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第二章

第30話:蟄居閉門

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「敵将、討ち取ったり!」

「「「「「うぉおおおおお」」」」」

「勝鬨を上げよ!
 えい、えい、えい」

「「「「「応!」」」」」

 新之丞は見事に敵の襲撃を撃退した。
 最初の一騎打ちこそ、初めての人殺しに戸惑いを見せたが、覚悟が定まったのか、二人目以降は幼い頃に慣れ親しんだ熊狩りのように斃していった。

 それもこれも、修験衆のお陰だった。
 最初の奇襲こそ許したものの、素早く襲撃者の拠点を突き止め、護衛の藩士や幕臣を襲撃者の元に誘導していた。
 予備の焙烙玉を使えなくしたのも大手柄だった。

「近郷近在から医師を集めよ。
 数が集まらないなら京大阪より集めよ」

 とは言え、藩士幕臣の死傷者もかなり多かった。
 最初の放火で煙や火にまかれて死傷した者もいる。
 なにより焙烙玉で死傷した者が多かった。

 抗生物質などない時代である。
 破傷風にならなかったとしても、傷が膿めば苦しみ抜いて死ぬことになる。
 季節が秋なのが不幸中の幸いと言えるかもしれない。

「姫宮がお休みになれる場所を確保せよ。
 姫宮の御側衆は無事か?」

 新之丞は自らの足で立っている武士に命じた。
 新之丞に言葉を聞いて、精も根も尽き果ててその場に座り込んでいた藩士や幕臣が、勢いよく立ち上がった。
 武士としてまだ見栄を張らなければいけない時だと思い出したのだ。

「わたくしは大丈夫でございます。
 わたくしの事よりも、怪我をした御家来衆を優先してください」

 立ち上がった武士達だけでなく、負傷して倒れている武士達にとっても、内親王殿下の言葉は、震えがくるほどありがたい言葉だった。

「わたくし達も大丈夫でございます。
 御家来衆が奮戦してくれたお陰で、傷一つなく無事でございます」

 尼僧姿の御婦人達に武勇を褒め称えてもらえる事は、泰平の世に慣れ、戦う事を忘れていた武士達にとって、武士の本質を思い出させる言葉だった。
 倒れ座り込んでいた武士の中で、大きな傷を受けていない、疲れで情けない姿を見せていた者達が、見栄を張って立ち上がり仲間の介護を始めた。

「若殿!
 近郷近在の寺や農家を借りる事ができました。
 動ける者を率いてついて来て下さい。
 動けない者達は、近郷近在の者達が運んでくれます」

「分かった、動ける者は余について参れ。
 動けぬ者は助けが来るまで待っておれ」

 ★★★★★★

 二日の休息をはさんで、姫行列は再び下向を開始した。
 幕臣で武運拙く戦死した者は京で荼毘に付された。
 大きな傷を負った者は、京で傷を癒す事になった。
 行列に参加できる傷だと判断された者は、痛々しい姿で付き従った。

 多大な犠牲を払ったが、新之丞は将軍に相応しい武勇を示す事ができた。
 聖珊内親王も将軍の御台所に相応しい勇気と慈愛を示す事ができた。
 行列前半の幕臣と諸藩の藩士も武勇と忠誠を示す事ができた。

 そんな中で、死者同然の真っ青な顔をした者達がいる
 面目を潰した行列後半を護っていた諸藩の藩士達だった。
 普通ならば、責任者は切腹させられ御家は断絶になる。

 御三家の一つである紀州徳川家は行列の後半を護っていたのだが、参加していた渡り中間や人足が逃げだしてしまい、何の役にも立たなかったのだ。
 いや、他の藩や大身旗本家の勇気を打ち砕いてしまったのだ。
 これでは何のために新之丞と聖珊内親王の護衛に志願して就いたか分からない。

「紀州藩と淀藩は武士にあるまじき卑怯と臆病を見せた。
 それでよく再び余と殿下の前に顔を見せられたな!
 命懸けで戦ったこの者達に比べて怯懦に過ぎる。
 上様の名代として紀州徳川家と山城稲葉家には蟄居閉門を命じる!」

「申し訳ございません!
 お詫びのしようもない失態、この腹掻っ捌いて償わせていただきます。
 どうか、どうか、それにてご勘如願います」

「ならん、紀州五家の丹波守が謝ろうと、絶対に許せぬ。
 これが天下分け目の大戦なら、将軍家が滅ぶかもしれぬ怯懦ぞ!
 上様の従弟が藩主であろうと、絶対に許せぬ。
 恥を知るなら、早々に勇者の前から失せろ!」

 伊勢田丸城代を務める紀州藩の家老、久野丹波守俊純は新之丞の言葉にがっくりと肩を落とし、付き従う紀州藩の重臣達も居たたまれない思いだった。
 彼らの前には、身体中に受けた手傷に晒を巻いた幕臣や他家の藩士がいるのだ。

 忠勇を証明した武士達から向けられる蔑みの視線は、怯懦に逃げ出した身には針のように痛かった。

「大津宿の襲撃で武勇を示せた藩」
近江彦根藩三十五万石:井伊掃部頭直定
近江膳所藩七万石:本多主膳正康敏
近江水口藩二万五千石:加藤孫三郎明経
伊勢亀山藩五万石:板倉周防守勝澄
「大津宿の襲撃で面目を失った藩」
紀州藩五十五万五千石:徳川権中納言宗直
山城淀藩十万二千石:稲葉内匠頭正益

「紀州徳川家付家老と重臣」
紀伊田辺城三万八千石:安藤帯刀舎人次由
紀伊新宮城三万五千石:水野対馬守忠昭(吉宗の功労者)
          :水野淡路守重期 (隠居)
紀伊貴志領一万五千石:三浦長門守為恭
伊勢田丸城代一万石:久野丹波守俊純
水野太郎作家 :七千石:水野美濃守知義
渡辺主水家:二千石:渡辺周防守則綱:松平頼純の庶長子恭綱の家系
村上与兵衛家:三千五百石
伊達源左衛門家:三千石
戸田金左衛門家:三千二百石
加納平次右衛門家:四千石
水野多門家:三千石
朝比奈惣左衛門家:三千石
岡野平太夫家:四千石

★★★★★★

 新之丞達姫行列はゆっくりと東海道を下向した。
 東海道に接する諸藩や大身旗本は、紀州藩の失態と厳罰を知って、血眼になって行列警備に励んだ。

 勿論宿場役人も寝食を忘れて取り締まりを行った。
 彼らにとっては、大津宿が焼き討ちにあった事の方が恐ろしかった。
 もし同じ事が起こったら、宿場が丸焼けになって命まで失うかもしれないのだ。
 少しでも疑わしい者は問答無用で牢屋に叩き込まれた。

「下にぃい、下にぃい」

 御三卿の世子と姫宮の行列である。
 御三家並の格式で大名行列が行われる。
 いや、新之丞は将軍の名代だから、将軍と同格の格式となっている。

 経費は御三卿世子として安くするが、必要な時は将軍名代として強気に出る。
 街道や宿場に対する要求は姫宮と将軍名代の格式を持って行われた。
 普通に街道を使う人々には迷惑きわまりない行為だが、怪しい者を街道に近づけないためには仕方のない事だった。

「吉継様、民に迷惑をかけていませんか?
 もう少し早く移動した方がいいのではありませんか?」

「民に迷惑をかけているのは確かです。
 ですが、私には民よりも姫宮の方が大切です。
 それに、多少取り調べで迷惑をかける事になっても、実際に襲撃を許すよりは余程少ない迷惑にできます」

「それは、大津宿の焼き討ちを言われているのですか?」

「はい、もし同じような襲撃を許してしまったら、宿場が燃え滅んでしまいます。
 そのような事が無いように、本陣や脇本陣は勿論、旅籠も商家も民家も徹底的に調べなければなりません。
 どこに敵の手先が潜んでいるか分かりませんから」

「確かに、もう二度とあのような悲劇は防がなければいけませんね。
 吉継様の御家来衆も大名家の藩士も数多く傷つかれましたものね……」

「姫宮が気になさる事ではありません。
 彼らは武を持って仕える者達なのです。
 このような時に命を賭ける約束で、領地や扶持を与えられているのです」

「武家とは厳しいものなのですね……」

「はい、武家はとても厳しいのです。
 私も父上も上様も、身分が高い者ほど背負わなければならない責任があります。
 姫宮にはそんな私を慰める存在になって欲しいのです」

「わたくしにどれほどの事ができるか分かりませんが、精一杯お仕えさせていただきます」

 新之丞と聖珊内親王のやり取りを、両者の側近は微笑ましく見守っていた。
 新之丞の側近は、目端の利く修験衆は日本各地に散って探索を行っているが、忠誠心や武勇はあるものの知力に劣る者達や世情に疎い者達が残っていた。
 聖珊内親王の側近は尼僧ばかりなので、忠誠心以外は持ち合わせていないのだ。

 両者の側近は得意分野に分かれて仕えていた。
 尼僧達は二人の身の回りの世話に専念していた。
 清水家の者達は本陣内部にあって厳重な警備を行っていた。
 番方幕臣や諸藩の藩士は、本陣の外を警備していた。

 遅々とした行列も、近江を後にして伊勢に入り、警護の主力が井伊家から桑名松平家に移り、一番警戒していた七里の渡しを無事に渡りきることができた。

 上洛時には東海道を離れて尾張名古屋城で話し合った新之丞だったが、今回は東海道を離れて美濃路を行く余裕などなかった。

 美濃路の街道や宿場の安全を確認するくらいなら、その分東海道と宿場町の安全を確かめたかった。
 だから、熱海宿で泊ることにした。

 泊まるのは尾張徳川家が誇る東浜御殿だった。
 最初は新之丞が東浜御殿に泊まり、聖珊内親王が西浜御殿に泊まる予定であったが、大津宿の襲撃もあり、急遽一緒に東浜御殿に泊まる事になったのだ。

どーん!

 東浜御殿に焙烙玉の爆音が鳴り響いた!
 尾張徳川家が御三家筆頭の面目にかけて警備を行っていたのに、易々と襲撃を許してしまったのだ!
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