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第一章

第11話:斬り込み

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「清水家の者である!
 若君が御老中より下屋敷の検分を頼まれられた。
 不逞の家臣がいる場合は成敗して欲しいとの事である。
 素直に門を開けるか、叩き破られるか、好きな方を選べ!」

 新之丞主従が大給松平宗家の下屋敷に着いた時、伊之助がいなかった。
 残っている伊賀の者に、里姫達に何事も起こらないように見守りに入ったまま戻っていないと聞いた新之丞は、深く静かに自分に腹を立てた。
 伊之助が何を心配して猪突したのか気がついたからだ。

 それからの新之丞は普段屋敷で見せる大人しい若殿とは違っていた。
 天下の老中首座に対する配慮など全くなかった。
 周囲の武家屋敷や町家にどのように思われるかなど全く考えず、大音声で下屋敷の者達を威圧した。

 有力な次期将軍候補である清水家の若君として、老中首座の下屋敷を預かる家臣達を罪人扱いしてでも押し入ろうとしたのだ。
 全く考えもしていなかった雲の上の存在に威圧され、下屋敷にいた水野一派は、何の言葉もでないほど驚き慌てた。

「あい、その、あの」

「もうよい、奸臣から里姫を取り戻せ!
 手向かう者は容赦せず斬り捨てよ!」

 狼狽する門番の相手などせず、馬上から新之丞が下知する。

「「「「「うぉおおおお」」」」」

 その下知に応えて騎乗の近習番が雄叫びをあげる。
 伊賀の者達が素早く下屋敷内に入り、門を開け放つ。
 先頭の近習番が躊躇いも見せずに騎乗のまま下屋敷に乗り込む。

「逃げろ、逃げんるんだ!」
「もう駄目だ、逃げるんだ!」
「戦え、戦って活路を開け」

 あまりにも不意の出来事に、門番達は喚きながら逃げ出すかその場で土下座した。
 彼我の実力差が分からず、抵抗しようとした者もいたが、即座に馬上から槍の石突の一撃うけていた。

「何事だ、何だ貴様ら!」
「ここを御老中の屋敷と知っての狼藉か?!」

「上意である!
 清水家の若君が大給松平宗家の悪事を検分に参られた。
 若君の下知に従わない場合はお家取り潰しぞ!」

 この期に及んで虎の威を借る狐のような家臣もいたが、そんな連中にはさらに上位の権威である清水家の名前で黙らせる。

「私は忠臣です、姫君は土蔵に押し込められております」

「黙れ、慮外者!
 お前が奸臣水野一派である事は調べが付いておる。
 潔く裁きを待っておれ!」

 新之丞の近習番達が馬上から次々と奸臣達を叩き伏せていく。

 ピィイイイイイ!

 そんな中、下屋敷の奥から伊之助の呼子笛が聞こえた。
 新之丞の配下が使う独特の音色の呼子笛で、他の連中が使う呼子笛と聞き間違える事がない。

「後の事は小十人組に任せてお前たちはついてこい」

 新之丞は下屋敷の連中が逃げてもかまわないと考えていた。
 水野一派の悪行は、先の捕らえた家臣と牢人共が証言してくれる。
 下屋敷に残ればよくて切腹悪くすれば斬首である。
 逃げても一生上意討ちから逃げ隠れする生き地獄だ。

「あそこだ、あの土蔵に姫が捕らえられている」

 土蔵の上にいる伊之助が、騎乗して奥に進む新之丞を確認して合図を送ってきた。
 それを確認した新之丞が近習番達を率いて馬を進める。
 土蔵の前に愛馬をつけて新之丞はひらりと飛び降りた。

「お前たちは周囲を警戒しておれ。
 伊之助、案内しろ」

 中で誰が待ち構えているか分からない土蔵に、先頭切って押し入るほど新之丞は馬鹿ではないので、伊之助に安全を確認させるのだ。
 側にいる近習番ではなく伊之助にやらせるのは、誰よりも信頼している証だった。

