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第二章

第37話:慈愛と冷徹

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「伊之助、叔父上が望まれた条件の女性が見つかったというのは本当か?」

「はい、子持ちの後家さんですが、読心術と合図に長けた女性は見つかりました」

「叔父上が奥に渡るきっかけになってくれればいいが……」

「見目麗しいとはとても言えませんし、年も若いとは言えません。
 それに、子供と別れるのは絶対に嫌だと言っています。
 そもそも、読心術と合図ができるようになったのも、子供が西之丸様と同じだったからです」

「子供の言いたい事を分かってやりたい一心で一部とはいえ修羅の行を学んだのか。
 そのような母親に、子供と離れて奥勤めをしろとはとても言えないな」

「はい、それに、意地悪な奥女中に虐められてまで奥勤めする義理はないと……」

「確かにその通りだな。
 同じ修験者の縁で頼むのなら限界がある。
 本丸や西之丸の奥に陰湿な虐めがある事は私も聞き及んでいる。
 将軍家や清水家の権力で無理矢理奉公させて、奥の虐めで死傷するような事があれば、私は一生その罪を背負って生きなければならぬ」

「最初は吹上御所か清水家の奥に子供連れで奉公させて、西之丸様が気に入られるようでしたら、西之丸の奥勤め全員に暇を取らせてはいかがですか?」

「……私も考えている事がある。
 上様と父上の許可を得なければいけないが、まったく可能性がないわけではない。
 お預かりしている金子を使う事になるが、叔父上の事だけでなく、天下の事も考えて許可して頂けると思う」

 ★★★★★★

 新之丞が提案し、祖父の吉宗が許可し、父親の家晴が断行した幕府改革。
 軌道に乗せるには内外の抵抗が大きかった。

 だがそれでも、田安宗武と尾張宗春の断罪を思えば、表立っては逆らえない。
 陰湿に裏で抵抗するしかないのだが、そのような者は次々と御家断絶や強制隠居に処せられていった。

 そんな殺伐とした状況でも冠婚葬祭は普通に行われる。
 子供も状況に変わりなく生まれてくる。
 いや、無事に生まれる事で状況が一変する事もある。

 新之丞と聖珊女王の間に長男竹千代が誕生した。
 父親の家晴に五男寅五郎が誕生した。

 子供が無事生まれてきたのは、在家信者の名人産婆のお陰だろうか?
 或いは、多くの子供を早世させずに育て上げた在家信者を、奥に抜擢登用したからだろうか?

 どちらにしても、吹上御所と清水屋敷を中心に千代田のお城が祝賀気分に浮かれたのは当然だった。

 二人が無事に育てば、小姓として幼少の旗本子弟が取立てられる。
 御三卿のように半独立する事になれば、足高の得られる役職が増える。

 部屋住みの次男以降なら、独立して別家が立てられる。
 部屋住みの嫡男なら、最高300俵の切米が支給される。
 気に入られて栄達する事がなくても、十分美味しいのだ。

 そんな幕臣以上の大喜びしたのが、将軍吉宗だった。
 廃嫡にしたい家重には子供がおらず、新たに嫡男に据えたい家晴には四人もの男子がいて、嫡孫にも男子が生まれたのだ。
 障害ではなく後継者のあるなしで嫡男の座を変更する事ができる。

 新之丞と家晴は喜ぶ吉宗の間隙を突いた。
 自分達の罪悪感を少なくするために、親子で吉宗の説得に当たった。
 特に新之丞は命懸けの策を断行する許可を求めた。

「上様、叔父上の新しい愛妾を正式な側室として認めてください」

 直接交渉するのは、子供よりもかわいい孫、それも初孫の新之丞だ。

「無理を申すな。
 百姓町人と言うだけならば、誰かの養女にして側室にする事もできる。
 だが、幾ら何でも子持ちの後家と言うのは無理だ」

「上様、上様が手本とされた東照神君は、子持ちの後家を殊の外愛され、異父兄を子供達の無二の側近とされましたぞ」

「しかし、その異父兄の中に家重と同じような者がいるではないか」

「だからこそでございます、上様。
 父上や私は叔父上と心を通わす事ができていますが、それでも、真の苦しみまでは理解して差し上げられません。
 ですが、義子となる者は叔父上の苦しみを共有できるのです。
 側室となる女は、我が子と同じように叔父上を慈しんでくれます。
 叔父上から将軍位を奪う事になる我が親子に、それくらいの礼はさせてください」

