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武田義信
揚北衆・出羽侵攻
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7月『越後・本庄城』
俺は電光石火の行軍で山之内一族を味方に引き入れて、返す刀で刈羽・揚北の諸将を完全に屈服させるため巡回を再開した。上条の乱・天文の乱・景虎の乱と打ち続く越後内の混乱でも、特に荒れた揚北衆には細心の注意が必要だ。
本庄城主・本庄繁長の父・本庄房長は、叔父・小川長資と大葉沢城主・鮎川清長に謀られ、城を奪われた衝撃で急死していた。忠臣達の働きで産まれたばかりの繁長が家督を継いだものの、実権は陣代となった叔父・小川長資が握っていた。俺はこれを正すべく本庄城を急襲、小川長資を捕えて斬首の上で本庄繁長を番長に取り立てた。史実では9月8日に父・本庄房長の13回忌と偽り、呼びだした小川長資を捕縛し切腹させた本庄繁長だが、今回は僅かに俺が早く行動した為に恩を売る事に成功した。
他にも長尾景虎と上洛した本庄実乃の栃尾城は接収し、一族家臣は扶持武士として召し抱えた。鳥坂城主・中条藤資と、高梨政盛の娘を妻に貰っていた嫡男・中条景資は隠居上洛させ、城と半知召し上げた上で次男・中条資興に跡を継がせた。本与板城主・直江景綱も隠居上洛させ、城と半知召し上げた上で弟の直江重綱に跡を継がせた。三条城主の山吉行盛と山吉豊守は隠居させ、行盛の次女に飛影が選び抜いた影衆を婿に迎える事で本領安堵とした。
俺は飛影が選び抜いた戦士と大熊朝秀に模擬戦をさせてみた、朝秀の武勇は抜きんでおり、先駆けに最適と判断した。
「朝秀よ、そちの武勇は衆に抜きんでおる。朱槍を与えるゆえ常に我の先駆けとして奉公すべし!」
「有り難き幸せ、この朝秀、命尽きるまで鷹司卿の先駆けとして働かせていただきます!」
箕冠城主・大熊朝秀は武勇を評価し、半知召し上げだが城の保有は認めた上で番長に取り立て、領地を取り返すべく働く様に声を掛けた。
景虎派だった国衆豪族は、当主が隠居上洛し足利将軍家に仕え、鷹司卿の忠臣を婿に迎えれば本領安堵と知り、武田家越後総代官・武田信廉に仲介求める家と、武田家・鷹司家との直臣化を求める一族一門に押し切られ、扶持武士化する家に分かれた。
8月『出羽・本城城』
俺は周辺諸氏の情勢を判断して出羽に討ち入る決断をした、大宝寺城主(鶴ヶ岡城)・出羽三山別当職・大宝寺義増(だいほうじよします)は勢力を著しく減退させ、一族や家臣に背かれていたが、重臣筆頭格で藤島城主・羽黒山の別当職・土佐林禅棟の後押しと本庄氏の助力を受けて辛うじて持ちこたえている状態であった。山窩の情報網と繋がりで、鷹司家の支配下に入る事で家中を纏められると土佐林禅棟が献策した様だ。俺は一気に反大宝寺勢力を駆逐、いつも通りの半知召し上げ扶持武士化と、新たに始めた婿養子押し込みを行った。
俺は庄内一帯(田川郡・櫛引郡・出羽郡・遊佐郡)を勢力圏にした上で足軽兵団を押さえに残し、出羽・平鹿郡に侵攻した。
小野寺家・第12代当主・小野寺稙道は天文15年5月27日、金沢八幡別当・金乗坊と横手城主・大和田光盛ら家臣により湯沢城に追い詰められて暗殺された。4男・小野寺景道は大宝寺義増の下に逃げ込み保護され、3年後に大宝寺一門の娘を正妻に迎えて支援を仰ぎ、由利郡の諸氏・稲庭城主など小野寺一門の支援を取り付ける事に成功、忠義の知将・八柏道為の働きも有り、金乗坊・大和田光盛を滅ぼし横手城を取り戻していた。
俺は大宝寺義増を支配下に置いた今が、小野寺景道を臣従させる好機と考えた。2万を超える兵力で平鹿郡・由利郡・雄勝郡・最上郡・豊島郡を席巻して国衆・地侍を威圧して回った。抵抗する国衆の城を、鉄砲と弓の支援を受けた盾装備の足軽・地侍で強襲、一気に攻め落として直轄領とした。この圧倒的な戦力と示威行為により、小野寺景道は臣従を誓った。
8月『越中・放生津城・主郭・武田信繁』
