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これがエマをもつ者の幸せなんだ
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「ええ?」
アーユーラはびっくりして思わず大声を上げてしまった。
「どういうことですか? じゃあ世界で一番強いおとうさまはどこにいるんです?」
「おとうさまはすぐ死ぬんだ」
イスメヤさまは感情のこもらない声で言った。
「世界で一番強いっていうおとうさまはとっくに死んだんだろう。俺が結婚したのは平凡な奴ばかりだった。みんなあの天井から入ってきて、おとうさまが油断してる隙に後ろから襲って殺すんだ。卑怯な連中さ。けど、今度のおとうさまはなかなか立派な翼を持ってるね。まあ俺にはもう関係ないけどね」
イスメヤさまはうっすらと笑った。
「翼をもつ者って奴は、一度覚えたら本当にそれしか頭になくなっちゃうんだね。まるで見境がないんだ。とにかく死ぬまでヤリまくる。今のおとうさまもきっと長くはもたないよ」
唖然としているアーユーラをよそに、
「俺、もういろんな奴と結婚しすぎてへとへとだよ。ハルマヤが来てくれて助かった」
イスメヤさまはおとうさまの死に対して何の感慨も湧かないというように、無表情でのろのろとスロープを登っていく。
「死んだおとうさまはどうなるんです?」
「オルさまが夜中にコソコソやってきてみんな片付けていくよ」
「オルさまが、なぜ……?」
「さあね。いつも演説で言ってるみたいに、世界一強いラ・ズーを従えてるってことにしとかないと、いろいろと都合が悪いんだろう」
(だからオルさまは誰にも塔の掃除を任せなかったのか……)
アーユーラはいつかワメールから、オルさまが塔から何かを運び出していると聞いたのを思い出した。干し草を運び出していたのではない。おとうさまの死体を干し草に隠してこっそり捨てに行くところだったのだ。
(でも、おひめさまたちは塔の中で生きていたんだわ。卵を産んでもすぐ死ぬとは限らないじゃない。ハルマヤさまだって、やりたかった研究がいつかできるかも……)
アーユーラは気を取り直して、イスメヤさまに挨拶するとスロープをずんずん登って行った。
長い長いスロープだった。はるか行く手に白い物が見えた。よく見るとそれも人影のようだった。
イスメヤさまの上のおねえさま、トルニヤさまだった。
「トルニヤさま、お久しぶりです」
アーユーラは懐かしさのあまり弾んだ声を上げた。おっとりした性格のトルニヤさまはハルマヤさまと仲が良くて、一緒にお勉強をしたこともあったんだ。
「やあ……」
トルニヤさまは色濃く疲れのにじむ顔に懐かしそうな色を浮かべたが、アーユーラの名がどうしても思い出せないようでそのまま口をつぐんだ。トルニヤさまはお腹が大きく膨らんでいてひどく大儀そうだった。脚がむくんで足首がぱんぱんだった。むくんだ脚だけではお腹の重みを支えきれないのか、四つん這いになって進んでいた。
「もしかして、ずっとこのスロープを上り続けているんですか?」
アーユーラは恐る恐る聞いた。
「あの、お食事は……?」
「これさ」
トルニヤさまは壁をぞろぞろと這っている足のたくさん生えた虫を手でつかんで無造作に口に入れた。アーユーラはぞっとして目をそむけた。トルニヤさまは口をもごもごさせて虫を噛み砕くためにしばらく黙った。
「もう疲れちゃった。いつまで歩けばいいんだろう」
口の中のモノを飲み込んでしまうと、トルニヤさまはうんざりしたように言った。
アーユーラは天井を振り仰いでみた。それから、元来た道のりを振り返ってみた。ずいぶん高く登っては来たけれど、這って進むにはまだかなりの時間がかかりそうだった。けれどそう言ってしまうのは気の毒に思えたので、
「もうあと一息ですよ。頑張ってくださいね」
と言った。トルニヤさまはそれが気安めだとわかったように苦笑した。アーユーラは悪いことを言ったような気がして、クフベツさまを促して先を急いだ。
