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第一章

第15話:鶏合わせ

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「伊之助、例の所に連れて行ってくれ」

 前回屋敷を抜けだしてから五日しか経っていないのに、また新之丞は屋敷を抜けだして聖天長屋にやってきた。
 それも、伊之助の組が当番になっている日に合わせてだ。

「例の所と言われても、何のことだか分かりませんが?」

「誤魔化しても無駄だぞ。
 里姫が住んでいる相生橋の下屋敷に根城を作ったのは知っているぞ」

「新之丞様に密告したのはどこのどいつだ?!」

「遠くて近きは男女の仲とは言っても、私が我慢しているのに、伊之助が道ならぬ恋をするのは許せんぞ」

「誤解です、間違いです、罠です。
 里姫も私も道を踏み外したりしていませんよ。
 何かの時に拠点として、中間部屋と足軽長屋を借りているだけです。
 昨今は何かと五月蠅くて、裏長屋を借りるのも一苦労なんですよ」

「もうこれ以上嘘をつくのは止めろ、伊之助。
 お前がまた悪い癖を出したのは、私も父上も気がついているのだぞ」

「……全部お見通しですか」

「適当な屋敷を借りて色々やるのは止めない。
 だが松平侍従の屋敷は駄目だ。
 今度何かあったら厳罰に処さなければならない」

「いやあ、ですが、松平侍従も内親王殿下をお迎えするのなら必要かもしれないと申されて、喜んで下屋敷を貸してくださったので」

「伊之助、今度はどんな博打を始めたのだ?」

「鶏合わせです」

「鶏合わせだと?
 かるたや花札、賽子や双六ではなく、宮中行事にもある鶏合わせか?」

「はい、内親王殿下が京を懐かしまれた時の為に、準備しておいてもよかろうと。
 鶏合わせなら、内情の厳しい大名家や旗本の内職にもなります。
 屋敷内で堂々と鶏を飼って卵を取る事もできますから」

「内職というが、博打は幕府が禁止しているではないか!
 それに伊之助は自分達で賭けるだけではなく、相生橋の下屋敷に裕福な町人を入れて金を取っているのだろう?」

「博打は内々でしかやっていません。
 鶏合わせを見物させているだけです。
 町人達の件は、表立って御老中が商人から金を受け取るわけにはいきませんから、見物料として受け取っているだけです。
 その見物料を吹上御殿の建築費に回します。
 これ以上大名達に手伝い普請をさせるのも気の毒ですし」

「そう、だな、内親王殿下の下向と内親王御殿の普請には、随分と大名達に負担をかけているからな」

「はい、幾らかでも商人達から献金を受けなければ、札差への借財で圧し潰されてしまう大名が出てきます」

「分かった、父上と上様には俺から御話ししよう。
 だが実際に見てみなければ正確な事を御話しできない。
 案内せよ」

 ★★★★★★

 新之丞を案内する伊之助は心から感謝すると同時に詫びていた。
 主君となった民部卿と甥っ子のような新之丞が心から心配してくれている。
 それを知っていて、それでも賭博がやめられないのだ。

 それでも、伊之助もまったく成長してい訳ではない。
 今までは賭ける側だったのが、今回は賭けさせる側、胴元になっている。
 賭け事は自分で賭けるよりも胴元になった方が確実に儲かる。

 鍛錬もかねて、浅草の聖天長屋から本所深川相生橋の下屋敷まで、急ぎ足で移動した新之丞と伊之助を出迎えたのは、大給松平宗家の今井数馬だった。
 里姫が住むようになり、清水家に半ば貸しているような下屋敷は、新たに設けられた家老職の一人が全責任を負っていた。

「新之丞様にお渡り頂いた事、光栄の極みでございます」

 面倒な挨拶を終えた新之丞と伊之助は、今井数馬の案内で軍鶏を飼っている場所から、実際に戦わせる場所まで案内してもらった。
 上品な造りの離れから軍鶏が戦う所を見る造りになっていた。
 短期間に造ったにしては上出来だった。

 問題があるとすれば、実際に鶏合わせが行われていた事だろう。
 気の強い二歳から三歳の雄鶏がけたたましく戦っているのだ。
 その凄惨な姿は、とても宮中行事で行われているとは思えない。

「伊之助、本当にこんな物を見て内親王殿下の気が晴れるのか?
 私にはとてもそうは思えないのだが」

「私も気が晴れるとは思いませんが、数あるお慰みの一つだと思ってください。
 それよりも大切なのは、困窮する幕臣の内職になる事です。
 先ほども申し上げましたが、幕府の行事なら、大手を振って武家屋敷の中で軍鶏を飼う事ができます。
 強い雄鶏は鶏合わせで戦わせればいいし、雌鶏の方は卵が採れます。
 年老いた軍鶏は鍋にすれば美味いです。
 実際この屋敷でも傷ついた軍鶏を鍋にして見物人に出しています」

