上 下
2 / 15

2話期待

しおりを挟む
「槍一郎先生、許嫁に婚約解消を伝えてきました。
 どうか、大奥への推挙をお願いします」

「残念だが、我が家には推挙するほどの力はない。
 推挙するほどの力がある大名家や旗本には、多くの願いが届いていると聞く。
 当然それには礼金が必要になる。
 深雪にも沢田家にもそのような金はなかろう?」

「……はい」

「だが婚約を解消するまで追い込まれている深雪を見捨てるわけにもいかん」

 深雪は内心期待した。
 それに自分の実力にもある程度の自負があった。
 師範代にしてもらえれば、それなりの収入を確保できる。
 今は道場の手伝いをする代償に、練習着と三度の食事を支給されるだけだが、自分が稼げれば家の借金返済の足しになる。

 三度の食事が支給されるだけとはいっても、深雪の沢田家には馬鹿にならない。
 幕府でも底辺に近い沢田家が支給される扶持は、七年八年前の古米だ。
 軍事政権である幕府にとって、米は給料であると同時に兵糧なのだ。
 新米を支給するなどもってのほかなのだ。
 だが、支給される御家人はたまったものではない。
 蔵に七年も置かれた古米など、鼠の糞尿まみれで異臭を放っている。
 炊いても臭いは残るし黄色いし不味いのだ。

 しかも沢田家は代々の借財が積み重なり、年収の十倍、千俵分の借財がある。
 とてもまともな食事ができる状態ではない。
 一日に朝夕の二食で、朝は玄米飯に漬物と味噌汁、夕には朝の残りに野菜の煮つけがつくだけなのだ。
 魚が食べられるのは月に一度程度でしかない。

 一方道場の賄が食べられる深雪は、朝昼晩の三度の食事が食べられる。
 朝は玄米飯に漬物と味噌汁に小魚の煮つけがつく。
 昼は玄米飯に漬物と味噌汁に雑魚の塩焼きがつく。
 晩は玄米飯に漬物と味噌汁に干小魚と野菜の煮物がつく。
 三度とも魚が食べられるなど、沢田家では考えられない事だ。
 しかも御飯のお替りが自由なのだから、最初深雪が家族に申し訳ないと思ったのも当然だろう。

 秋月槍術道場は門弟への待遇が特別厚い。
 その分秋月家の内職の手伝いをしなければいけないが、槍術が学べて腹一杯ご飯が食べられるのだから、貧乏御家人や牢人には人気の道場なのだ。
 しかも珍しく深雪のような女も弟子にしてくれる。
「男女七歳にして席を同じゅうせず」の世の中だ。
 道場内の男女問題を恐れて、女性の入門を断るのが普通なのだ。
 だから秋月道場にはある程度の数の女性門弟がいる。
 皆家中で奥の女武芸者として役に就くことを望んでいるのだ。
 そんな女性門弟の中では一番強いと、深雪は自負していた。
 だからその女性門弟を教える師範代になれるのではないかと、深雪は内心期待していたのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

厄介叔父、山岡銀次郎捕物帳

克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。

【完結】姫の前

やまの龍
歴史・時代
江間義時。北条政子の弟として、棚ぼた的に権力者になってしまった彼は、元々はだんまりむっつりで、ただ流されて生きていただけだった。そんなやる気のない彼が、生涯でただ一度自ら動いて妻にした美貌の女官「姫の前」。後に義時に滅ぼされる比企一族の姫である彼女は、巫女として頼朝に仕え、義時に恋をしていた。※別サイトで連載していたものを微妙に変えながら更新しています。タイトルに※がつくものは、少しだけ大人向けになってる部分があるので苦手な方はご注意ください。

東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー

長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。 『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。 ※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。

【完結】長屋番

かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ三作目。 綾ノ部藩の藩士、松木時頼は三年前のお家騒動の折、許嫁との別れを余儀なくされた。許嫁の家は、藩主の側室を毒殺した家の縁戚で、企みに加担していたとして取り潰しとなったからである。縁切りをして妻と娘を実家へ戻したと風のうわさで聞いたが、そのまま元許嫁は行方知れず。 お家騒動の折り、その手で守ることのできなかった藩主の次男。生きていることを知った時、せめて終生お傍でお守りしようと心に決めた。商人の養子となった子息、作次郎の暮らす長屋に居座り続ける松木。 しかし、領地のある実家からはそろそろ見合いをして家督を継ぐ準備をしろ、と矢のような催促が来はじめて……。

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

立見家武芸帖

克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 南町奉行所同心家に生まれた、庶子の人情物語

白い皇女は暁にたたずむ

東郷しのぶ
歴史・時代
 7世紀の日本。飛鳥時代。斎王として、伊勢神宮に仕える大伯皇女。彼女のもとへ、飛鳥の都より弟の大津皇子が訪れる。  母は亡く、父も重病となった姉弟2人の運命は―― ※「小説家になろう」様など、他サイトにも投稿しています。

形だけの正妃

杉本凪咲
恋愛
第二王子の正妃に選ばれた伯爵令嬢ローズ。 しかし数日後、側妃として王宮にやってきたオレンダに、王子は夢中になってしまう。 ローズは形だけの正妃となるが……

処理中です...