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第4章:伊勢屋と共有田と金貸し
第38話:手配り
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柘植定之丞は、譜代の中間を檜垣屋に使いに送り、大湊の網元甚三郎を迎える準備を整えさせた。
癩病が関係していなければ檜垣屋に用意などさせないのだが、未だに癩病やおかげ犬に心痛めるゆうが後で聞いて嘆く事の無いように、一緒に話しを聞こうとした。
檜垣屋の隠居は定之丞のために茶庵に客を迎える準備を整えた。
甚三郎の話を聞く場には、普通の茶懐石を準備した。
その後で定之丞をもてなすために、御師宿に相応しい豪華な食事を用意した。
定之丞は、一度きっちりと公式行事を終えるために奉行所に戻った。
甚三郎は約束の時間まで時間を潰してから檜垣屋に向かった。
二人が隠居とゆうの待つ茶庵には入ったのは、約束通りの夕七ツ半だった。
「甚三郎、癩病について話があると言う事だったが、どのような話だ」
ひと通りの挨拶がすみ、甚三郎に忌憚のない話しをさせるために酒も飲ませた後で、定之丞が直々に問い質した。
「人情に厚いと評判の柘植様を見込んでお話させていただきます。
家で働かせている癩病なのですが、不自由な身体でよく働いてくれてはいるのですが、他の漁師から見ると人並みの働きができないのです。
一の禰宜様から直々にお言葉を頂いたので、多くの漁師は、働きが悪くても天罰を恐れて癩病に何かしようとは思はないのですが、中には罰当たりがいるのです」
「このままでは不漁の時に癩病が船から落とされるかもしれない。
甚三郎はそう言いたいのだな」
「はい、網元として情けない話しなのですが、罰当たりが優秀な船頭でして、処分するわけにもいかず、困っているのです」
お伊勢様の天罰を恐れない相手では、処罰で脅す事もできないと定之丞は思った。
ふてぶてしい相手では、証拠のない船上の犯罪を明らかにするのは至難の業だ。
自白させられればいいが、簡単に自白させられるような相手なら、最初から癩病を殺すような真似はしない。
癩病が殺されないようにするには、漁船から遠ざける以外の方法がなかった。
「分かった、できるだけ早く田丸の非人小屋頭に迎えに行かせる。
もう船に乗せずに、船頭に目をつけられないようにしろ」
「はい」
「もし迎えが行く前に癩病に何かあれば、その船頭だけでなく、甚三郎、お前も殺人を見逃した罪で獄門にするぞ」
「はい、絶対に手出しさせません。
息子や妻に見張らせて、何があっても間違いのないようにいたします」
「そこまで言うのなら、今直ぐ家に戻って手配りしろ。
戻るまでの間に何かあっても、私はお前を絶対に許さないぞ」
「はい、今直ぐ戻って船頭が悪さしないように見張ります」
大湊の網元甚三郎は、慌てふためいて家に戻って行った。
如才無い隠居は、茶懐石の残りを土産として甚三郎に持たせた。
一応手配りは済んだが、定之丞の心は晴れなかった。
噂を広めて乞食以外の仕事を癩病に与えようとしたが、叶わなかった。
癩病の初期は、皮膚に独特の変化が起こるのと、感覚が失われるだけだ。
だが徐々に体が蝕まれ、手足が変形して上手く使えなくなる。
更に身体全体を上手く動かせなくなってしまう。
沖に行くにも浜に戻るにも、艪を力強く漕げなければいけない。
漁をするための網の修繕は指を細やかに使えなければいけない。
網を上手く持つ事も、力強く引き揚げる事もできなくなっていくのだ。
板子一枚下は地獄と言われる船の上だ。
何かあった時に役に立たない者を船に乗せるには、船員全員の命を危険にする。
船頭が殺してでも癩病を排除しようとする気持ちは、上忍として生きる鍛錬を続けている定之丞には、嫌でも理解できてしまう。
「檜垣屋で使えればいいのですが、野非人扱いになる癩病を雇う事ができません。
全て最初に私が言いだした事なのに、定之丞に負担をお掛けしてしまい、申し訳ございません」
「隠居殿、ゆうだけに謝らせる気か」
定之丞は厳しい目を隠居に向けた。
理想通りに行かないのなら、次善の方法をとればいい。
次善もできないのなら、少しでもましな方法を探し出せばいいと言うのが、自分の想いと立場を擦り合わせる定之丞の答えだった。
「いえ、ゆうの罪は私の罪、檜垣屋の罪でございます。
わたくし共にできる限りのお詫びをさせていただきます」
「本気で言っているのなら、金も物も人手も使ってもらう」
「はい、その全てを使ってお詫びさせていただきます」
隠居がそう断言できたのは、定之丞のお陰で膨大な利をあげられたからだ。
宮川の渡しで勧誘するようになってから、伊勢講に入っていない参詣客を次々と檀家にする事ができた。
これまでは金と人と時間を使って遠国に直接向かい、伊勢講を広めていた。
だが定之丞の知恵を借りる事で、お伊勢様に興味のある人を宮川で待ち構えて勧誘できるようになり、楽に檀家を増やせていた。
定之丞の活躍で、山田三方年寄家の多くが追い詰められて勝手向きが悪くなった。
彼らは効率の悪い地方の檀家を安く売りに出した。
檜垣屋はその全てを買い集めることで、これまでは効率が悪くて利益が上がらなかった地方の伊勢講まで、それなりの利益が上がるようになっていた。