「ほう、軍鶏鍋か、長らく食べていないな。
 伊之助達と修行していた時は、よく山鳥や雉を獲って食べたな」

 新之丞が幼い頃の事を懐かしんだ。

「そうでございましたな、よく食べましたな」

 伊之助も思い出して懐かしく感じていた。

「今日食べられないか?」

 食欲に負けた新之丞が伊之助にたずねる。

「数馬殿、急な話しで悪いが、軍鶏鍋を用意できないか?
 いや、できれば軍鶏だけ用意してもらえれば助かるのだが」

 主君と新之丞の食事事情をよく知る伊之助は、二人に昔のように鳥肉の鍋をお腹一杯食べさせてあげたいと思ってしまった。

「鶏舎に潰すために飼っているのがいます。
 食べられるのでしたら直ぐに潰しますが?」

「数があるのなら、三羽ほど分けてもらえないか?
 父上にも食べていただきたいのだ」

 話が思っていた以上にとんとん拍子に進むので、交渉していた伊之助を差し置いて、新之丞が直接今井数馬と交渉を始めてしまった。

「民部卿様にもですか?!」

 今井数馬が驚いて問い返す。

「昔は父上が手づから山鳥や雉を料理してくれたものだ。
 今度は私が父上に軍鶏料理を振舞いたい」

 新之丞の暴露話に今井数馬は返事もできなくなっていた。

「しかし新之丞様、将軍家の精進日は避けねばなりません」

 伊之助が将軍家の一門として絶対に守らなければいけない事を思い出させた。

「そうだな、屋敷に使いをやって確かめよう。
 今日明日の事なら、今潰してもらって長屋で料理したい」

「房殿と仙吉にも振舞うのですね」

「ああ、女子供を置いて、男衆だけで美味しい物を食べるのは罪だ」

「殿の昔からの口癖でしたな」

「何の喜びもなく亡くなられたおばあ様の事を、父上は忘れておられぬからな」

「……上様には申し上げない方がよいですぞ」

「それくらい私にもわかるさ」

「新之丞様、伊之助殿、今三羽潰して血抜きをしております。
 待たれる間、茶室で休憩されませんか?」

 新之丞と伊之助が会話している間に驚きから立ち直った今井数馬は、配下に色々と指示をした後で、新之丞と伊之助に休憩を勧めた。

「いや、いい機会だから、鶏合わせに賭けさせてもらおう。
 町の衆が随分と熱狂しているではないか。
 それほど面白い物なのか、実際にやってみようと思う」

 伊之助は色々と言い訳をしていたが、実際には鶏合わせで賭けていた。

「承りました、直ぐに席を用意させましょう」

「いや、できるだけ身分を隠したい。
 立ち見の連中と一緒に賭けさせてもらう。
 伊之助、指南しろ」

「鶏合わせにいかさまはありません。
 ただ強い方の鶏を選ぶだけです。
 強い敵、剣客を見分ける心算で鶏を選んでください」

「ほう、それなら俺にもできそうだな」

 ★★★★★★

「随分と勝たれましたな、新之丞様」

 伊之助が鶏合わせで大金を得た新之丞をからかっていた。
 そんな伊之助と新之丞の後ろには、大給松平宗家から付けられた中間がいる。
 中間が背負っている籠には潰された軍鶏が三羽入っている。

「あんなもの、勝ったうちに入るか!
 私のご機嫌を取るために、わざと負ける方に張っていただけではないか!」

「それも武士や商人の処世術でございましょう。
 特に札差共は、後ろ暗い所があるからわざと負けたのでございます。
 悪事の証拠が手に入ったと思って、よろこんで使われればいいのです」

「賄賂をもらっておいて取り締まるのか?」

「これは賄賂ではございません。
 賭けの勝ちでございます」

「後藤包み十個の勝ちとは、ちょっと多過ぎないか?」

 伊之助が新之丞から預かった風呂敷には、後藤家が百両を保証して包装封印した物が十個入っている。

「連中が幕臣から搾り取っている金額に比べれば、微々たる物でございますよ。
 それは困窮する幕臣を助けるために使われればいいのです」

「ふむ、ならばこれ金を元手に商売でも始めるか?」

「新之丞様が直接商売される訳に行きませんぞ」

「父上や伊之助の昔馴染みには、商売に長けた者もいるのではないか?」

「わかりました、堅実な商売をする者を探してみます」

「それと伊之助、つけられているのに気がついているか?」

「はい、相生橋の下屋敷を出た時からつけられております」

「生きたまま捕らえられるか?」
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