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武田義信

苦戦3

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 『越後・春日山城』

 俺達は傷ついた人馬を放生津城に残し、3500騎で北上したが補給と休息の為に越後春日山城に入った。途中分派していた4000騎と合流出来たが、彼らは合戦をせず損耗が無いので、先に出羽支援軍に合流すべく先発して貰った。

 「信廉叔父上、一向一揆を好く防いでいただきました、御蔭で安心して北上できます。」

 「なあに、みな若殿の御蔭だよ、昨年若殿が赤虫の民を治す為に医師を派遣してだろう、あれが開発資本投下と相まって大評判でな、一向宗の念仏を駆逐していったのだよ。御念仏を唱えても助からんが、鷹司卿は助けようとしてくれるとな。いや一向宗だけでは無い、国衆もだ! 鷹司卿に刃向かおうとしたら、一揆が起きて殺されてしまうことになる。」

 「そうですか、医師の派遣がそこまで評価されましたか。」

 「ああ、日に日に生活が好くなり、絶対助からぬと思っていた病が、助かる可能性も出て来た、まして赤虫を寄せ付けぬ方法や薬を与えて貰えたのだ、民の若殿への信頼信用は絶大だよ。」

 「ならば越後の国衆を他国へ援軍へ出す事が出来ますか?」

 「大丈夫だ、背後を気にせずに済む越中と出羽になら、若殿から御預かりしている近衛武士団2400兵と近衛槍足軽3000兵に国衆7000兵を援軍に出せます。」

 「では叔父上、越中に一向宗が攻め寄せたら、国衆7000兵を出せるようにして下さい。」

 「判った。」


 『出羽・寒河江城外』

 飯富虎昌指揮する寒河江支援部隊は、夜明け前に寒河江城を囲む伊達・最上・最上八盾の連合軍に攻撃をかけた。虎昌自身は近衛黒鍬輜重3000兵を指揮し、鮎川善繁が近衛足軽弓隊1000兵を指揮し、米倉重継が信濃武士団1500兵を指揮し、加津野昌世が近衛武士団1000兵を指揮した。

 飯富源四郎昌景(山県昌景)は義信が幼き頃より御側近くに有り、その戦術思考を全て学んでいた為、近衛鉄砲騎馬隊4000騎の指揮を任されていた。昌景は静かに敵陣に近づき、1000の鉄砲一斉斉射で戦の火ぶたを切った。

 4段に分かれて切れ目なく斉射される銃撃の破壊力は絶大だった。鉄砲の一斉斉射の轟音を初めて聞いた軍馬は、恐慌状態となり一斉に逃げ出した。茫然自失となっていた農兵も続いて逃げ出した。それを確認して昌景は太刀による追撃撫で斬りを命じた。

 善繁・重継・昌世は昌景が追撃した主力以外の、別方向に逃げた小集団を各個に追撃した、善繁の弓隊は自軍の損害が無いように、駆けては止まり、必中距離からの弓射で敵を射殺して行った。重継と昌世の武士団は敵騎馬を同じ騎馬が追撃、弓で馬を射倒してから首を取り、歩兵部隊は逃げる敵歩兵の背を切り裂き首を取った。

 追首の評価は低いが、ここで完膚なきまでに伊達・最上・最上八盾を叩いておけば、今後の征伐が楽になる。敵に情けを掛ける事無く徹底した殺戮が行われた。


 『出羽・大宝寺城』

 俺達は北上を続け、越後国内の諸城で休息と補給を取りつつ出羽支援軍を追った。村上城の本庄家は大宝寺家を支援していた関係が有るので、若年ながら当主・本庄繁長ち騎馬武者のみを同行させ、大宝寺城で出羽支援軍・浅利支援部隊に合流した。

 猿渡飛影に指揮されていた部隊は、信濃武士団1500兵・近衛武士団1000兵・近衛弓足軽1000兵・近衛黒鍬輜重3000兵で編成されていた。更に大宝寺一族と土佐林禅棟の軍3000兵を加えて北上を続けた。

 
 『上総・庁南城』

 義信から、金銀貨幣や高価に換金できる漢方薬の支援を、荷役を使って受けた庁南武田家・真理谷武田家は、甲斐武田の支援を知って離反しかけていた家臣団が再び結集し、兵糧や武具を大量に購入することが出来ていた。これによって勢いを取り戻し、庁南吉信を棟梁として一族を再結集していた。しかしその矢先、反武田同盟への参加を呼びかけられた安房の里見は、真里谷武田から奪った上総の久留里城と佐貫城を拠点に、真里谷信政の椎津城を2000兵で囲んで攻め立てていた。

 椎津城攻めに集中していた里見勢をの隙を突いて、援軍に駆けつけた庁南吉信直卒の500兵が強襲を敢行。不意を突かれた里見勢は大敗を喫して逃亡するところを、更に城から討って出た真里谷信政と合流した庁南吉信軍に追い討ちを掛けられ、主だった武将の多くを討ち取られ、這う這うの体で佐貫城に逃げ戻った。


 『出羽・檜山城』

 俺達が出羽勢を加えつつ北上するのを知った安東愛季は、浅利家への囲みを解いて堅城の檜山城に戻るとした。知恵者の安東愛季は、囲みを解いて帰城しようとすると浅利勢が追撃すると読み、予め弓兵を伏兵として配置し、案の定浅利勢が追撃して来たところを弓兵で攻撃、浅利勢が狼狽するところを軍を返して反撃、散々に浅利勢を討ち破ってから檜山城へ急ぎ戻った。この時事もあろうに浅利勝頼が討ち取られてしまった。

