裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全

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第一章

第12話:上意討ち

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「上意である!
 大人しく縛につけ!」

 主君松平侍従の意を受けた番頭の矢野雲八が、直々に水野宗右衛門を捕縛もしくは上意討ちにしようと、組下の馬廻り衆を率いていた。

「何を申しているのだ?!
 家中の取り締まりは我が水野家に一任されておる。
 貴様らごとき無能な老害が思い上がるな!」

「黙れ、水野宗右衛門!
 その方が主家の姫君をかどわかし、手籠めにしようとした事は分かっておる。
 しかも事を隠蔽しようと江戸市中を騒がせ、与力同心を殺傷した。
 その事が上様の知られる所となり、激怒されておられる。
 畏れ多くも清水家の若様が検分にこられておられるのが何よりの証拠ぞ!
 このままでは我ら宗家だけでなく、一門衆全てがお取り潰しになる。
 少しでも罪の意識があるのなら大人しく縛につけ。
 これ以上手向かいするなら、九族斬首と心得よ!」

 徳川吉宗公の逆鱗に触れた松平侍従は、少しでも処分を軽くしてもらい、他の大給松平家一門に類が及ばないように必死だった。
 それ故に、頭巾で顔を隠しつつも自ら上意討ちに場について来ていた。
 そこに思いかけず検分役として清水徳川家の新之丞若君がいた。

「もはやこれまで、皆殺しにして血路を開け!」
「「「「「おう!」」」」」

 水野宗右衛門一派の中でも、機を見るに敏な連中は既に逃げ出していた。
 金目の物だけを持って家族を連れて命辛辛逃げだしていた。
 残っているのは目端の利かない者か悪足搔きの酷い連中が。
 この期に及んで主君を脅かせば何とかなると考えているのだ。

「殿の御前である、武士の誉れをご覧いただけ!」

 片や追い込まれて破れかぶれの命知らず。
 片や殿の前で手柄をたて、生きて立身出世したい者達。
 どちらに勢いがあるかなど赤子にも分かる事だった。
 矢野雲八配下の馬廻り衆が蹴散らされ、新之丞の側まで斬り込んで来た。

「将軍家に楯突くか!」

 今日は武者姿となっている伊之助が激怒していた。
 錫杖ではなく手槍を持った伊之助が、手槍を縦横無尽に振るって襲いかかる謀叛人共を突き伏せていった。

 元は修験者の伊之助にこれほどの姿を見せられては、上様から清水家につけられた近習番や小十人衆が奮起しない訳がなかった。
 鬼の形相となって水野宗右衛門一派を討ち果たしていった。
 これまで肩で風を切っていた大給松平宗家の連中は顔を伏せ小さくなっていた。

 ★★★★★★

「新之丞、天晴である。
 その方の武勇と智謀は世間知らずの息子達とは違う。
 宗哀には辛い思いをさせてしまったが、その分、宗哀と新之丞は聡明となった。
 この度の手柄に褒美をやろう。
 なんでもよい、欲し物を言ってみろ」

「恐れながら上様、将軍家の一門として当然の事をしたまででございます」

「はっはっはっはっ、謙遜をするな。
 手柄に褒美を与えなければ、余が吝嗇と思われてしまう。
 確かに余は不要な事には金を使わないが、必要な事には惜しまぬ。
 今回の件にはどれほどの褒美を与えても惜しくない。
 何なら収公する佐倉藩領を全て与えてもいいのだぞ?」

「恐れならが、悪手に思われます。
 佐倉藩はこれまで通り松平侍従にお預けください」

「……新之丞は侍従を許せと言うのか?!」

「上様、失敗をしない者などおりません。
 譜代の家臣達を使いこなすのが難しいのは、他の誰でもない、上様が一番ご存じのはずです」

「その通りだが、今回の件は酷過ぎるのではないか?」

「はい、ですから、生き恥をかいてもらいます。
 生き恥をかき、上様のために働き続けてもらいます」

「許す事で忠義を厚くして働かせろと言うのか?
 だが新之丞の働きで、侍従が家中の取り締まりもできぬ無能だと言う事が、天下に知られておるぞ?」

「それ故、老中首座から三席に格下げしましょう。
 その上で、嫡男の跡目を認めず、上様の孫を婿入りさせましょう」

「わっはっはっはっ、大給松平宗家を乗っ取れと言うのか?」

「幸いと言うのは何ですが、侍従にはまだ嫁入りしていない隠し子がいます。
 嫡男の和泉守殿にも娘がいます。
 女系で血統を残しつつ、将軍家と縁戚になれます。
 将軍家は直轄地を失うことなく一門を大名にできます」

「どうする、侍従。
 新之丞は大給松平宗家の家臣が路頭に迷わぬように温情を示しているが?」

「新之丞様の御厚情には御礼の言葉もございません。
 謹んでお受けさせていただきます」

「上様、ひとまずは婚約だけ整えておいて、後は松平侍従の働きによって、嫡男に跡を継がせるのもいいのではありませんか?
 こんな事を申しては何ですが、私の妹達に相応しい嫁入り先は限られています。
 ましてこれから従妹が数多く生まれてくると思いますから」

「ふむ、確かに、孫娘達を嫁入りさせる先には、家格はもちろん忠誠心も必要だ。
 侍従の家を潰してしまうと、嫁入り先が一つ減ると言うのだな」

「はい」

「上手く侍従を庇うな、新之丞」

「幼い頃を市井で育った私は、兄弟愛が強いですから、弟妹の行く末が心配でなりません」

「分かった、分かった、悪いようにはしないから、後は余に任せよ」

「上様の御厚情に対して逆らうような事を口にした事、改めてお詫び申し上げます」

「よい、よい、新之丞の優しい心はよく分かった。
 疲れたであろうから、屋敷に戻って休むがよい」

 ★★★★★★

「侍従、その方、余の後継者は右衛門督の方が相応しいと言っておるようだな?」

「我が不明、お詫びのしようもございません」

「ほう、不明だと申すか?」

「はい、お世継ぎに相応しいのは、新之丞様という後継者のおられる民部卿様だと、今回の件で思い知りました」

「では何故今まで右衛門督を推していたのだ?」

「……それは……」

「遠慮せずに申せ!
 今後は其方に民部卿と新之丞を推してもらうのだ」

「はい、民部卿様は御長男とは申しましても、二十九歳までは存在も知られておられませんでした。
 証拠の品があるとは申せ、出生にとやかく申す者が数多くおります。
 清水家を立てられるだけでも大きな問題がございました。
 これまで嫡男として育たれ、家の字を与えられておられる大納言様、文武両道に秀でられておられる右衛門督様を押しのけて将軍家を継ぐのは、幾らなんでも難しいと考えておりました」

「今は違う、大丈夫だと考えておるのだな?」

「はい、上様が打たれた布石もございます。
 反対する者も数多く出るでしょうが、それでも一番相応しい方だと思いました」

「ふむ、では侍従に命じる。
 これからは将軍家に忠誠を尽くすのではなく、余と民部卿に、いや、余と清水家に忠誠を誓ってもらう」

「……民部卿様が将軍家を継げるように働けと申されるのですね」

「そうだ、誓えるか?」

「身命を賭してお誓いさせていただきます」
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