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第一章

第20話:貨幣改鋳と総登城

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 新之丞が悪質な座頭貸しを懲らしめている頃、南町奉行の大岡越前守は、御公儀の方針に従わない両替商の手代を牢に入れていた。
 町名主や両替商達は何十回も釈放するように嘆願していたが、御公儀の方針に従わずに暴利を貪る両替商への圧力として、大岡越前守は頑として釈放に応じなかった。

「三九郎さん、どうすればいいのかのう。
 このままでは大岡様に押し切られてしまいますぞ」

「そうですよ、三九郎さん。
 大岡様はこの度の貨幣改鋳の責任者の御一人で、上様の御信任も厚い。
 上様の御信頼に応え、御公儀の威光を保つ為に妥協はされないぞ」

「ふん、それがどうした。
 八木様がどう考えようと、商いや相場の事で商人が武士に負ける訳がない」

「だが三九郎さん、実際に手代を人質に取られてはどうしようもない。
 これ以上御公儀に、いや、上様に逆らっては、我々まで牢に入れられてしまう」

「ふん、八木様が何を考えようと、我らの知恵には及ばないさ。
 我ら両替商三百人の中には、札差の親族を持つ者も多い。
 札旦那を使って幕閣を動かせば、八木様の目を欺いて大岡様を町奉行から追いやる事など容易い」

「三九郎さん、そのような妙手があるのか?」

「任せておきなさい。
 江戸の両替商はこの三谷一族が支配しているんだ。
 八木様であろうが大岡様であろうが好き勝手にはさせない」

「……だけど、三九郎さん。
 三井は、三井の総領家はどうするんですか?」

「放っておけばいい。
 我ら三谷一族が結束すれば、三井家であろうと敵ではない!」

 ★★★★★★
 
 千代田城の御座之間では、将軍徳川吉宗が新之丞から直々に話しを聞いていた。
 元禄の頃に定められた座頭による金貸し業の特権を廃止するという、とても重要な話し合いだった。

「上様、老中からの報告書でございます」

 御側御用取次の加納遠江守久通が老中達からの報告書を取り次ぐ。
 吉宗がお気に入りの新之丞と話をしている時に、その邪魔をするような取次などしたくない遠江守だったが、生来の穏やかで慎み深い性格から、大切な政務を滞らせてはいけないと、吉宗が不機嫌になるのを覚悟で取次いだのだった。

 これが先年亡くなった同輩の有馬氏倫だったら、気の強い性格から報告書を突き返し、老中と諍いを起こしていただろう。

「大切な話しだと言うのならしかたがない、しばらく待っていてくれ、新之丞」

「御老中の大切な報告を優先させるのは当然の事でございます」

 吉宗が珍しく不機嫌な思いを隠すことなく苛立たし気に報告書を読む。
 最初は不機嫌そうだった吉宗が、報告書を読む事で一気に機嫌がよくなった。
 その急激な変化には新之丞も遠江守も内心で驚いていた。

「ほう、老中共もようやく越前守の働きを認めおったか。
 連中が賛成するのなら、気の変わらないうちに越前守を大名に取立ててやろう」

「上様、身分の弁えずこちらから話す無礼をお許しください。
 ですが、余りにも聞き捨てならない事を耳にしてしまいましたので、無礼を承知でお聞きさせていただきたい事があるのです」

「よい、よい、気にするな、新之丞。
 その方は余の可愛い初孫ではないか。
 身分の差などありはしないぞ。
 聞きたい事があるのなら、何なりと聞くがよい。
 だが、越前守を大名に取立てる事がそれほど気になる事なのか?」

「上様はお忘れなのですか?
 綱吉公が目の不自由な者を助けようと定められた座頭貸しを悪用して、幕臣を苦しめ辱めた者を越前守に預けている事を。
 上様が貨幣不足を補うために行われた改鋳を悪用して、暴利を貪ろうとしている両替商の手代共も越前守が牢屋に入れている事」

「……それは、老中共が、余の方針を守ろうと奮戦している越前守を、町奉行から外して両替商共を助けようとしているという事か?!」

 吉宗の声はとても抑えられていたが、内心の怒りが滲み出ていた。
 
「上様!
 両替商共を助けようとしただけではありません。
 上様を輔弼すべき老中が、賂を貰って上様の御威光を傷つけたのです!
 天下の御政道を、賂を受け取って捻じ曲げたのです!」

「遠江守!
 この報告書を上げてきた中務大輔をここに連れてこい!」

 普段は滅多に怒らない吉宗が声を荒げるほど怒っていた。
 そのあまりの怒りように御側御用取次の加納遠江守は恐怖さえ感じていた。
 新之丞は吉宗の怒りを予測していたので、表面上は泰然自若としていたが、これから起こる事を予測して心を引き締め直していた。

「ただ今直ぐに!」

 加納遠江守は急いで老中の御用部屋に向かった。
 この時の老中は、先年酒井忠音と黒田直邦が急死した事で四人となっていた。
 その中でも下総国古河藩五万石の本多中務大輔忠良は、三年前に西の丸老中となり、二年前に本丸老中に取立てられていた、最も席次の低い老中だった。

「現時点の老中」
遠江浜松藩七万石の松平伊豆守信祝
上野高崎藩七万二千石の松平右京大夫輝貞
下総佐倉藩六万石の松平左近衛将監乗邑
下総国古河藩五万石の本多中務大輔忠良

「中務大輔!
 余よりも両替商共への忠誠心が強いか!
 だったらさっさと版籍を奉還して両刀を捨て、商人になれ!
 藩祖平八郎忠勝が草葉の陰で泣いておるわ!」

「誤解でございます!
 何かの間違いでございます!
 どうかわたくしの話をお聞きください!」

「遠江守!
 決して自害させるな!
 この武士にあるまじき恥知らずの不忠者からは、賂を贈った者を聞きださねばならぬからな!」

 吉宗の言葉を受けて、側衆や小姓が本多中務大輔を取り押さえて御座之間から出て行った。

 吉宗の怒りは期待の裏返しでもあった。

 本多中務大輔忠良は、徳川家の忠臣であった本多平八郎系の分家筋にあたる播磨山崎藩主本多忠英の長男であったのだ。

 それが宗家当主の本多忠孝が僅か十二歳で無嗣のまま亡くなり、本来断絶になるところを十万石の減封移封で養子相続が認められていた。

 だが、忠臣本多平八郎の宗家となった事で、徳川家宣の時代は側用人に抜擢され、吉宗の時代には十万石の格式を認められ、ついに西之丸老中、本丸老中と取立てて貰ったのだ。

 それなのに、吉宗の意向よりも両替商共の賄賂を優先したのだ!

 千代田のお城では総登城の太鼓が打ち鳴らされた。
 合戦でもない限り打ち鳴らされる事のない太鼓がだ。
 それだけ吉宗の怒りが激しかった事になる。

 ★★★★★★

 太平の世が長く続いた事で、千代田のお城で総登城の太鼓が打ち鳴らされるのは、事前に大事な行事があると分かって場合以外は、大火事くらいだった。
 だから今回の太鼓でも大名幕臣の参集には結構案時間がかかってしまった。

 ようやく集まった大名と幕臣達はそれぞれの控えの間に集まっていた。
 そこで老中本多中務大輔の背信が知らされた。
 主君である征夷大将軍の意向よりも商人の願いを優先したという、御恩奉公と言う主従関係を根本から否定する、前代未聞の不忠行為がだ。

 千代田のお城は、大きく二つの勢力に分かれていた。
 本多中務大輔の背信行為を非難する圧倒的多数派。
 両替商親戚筋の札差から礼金を受け取って本多中務大輔に働きかけた者や、本多中務大輔の親戚筋と言った、連座処分を恐れる少数派。

「上様の御意向よりも商人を優先するような者は家臣でも武士でもありません。
 武士の身分を剥奪して斬首とすべきです。
 ですが、親戚だからと言って連座処分はいけません。
 それでは親戚の悪事を隠そうとします。
 親戚の悪事を報告させるためにも、処分は止めましょう」

 新之丞が大広間上段で将軍吉宗公に対して献策している。
 今回の重大事件では、総登城太鼓で多くの大名幕臣が集まっているので、将軍宣下などで使われる、最も格式の高く広い大広間が使われているのだ。

 上段には将軍吉宗、次席に大納言家重、民部卿清水宗哀、新之丞が同列。
 三席に清水宗哀の次男以下と一橋宗尹。
 閉門中の田安宗武はこの重大事態に同席すら許されていない。
 これにより次期将軍の序列が明確に示されていた。

「ふむ、新之丞は人の上に立つに相応しい苛烈さと慈愛を併せ持っておる。
 他に言うべき事があるのなら腹蔵なく申してみよ」

「はい、将軍家の御威光を取り戻すために腹蔵なく申し上げます。
 将軍家への忠誠奉公よりも商人の賂を優先した者は、例外なく斬首とします。
 これから数多くの者が罪に問われる事でしょうが、身分に関係なく一律斬首です。
 その者を庇い匿った者も家も武士の身分を剥奪して斬首です。
 しかしながら、上様への忠誠奉公を忘れず、罪人を告発訴状した者は、例え妻子であろうと連座を許しましょう。
 そうする事で罪を免れる者を無くすことができます」

「それは、家の相続を許すと言う事か?」

「いえ、忠誠奉公を忘れた家を存続させる事は絶対にできません。
 どれほど名門の家に生まれようとも、将軍家よりも商人の賂に忠誠を使う不届き者が後を絶ちませんから
 しかしながら、再び忠誠を示す機会は与えてやりましょう。
 牢人となっても、勘定所の御勘定御入人吟味を受ける権利を与えましょう。
 これからの幕府に必要なのは筆算の力でございます」

「ふむ、そうじゃのう。
 だが、商人どもの賂を幕府の為に使っておる者もいるが、その者はどうする?」

 最初が怒りに我を忘れていた吉宗だが、徐々に冷静になっていた。
 松平左近衛将監乗邑が幕政に必要な金集めに腐心している事を思い出したのだ。

「それは、上様の方針御意向に沿う商人から賂を受ければいいのです。
 あくまでの上様の御意向に沿った商人を優遇するだけでございます」

「うむ、それならばよい。
 この件は全て新之丞と民部卿に任す。
 良きに計らえ」
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