12 / 56
第1章
9話
しおりを挟む
「これ何事ぞ!
このような不始末、如何に左中将でも許されぬ事ぞ!」
第十二代将軍・徳川家慶は徳川慶恕に激怒していた。
事もあろうに、東証神君の命日に、生臭物を料理に出してきたのだ。
如何に幕府の勝手向きを改善し、徳川家祥を輔弼しているからといっても、いや、徳川家祥の信頼が厚いからこそ、驕り高ぶりは許せなかった。
排斥しようとは思わなかったが、頭を叩いておくべきだと、心底思っていた。
だが、思わぬ返事が徳川慶恕から帰ってきた。
「お怒りはごもっともではございますが、これも東証神君のお教えに従った結果でございます。
どうか話をお聞きください。
聞き届けていただきたくて、あえてこのような事をいたしました」
徳川家慶は徳川慶恕に仕組まれたのだと思い至った。
尾張徳川家上屋敷への招待は、逃げようがない状態に追い込むためだった。
弑逆される心配は一切してはいないが、それでなくとも自分が思いもよらない発案を平気で奏上してくる徳川慶恕が、自分の屋敷に将軍を招待しなければ奏上できないほどの奇策を提案してくると、覚悟を固めた。
「上様、東証神君は自ら薬種を調合し、養生に務めておられました。
忌引日に気を使い、生臭物を避けられたこともありません。
その東証神君に倣い、蘭学の知識と養生訓に従って将軍家の献立を調べさせていただいたところ、明らかに気血津液が不足していると分かりました」
このまま聞けば、東証神君の忌引日に生臭物を食べさせられると恐れた徳川家慶ではあったが、あまりに美味しそうな香りが尾張家上屋敷に、いや、隣の部屋からただよってきたので、聞かずにはおられなかった。
「最近の将軍家の若君達の夭折は、家基公のような毒殺もありましょうが、気血津液の不足による、生命力の低下だと思われます」
将軍家慶は、慶恕の一突きで抵抗する気力も意志もなくしてしまった。
祖父一橋治済による徳川家基殿の暗殺。
父徳川家斉が死ぬまで家基殿の祟りを恐れ、晩年になっても家基の命日には自ら参詣するか、若年寄を代参させていた事を、忘れる事などできなかった。
それを、慶恕は十分理解した上での献策だ、とても断れるものではない。
だが、最後の抵抗の言葉が弱々しく漏れた。
「ではどうすればよいと申すのだ。
生命力の低下ならどうしようもあるまい。
蘭学であろうと養生訓であろうと、生命力を回復手段など聞いたこともない。
それに単なる気血津液の低下ならともかく、家基殿の祟りだと言うのなら、どのような手段を使っても避けられるものではあるまい」
「いいえ、両方に対処できる方法がございます」
このような不始末、如何に左中将でも許されぬ事ぞ!」
第十二代将軍・徳川家慶は徳川慶恕に激怒していた。
事もあろうに、東証神君の命日に、生臭物を料理に出してきたのだ。
如何に幕府の勝手向きを改善し、徳川家祥を輔弼しているからといっても、いや、徳川家祥の信頼が厚いからこそ、驕り高ぶりは許せなかった。
排斥しようとは思わなかったが、頭を叩いておくべきだと、心底思っていた。
だが、思わぬ返事が徳川慶恕から帰ってきた。
「お怒りはごもっともではございますが、これも東証神君のお教えに従った結果でございます。
どうか話をお聞きください。
聞き届けていただきたくて、あえてこのような事をいたしました」
徳川家慶は徳川慶恕に仕組まれたのだと思い至った。
尾張徳川家上屋敷への招待は、逃げようがない状態に追い込むためだった。
弑逆される心配は一切してはいないが、それでなくとも自分が思いもよらない発案を平気で奏上してくる徳川慶恕が、自分の屋敷に将軍を招待しなければ奏上できないほどの奇策を提案してくると、覚悟を固めた。
「上様、東証神君は自ら薬種を調合し、養生に務めておられました。
忌引日に気を使い、生臭物を避けられたこともありません。
その東証神君に倣い、蘭学の知識と養生訓に従って将軍家の献立を調べさせていただいたところ、明らかに気血津液が不足していると分かりました」
このまま聞けば、東証神君の忌引日に生臭物を食べさせられると恐れた徳川家慶ではあったが、あまりに美味しそうな香りが尾張家上屋敷に、いや、隣の部屋からただよってきたので、聞かずにはおられなかった。
「最近の将軍家の若君達の夭折は、家基公のような毒殺もありましょうが、気血津液の不足による、生命力の低下だと思われます」
将軍家慶は、慶恕の一突きで抵抗する気力も意志もなくしてしまった。
祖父一橋治済による徳川家基殿の暗殺。
父徳川家斉が死ぬまで家基殿の祟りを恐れ、晩年になっても家基の命日には自ら参詣するか、若年寄を代参させていた事を、忘れる事などできなかった。
それを、慶恕は十分理解した上での献策だ、とても断れるものではない。
だが、最後の抵抗の言葉が弱々しく漏れた。
「ではどうすればよいと申すのだ。
生命力の低下ならどうしようもあるまい。
蘭学であろうと養生訓であろうと、生命力を回復手段など聞いたこともない。
