裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全

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第二章

第34話:密偵と勝手向き

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 無事に千代田の城に下向した聖珊内親王は新築された吹上御殿に入った。
 新之丞は正式な婚姻が結ばれるまでは清水御殿にいた。
 宗哀改め家晴も清水御殿にいた。
 家重はこれまで通り西之丸にいた。

 家晴、新之丞、家重が吉宗に呼び出され、尾張徳川家の命運を決めたのは、この状態の時だった。
 そしてその場で新之丞の爆弾発言が投げ込まれたのだ。

「上様、父上、叔父上、私と内親王殿下を東浜御殿で襲った鯨船は、紀州徳川家の手配した船でした」

「「「なに?!」」」

 吉宗、家晴、家重の3人がほぼ同時に驚嘆の声を上げた。

「表向きは京大阪の商人に貸した事になっていますが、実際には藩主宗直の意向を汲んだ側近によって襲撃者に貸し与えられています。
 宗直の意を汲んだ側近は、以前にも山城守殿を謀殺しています」

「待て、待つのだ新之丞。
 それは、宗直が兄を殺させたと言うのか?!」

「西条藩を継ぎたいがために、父を唆して兄を廃嫡にしたばかりか、上様に知られないように謀殺したのです」

「……新之丞、これはとても重大な事だぞ。
 軽々に口にしていい事ではないのだぞ。
 分かっているのか?!」

「長年父上と共の修験道を鍛錬した者達が紀州に戻って調べた事でございます。
 もし間違いがあったなら、この腹掻っ捌いて責任を取らせていただきます」

「そこまで確信があるのか……」

「私を殺し、父上と叔父上を争わせ、生き残った方を一橋の叔父上に殺させる。
 そして一橋の叔父上を兄殺しとして断罪する。
 そうすれば自分か自分の子供に次の将軍職が回ってくると考えたのでしょう。
 だから私と内親王殿下を東浜御殿で襲わせたのです。
 そうすれば尾張徳川家に疑いが行きますから」

「だがそれでは何故大津宿で襲撃したのだ?
 尾張徳川家を陥れるのなら、大津宿の襲撃は余分であろう?」

「それは実行犯が田安家と古河藩本田家、佐倉藩松平家の残党だからです」

「なに?!
 小次郎が加担していると申すのか!?」

「田安の叔父上が加担していたのか、元家臣達の独走なのか、それは私にも調べた修験衆にも分かりませんが、元家臣達が加わっているのは確かです」

「おのれ小次郎、一度ならず二度までも兄弟や甥を殺そうとするとは!」

 吉宗が憤慨する前で、家晴が気になった事を新之丞に確認した。

「新之丞、佐倉藩松平家の残党と言うのは何者だ?
 松平左近衛将監は改心したのではないのか?」

「松平左近衛将監は改心していますが、左近衛将監を操って幕政を私しようとしていた連中が、罪を暴かれ逃げ出す事になったのを恨んでいるのです。
 私を殺して恨みを晴らすと同時に、叔父上か宗直を操って、天下を私しようとしているのです」

「何だと、あの時の連中もしつこく新之丞を狙っておると申すのか?!
 許さん、絶対に許さんぞ!
 草の根分けても探し出し、素っ首刎ねてくれる!」

 普段とても温厚な吉宗にしては珍しく怒りを露にしていた。
 それだけ新之丞を愛し期待しているのだろう。
 或いは、才が有ると期待していた宗武の愚行に絶望しているかだ。

「上様、田安の叔父上の事は放っておけばいいと思います。
 実際に関わっている証拠がありませんし、残党が利用しようとするだけで、実質的な力は皆無に近いです。
 ですが問題は紀州の宗直です。
 宗直には御三家の格と五十五万石の戦力があります。
 これに尾張藩と外様雄藩が加担すれば、天下が乱れてしまいます」

「先ずは尾張藩にしっかりとした首輪をつけて、宗直に同調させないのだな?」

「はい、御三家の2つが協力するのだけは防がなければなりません。
 それに、私が言う事を鵜呑みにして頂いては困ります。
 私が騙されているかもしれませんし、私が謀略をしかけているかもしれません。
 上様の信頼できる者たちに調べさせていただきたいのです」

「元紀州藩の御庭番や、水野対馬守の事を申しているのか?」

「水野対馬守殿は上様が将軍に成るために粉骨砕身の働きをした忠臣でございます。
 かの御仁ならば、上様を偽るようなことは絶対にありません。
 私が間違っていたとしても、佞臣に騙されていたとしても、水野対馬守殿が正してくれる事でしょう」

