裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全

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第一章

第9話:叱責

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 里姫が伊之助に厳しく面罵されていた頃、父親である松平侍従も主君である八代将軍徳川吉宗から厳しく叱責されていた。
 登城早々、老中御用部屋に入った途端、将軍から御座之間に呼び出されたのだ。

「天下の老中ともあろう者が、己の家中も纏められず、家臣に娘を襲われた。
 不逞の家臣が雇った牢人どもは余の城下で白刃を振るって罪なき民を襲う。
 捕り方を向かわせれば手向かって余の家臣を死傷させる。
 全てを知った上で、自らは何もせず、助けてくれた牢人を利用しようとする。
 そのような恥知らずな事をくり返しておいて、よく余の前に顔出せたな!」

「申し訳ございません。
 全ては私の不徳といたすところでございます。
 腹掻っ捌いてお詫びさせていただきますので、家臣一同が路頭に迷わぬように、取り潰しだけは御許しください!」

「本来であれば、よくて謹慎減封、厳しくすれば切腹取り潰しのところだ!
 だが、今回だけは、当事者である新之丞からのたっての願い故、お構いなしにしてやるから、新之丞に詫びと礼を申しておけ」

「新之丞様でございますか?
 それは、清水家の新之丞様の事でございますか?」

「そうじゃ、新之丞は余の若い頃とそっくりじゃ。
 幼い頃は下々の間で育ち、下情に通じておる。
 今も月に一度か二度は城下に降りて、下々の事を余に知らせてくれるのじゃ」

「恐れながら申し上げさせていただきます。
 新之丞様は尊き身分の方、密かに城下に降りるのはいかがなものでしょうか?」

「黙れ、愚か者!
 そもそも新之丞が城下にいなければ、その方の娘は家臣共に手籠めにされておったのだぞ!
 口の利けない身体にされて、その方も佞臣にいいように操られておったのじゃ!
 老中首座ともあろう者が、佞臣に操られてしまったら、天下の御政道がどうなっていたと思っておるのじゃ!?
 それを、助けてくれた新之丞を非難するなど、片腹痛いわ! 
 もうその方の顔など見たくな!
 二度と登城は許さぬ!
 老中を罷免する、屋敷で蟄居しておれ!」

「申し訳ございませんでした!」

 松平侍従が己の失言を悔いながら千代田のお城を下城した頃、聖天長屋で伊之助に面罵された里姫一行も、真っ白な顔をして上屋敷に急いでいた。

 老中を務める松平侍従の上屋敷は西之丸下にある。
 厳しい叱責を受けて下城する松平侍従にとっては指呼の間だが、浅草から戻る里姫一行にはかなり遠い距離だった。

 素直に人目の多い神田方面に向かってから、鍛治橋を渡って上屋敷に戻るべきだったのだが、供侍の中に裏切者が潜んでいた。

「相生橋の下屋敷には水野一派が多数潜んでおります。
 ここは安全を図り、日暮里の方から上屋敷に戻りましょう」

 失意の里姫と供侍には裏切者の真意を見破る余裕も能力もなかった。
 聖天長屋を出て直ぐ、浅草寺の裏、田畑に挟まれた道で襲われた。
 伊賀平八郎子飼いの藩士二十三名に不意を突かれてしまった。

「水野宗右衛門の手の者か?!
 主家の姫城を襲うなど、それでも武士なのですか?!」

 里姫の付き人である奥女中が厳しく問い質したが、恥知らずな者たちの心には全く響かなかった。
 不意を突かれた供侍達は、裏切者を除いて全員斬り伏せられてしまった。

 駕籠の外に出て逃げようとした里姫は、手拭いで口を塞がれ後ろ手に縛られ、元の駕籠に放り込まれてしまった。
 奥女中も同様にされ、用意されていた町駕籠に放り込まれてしまった。

 白昼堂々と行われた襲撃と誘拐ではあったが、準備万端整えていただけあって、目撃者は数人しかいなかった。
 だがその目撃者が大問題だった。
 目撃者は新之丞の家臣達だったのだ。

★★★★★★

「新之丞様、大給松平宗家の里姫様がかどわかされました!」

「やれ、やれ、世話のかかる姫君と老中だな」

「新之丞、見殺しにするのは胸が痛む。
 家中の者を好きなだけ連れて行っていいから、助けに行ってやれ」

「はい、父上」

 新之丞は、平服から鷹狩りの装束に着替えていた。
 今回はお忍びの徒士ではなく、素早く鷹狩りの衣装に着替えて騎馬で向かった。
 着替えずに平服で走るよりは、着替えて騎馬で駆けた方が早い。

 新之丞よりも着替えが遅い者は屋敷に置いて行かれる。
 皆必死の形相で着替えている。
 主君の馬前で武勇を披露できる機会に遅れるようでは、武士とは言えない。

「新之丞様、里姫には伊賀の者が二人ついております。
 聖天長屋の伊之助達に知らせに行った者もその足で下屋敷に参ります。
 兼ねて調べてあった下屋敷以外に連れ込まれた場合は、即座に襲撃します。
 下屋敷に連れ込まれた場合は、新之丞様のお出ましを待って襲撃します。
 御老中の上屋敷には使者を送っております」

 里姫を尾行していた伊賀の者は四人一組だった。
 一人は新之丞のいる屋敷に報告に走り、もう一人が伊之助達に知らせる。
 残る二人が里姫達を尾行しているのだ。

「うむ、では参るぞ」

 信じられないほどの速さで新之丞は鷹狩りの装束に着替えた。
 常在戦場の精神でいる新之丞は、早着替えの鍛錬を欠かさない。
 特に甲冑を装備する訓練と火事装束への早着替えは毎日行っている。
 今回は鷹狩りの装束だったが、鍛錬が生かされていた。
 
「着替えを終えていない者は後からついてこい!
 馬引け!
 いざ出陣ぞ!

「「「「「おう!」」」」」

 父親の許可を受けた新之丞は、堂々と家臣を連れて屋敷を出た。
 騎乗資格のある近習番十五騎が新之丞に遅れじと馬に鞭を入れる。
 騎乗資格のない小十人十五人が騎馬に遅れないように必死で走る。

 清水御門を出た新之丞一行は、竹田伊豆守屋敷の前を右折して、お堀と火除地の間を駆け抜け一橋の手前を左折して、できるだけ武家地を使って本所深川にある大給松平宗家の下屋敷に向かった。
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