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海外雄飛

嫡流の苦悩

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1567年8月:中国東北部・吉林郊外・ウラ城近郊・武田軍本陣:武田左馬助信豊・遠藤喜右衛門直経:遠藤直経視点

「敵に動きはありませんか」

「大丈夫でございます。敵にも軍略をわきまわた者がいるようで、兵部卿を追撃して背後に隙を見せるような真似はしませんでした」

「大きく迂回しているようなことはありませんか」

「野人女真と武田家の物見に加え、影衆にも探らせていますが、我が城を警戒する部隊と、ウラ城を守る部隊に分かれただけで、迂回攻撃を画策している様子はありません」

「両部隊を併せても、当初の女真軍より減っているように思うのですが」

「物見はそれほど奥深くまで入り込めなかったですが、此方に内応している女真族と影衆の報告では、ホイファ城やイェヘ城など、それぞれの居城の戻った部族も多いそうです」

「父上の奇襲を警戒したのですか」

「はい。我々が迂回攻撃を警戒しているように、女真族も迂回攻撃を受ける事を警戒して、残った我らと対陣する兵力を減らしたようでございます」

「喜右衛門殿が言うように、軍略をわきまえた敵がいるのですね」

「はい」

 左馬助殿も若干19歳で5万500の留守軍を任されて大変だ。

 元服を済ませた武士で19歳ならもう一人前で、大将を任される覚悟くらい出来て当たり前と言う者もいるかもしれんが、預けられた5万5000の命ばかりだけでなく、分かれた3万5000騎の命も、沿海州に残った4万1000兵の命も預かっているのだ。

 思い上がった愚か者でもない限り、自分の指揮一つで13万余の命と、その家族に不幸を与える重みに圧し潰されそうになるだろう。

 父親である兵部卿と別れて戦うことになったとしても、別動隊を預けられるのは5つ年上の兄・左衛門佐殿だと思っていたのだろう。

 確かに左衛門佐殿の方が実戦経験も人生経験も豊富で、5万余の軍勢を預かるのに相応しいかもしれない。

 だが残念ながら左衛門佐殿は庶子であり、望月家の家督を継ぐ立場だ。

 いくら実力優先の武田家とは言え、降伏した大名国衆で寄せ集められた配下の者達の中には、嫡流と庶流で忠誠心の変わる愚か者も多い。

 まして信鷹殿下を本国に追い返した直後で、配下に対する心理的影響も大きいから、今は左馬助殿に踏ん張ってもらうしかない。

 ここは少し励ましておくしかない。

「左馬助殿。御存知のように、私は諸王太子殿下が差し遣わした軍監であると同時に軍師でもあります。信鷹殿下が優秀ならば、そのまま軍師として仕えて功名を稼がせる予定でしたが、今回は残念ながら軍監として追い返す役目になりました」

「そうでしたね」

「そして信鷹殿下を追い返した場合には、そのまま兵部卿にお仕えして女真を倒せと、諸王太子殿下から申し付かっておりました」

「そうでしたか。では何故ここに残られたのですか。そうか。この城の本当の大将は喜右衛門殿なのですね。私はお飾りに過ぎないのですね」

「左馬助殿。今から不遜な事を申しますが、御聞き願えますか」

「聞かせて頂きましょう」

「先の島津との一戦で、配下の者達の献策を取り上げ、戦いに勝った諸王太孫殿下をお飾りと申されますか」

「そんな事は申しません。優秀な配下の言葉を聞き入れる、度量の大きな方だと思います」

「では信鷹殿下はお飾りだと思いますか」

「それは・・・・・」

「信鷹殿下はお飾りにも成れない幼い御方でございました」

「喜右衛門殿」

「左馬助殿がお飾りにも成れない幼い御方なのか、それともお飾りとして武田軍を勝利に導き、皆からは英明な大将と思われるのかは、配下の前で我慢が出来る胆力があるかどうかだけでございます」

「胆力があれば英明な大将になれるのか」

「攻めるべき時まで我慢して動かない胆力。佞臣共の讒言に耳を傾けない胆力。愚か者共の愚策に踊らせれらる事のない胆力さえあれば大丈夫でございます」

「だが孫子には『兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを賭ざるなり』とあるが、動くべき時に動かないと問題があるのではないか」

「それも胆力でございます。その時に自分に問うのでございます。今自分が動かないのは、戦いを恐れて居竦んでいるのではないのかと。そして更に問うのです。今自分が出陣しようとするのは、臆病者と思われるのが嫌で、そこから逃げるために、我慢すべきところを逃げ出しているのではないのかと」

「動くにしても動かないにしても、胆力がなくて逃げるのが駄目なのですね」

「それに日頃から常在戦場の気持ちで家臣と接していれば、誰の言葉に耳を傾けるかは自ずと分かります」

「なるほど。諸王太子殿下と父上が信じた喜右衛門殿を、私も信じて逃げたい気持ちを抑えるのが正しのですね」

「配下の命と、配下の帰りを待つ家族達の切なる想い。それを己の失策で踏み躙るかもしれない、歯の根も合わないくらいの震えを抑える胆力が必要なのです」

「喜右衛門殿もそのような恐怖を感じた事があるのですか」

「若くて思い上がっていた愚かな私は、諸王太子殿下に破れるまでは恐怖を知りませんでした。いえ、今もそれほど怖いと思う事はありません」

「では今の話は嘘を申されたのか」

「そう怒られるな。嘘を申した訳ではありません」

「しかし恐怖を胆力で抑えろと申されながら、自分は恐怖を感じたことが無いと申されたではありませんか」

「諸王太子殿下でございますよ」

「諸王太子殿下ですか」

「はい。諸王太子殿下が申されたのでございます。自分を信じて付いてきてくれる家臣達の命の重みを感じる度に、骨から震えるほどの恐怖を感じると申されました」

「あの諸王太子殿下がですか」

「はい。普段はあれほど泰然自若のように見せかけておられる諸王太子殿下が、どれほどの小さな合戦であろうとも、配下の命を失う恐怖に震える想いをなされているそうでございます」

「そうなのですか。そうなのですね」

「はい。信鷹殿下の傅役を任されている影衆も、諸王太孫殿下の傅役を任されている影衆も、女真の支配地奥深くまで探りに入っている影衆も、皆そのような諸王太子殿下の側近くに仕えてきたからこそ、憎まれることも厭わず、命を惜しむこともなくお仕えしているのでございます」

「そうだったのですね。ならば喜右衛門殿もそう言う諸王太子殿下の姿を見てこられたのですね」

「はい。近江で諸王太子殿下に敗れ、家臣の端に加えていただいて以来、影衆の1人として多くの事をお教えいただきました」

「では喜右衛門殿、私にもそれを教えていただけますか」

「御任せ下さい。諸王太子殿下からも兵部卿からも、全てを伝えるように申し付かっております。そこでまずは今宵夜襲を仕掛けましょう」

「夜襲ですか」

「内応を約束している女真族からの話では、無理矢理前線に立たされている女真族の多くが、自分達の遊牧地に戻りたいと文句を言っているそうでございます。ここで夜襲をしかければ、これ幸いと逃げ散ると申してきました」

「喜右衛門殿の事ですから、確認はされたのですね」

「はい。影衆からも同じ返事がきましたし、味方に付いた野人女真に確認したところ、前線に出ていない他の女真族に家畜を奪われることを恐れているだろうとのことです」

「なるほど」

「それに加えて今回の我らとの戦いでは、全く略奪に成功しておらず、哈達国の王台と烏拉国の族長の信望が落ちているそうです」

「そうか。好機なのだですね」

「そこで少数精鋭で夜襲を仕掛けます」

「私はここに残るのが勇気なのですね」

「はい。よく分かって下さいました」

「先程からあれほど胆力が大切と言われてきたのだ。ここで出陣すると言えば馬鹿丸出しでしょう」

「それでも夜襲の先陣をきると申す愚か者もおるのですよ」

「猪武者は何処にでもいるのですね。それで人選はすんでいるのですか」

「はい。御任せ下さい」

「まさかとは思いますが、喜右衛門殿が出陣することはありませんよね」

「夜襲に手慣れた者に大将を任せております。御安心下さい」

「喜右衛門殿と一緒に、諸王太子殿下が差し向けてくれたのですね」

「出来る事なら、1人の配下も死なせたくないと、諸王太子殿下は思っておられます」

「そうなのですね。分かりました。後はお任せします」

「は」
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