「……分かった、余も独自で調べて、真実を明らかにする。
 もし本当に宗直が余の信頼を裏切っていたとしたら、この手で首を刎ねてやる!」

 ★★★★★★

 吉宗は万が一の事が無いように慎重に尾張藩の処罰を粛々と進めていた。
 同時に将軍として御庭番を使って紀州藩の内部を調べさせた。
 元紀伊藩主としても信頼できる紀州藩士に内部を調べさせていた。

 吉宗がとても時間のかかる事をしている間に、将軍名代と皇女殿下の行列が襲われると言う、前代未聞の大事件で遅れに遅れていた行事が次々と消化されていった。

 二月早々に新之丞と聖珊内親王の結婚が盛大に行われた。
 三百諸侯とお目見え以上の幕臣が、皆心から祝ってくれた。
 
「吉継様、不束者ではございますが、幾久しく可愛がってやってください」

「私の方こそ宜しく頼む。
 死が二人分かつまで、共に手を取り合って助け合い、苦難に立ち向かっていこう」

 二人だけの新婚初夜を迎えたと言いたいところだが、新之丞は次の次の将軍と目されているから、聖珊内親王が皇室から幕府に不都合な願い事を託されることが無いように、見張りがつく。

 性交の時すら二人切りになれなくなったのが新之丞だ。
 二人が眠る二つの布団は北枕に敷かれていて、新之丞の布団は東側、聖珊内親王の布団は西側に敷かれている。

 新之丞と聖珊内親王が並んで眠る布団の外側にも布団が敷かれ、二人の奥女中が添い寝する。

 指南役として後家や出産経験のある奥女中が務めるが、初夜くらい好きにさせてくれと言うのが新之丞の本心だった。

 部屋の外には夜伽坊主が待機している。
 可哀想なのは尼僧から夜伽坊主にさせられた聖珊内親王の側仕えだ。
 何が哀しくて他人の性交を見張らなければいけないのだ。

 ★★★★★★

 聖珊内親王の体調と皇室の影響排除を最優先に子作りが行われていた。
 皇室の悪影響は、朝廷が付けようとした奥女中を、新之丞が下向直前に強権で排除したことがよかった。
 新之丞と聖珊内親王の夫婦仲はとてもよかった。

 三月三日には念願の鶏合わせが吹上御殿で行われた。
 吉宗将軍は勿論、父親の家晴も叔父の家重も参加した。
 これから毎年行われる将軍家をはじめとした武家の公式行事となった。

 一年に一度だけ公式に認められた賭博である。
 御前試合で勝ち残った軍鶏の持ち主には将軍から金一封が下された。
 金子以上の名誉が与えられたのだが、事前に準備できた清水家が栄誉を受けた。

 これにより幕臣も陪臣も堂々と屋敷内で軍鶏を飼う事ができるようになった。
 採種できる卵も鶏肉も堂々と食べられるようになった。
 中間や下男に下賜するという建前で売る事も黙認された。

 下級幕臣が扶持だけでは生活できず、組毎に集団で内職しているのは、公然の秘密だった。

 青山町に組屋敷がある甲賀鉄砲百人組は、青山傘と呼ばれるほど有名な傘を内職で作っている。

 牛込弁天町に組屋敷がある根来鉄砲百人組は、提灯張りを内職にしている。

 千駄ヶ谷に組屋敷があった伊賀者達は、虫籠を作るだけでなく、虫籠に入れる鈴虫やコオロギの養殖を内職としていた。

 このように有名になるくらいの内職ができる下級幕臣はまだいい。
 問題は内職もままならない下級幕臣達の勝手向きだ。
 内職を始めてもまだ勝手向きの足しになっていない下級幕臣がとても多い。
 このままではいざ鎌倉と言う時に戦える幕臣がいなくなってしまう。

 軍鶏の卵を売る事ができたら、1個二十文の値が付く。
 二十羽の軍鶏を飼い、二日に一度卵を産んでくれたら、毎日10個の卵が採れる。

 毎日二百文の日銭が入る事になる。
 旧暦の一年三百六十日だと、七万二千文に成る。
 一両五千文が相場だから十四両もの収入になるのだ。

 三十俵二人扶持の同心だと石高で言えば十六石になる。
 一石一両で売れるとしても、十六両にしかならない。
 卵代が年十四両になるのなら、年収に匹敵するのだ。

 清水徳川家は増えた軍鶏を下級幕臣に組単位で下賜して育てさせた。
 下賜した羽数は返却させたが、その軍鶏を他の下級幕臣に下賜するのだ。
 理想通りに行けば、下級幕臣の年収が倍増するのだが、問題は餌の確保と増えた軍鶏肉と卵が暴落しないかだった。

「上様、勝手向きが苦しい下級幕臣の為に、武士の体面を保つ事ができて、武芸の鍛錬にもなり、合戦に近い経験ができる方法を考えました。
 それを伝える為に城下に降りたいのですが、許可頂けますでしょうか?」
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