「……お前達に家重への詫びだと言われては、これ以上反対はできないな。
 だが、だったら年内にきっちりと形を付けてもらう。
 家晴には西之丸に入ってもらい、その代わり家重には清水屋敷に入ってもらう」

「その件なのですが、叔父上には別の家に入って頂きたいのです」

「別の家だと?!
 三卿家以外にもう1つ家を興すと言うのか?!」

「そうではありません。
 ただ、どうしても取り除きたい一族がいるのです。
 この命に代えても、滅ぼしたい怨敵でございます。
 我ら家族を争わせ、滅ぼしてでも将軍位を手に入れようとした不義不忠者です」

「怨敵を滅ぼしたいと言う新之丞の気持ちは分かった。
 だが、そのために命を賭けると言うのは聞き捨てならぬ。
 大将が討たれてしまっては負け戦だ。
 その身を危険に晒さない方法を考えよ!」

 ★★★★★★

「伊之助、もう辛抱溜まらぬ。
 どうにか城下に降りる方法はないか?」

「今暫らく我慢してください」

「いや、もう辛抱溜まらぬと言っているではないか!
 鷹狩りも駄目、中屋敷や下屋敷に遊びに行くのも駄目!
 私が行っていい場所は、千代田のお城の中だけだ!
 もう息が詰まって誰かに八つ当たりしてしまいそうだ!」

「それは、お世継ぎが御一人だけなのが不安だからではありませんか?
 もうお一人、男子を儲けられたら、跡継ぎの問題も解消され、鷹狩りや日光参拝くらいなら許してもらえるのではありませんか?
 それに、八つ当たりしそうだと言われますが、もう私に八つ当たりしています」

「ふん、俺が何も気にせずに八つ当たりできるのは、洟垂れ小僧の頃から知ってくれている、伊之助達だけだ」

「まあ、それが分かっていますから、黙って当たられているのです。
 私も殿と新之丞様の手前、城下に降りられなくて苛立っているのです。
 いい加減、連中を罠に嵌めてやりましょう」

「いい手を考えてくれたのか?」

「はい、新之丞の影武者を使って連中に襲撃させるのです」

「馬鹿者、家臣にそのような危険な真似をさせられるか!」

「新之丞様は、家臣にもさせられないような、危険な事を御自身でなされる気だったのですか?!」

「いや、十分な警護を揃え、伏兵も置き、万全の状態で迎え討つから危険などない」

「その危険のない役目を影武者にさせて何が悪いのですか?」

「それは、上に立つ者の責任としてだな……」

「大将が討たれたら戦に負けるのに、それでも危険を冒す責任とは何なのですか?!
 親の心子知らずという言葉を御存じですか?!
 竹千代様が新之丞様と同じことをすると申されたら、どう返事されるのです?! 
 少しは上様と殿の御気持ちがわかりましたか?」

「分かった、分かったからもう止めてくれ。
 胸が痛すぎて辛い」

「では、罠の件はどうなされますか?
 実行されますか?
 それとも別の手段をお使いになられますか?」

「もう一度危険がないか検討する。
 伊之助にも父上にも確認してもらう。
 その上で、安全だと分かったら罠をしかけよう」

「承りました。
 もうすでに検討していますから、明日にでも実行したしましょう。
 その際に決定的な証拠をつかみます。
 一度で証拠をつかめなければ、二度三度と証拠がつかめるまで何度でも罠をしかければ、必ず決定的な証拠をつかめます」

「分かった、私は決定的な証拠がつかめるまで、姫宮の所で待っているよ」

「新之丞様、別に嫡男が長男でなければいけない訳ではないのですよ。
 次男三男が同じ年の生まれでもいいのですよ」

「不吉な事を申すな!
 万が一にも竹千代が夭折するような可能性を口にするな!」

「申し訳ありませんでした。
 ですが、幕臣の間では、正室の子が生まれるまで、側室の子の出生を届けないのはよくある事だそうです。
 男子が沢山いれば、連中を取り除いて直ぐに城下に降りる事も可能です。
 新之丞様が心待ちにされている、長屋で羽を伸ばす事も可能ですよ。
 竹千代様に城下の生活を経験させたいと言う願いも叶うかもしれません」

「……その側室の性根が腐っていたら、今穏やかな奥が醜い後継者争いで乱れてしまうのではないか?」

「房殿ならばその心配がいらない事、新之丞様も御存じですよね?
 子持ちの後家がいいと上様に勧められたのは新之丞様ですぞ。
 それに、房殿も待ち望んでいるのではありませんか?」
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