将監(しょうげん)に迎えたいとの事でございます。その時期は特に限られておりませんが、鷹司卿より全権を預けられておられる、滝川殿から任せて頂いております。一度御伺いに戻りますが、鷹司家が遠江の国境を越えてからでも問題はないと思います。」

 「もし遠江国境を越えてからでも縁組が出来るなら、是非其方の力で進めて欲しい。其方の生死を秘す為に出家し、そなたを待ち続けた二郎法師が不憫でならん。攻める訳ではないが、其方から奥山親朝の娘を妻にしたから、自分の事は忘れてくれと文が届いた時の嘆き悲しみは見ていて辛かった。鷹司卿が大切にしてくれると言ってくださるのなら、親としてこれ程うれしい事は無いし、井伊家当主としてはこれほど安心な事は無い。」

「伯父上と二郎法師殿には重ね重ねお詫び申し上げます。父を殺した義元を許せなかった故の事とは申せ、申し訳ない事を致しました。詫びと言うのはおこがましいですが、この話必ず成し遂げてみせます。」

「うむ、頼んだぞ!」
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