しばらく進むと、また人影が見えてきた。
「トルニヤさまのおねえさまの、シズリヤさまです」
シズリヤさまは膨れたお腹が邪魔になってもはや四つん這いで進むことすらできなくなったのだろう、あおむけに横たわった状態でいざって進んでいた。すべての養分を卵に与えたかのように全身がしなびていた。衣服は完全に擦り切れて、ほとんど裸同然だった。髪は真っ白だった。それでもシズリヤさまの体は、まるで解けない呪いにかかってでもいるかのように、塔の天井に向かってイザリ虫のようにじりじりと進み続けていた。アーユーラが声をかけてももう返事もしなかった。まぶたの下で眼球がこっちへ動くのが見えただけだった。
アーユーラはクフベツさまの手をぎゅっと握った。クフベツさまの手が一瞬アーユーラの手を振りほどこうとするように抵抗したが、すぐに諦めたようにおとなしくなった。
アーユーラは
「失礼します」
と早口で言ってシズリヤさまを追い越そうとしたが、お腹が邪魔で脇をすり抜けることができなかった。アーユーラはなるべく卵に衝撃を与えないように注意しながら、シズリヤさまのお腹に這い上るようにして乗り越えた。
「お許しください、シズリヤさま」
もう聞こえてはいないだろうと思いながらも、アーユーラは律義に挨拶した。薄く引き伸ばされたお腹の皮膚越しに卵の殻のざらっとした感触が感じられて、アーユーラは思わずひッと悲鳴を上げた。
――結婚っていうのは、卵を産んで死ぬっていうことなんだ。
ハルマヤさまの声が聞こえてきたような気がした。
アーユーラは頭をぶんぶん振った。さっき、見事な翼をもつ翼をもつ者に抱かれて歓喜の声を上げていたハルマヤさまの姿を思い出した。
(それでも、ハルマヤさまは幸せになったんだ。これでいいんだわ。これがエマをもつ者の幸せなんだから)
アーユーラは自分に言い聞かせた。
スロープの手すり越しにちらりと見下ろすと、飽きもせずまた交わり続けているおとうさまとハルマヤさまの姿が見えた。ノル・ズーが落ちたら干し草の上でも助からないほどの高さまでいつの間にか上ってきていた。
シズリヤさまの体を乗り越えると、少し前方に天井が見えた。
アーユーラはびっくりして思わず大声を上げてしまった。
「どういうことですか? じゃあ世界で一番強いおとうさまはどこにいるんです?」
「おとうさまはすぐ死ぬんだ」
イスメヤさまは感情のこもらない声で言った。
「世界で一番強いっていうおとうさまはとっくに死んだんだろう。俺が結婚したのは平凡な奴ばかりだった。みんなあの天井から入ってきて、おとうさまが油断してる隙に後ろから襲って殺すんだ。卑怯な連中さ。けど、今度のおとうさまはなかなか立派な翼を持ってるね。まあ俺にはもう関係ないけどね」
イスメヤさまはうっすらと笑った。
「翼をもつ者って奴は、一度覚えたら本当にそれしか頭になくなっちゃうんだね。まるで見境がないんだ。とにかく死ぬまでヤリまくる。今のおとうさまもきっと長くはもたないよ」
唖然としているアーユーラをよそに、
「俺、もういろんな奴と結婚しすぎてへとへとだよ。ハルマヤが来てくれて助かった」
イスメヤさまはおとうさまの死に対して何の感慨も湧かないというように、無表情でのろのろとスロープを登っていく。
「死んだおとうさまはどうなるんです?」
「オルさまが夜中にコソコソやってきてみんな片付けていくよ」
「オルさまが、なぜ……?」
「さあね。いつも演説で言ってるみたいに、世界一強いラ・ズーを従えてるってことにしとかないと、いろいろと都合が悪いんだろう」
(だからオルさまは誰にも塔の掃除を任せなかったのか……)
アーユーラはいつかワメールから、オルさまが塔から何かを運び出していると聞いたのを思い出した。干し草を運び出していたのではない。おとうさまの死体を干し草に隠してこっそり捨てに行くところだったのだ。
(でも、おひめさまたちは塔の中で生きていたんだわ。卵を産んでもすぐ死ぬとは限らないじゃない。ハルマヤさまだって、やりたかった研究がいつかできるかも……)
アーユーラは気を取り直して、イスメヤさまに挨拶するとスロープをずんずん登って行った。
長い長いスロープだった。はるか行く手に白い物が見えた。よく見るとそれも人影のようだった。
イスメヤさまの上のおねえさま、トルニヤさまだった。
「トルニヤさま、お久しぶりです」
アーユーラは懐かしさのあまり弾んだ声を上げた。おっとりした性格のトルニヤさまはハルマヤさまと仲が良くて、一緒にお勉強をしたこともあったんだ。
「やあ……」
トルニヤさまは色濃く疲れのにじむ顔に懐かしそうな色を浮かべたが、アーユーラの名がどうしても思い出せないようでそのまま口をつぐんだ。トルニヤさまはお腹が大きく膨らんでいてひどく大儀そうだった。脚がむくんで足首がぱんぱんだった。むくんだ脚だけではお腹の重みを支えきれないのか、四つん這いになって進んでいた。
「もしかして、ずっとこのスロープを上り続けているんですか?」
アーユーラは恐る恐る聞いた。
「あの、お食事は……?」
「これさ」
トルニヤさまは壁をぞろぞろと這っている足のたくさん生えた虫を手でつかんで無造作に口に入れた。アーユーラはぞっとして目をそむけた。トルニヤさまは口をもごもごさせて虫を噛み砕くためにしばらく黙った。
「もう疲れちゃった。いつまで歩けばいいんだろう」
口の中のモノを飲み込んでしまうと、トルニヤさまはうんざりしたように言った。
アーユーラは天井を振り仰いでみた。それから、元来た道のりを振り返ってみた。ずいぶん高く登っては来たけれど、這って進むにはまだかなりの時間がかかりそうだった。けれどそう言ってしまうのは気の毒に思えたので、
「もうあと一息ですよ。頑張ってくださいね」
と言った。トルニヤさまはそれが気安めだとわかったように苦笑した。アーユーラは悪いことを言ったような気がして、クフベツさまを促して先を急いだ。
しばらく進むと、また人影が見えてきた。
「トルニヤさまのおねえさまの、シズリヤさまです」
シズリヤさまは膨れたお腹が邪魔になってもはや四つん這いで進むことすらできなくなったのだろう、あおむけに横たわった状態でいざって進んでいた。すべての養分を卵に与えたかのように全身がしなびていた。衣服は完全に擦り切れて、ほとんど裸同然だった。髪は真っ白だった。それでもシズリヤさまの体は、まるで解けない呪いにかかってでもいるかのように、塔の天井に向かってイザリ虫のようにじりじりと進み続けていた。アーユーラが声をかけてももう返事もしなかった。まぶたの下で眼球がこっちへ動くのが見えただけだった。
アーユーラはクフベツさまの手をぎゅっと握った。クフベツさまの手が一瞬アーユーラの手を振りほどこうとするように抵抗したが、すぐに諦めたようにおとなしくなった。
アーユーラは
「失礼します」
と早口で言ってシズリヤさまを追い越そうとしたが、お腹が邪魔で脇をすり抜けることができなかった。アーユーラはなるべく卵に衝撃を与えないように注意しながら、シズリヤさまのお腹に這い上るようにして乗り越えた。
「お許しください、シズリヤさま」
もう聞こえてはいないだろうと思いながらも、アーユーラは律義に挨拶した。薄く引き伸ばされたお腹の皮膚越しに卵の殻のざらっとした感触が感じられて、アーユーラは思わずひッと悲鳴を上げた。
――結婚っていうのは、卵を産んで死ぬっていうことなんだ。
ハルマヤさまの声が聞こえてきたような気がした。
アーユーラは頭をぶんぶん振った。さっき、見事な翼をもつ翼をもつ者に抱かれて歓喜の声を上げていたハルマヤさまの姿を思い出した。
(それでも、ハルマヤさまは幸せになったんだ。これでいいんだわ。これがエマをもつ者の幸せなんだから)
アーユーラは自分に言い聞かせた。
スロープの手すり越しにちらりと見下ろすと、飽きもせずまた交わり続けているおとうさまとハルマヤさまの姿が見えた。ノル・ズーが落ちたら干し草の上でも助からないほどの高さまでいつの間にか上ってきていた。
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