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武田義信

第二次下向・越中侵食・ジャンク船購入の模索。

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 6月10日『越中国 古国府城 武田義信』

 ここで俺が越中侵攻出来た背景を語ろう。全ては信玄有っての事なのだ、先にも信玄が甲斐で今川・北条・関東管領上杉・村上・小笠原に備えていると語ったが、もし俺が信玄を殺したり追放したら、叔父達や彼らを担いだ国衆と血で血を洗う内乱となるだろう。内乱とならず従った振りをしていた場合、今回のような遠征をすれば、伊那を狙って留守中に反逆しただろう。史実でも甲斐の覇権を争って、穴山信懸は今川に組して武田信虎爺ちゃんと戦ってる。俺の守役・飯富虎昌ですら信虎爺ちゃんと争っているのだ。信玄から俺への権力交代は遅ければ遅いほどいいのだ、最低でも俺に子が出来て、その子が元服してからだ。
 
 次になぜ信玄が俺を殺して伊奈を手に入れないか、それは簡単だ、俺の家臣領民が反乱するからだ。たぶん飛影を頭に伊那を封鎖して戦うだろう、他の直轄城砦と連携しつつ信玄の首を執拗に狙うだろう、信玄が勝てるとは思わない。もし信玄が勝ったとしても、戦で伊那の生産力は失われているだろう。いや、逃げた者が信玄と敵対している大名家に移住して生産活動を再開するから、相対的には俺が産まれる前より甲斐は弱くなるだろう。

 飛影を初めとする俺の直臣衆が裏切らない訳も簡単だ、裏切り者は恩知らずと排除され、血で血を洗う権力闘争が始まる、大別すれば河原者と山窩の二大派閥だが、夫々の生産分野ごとに派閥や血縁集団が有る。戦うにしても逃げるにしても、もはや伊那の先進性は失われる、それでは他国に情報や技術が流れてしまい、自分達の有利が無くなり、伊那と言う楽園が崩壊することが明らかだからだ。

 結論は内部抗争は駄目と言う事だ。

 次に本願寺との抗争だが、俺は政教分離は絶対守らなければならないと思っている。いや宗教嫌いなのだ! 特にオウム真理教が業界の悪評を撒き散らしてから、東洋思想の施術を封印していた、その後何故俺が死んだのかは思い出せないのだが。戦前の国家神道も嫌いだし、ISなどは唾棄すべき存在だと思っている! その点織田信長の叡山焼き討ちなどには共感を覚えるし、本願寺の一向宗との闘争も賛成している。だから史実で本願寺に嫁ぎ如春尼となった、叔母さんの結婚妨害工作は前からしている、いや俺が縁談を進めている段階では、一切本願寺との婚姻話は出ていなかった。たぶん晴元伯父上が完全に没落し、三条公頼お爺ちゃんが大内の陶反乱に巻き込まれて亡くなってからの話だろう。俺が叔母さんの嫁ぎ先として画策しているのは、皇室への入内だ。俺の経済力なら、女院止まり、いや典侍しか置けない今の皇室で、叔母さんを皇后や中宮に薦めるとも可能だ。駄目なら五摂家・今川・北条当たりだ。

 結論は本願寺の一向宗との対決は不可避だが、先延ばしできるなら、出来る限り後回しにする、だが戦うからには必ず勝つ!

 越後で仕掛けた内乱について語ろう。謙信の長尾政景討伐は史実ほど進んでいない、いやむしろ苦戦している。俺が仕掛けた守護・上杉定実暗殺の噂が想像以上に効果が有ったのだ、実兄で先代守護代の長尾晴景も暗殺したとの噂が立ったのだ。これは2度の主君殺しで、国衆を掌握するには非常に不利だ。だが何故こんな噂が信じられたのか? それは父親・長尾為景の兇状に有る、主人である越後守護・上杉房能を攻め自刃に追い込み、報復の合戦を起こした房能の実兄で関東管領・上杉顕定と戦い敗死させているのだ! つまり実父が2度主殺しをしているのだ!! これに今回の主殺しの噂が重なって国衆の離反が止まらないのだ。越後では守護・守護代の2つの権力を争って血で血を洗う権力抗争が勃発している。

 ここで史実の謙信があれほど『義』を強調した謎の一端が窺える、『義』を強調し、それに即した行動をしなければ、越後の国衆を束ねる事が出来ない凶状持ちの家系なのだ。特に関東管領職に執着した理由も、父親の関東管領殺しのトラウマなのかもしれない。

 さてここで俺の謀略の影響を考えよう、親子二代に渡る4度の主殺し、足利義藤将軍は謙信に越後守護職を与えられるのだろうか? 関東管領・上杉憲政は謙信を頼って越後に落ちる事が出来るのだろうか? そもそも謙信は越後を統一できるのだろうか? 俺は前世の記憶で謙信と呼んでいるが、長尾から上杉への改名は無理な気がしてきた。

 新湊を確保した俺が、合戦と共に優先して行った事が真珠の販売だ。湊を確保したら水軍の確立と海上交易は最優先事項だが、その為には海賊衆を支配下に置くか、独自に設立しなければならない。安東水軍(能代水軍)・丹後水軍・輪島水軍から引き抜くと共に、小早船・関船・安宅船を建造して漁師に貸与し徐々に育成していく事だ。だが交易を優先に考えると、1年で北回り航路を1往復しかできない和船には限界がある。だからと言って南蛮船を建造する知識も能力も俺にはない。

 俺の知識を加えて改良建造可能な船は1000石弁財船、全長29m・幅7・5m・深さ2・4m・帆柱27m・帆の大きさ18m×20m・積載重量約150トンくらいだろう。だがこれでは1年1往復は覆せない、しかし明のジャンク船を購入出来たらどうだろう。ジャンク船は喫水の浅い海での航行に便利で、耐波性に優れ、速度も同時代の南蛮船よりも上で、帆は横方向に多数の割り竹が挿入されており、風上への切り上り性に優れ、1枚の帆全体を帆柱頂部から吊り下げているので、横風に対する安定性が同時代の南蛮船と比べ高く、もし突風が近づいた時も素早く帆を下ろすことを可能だったはず。ジャンク船なら日本海航路を1年で3往復可能だったと記憶している。

 依頼するジャンク船は、全長28m・幅7・5m・深さ3・3m・帆柱27m・帆の大きさ18m×20m・積石数1500石以上の交易船タイプと、全長35m・幅9・4m・深さ4・2m尺・帆柱34m・帆の大きさ23m×25mの戦闘艦タイプを依頼した。

 問題は取引の安全性と支払い方法だった。欠陥船だと大問題だし、買ったはずの船を船員に奪われても最悪だ、明国海賊相手だとそれぐらいの警戒は必要だ。支払いの対価は食料品や奴隷は問題外! 金銀銅貨は手元に残して置きたい、と言う事で淡水真珠の登場となる。博多商人や堺商人を通じて事前交渉していたが、交渉の結果淡水真珠1個を金貨1両と同等の扱いとなった。交易船ジャンクは淡水真珠1500個、戦闘艦ジャンクは淡水真珠2500個で話が付いた。

 京から飛騨・桜洞城に入られていた第1次公家下向衆は、信濃伊那・吉岡城に移動されこの世の春を謳歌されている。駿府の今川義元の下に遊びに行く公家衆もおり、関料無しで商品の移動売買が出来る商人が、盛んに吉岡城と今川館の移動を後押ししている、俺が想像していた以上に伊那と駿河の交流が盛んになっている。

 第2次公家下向衆は、雪解けには飛騨路に入れるように京を立っている。今回も晴元伯父上に軍資金を提供して護衛の足軽を集めて頂いた。武田足軽3000兵用に2万貫文・晴元伯父上足軽3000兵用に2万貫文、指揮官に畠山在氏殿を指名した。この軍資金と兵力で伯父上は三好長慶と拮抗できるのだろうか?


6月11日『越中国 古国府城 武田義信』

 俺は周辺国の情勢を判断して、白岩川・上市川流域に勢力を持ち神保氏張に属していた、土肥政繁(どいまさしげ)の討伐を一向宗より優先した。謙信が動けない間に越後国境線まで攻め取る! 一向宗・元神保勢の一斉蜂起した場合を考慮して、対応出来るようにに守備兵を配置した上で出陣した。降伏臣従した越中国衆を先陣に土肥方城砦を猛攻、弓庄城・堀江城などを攻め落とす。

 土肥政繁は抗しきれずと判断して逃亡、松倉城の椎名康胤を頼って落延びた。降伏して来た土肥家来衆も軍に加えて北上、要塞堅固な松倉城と支城群を囲んだ。1カ月の攻防で松倉城と支城群を落城させた。思っていたより少ない損害で済んだ。手柄を立てた家臣にはそれに見合う褒賞銭をばら撒いた、さらに扶持銭支給と子弟一門の取り立てをした、取り立てた子弟一門は扶持武士団に組み込んだ。切り取った越中の土地は、古くからの直臣(元難民)や甲斐・譜代衆出身の近習に与え、越中国内に武田家臣を根付かせる政策を取った。

 越中攻略の損害が少なくなったのは、この1カ月の間に畠山在氏殿と3000兵が援軍として飛騨から越中に入らからだ。第2次公家下向衆を護衛して飛騨に入った畠山在氏殿は公家衆と別れ、越中援軍として来られた。俺は彼の畠山の名跡を利用した、その為に援軍の指揮官として細川晴元伯父上に畠山在氏殿を指名したのだ。武田には降伏できなくても、畠山になら降伏し易い。武田には臣従できないが畠山になら臣従できる、そういう越中衆には畠山在氏殿に付き従い上洛してもらう。その方が武田の越中統治が楽になる、その為の軍資金は惜しまず大盤振る舞いする。

 越中攻略の最初から行えばよかったのだが、思いついたのが冬で、第1次公家衆下向に間に合わなかった。それに最初は圧倒的武力を見せなければ交渉が不利と判断したからだ。畠山在氏殿にしても3000兵を率いて飛騨に入れば、普通は飛騨切り取りの野望が内心芽生えるだろう。だが素直に越中で兵を集めれば毎年2万貫文の軍資金支援を約束されたら別だ、飛騨を一時的に制圧できたとしても3万石、でも直ぐに俺と信玄の挟み撃ちに会い袋叩きにされる。ならば毎年2万貫文支援してもらい、越中で兵を集めて山城と河内半国の奪還を目指す方が好い。

 俺と畠山在氏殿は越中を巡って降伏勧告した。武田に付いて越中に残ったら本領安堵、敵対すれば滅亡、畠山在氏殿に付いて上洛すれば本領と同じ扶持を保証。だが国衆は強かだ、武家の体面と実利を得る為に一族で武田派と畠山派に分かれたのだ。軍役の動員が減るため本領は少し削られるが、当主や後継者が少数の畠山派を率いて上洛する事にしたのだ。畠山在氏殿と能登の畠山義続の勧告で武田に降伏、畠山家復興の上洛兵を整える体裁を取ったのだ。

 本来なら殺し合って互いに磨り潰したはずの将兵が残った、本願寺の一向宗以外は制圧できた。その上で越後からの介入を防ぐため、宮崎城・元屋敷城・明石城・扇山砦・上百山砦・横尾城を直轄城として増築強化した。
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