「中には里姫を手籠めにしようとした下種共の死体が転がっています」

 伊之助が先に起こった事を手早く説明した。

「ふむ、わかった。
 里姫、奥女中殿、新之丞と伊之助です。
 先にお助けしたのは伊之助です。
 今から助けに入りますので、安心してお待ちください」

 中の状況が分からない新之丞は、伊之助がガチャガチャと土蔵の扉を開けている間に、大声で自分達が助けに入る事を里姫達に伝えた。
 こうしておけば、心配させる事も余計な時間をかける事なく助けられる。

 ギィイイイイイ
 ガラガラガラガラ
 キイイキイキイキイイイ
 伊之助が戸前、裏白戸、網戸の三重扉を開ける。

「伊之助、顔を出して先に入れ。
 今助けに入ります」

 鷹狩りの装束では牢人姿の時と違いすぎるので、新之丞だと気がつかないかもしれないと思い、普段通りの伊之助が先に入ると里姫達に教えた。
 伊之助に続いて土蔵の中に入った新之丞は厳しい目になった。

 二人の藩士が血だまりになった土蔵の床に倒れ、それを避けるように里姫と奥女中が奥に小さくなっている。
 外されていると思っていた猿轡も手縄もそのままだ。

 思わず伊之助を叱責しそうになった新之丞だが、その言葉をぐっと飲み込んだ。
 伊之助は姫君を助けるため命懸けで敵中に潜入して、二人の敵を刺殺したのだ。
 自分には分からない、現場の事情があるのかもしれないと思い直した。

「お助けいただき、感謝の言葉もありません」

 新之丞が奥女中の猿轡を外し、伊之助が里姫の猿轡を外す。
 今だ手籠めにされそうになった動揺から立ち直られず、口もきけない里姫に変わって、奥女中が心から御感謝の言葉を口にした。
 お礼を聞きながら新之丞と伊之助は手縄を外した。

「伊之助は里姫を抱き上げて土蔵の外に出して差し上げろ。
 お女中は私が手を引かせて頂こう」

 新之丞は言うなり奥女中の手を引いて土蔵の外に出て行った。
 最初は鷹狩りの装束の新之丞が誰だか分からなかった奥女中だが、相手が新之丞だと理解して目を白黒させている。
 急な助けに茫然自失となっている里姫に伊之助が優しく話しかける。

「里姫、私です、伊之助です。
 上屋敷までお届けしますので、ご安心を」

 伊之助はそう言うと何の躊躇いも見せずに里姫をお姫様抱っこした。
 陪臣の身分では里姫を肩に抱える訳にもいかないし、背負って裾を乱すわけにもいかないから、他に方法がなかったのだ。

「源太郎、姫様方を松平侍従の所に急いで届けなければならぬ。
 その方の馬を伊之助に貸してやれ」

 伊之助は新之丞の父親である徳川宗哀の修験道仲間であった。
 宗哀から騎乗資格のある旗本に取立てられたが、将軍家から清水家に派遣された三河以来の旗本衆からは隔意を持たれていた。

 だが、今の里姫を見知らぬ男に預ける訳にはいかない。
 以前会った事のある伊之助だから安心できているのだ。
 その伊之助が操る馬に二人乗りさせなければいけない。

 上様が輸入したオランダ馬と奥州馬と交配させて生まれた、雄大な馬体の馬を操る近習番から取り上げるのが一番だった。

「はっ、御意のままに!」

 新之丞に命じられた近習番の坂上源太郎は素直に応じた。
 オランダ馬との交配馬は新之丞の持ち馬ではない。
 上様から清水徳川家に下賜された馬を借り受けているだけなのだ。

 ここで新之丞に逆らえば、清水家から放り出されて小普請組入りになる事は馬鹿でも分かる。
 好き嫌いは心に秘めて陰で悪口を言う程度にしておかないと、主君父子の逆鱗に触れて二度と浮かび上がれなくなる。

「源太郎は小十人組と一緒にこの屋敷の者を捕らえて連れて参れ。
 残り者は余についてこい」

 新之丞はそう言うと奥女中を和鞍の前輪の方に横乗りさせ、自分は大きく後ろにずれ、後輪に軽く体重を乗せて馬を操り屋敷に向かった。
 伊之助も同じように里姫を前輪に横乗りさせて後に続いた。
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