伊勢山田奉行所物語

克全

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第3章:おかげ犬

第32話:闇討ち

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 定之丞は夜の四ツ時(午後十時ごろ)まで檜垣屋でゆっくりとした。
 戦うかもしれない刻限を逆算して、十分な腹ごしらえをした。
 仮眠もとり、身体も温めて戦いに備えていた。

 一方檜垣屋を見張っていた連中は、見つからないように動かずに長時間潜んでいた事で、身体中が強張り空腹にも悩まされていた。

 町の木戸も締められてしまい、襲撃した後で逃げるのも困難になっていたので、本当は襲撃などしたくなかったのだが、親分に命じられて仕方がなかった。
 そんな博徒たちの前に、定之丞達が悠々と歩いていく。

「「「「「うぉおおおおお」」」」」

 命知らずの体当たりの剣しか取り柄のない十人の博徒が、内心の恐怖を追い払うように、大声を出して定之丞に襲い掛かって来た。
 だが、そんな連中に殺されるような定之丞ではない。

 いや、若党の木村左門も中間姿に扮している二人の下男も、代々柘植家に仕える下忍の家系なので、博徒ごときに遅れは取らない。

 打刀の峰で人を叩くと歪みで駄目になってしまう。
 時代劇で峰打ちなど作り話でしかない。

 だから敵を捕らえる為には鞘に入れたままの打刀で突くか、徒手で打ち据えるしかないのだが、木村左門はちゃんと準備をしていた。
 檜垣屋を出る時に天秤棒を借り受けていたのだ。

 木村左門に振るう天秤棒は轟々と凄まじい音を立てる。
 それが掛かってきた博徒の脚を狙って振るわれる。
 ごきり、と遠く離れていても聞こえるほどの音と共に博徒が倒れる。

 もう二度とまともに歩けない。
 ひと目見てそう分かるくらい博徒の脚が大きく曲がっている。

 ぎゃぎゃと泣き喚く博徒には一瞥もくれず、次の獲物に天秤棒を振るう。
 たった四度天秤棒を振るっただけで、四人の博徒が地に伏している。

 二人の中間も負けてはいない。
 鉄芯入りの木刀を振るい、瞬く間にそれぞれ二人の博徒を打ち倒している。

 槍持ち中間の持っていた槍は定之丞が持ち、何時でも敵を刺し貫けるように、悠々と構えていた。

「ひぃいいいいい」

 腰を抜かした博徒が小便で道を濡らしている。
 
「ひやぁああああ、おたすけぇ」

 最後に残った博徒が逃げ出したが、木戸が閉められているから逃げられない。
 長屋の木戸を乗り越えて裏店に逃げ込もうとした博徒を、普段槍持ちをしている中間が叩きのめして捕らえる。

 木村左門と二人の中間が、まだ周囲に敵が潜んでいないか注意深く確認する。
 いざという時に助太刀するための中間三人が、檜垣屋から暖簾分けされた御師宿から顔をのぞかせている。

 そんな中間以外誰もいないのを確かめてから、荷物持ちの中間が自身番と木戸番に事件を伝えに行く。

 自身番屋が四ツ辻の南側角に建てられていて、木戸番屋は北側角に建てられているのだが、自身番は地主や家主が詰め、木戸番は非人の番太が詰めるのが建前だった。

 だが実際には、公私に忙しい地主や家主が自身番に詰める事などなく、町内の費用で雇った書役や番人が勤めていた。

 奉行所からは何度も地主や家主が勤めるように命じられていたが、改善された自身番でも、地主や家主が雇っている番頭や手代が代理を務める程度だった。

 自身番には小さな火の見櫓が儲けられ、火消し道具も置かれていた。
 自身番内部の柱には鉄の環がうちつけてあって、捕らえた者の縄を結わえて逃げられないようにしてあった。

 荷物持ち中間から話しを聞いた自身番の三人と木戸番の一人が、急いで戸板を外してやって来たのは、十人の博徒が自分の足で歩けなくなっていたからだ。

 そんなやり取りを一志町の方から憎々しげに見つめる眼があった。
 一気に家の勢いが傾いた山田三方年寄家から、新しく当主になったまだ若い男と同じ年頃の同心の二人が睨みつけていた。

 檜垣屋からは手空きの手代と子供が自身番に駆けつけ、柘植家の屋敷と奉行所に使いに出されていた。

 他にも拝田に使いが出され、牢屋の十人の博徒を収容できるように準備しておく事と、十人を運ぶ人手を出すように伝えられていった。
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