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第5章:内海船と北前船
第60話:船主
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「父上、弁財船を買いましょう」
柘植定之丞は、自分の立場では手も足も出ない抜け荷事件にどうすれば加われるか、真剣に考えた。
そして思いついたのだ、海の上の事は船がなければどうしようもないと。
将軍家からお預かりしている船が使えないのなら、自分が船を持てば良いと言う、単純明快な結論に至った。
「船か、船を持つのは構わないが、最低でも損は出さないようにしなければ、家臣達まで苦しむ事になるのだぞ。
儂にも思いつく方法はあるが、それが正解とは限らない。
何か落とし穴が有るかもしれぬ。
定之丞が船を買っても大丈夫だと思った理由を言ってみよ」
「我が家が独自に船を持っているとなれば、幕府や幕臣の御用を優先的に受ける事ができるではありませんか。
御師が手配する伊丹や灘の酒も、我が家が受ければいいのです。
美濃守様が長崎奉行になられるのなら、長崎から京大阪に唐物を運ぶのにも、我が家の船を使ってもらえます。
船頭や水主は、主水同心や主水の子弟はもちろん、山田周辺の漁師から優秀な者を集められます。
幼い下忍を見習で乗せておけば、下忍御師手代に匹敵する草になります」
「分かった、儂が思いついた事と変わりがない。
湊の漁師や船大工に話を聞いて、我らの考えに抜けがないか確かめよ」
「はっ」
柘植親子は使える縁を全て使って、武士が船を持っても利が上げられるか確かめたが、全ては縁と運しだいだと分かった。
上手く運用できれば一年で新造船の建造費を回収できるのだが、運用が下手な船頭に任せると三年以上かかる場合もある。
特に問題なのは、下手な船頭のせいで嵐に合ったり岩礁に乗り上げたりして、大切な船が難破沈没してしまう事だった。
能力のある船頭は引く手数多で、よほど縁と運が良くなければ下手な船頭か未熟な船頭しか雇えず、大金を継ぎ込んだ船を難破沈没させてしまうのだ。
普通の武士が廻船業に参入しようとしたら、商人達から目の敵にされて、直ぐに叩き潰されると教えられた。
だが、柘植家は先祖代々山田で公平な仕置きを続けてきた。
山田周辺の、松阪を代表とする伊勢商人が助けてくれることになった。
檜垣河内家と檜垣屋の手助けもあり、伊勢講に入っている商人も助けてくれた。
それに、伊勢商人にも思惑があるのだ。
単に以前からの縁や伊勢講の繋がりで手助けしてくれる訳ではない。
この頃は、後に北前船と言われる船が徐々に廻船問屋の主力になってきていた。
京大阪の下り物は大阪江戸航路と使うので伊勢沖を通って江戸に向かうが、蝦夷や長崎の品物は東廻り航路か西廻り航路を使うので、伊勢を通らない事が多い。
だが、柘植家が船を持てば、最初と最後は外宮の外港の大湊か内港の神社村を使う事になるから、必ず唐と南蛮、蝦夷の産物が持ち込まれる。
上手く海流や風を利用できれば、唐物や南蛮物を西回り航路で越後に荷揚げしてから陸路で江戸に運ぶよりも、大阪江戸航路の方が早く安く運べるかもしれないのだ。
その試みを柘植家がやってくれるなら、優秀な船頭や水主を探し出す事も、全国の商人に紹介する事もお安い事だった。
試みが成功したら、伊勢商人は安心して廻船業に乗り出す事ができる。
伊勢商人の思惑は別にして、一刻も早く薩摩藩の抜け荷を取り締まりたい柘植家は、新造船を建造するのを待てず、八年物の中古千石船を五百両で購入した。
十年前後で大改修が必要なのが弁才船なのだが、船主の中には改修をせずに高値で売れる七年目や八年目で手放し、新造船を作らせる者もいた。
西回り航路で莫大な富を稼いだ船主が思い切って新造船を作らせる事が多かった。
だが中には、難破したりしては大きく破損しているのを誤魔化して、本来なら廃船にしなければいけない危険な船を売りつける船主もいた。
大身武士が町人を隠れ蓑に廻船業を始めようとしたり、元武士が一か八か廻船業を始めようとしたら、そんな廃船を売りつけられる事が多い。
だが伊勢商人と伊勢講檀家商人が支援する柘植家は、まだ十分使える中古の弁才船を購入する事ができた。
本当は一気に五隻の弁才船を購入しようと思っていたのだが、支援者たちが厳しく指南してくれたので、優良な中古が出るまで待つ事になった。
ただ、待つだけでは何年も優良な中古弁才船が現れないかもしれないので、大湊と神社村で千石船を五隻建造させていた。
柘植定之丞は、自分の立場では手も足も出ない抜け荷事件にどうすれば加われるか、真剣に考えた。
そして思いついたのだ、海の上の事は船がなければどうしようもないと。
将軍家からお預かりしている船が使えないのなら、自分が船を持てば良いと言う、単純明快な結論に至った。
「船か、船を持つのは構わないが、最低でも損は出さないようにしなければ、家臣達まで苦しむ事になるのだぞ。
儂にも思いつく方法はあるが、それが正解とは限らない。
何か落とし穴が有るかもしれぬ。
定之丞が船を買っても大丈夫だと思った理由を言ってみよ」
「我が家が独自に船を持っているとなれば、幕府や幕臣の御用を優先的に受ける事ができるではありませんか。
御師が手配する伊丹や灘の酒も、我が家が受ければいいのです。
美濃守様が長崎奉行になられるのなら、長崎から京大阪に唐物を運ぶのにも、我が家の船を使ってもらえます。
船頭や水主は、主水同心や主水の子弟はもちろん、山田周辺の漁師から優秀な者を集められます。
幼い下忍を見習で乗せておけば、下忍御師手代に匹敵する草になります」
「分かった、儂が思いついた事と変わりがない。
湊の漁師や船大工に話を聞いて、我らの考えに抜けがないか確かめよ」
「はっ」
柘植親子は使える縁を全て使って、武士が船を持っても利が上げられるか確かめたが、全ては縁と運しだいだと分かった。
上手く運用できれば一年で新造船の建造費を回収できるのだが、運用が下手な船頭に任せると三年以上かかる場合もある。
特に問題なのは、下手な船頭のせいで嵐に合ったり岩礁に乗り上げたりして、大切な船が難破沈没してしまう事だった。
能力のある船頭は引く手数多で、よほど縁と運が良くなければ下手な船頭か未熟な船頭しか雇えず、大金を継ぎ込んだ船を難破沈没させてしまうのだ。
普通の武士が廻船業に参入しようとしたら、商人達から目の敵にされて、直ぐに叩き潰されると教えられた。
だが、柘植家は先祖代々山田で公平な仕置きを続けてきた。
山田周辺の、松阪を代表とする伊勢商人が助けてくれることになった。
檜垣河内家と檜垣屋の手助けもあり、伊勢講に入っている商人も助けてくれた。
それに、伊勢商人にも思惑があるのだ。
単に以前からの縁や伊勢講の繋がりで手助けしてくれる訳ではない。
この頃は、後に北前船と言われる船が徐々に廻船問屋の主力になってきていた。
京大阪の下り物は大阪江戸航路と使うので伊勢沖を通って江戸に向かうが、蝦夷や長崎の品物は東廻り航路か西廻り航路を使うので、伊勢を通らない事が多い。
だが、柘植家が船を持てば、最初と最後は外宮の外港の大湊か内港の神社村を使う事になるから、必ず唐と南蛮、蝦夷の産物が持ち込まれる。
上手く海流や風を利用できれば、唐物や南蛮物を西回り航路で越後に荷揚げしてから陸路で江戸に運ぶよりも、大阪江戸航路の方が早く安く運べるかもしれないのだ。
その試みを柘植家がやってくれるなら、優秀な船頭や水主を探し出す事も、全国の商人に紹介する事もお安い事だった。
試みが成功したら、伊勢商人は安心して廻船業に乗り出す事ができる。
伊勢商人の思惑は別にして、一刻も早く薩摩藩の抜け荷を取り締まりたい柘植家は、新造船を建造するのを待てず、八年物の中古千石船を五百両で購入した。
十年前後で大改修が必要なのが弁才船なのだが、船主の中には改修をせずに高値で売れる七年目や八年目で手放し、新造船を作らせる者もいた。
西回り航路で莫大な富を稼いだ船主が思い切って新造船を作らせる事が多かった。
だが中には、難破したりしては大きく破損しているのを誤魔化して、本来なら廃船にしなければいけない危険な船を売りつける船主もいた。
大身武士が町人を隠れ蓑に廻船業を始めようとしたり、元武士が一か八か廻船業を始めようとしたら、そんな廃船を売りつけられる事が多い。
だが伊勢商人と伊勢講檀家商人が支援する柘植家は、まだ十分使える中古の弁才船を購入する事ができた。
本当は一気に五隻の弁才船を購入しようと思っていたのだが、支援者たちが厳しく指南してくれたので、優良な中古が出るまで待つ事になった。
ただ、待つだけでは何年も優良な中古弁才船が現れないかもしれないので、大湊と神社村で千石船を五隻建造させていた。
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