檀家数がほぼ倍増して二十万軒となった檜垣屋は、正味神徳と呼んでいる一年間の純利益だけで千七百両は見込めるようになっていた。
癩病が関係していなければ檜垣屋に用意などさせないのだが、未だに癩病やおかげ犬に心痛めるゆうが後で聞いて嘆く事の無いように、一緒に話しを聞こうとした。
檜垣屋の隠居は定之丞のために茶庵に客を迎える準備を整えた。
甚三郎の話を聞く場には、普通の茶懐石を準備した。
その後で定之丞をもてなすために、御師宿に相応しい豪華な食事を用意した。
定之丞は、一度きっちりと公式行事を終えるために奉行所に戻った。
甚三郎は約束の時間まで時間を潰してから檜垣屋に向かった。
二人が隠居とゆうの待つ茶庵には入ったのは、約束通りの夕七ツ半だった。
「甚三郎、癩病について話があると言う事だったが、どのような話だ」
ひと通りの挨拶がすみ、甚三郎に忌憚のない話しをさせるために酒も飲ませた後で、定之丞が直々に問い質した。
「人情に厚いと評判の柘植様を見込んでお話させていただきます。
家で働かせている癩病なのですが、不自由な身体でよく働いてくれてはいるのですが、他の漁師から見ると人並みの働きができないのです。
一の禰宜様から直々にお言葉を頂いたので、多くの漁師は、働きが悪くても天罰を恐れて癩病に何かしようとは思はないのですが、中には罰当たりがいるのです」
「このままでは不漁の時に癩病が船から落とされるかもしれない。
甚三郎はそう言いたいのだな」
「はい、網元として情けない話しなのですが、罰当たりが優秀な船頭でして、処分するわけにもいかず、困っているのです」
お伊勢様の天罰を恐れない相手では、処罰で脅す事もできないと定之丞は思った。
ふてぶてしい相手では、証拠のない船上の犯罪を明らかにするのは至難の業だ。
自白させられればいいが、簡単に自白させられるような相手なら、最初から癩病を殺すような真似はしない。
癩病が殺されないようにするには、漁船から遠ざける以外の方法がなかった。
「分かった、できるだけ早く田丸の非人小屋頭に迎えに行かせる。
もう船に乗せずに、船頭に目をつけられないようにしろ」
「はい」
「もし迎えが行く前に癩病に何かあれば、その船頭だけでなく、甚三郎、お前も殺人を見逃した罪で獄門にするぞ」
「はい、絶対に手出しさせません。
息子や妻に見張らせて、何があっても間違いのないようにいたします」
「そこまで言うのなら、今直ぐ家に戻って手配りしろ。
戻るまでの間に何かあっても、私はお前を絶対に許さないぞ」
「はい、今直ぐ戻って船頭が悪さしないように見張ります」
大湊の網元甚三郎は、慌てふためいて家に戻って行った。
如才無い隠居は、茶懐石の残りを土産として甚三郎に持たせた。
一応手配りは済んだが、定之丞の心は晴れなかった。
噂を広めて乞食以外の仕事を癩病に与えようとしたが、叶わなかった。
癩病の初期は、皮膚に独特の変化が起こるのと、感覚が失われるだけだ。
だが徐々に体が蝕まれ、手足が変形して上手く使えなくなる。
更に身体全体を上手く動かせなくなってしまう。
沖に行くにも浜に戻るにも、艪を力強く漕げなければいけない。
漁をするための網の修繕は指を細やかに使えなければいけない。
網を上手く持つ事も、力強く引き揚げる事もできなくなっていくのだ。
板子一枚下は地獄と言われる船の上だ。
何かあった時に役に立たない者を船に乗せるには、船員全員の命を危険にする。
船頭が殺してでも癩病を排除しようとする気持ちは、上忍として生きる鍛錬を続けている定之丞には、嫌でも理解できてしまう。
「檜垣屋で使えればいいのですが、野非人扱いになる癩病を雇う事ができません。
全て最初に私が言いだした事なのに、定之丞に負担をお掛けしてしまい、申し訳ございません」
「隠居殿、ゆうだけに謝らせる気か」
定之丞は厳しい目を隠居に向けた。
理想通りに行かないのなら、次善の方法をとればいい。
次善もできないのなら、少しでもましな方法を探し出せばいいと言うのが、自分の想いと立場を擦り合わせる定之丞の答えだった。
「いえ、ゆうの罪は私の罪、檜垣屋の罪でございます。
わたくし共にできる限りのお詫びをさせていただきます」
「本気で言っているのなら、金も物も人手も使ってもらう」
「はい、その全てを使ってお詫びさせていただきます」
隠居がそう断言できたのは、定之丞のお陰で膨大な利をあげられたからだ。
宮川の渡しで勧誘するようになってから、伊勢講に入っていない参詣客を次々と檀家にする事ができた。
これまでは金と人と時間を使って遠国に直接向かい、伊勢講を広めていた。
だが定之丞の知恵を借りる事で、お伊勢様に興味のある人を宮川で待ち構えて勧誘できるようになり、楽に檀家を増やせていた。
定之丞の活躍で、山田三方年寄家の多くが追い詰められて勝手向きが悪くなった。
彼らは効率の悪い地方の檀家を安く売りに出した。
檜垣屋はその全てを買い集めることで、これまでは効率が悪くて利益が上がらなかった地方の伊勢講まで、それなりの利益が上がるようになっていた。
檀家数がほぼ倍増して二十万軒となった檜垣屋は、正味神徳と呼んでいる一年間の純利益だけで千七百両は見込めるようになっていた。
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