 義信の軍が北上してこなければ、このまま浅利を滅ぼすか従わせることが出来たのだろうが、今は義信に備えるだけで精一杯であった。しかし、防御力の弱い湊城に籠るわけにもいかず、仕方なく湊城に戻るのを諦め、檜山城での籠城を決意した。これは武田鉄砲騎馬隊の破壊力を理解していた安東愛季が、野戦で対抗する策を早々に放棄していたからだった。

 「諸将は我に従うと言われるのかな?」

 『は! 我ら一同鷹司卿に忠誠を御誓い致します。』

 「昨年も諸将から同じ言葉を聞いた気がするが?」

 『・・・・・・・・・・・・・』

 「我としては、諸将らも根切りにした方が、今後の出羽の安寧の為には好いと思っておる。天下の平安を願われておられる帝の憂慮を御払いする為に、我は近衛大将として昨年戦止めを命じたのだ。それを諸将は破り私戦を起こした上に、今は盟主と仰いだ安東愛季を裏切り我の下に平伏しておる。諸将はそれでも武士と言えるのか?」

 「我は浅利殿への攻撃には参加しておりません。」
  
 「黙れ卑怯者! 見て見ぬ振りが1番下劣じゃ!! 日和見する輩など我が配下にいらぬ、今直ぐ檜山城に籠るがよかろう。」

 「申し訳ございません! しかし力弱き国衆はそうするより他に生きる術が無いのでございます。」

 「ならば1度だけは許そう。」

 「我ら一同、天地神明に誓って2度と命に逆らいません!」

 「ならば証を見せよ、策略を使う事なく、武だけを持って檜山城を落とし、安東愛季の首を我が前に持って参れ。嫌ならば今からでも安東愛季と共に檜山城に籠られてもよし、己が城に戻って籠られても構わん。籠城の態勢が整うまで待ってやる故、今直ぐに出て行かれよ。一族一門全て根絶やししててくれる!」

 「我ら一同武士の面目に賭けて、安東愛季の首を御前に御持ちいたします。」

 俺の激を受けた安東を裏切った国衆は命懸けの城攻めを行った。それを支援するのは大宝寺一門・土佐林禅棟・由利十二頭等の出羽国衆で、表面上は最初から俺に味方していた者達だ。

 自分の直属軍を1兵も使わずに、安東愛季を檜山城に押し込めた俺はそのまま浅利武田家に向かった。当主を失った浅利家の一門家臣団に対して、後継争いをしていた頼治・則祐では無く、甲斐武田から嗣養子を提案して受け入れられた。このような状況下で俺に見捨てられることのを恐れたのだろう。

 俺の北上を知った南部軍は、得意の騎馬戦を主張する諸将を、武田鉄砲騎馬隊の破壊力を理解していた、陣代・石川高信と北信愛が抑えて秋田街道を撤退していた。しかしただ撤退した訳では無く、秋田街道沿いの要所の城砦を確保して、義信の南部領侵攻への防衛策は手堅く講じていた。

 俺は浅利家で参戦を希望する者だけを傘下に組み入れ、鹿角郡を荒らし回っている南部勢を討伐する為に進んだ。しかし野戦鉄砲戦で南部勢殲滅を目論んでいた俺に対して、南部勢は逸早く撤退し山岳部の峠での迎撃陣を構築していた。そこで俺は信濃武士団1500兵・近衛武士団1000兵・近衛弓足軽1000兵・近衛黒鍬輜重3000兵を鹿角郡に配置し、南部勢の再攻撃に備えさせた上で、鉄砲騎馬隊3500騎だけを率いて羽州街道を北上、矢立て峠を越えて津軽4郡に入った。

 この時津軽4郡の南部方国衆の主力軍は、石川高信の指揮で秋田街道から撤退しており、野戦で俺を迎撃することが出来ずに、老若男女の領民を城に集めて籠城戦を展開することしかできなかった。

 俺は病弱な大浦城主・大浦為則の代わりに出陣した、弟・大浦守信の居城・堀越城を攻め取る事にした。堀越城は400×500m規模の縄張りに水堀・土塁で本丸・二の丸・三の丸を守っているが平城で有るため、決して難攻不落とは言えない城だった。しかし歩兵を同行させず、騎兵の損耗も避けたい俺は、城主一門と城兵・領民の助命を条件に城明け渡しを勧告した。

 俺が津軽入りしたことを知った浪岡具統が、翌日手勢を率いて助勢にやって来た。

 「浪岡中将、よくぞ援軍に駆けつけてくれた、これで天下泰平を願われておられる帝の願いも適うことだろう。」

 「鷹司大将、微力ながら帝の願いを適える為に御手伝いをさせて頂きます。」

 浪岡勢の到着を知った城兵は、大浦守信の奥方と相談の上で城を明け渡した。城兵達には大浦城への安全な退去を鷹司左近衛大将・浪岡左近衛中将として約束した。俺と浪岡中将は連名で津軽郡の城砦に降伏勧告を行った。条件は城主を含む一門全員と城兵領民の助命と、三戸・八戸への退去の安全保障だった。その上で羽州街道と浪岡城への安全な行き来が出来る様に、経路上に有る城砦群の攻略を始めた。

 乳井薬師堂の乳井城主・乳井玄蕃(覚恩房)は、熊野系の修験寺・乳井福王寺の別当も務めており、南部家へも対抗していた。玄蕃は俺に仕える山窩・修験者の説得を受けて降伏臣従して来た。乳井玄蕃の降伏臣従をしった平川対岸の大仏ヶ鼻城(石川城)は、城主・石川高信が南部軍の陣代として主力を率いて出陣していた為、不安を抱えながらも領民を城に入れ、必死の籠城体制を取っていた。
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