ジャンク船の購入と蝦夷派遣は上手くいった。今後も新造ジャンク船なら真珠で購入すると言う条件が好かったのだろう。あの後今日に至るまで、毎日の様にジャンク船が入港して来る。鷹司卿の指導で始められた、鮫の尾を干物にした物や、干鮑・鯣・干蛸・干海鼠、特に海鼠腸が高価に取引出来た。蝦夷に送った船に同乗した将兵は、米を対価に海藻・鮭・鰊などを干した物を買い集めることになっている。
更に鷹司卿の指導で、天草・オゴノリなどの紅藻を集めて粘液を凍結・乾燥する作業が行われた。無駄な苦役と越中の民は思っているが、古くから鷹司卿と苦楽と共にしてきた難民出身の将兵は、喜々として作業に当たっていた。儂も少し楽しみだ、いやかなり楽しみなのだ! 鷹司卿が豆腐を凍結させた氷豆腐を、初めて食べさせてくれた時の衝撃は忘れられない。あの独特の食感と吸いこんだ美味しい汁、一緒に煮た卵と干椎茸も美味しかった。思い出しただけで唾が湧き出す! あれも冬に凍結させる必要が有った。今回も凍結させるなら、驚くほど美味しい物が出来上がるに違いない。ああ、唾が止まらん! 氷豆腐をもっと美味しく食べる為には、蝦夷で採れた海草を干した物が必要と教わった。もっとジャンク船を購入せねばならん、中古船でも買い増ししていいと鷹司卿から許可を頂いた、佐渡侵攻時にも蝦夷派遣船を確保する為に、ジャンク中古船買い取り交渉を始めよう。
これは史実で江戸時代の明輸出の主力商品、俵物三品・煎海鼠・乾鮑・鱶鰭と俵物諸色・寒天・昆布・鰹節・鯣を参考にした物だ。
10月『信濃・諏訪城』
越後・陸奥山之内領・出羽大宝寺・小野寺領と騎馬隊の機動力で駆け回り、足軽兵団・扶持武士団の大兵力で威圧制圧城攻めを実施し、大きく勢力圏を広げた上で、雪深くなる前に諏訪城に戻って来た。すると九条簾中の、月のしるしがと止まっていると言う! 目出度いが不安だ! この医療の遅れた戦国時代では周産期死亡率は高いはず、俺の知る範囲で江戸時代の乳幼児死亡率は5割! 半分の子供が死ぬのだ! 最早戦どころでは無い、全力で母子の健康管理を行う。
俺は電光石火の行軍で山之内一族を味方に引き入れて、返す刀で刈羽・揚北の諸将を完全に屈服させるため巡回を再開した。上条の乱・天文の乱・景虎の乱と打ち続く越後内の混乱でも、特に荒れた揚北衆には細心の注意が必要だ。
本庄城主・本庄繁長の父・本庄房長は、叔父・小川長資と大葉沢城主・鮎川清長に謀られ、城を奪われた衝撃で急死していた。忠臣達の働きで産まれたばかりの繁長が家督を継いだものの、実権は陣代となった叔父・小川長資が握っていた。俺はこれを正すべく本庄城を急襲、小川長資を捕えて斬首の上で本庄繁長を番長に取り立てた。史実では9月8日に父・本庄房長の13回忌と偽り、呼びだした小川長資を捕縛し切腹させた本庄繁長だが、今回は僅かに俺が早く行動した為に恩を売る事に成功した。
他にも長尾景虎と上洛した本庄実乃の栃尾城は接収し、一族家臣は扶持武士として召し抱えた。鳥坂城主・中条藤資と、高梨政盛の娘を妻に貰っていた嫡男・中条景資は隠居上洛させ、城と半知召し上げた上で次男・中条資興に跡を継がせた。本与板城主・直江景綱も隠居上洛させ、城と半知召し上げた上で弟の直江重綱に跡を継がせた。三条城主の山吉行盛と山吉豊守は隠居させ、行盛の次女に飛影が選び抜いた影衆を婿に迎える事で本領安堵とした。
俺は飛影が選び抜いた戦士と大熊朝秀に模擬戦をさせてみた、朝秀の武勇は抜きんでおり、先駆けに最適と判断した。
「朝秀よ、そちの武勇は衆に抜きんでおる。朱槍を与えるゆえ常に我の先駆けとして奉公すべし!」
「有り難き幸せ、この朝秀、命尽きるまで鷹司卿の先駆けとして働かせていただきます!」
箕冠城主・大熊朝秀は武勇を評価し、半知召し上げだが城の保有は認めた上で番長に取り立て、領地を取り返すべく働く様に声を掛けた。
景虎派だった国衆豪族は、当主が隠居上洛し足利将軍家に仕え、鷹司卿の忠臣を婿に迎えれば本領安堵と知り、武田家越後総代官・武田信廉に仲介求める家と、武田家・鷹司家との直臣化を求める一族一門に押し切られ、扶持武士化する家に分かれた。