それに単なる気血津液の低下ならともかく、家基殿の祟りだと言うのなら、どのような手段を使っても避けられるものではあるまい」
「いいえ、両方に対処できる方法がございます」
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
鎮魂の絵師
霞花怜
歴史・時代
絵師・栄松斎長喜は、蔦屋重三郎が営む耕書堂に居住する絵師だ。ある春の日に、斎藤十郎兵衛と名乗る男が連れてきた「喜乃」という名の少女とで出会う。五歳の娘とは思えぬ美貌を持ちながら、周囲の人間に異常な敵愾心を抱く喜乃に興味を引かれる。耕書堂に居住で丁稚を始めた喜乃に懐かれ、共に過ごすようになる。長喜の真似をして絵を描き始めた喜乃に、自分の師匠である鳥山石燕を紹介する長喜。石燕の暮らす吾柳庵には、二人の妖怪が居住し、石燕の世話をしていた。妖怪とも仲良くなり、石燕の指導の下、絵の才覚を現していく喜乃。「絵師にはしてやれねぇ」という蔦重の真意がわからぬまま、喜乃を見守り続ける。ある日、喜乃にずっとついて回る黒い影に気が付いて、嫌な予感を覚える長喜。どう考えても訳ありな身の上である喜乃を気に掛ける長喜に「深入りするな」と忠言する京伝。様々な人々に囲まれながらも、どこか独りぼっちな喜乃を長喜は放っておけなかった。娘を育てるような気持で喜乃に接する長喜だが、師匠の石燕もまた、孫に接するように喜乃に接する。そんなある日、石燕から「俺の似絵を描いてくれ」と頼まれる。長喜が書いた似絵は、魂を冥府に誘う道標になる。それを知る石燕からの依頼であった。
【カクヨム・小説家になろう・アルファポリスに同作品掲載中】
※各話の最後に小噺を載せているのはアルファポリスさんだけです。(カクヨムは第1章だけ載ってますが需要ないのでやめました)
よあけまえのキミへ
三咲ゆま
歴史・時代
時は幕末。二月前に父を亡くした少女、天野美湖(あまのみこ)は、ある日川辺で一枚の写真を拾った。
落とし主を探すべく奔走するうちに、拾い物が次々と縁をつなぎ、彼女の前にはやがて導かれるように六人の志士が集う。
広がる人脈に胸を弾ませていた美湖だったが、そんな日常は、やがてゆるやかに崩れ始めるのだった。
京の町を揺るがす不穏な連続放火事件を軸に、幕末に生きる人々の日常と非日常を描いた物語。
三賢人の日本史
高鉢 健太
歴史・時代
とある世界線の日本の歴史。
その日本は首都は京都、政庁は江戸。幕末を迎えた日本は幕府が勝利し、中央集権化に成功する。薩摩?長州?負け組ですね。
なぜそうなったのだろうか。
※小説家になろうで掲載した作品です。
壬生狼の戦姫
天羽ヒフミ
歴史・時代
──曰く、新撰組には「壬生狼の戦姫」と言われるほどの強い女性がいたと言う。
土方歳三には最期まで想いを告げられなかった許嫁がいた。名を君菊。幼馴染であり、歳三の良き理解者であった。だが彼女は喧嘩がとんでもなく強く美しい女性だった。そんな彼女にはある秘密があって──?
激動の時代、誠を貫いた新撰組の歴史と土方歳三の愛と人生、そして君菊の人生を描いたおはなし。
参考・引用文献
土方歳三 新撰組の組織者<増補新版>新撰組結成150年
図説 新撰組 横田淳
新撰組・池田屋事件顛末記 冨成博
幕府海軍戦艦大和
みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。
ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。
「大和に迎撃させよ!」と命令した。
戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。
ーー焔の連鎖ーー
卯月屋 枢
歴史・時代
その男の名は歴史に刻まれる事はなかった …確かに彼はそこに存在していたはずなのに。
ーー幕末の世ーー 男達はそれぞれの想いを胸に戦い続ける。
友の為 義の為 国の為 抗う事の出来ない運命に正面から挑んだ。
「あの時の約束を果たす為に俺はここに居る」 「お前と俺の宿命だ……」 「お前が信じるものを俺は信じるよ」 「お前の立つ場所も、お前自身も俺が守ってやる」
幕末で活躍した新撰組とそれに関わったはずなのに歴史に残ることはなく誰一人として記憶に刻むことのなかった1人の男。
運命の糸に手繰り寄せられるように、新選組と出会った主人公『如月蓮二』彼と新選組は幕末の乱世を駆け抜ける!!
作者の完全なる“妄想”によって書かれてます('A`)
※以前エブリスタ、ポケクリにて掲載しておりましたがID&パス紛失にて更新できなくなったため修正を加えて再投稿したものです。
フィクションです。史実とは違った点が数多いと思いますがご了承下さい。
作中の会話にて方言(京弁、土佐弁)で間違いがあるかもしれません。
初物ですので、広い心で見守って頂ければ有り難いですm(_ _)m
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる