46 / 49
俺たちの故郷だよ、ヨンジン
しおりを挟む
昨日までの雨で、土がところどころぬかるんでいた。
泥に足を取られ、クフベツさまはそばにあった大きな岩に手を突いてなんとか踏みとどまった。
息を整え、ぐったりとしたヨンジンの体を肩に担ぎ直して、クフベツさまは歩き続けた。
倒木を乗り越え、また息を整えて、慎重に足を運ぶ。
またずり下がってきたヨンジンの体を何度目かに担ぎ直した時、ようやくぽっかりと大地の裂け目が姿を現した。
ひとまずヨンジンの体を傍らに横たえ、クフベツさまは肩で息をしながらひざまずいた。
「俺たちの故郷だよ、ヨンジン」
ヨンジンはまだ子供のような真剣さで眠っていた。クフベツさまは、細かな造作の一つ一つまで覚え込もうとするかのように、息を止めてヨンジンの美しい顔に見入った。うつぶせに横たえてやる必要も、今はなかった。残った右の翼も、さっき切り落としてしまったから。
やがてクフベツさまは、ヨンジンの体をぐいと裂け目に向かって押しやった。
ヨンジンの体はふわりと雲に乗ったように、ゆっくりゆっくり落ちていった。
これでもう、ヨンジンが追いかけてくることはない……。
(これでいいんだ)
とクフベツさまは自分に言い聞かせた。
(お前は美しくて純真なのに、俺は汚れてて、頭もおかしくて、愛される資格なんかないんだ)
愛が冷めていくのを見届ける勇気なんかなかった。傷つくぐらいなら、一人のほうがマシだった。
(俺が本当に怖かったのは、お前が追ってくることじゃない。追ってきてくれないことだったんだ。
翼のあるお前がもし追ってきてくれないとしたら、その時こそ俺は捨てられたってことなんだ)
ヨンジンの砂色の髪がかすかに風にそよいだ。
(パパに捨てられたのだってショックだったのに、もしもお前に捨てられたらその痛みはどんなだろう。俺はその心の痛みが怖いんだ。
だけどお前を恨むことはできない。それは俺が、恋のために命を捨てられなかったせいなんだから。その時俺はどんなに後悔するだろう……。
お前が追ってこないのは飛べないからだと信じ続けるためには、こうするしかなかったんだ)
ヨンジンの体はどんどん遠ざかり、もう卵くらいの大きさにしか見えなかった。
(あんなに愛してくれたのに、ごめん。そのかわり、お前のことは忘れないからね)
クフベツさまはようやく安心したように微笑んだ。
その時、クフベツさまの頭をふと突飛な考えがよぎった。
ヨンジンがクデカの都からずっと、翼の下にしっかりとくくりつけて持ってきたあの卵。
あの卵からエマをもつむすめが孵ったら?
そんな可能性はほとんどないのに、クフベツさまは取り返しのつかない過ちを犯したような気がした。
ヨンジンは、その子を育てて、いつか結婚する。
クフベツさまが本当に愛していたのはパパなのだと思いこんだまま、幼い日の恋を胸の奥に埋めて……。
そんなのイヤだ、と、クフベツさまは思った。
お前は永遠に俺だけのものだ。
(卵なんか、捨ててしまえばよかった。
翼も右だけでなく、エマをもつむすめを抱いてほんのちょっとでも飛びあがれないように、両方とも根元から切ってしまえばよかった)
思わずヨンジンを追って大地の裂け目に飛び込もうとして、クフベツさまはやっと思いとどまった。
(いや、同じことだ。お前と結婚したって俺は卵を産んで死ぬんだし、そうしたらお前は俺の産んだむすめと結婚するんだろ。
お前を永遠につなぎとめることなんて、最初からできなかったんだ)
クフベツさまは唇を噛んだ。ヨンジンだけは自分のものだと思っていたのに、それすらかなわない。
大地の裂け目のはるか向こうに、何千という子供たちに囲まれ、幸せそうに笑っているヨンジンの姿が見えたような気がした。
(なんでだよ。俺はこんなに一人ぼっちなのに。結婚しても、しなくても、俺は結局孤独なのに……)
お前とパパが作ってくれたおかあさんのお墓。
俺はとうとう一度も行かなかった。
死体が怖くて、『死』が怖かった。
どうして俺はこうなんだろう。臆病で、いつも自分のことばっかり考えて……。
エマさえなければと思うけど、このエマは俺の体の奥深く巣食ってて、翼のように切り取ってしまうことすらできないんだよ……。
クフベツさまは消えていったヨンジンの姿を奈落の底に虚しく探しながら声を放って泣いた。
最後まで拒みとおしたのは自分なのに、勝手なものだね。
泥に足を取られ、クフベツさまはそばにあった大きな岩に手を突いてなんとか踏みとどまった。
息を整え、ぐったりとしたヨンジンの体を肩に担ぎ直して、クフベツさまは歩き続けた。
倒木を乗り越え、また息を整えて、慎重に足を運ぶ。
またずり下がってきたヨンジンの体を何度目かに担ぎ直した時、ようやくぽっかりと大地の裂け目が姿を現した。
ひとまずヨンジンの体を傍らに横たえ、クフベツさまは肩で息をしながらひざまずいた。
「俺たちの故郷だよ、ヨンジン」
ヨンジンはまだ子供のような真剣さで眠っていた。クフベツさまは、細かな造作の一つ一つまで覚え込もうとするかのように、息を止めてヨンジンの美しい顔に見入った。うつぶせに横たえてやる必要も、今はなかった。残った右の翼も、さっき切り落としてしまったから。
やがてクフベツさまは、ヨンジンの体をぐいと裂け目に向かって押しやった。
ヨンジンの体はふわりと雲に乗ったように、ゆっくりゆっくり落ちていった。
これでもう、ヨンジンが追いかけてくることはない……。
(これでいいんだ)
とクフベツさまは自分に言い聞かせた。
(お前は美しくて純真なのに、俺は汚れてて、頭もおかしくて、愛される資格なんかないんだ)
愛が冷めていくのを見届ける勇気なんかなかった。傷つくぐらいなら、一人のほうがマシだった。
(俺が本当に怖かったのは、お前が追ってくることじゃない。追ってきてくれないことだったんだ。
翼のあるお前がもし追ってきてくれないとしたら、その時こそ俺は捨てられたってことなんだ)
ヨンジンの砂色の髪がかすかに風にそよいだ。
(パパに捨てられたのだってショックだったのに、もしもお前に捨てられたらその痛みはどんなだろう。俺はその心の痛みが怖いんだ。
だけどお前を恨むことはできない。それは俺が、恋のために命を捨てられなかったせいなんだから。その時俺はどんなに後悔するだろう……。
お前が追ってこないのは飛べないからだと信じ続けるためには、こうするしかなかったんだ)
ヨンジンの体はどんどん遠ざかり、もう卵くらいの大きさにしか見えなかった。
(あんなに愛してくれたのに、ごめん。そのかわり、お前のことは忘れないからね)
クフベツさまはようやく安心したように微笑んだ。
その時、クフベツさまの頭をふと突飛な考えがよぎった。
ヨンジンがクデカの都からずっと、翼の下にしっかりとくくりつけて持ってきたあの卵。
あの卵からエマをもつむすめが孵ったら?
そんな可能性はほとんどないのに、クフベツさまは取り返しのつかない過ちを犯したような気がした。
ヨンジンは、その子を育てて、いつか結婚する。
クフベツさまが本当に愛していたのはパパなのだと思いこんだまま、幼い日の恋を胸の奥に埋めて……。
そんなのイヤだ、と、クフベツさまは思った。
お前は永遠に俺だけのものだ。
(卵なんか、捨ててしまえばよかった。
翼も右だけでなく、エマをもつむすめを抱いてほんのちょっとでも飛びあがれないように、両方とも根元から切ってしまえばよかった)
思わずヨンジンを追って大地の裂け目に飛び込もうとして、クフベツさまはやっと思いとどまった。
(いや、同じことだ。お前と結婚したって俺は卵を産んで死ぬんだし、そうしたらお前は俺の産んだむすめと結婚するんだろ。
お前を永遠につなぎとめることなんて、最初からできなかったんだ)
クフベツさまは唇を噛んだ。ヨンジンだけは自分のものだと思っていたのに、それすらかなわない。
大地の裂け目のはるか向こうに、何千という子供たちに囲まれ、幸せそうに笑っているヨンジンの姿が見えたような気がした。
(なんでだよ。俺はこんなに一人ぼっちなのに。結婚しても、しなくても、俺は結局孤独なのに……)
お前とパパが作ってくれたおかあさんのお墓。
俺はとうとう一度も行かなかった。
死体が怖くて、『死』が怖かった。
どうして俺はこうなんだろう。臆病で、いつも自分のことばっかり考えて……。
エマさえなければと思うけど、このエマは俺の体の奥深く巣食ってて、翼のように切り取ってしまうことすらできないんだよ……。
クフベツさまは消えていったヨンジンの姿を奈落の底に虚しく探しながら声を放って泣いた。
最後まで拒みとおしたのは自分なのに、勝手なものだね。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる