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第二章

第33話:謀叛

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「何事でございますか?」

 正月の行事がある程度終わった頃、家晴、新之丞、家重の3人は将軍吉宗に急に呼び出され、中奥にある御休息之間にいた。
 この部屋に呼び出されるという事は、極々内輪に話だと言う事だった。
 或いは、政策を決定する前に話し合いをするのかもしれない。

「うむ、とんでもない事が起こってしまったのだ、天一坊」

 吉宗は家晴と家重を官職で呼んでしまうと同じ大納言なので、家晴を修験者時代の通称名で呼ぶようにしていた。
 だがそれは家晴を疎んじている訳でも蔑んでいる訳でもない。
 もしそうなら、3人の中で家晴に返事をする訳がないのだ。

「我ら3人を私室に呼び出し内々の話をされるのです。
 老中にも相談できない大事なのは分かっています」

 家晴だけでなく、家重も吉継も真剣な表情で2人の会話を聞いている。
 もっとも家重だけは、脳性麻痺による歯軋りと顔面麻痺による顔の歪みがあって、家晴と吉継以外には色々と誤解されてしまうのだが、今は極親しい家族だけなので大丈夫だった。

「うむ、正直どのような落としどころにするか迷っておる。
 それほど天下を揺るがす一大事なのだ」

 果断な吉宗が決断できずに次代を担う3人に意見を求めるほどの一大事だ。
 処断次第では、次代にまで大きな影響を及ぼす事なのだろう。
 3人は黙って吉宗が続きを話すのを待った。

「実は、尾張藩で謀叛があった。
 竹腰を中心とする領内の重臣共が尾張領を掌握し、今まで宗春が発した政策は全て無効だと言っておるのだ。
 謀叛人共の言い分を認めて宗春を処断すべきか、或いは主君に背いた罪で謀叛人共を処断すべきか、3人の意見を聞きたい」

 家晴、新之丞、家重の3人は顔を見合わせ、家晴が話し始めた。

「まず最初に、上様は既にどうするか決めておられると思います。
 尾張にいる重臣達を謀叛人と申されました。
 それが全てでございます」

「うむ、確かに余の本心は主君を裏切った家臣を処断したいと思っている。
 だが同時に、余の政策に逆らう宗春を処罰する好機だとも思っておる。
 どちらを優先すべきか、迷っておるのだ」

「我らの事を気にしておられるのなら、お気遣いは無用でございます。
 我らの内の誰が将軍位を継ぐにしても、残された者は粉骨砕身将軍となった者を手伝うと約束しております。
 無理に宗春殿から尾張藩主の座を奪う必要はありません」
「……」
「ご安心ください、上様」

「3人がそう言ってくれるのなら、憎き謀叛人共を処断してくれる。
 あの連中は、牢人共に新之丞を襲わせるという失態を犯しおった。
 襲われたのが新之丞でなければ、皇女殿下共々首を取られておったわ!
 だが、宗春に何の処分もできないのは少々腹立たしい。
 何かいい思案はないか?」

「上様が新之丞を危険に晒した尾張の重臣共を処断されるのなら、新しい付家老や幕府附属衆に上様の意を汲む者を派遣されればいいのです。
 宗春殿が行き過ぎそうになったら、厳しく意見されればいいのです」

「ふむ、確かにそう言う方法もあるな。
 直接被害を受けた新之丞はどう思う?」

「今までと同じような形で、付家老や幕府附属衆を変えるだけでは、代替わりした時に上様の意向に背く可能で意があります。
 現にもう1人の付家老成瀬は上様よりも宗春殿に忠誠を誓っております。
 ですので、上様が考えられた足高を活用され、尾張藩の監視に派遣する者達は、尾張藩から受ける領地は任期中だけとするのです」

「ほう!
 代々引き継ぐ領地ではなく、任期中だけの役高とするのか。
 それならば、将軍や幕府よりも尾張藩に忠誠を尽くす者がいなくなる」

「はい、それと、率直にお聞きしますが、今回の謀叛は、上様や幕閣がやらせた事ではないのですね?」

「それはない。
 少なくとも余は関知しておらぬ!」

「では、遠慮する事なく宗春殿を隠居させられませ。
 謀叛人が最も悪いとはいえ、家中の取り締まりが悪かったのは間違いありません。
 これが上様や幕閣が仕掛けた事ならば、味方として働いた武腰達を処断する事ができませんが、そうでないのなら遠慮せずに両者を厳罰に処すべきです」

「……幕閣の連中に厳しく問いただしておく。
 それで、宗春を隠居させるとして、誰に跡を継がせるのだ?
 長福丸や小五郎に継がせるのではないのだろう?」

「はい、叔父上達には他に継いでいただきたい家がございますので、尾張徳川家は高須藩の松平但馬守に任せればいいのではありませんか?」

「ふむ、だが、将軍家名代と皇女殿下の行列を領内で襲われると言う失態を犯し、その罪を糊塗しようと家臣が謀叛を起こすような藩だ。
 そのまま跡を継がせるのは、他藩の処罰に比べて軽すぎるが……」

「では一旦尾張藩を取り潰した形にしましょう。
 取り潰したうえで、東照神君が御三家として御造りに成られた尾張藩を潰したままにはできないので、松平但馬守に新恩として与える形にされては如何ですか?」

「もう少し厳しくした方がいいのではないか?」

 吉宗はお気に入りの新之丞が尾張藩再興に尽力した形に持ち込もうとした。
 吉宗が潰す気だった尾張藩を、新之丞の言葉で取りやめた事にしようとした。

「では、1万石か2万石の領地を削り、御三家筆頭の座を取り上げましょう。
 御三家筆頭を紀州藩にするのです。
 ただ、紀州藩については別に重要な話しがございます」

「ふむ、紀州藩についての重要な話しは後で聞くとして、新之丞の献策はとても的を得たよきものだ。
 尾張藩六十一万九千五百石から七万石召し上げて、紀州藩五十五万五千石よりも少ない五十四万九千五百石とする。
 石高的にも格式的にの筆頭の座から引きずり降ろす」

「はい」

 この場の話し合いが幕府の方針となった。
 将軍と幕府執事で長男の家晴、まだ嫡男となっている家重が決めた事なのだ。
 誰も逆らう事などできない。

 最初に尾張藩の近隣諸藩に謀叛人の討伐が命じられた。

 尾張藩内の意思が籠城や合戦に統一されていたら、名古屋城を落とすのは至難の業だっただろう。

 だが今回は上級藩士と下級藩士が反目している状況だった。
 将軍家の命令に抵抗するにしても、愚かな藩主に対する謀叛としても、下級藩士を味方につけて幕府軍と戦う事などできなかった。

 だが、厳しい処罰を受けたのは謀叛を企てた武腰達だけではなかった。
 宗春も、行列の襲撃を許した罪と家中の取り締まりができなかった罪で強制隠居させられ、松平但馬守が徳川宗勝と名を改めて藩主となった。

 尾張藩は長嶋藩と木曽川を挟んで続く領地を七万石も召し上げられ、五十四万九千五百石の領地となり、名実ともに御三家筆頭の座から落ちた。

 それだけでなく、竹腰正武を筆頭とする幕府から付けられた家臣領五万七千四百石、尾張藩の家臣領五万八千六百石を失う事になった。

 しかもその合計十一万六千石分の付家老と幕府附属衆を目付け役として押し付けられ、吉宗や幕府に逆らえない藩となってしまった。

「一連の処分で転封させられた藩、尾張付きとされた藩」
遠江浜松藩七万石:松平伊豆守信祝・老中首座が
伊勢長島藩九万石:松平伊豆守信祝・老中首座のまま尾張藩監視を兼任
        :遠江浜松藩七万石は大番組預かり
伊勢長島藩二万石:増山河内守正任・奏者番が
美濃今尾藩三万石:増山河内守正任・尾張藩付家老へ
美濃大垣新田藩一万石:戸田淡路守氏房・大番頭から幕府附属衆として役料一万石
常陸下妻藩一万石:井上遠江守正敦・大番頭から幕府附属衆として役料一万石
大和柳生藩一万石:柳生飛騨守俊平・幕府附属衆として役料五千石
下総生実藩一万石:森川兵部少輔俊方・幕府附属衆として役料五千石
河内丹南藩一万石:高木若狭守正恒・幕府附属衆として役料五千石
下総小見川藩一万石:内田出羽守正親・幕府附属衆として役料五千石
駿河小島藩一万石:松平内匠頭昌信・幕府附属衆として役料五千石
寄合旗本五千五百石:松平忠根・幕府附属衆として役料五千石
寄合旗本七千石:石川備中守総為・幕府附属衆として役料五千石
寄合旗本五千石:松平駿河守信望・家重側近から幕府附属衆として役料五千石
寄合旗本六千石:森川主水俊矩・幕府附属衆として役料五千石
その他旗本御家人が多数尾張藩内につけられる。

 一方宗春は領内に帰ることが許されず、江戸麹町の中屋敷に常府とされた。
 だが同時に、次期尾張藩主とすべき男子を設けるようにとも言われた。
 家晴と新之丞は尾張徳川家の血筋が細くなっている事を気にしていたのだ。

 だがこれらは徐々に行われた事であった。
 尾張藩への叱責は、天下を二分する大乱を防ぐためにも、慎重の上にも慎重を期して行わなければいけない事だった。

 しかも、新之丞によって知らされた紀州藩についての重大な真実があった。
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