8月『出羽・本城城』
俺は周辺諸氏の情勢を判断して出羽に討ち入る決断をした、大宝寺城主(鶴ヶ岡城)・出羽三山別当職・大宝寺義増(だいほうじよします)は勢力を著しく減退させ、一族や家臣に背かれていたが、重臣筆頭格で藤島城主・羽黒山の別当職・土佐林禅棟の後押しと本庄氏の助力を受けて辛うじて持ちこたえている状態であった。山窩の情報網と繋がりで、鷹司家の支配下に入る事で家中を纏められると土佐林禅棟が献策した様だ。俺は一気に反大宝寺勢力を駆逐、いつも通りの半知召し上げ扶持武士化と、新たに始めた婿養子押し込みを行った。
俺は庄内一帯(田川郡・櫛引郡・出羽郡・遊佐郡)を勢力圏にした上で足軽兵団を押さえに残し、出羽・平鹿郡に侵攻した。
小野寺家・第12代当主・小野寺稙道は天文15年5月27日、金沢八幡別当・金乗坊と横手城主・大和田光盛ら家臣により湯沢城に追い詰められて暗殺された。4男・小野寺景道は大宝寺義増の下に逃げ込み保護され、3年後に大宝寺一門の娘を正妻に迎えて支援を仰ぎ、由利郡の諸氏・稲庭城主など小野寺一門の支援を取り付ける事に成功、忠義の知将・八柏道為の働きも有り、金乗坊・大和田光盛を滅ぼし横手城を取り戻していた。
俺は大宝寺義増を支配下に置いた今が、小野寺景道を臣従させる好機と考えた。2万を超える兵力で平鹿郡・由利郡・雄勝郡・最上郡・豊島郡を席巻して国衆・地侍を威圧して回った。抵抗する国衆の城を、鉄砲と弓の支援を受けた盾装備の足軽・地侍で強襲、一気に攻め落として直轄領とした。この圧倒的な戦力と示威行為により、小野寺景道は臣従を誓った。
8月『越中・放生津城・主郭・武田信繁』
ジャンク船の購入と蝦夷派遣は上手くいった。今後も新造ジャンク船なら真珠で購入すると言う条件が好かったのだろう。あの後今日に至るまで、毎日の様にジャンク船が入港して来る。鷹司卿の指導で始められた、鮫の尾を干物にした物や、干鮑・鯣・干蛸・干海鼠、特に海鼠腸が高価に取引出来た。蝦夷に送った船に同乗した将兵は、米を対価に海藻・鮭・鰊などを干した物を買い集めることになっている。
更に鷹司卿の指導で、天草・オゴノリなどの紅藻を集めて粘液を凍結・乾燥する作業が行われた。無駄な苦役と越中の民は思っているが、古くから鷹司卿と苦楽と共にしてきた難民出身の将兵は、喜々として作業に当たっていた。儂も少し楽しみだ、いやかなり楽しみなのだ! 鷹司卿が豆腐を凍結させた氷豆腐を、初めて食べさせてくれた時の衝撃は忘れられない。あの独特の食感と吸いこんだ美味しい汁、一緒に煮た卵と干椎茸も美味しかった。思い出しただけで唾が湧き出す! あれも冬に凍結させる必要が有った。今回も凍結させるなら、驚くほど美味しい物が出来上がるに違いない。ああ、唾が止まらん! 氷豆腐をもっと美味しく食べる為には、蝦夷で採れた海草を干した物が必要と教わった。もっとジャンク船を購入せねばならん、中古船でも買い増ししていいと鷹司卿から許可を頂いた、佐渡侵攻時にも蝦夷派遣船を確保する為に、ジャンク中古船買い取り交渉を始めよう。
これは史実で江戸時代の明輸出の主力商品、俵物三品・煎海鼠・乾鮑・鱶鰭と俵物諸色・寒天・昆布・鰹節・鯣を参考にした物だ。
10月『信濃・諏訪城』
越後・陸奥山之内領・出羽大宝寺・小野寺領と騎馬隊の機動力で駆け回り、足軽兵団・扶持武士団の大兵力で威圧制圧城攻めを実施し、大きく勢力圏を広げた上で、雪深くなる前に諏訪城に戻って来た。すると九条簾中の、月のしるしがと止まっていると言う! 目出度いが不安だ! この医療の遅れた戦国時代では周産期死亡率は高いはず、俺の知る範囲で江戸時代の乳幼児死亡率は5割! 半分の子供が死ぬのだ! 最早戦どころでは無い、全力で母子の健康管理を行う。
応援ありがとうございます!
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