エマをもつむすめ

ぴょん

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翼があると、またお熱が出るからね

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「なんかクラクラする」
「ほらごらん、無鉄砲なんだから……」
私はちょっとうろたえた。アーユーラは低くうめくと、お腹を押さえて突っ伏した。
「ど、どうしたんだい」
「何でもない、大丈夫、大丈夫」
とアーユーラは答えたが、ちっとも大丈夫そうではなかった。アーユーラのほうにかがみこんだ私は、地面に手を突いた拍子に、ぬるりとした生温かい物に触れて飛びのいた。
「血が出てるんじゃないのかい」
「どうしよう、晴れの日の着物が台なしになっちゃう」
「それどころじゃないだろ」
私はアーユーラの顔を覗き込んだ。
「お腹が痛むの? 言わんこっちゃない、とにかく少し横になってごらん」
「ううん、お腹が痛いのは治った」
アーユーラはけろりとして上体を起こすと、着物の裾を持ち上げて手を差し入れ、自分の下腹を確かめた。
「成功みたい」
「本当に?」
「ほら、見て」
アーユーラは着物の裾をめくりあげてそこを見せてくれたけど、暗がりの上に血で汚れていてよく見えなかった。
もっとも、よく見えたとしても、エマを見たこともない私にはそれが本物かどうかなんてわからなかっただろうね。
「私にはよく分からないね」
正直にそう言うと、
「大丈夫、私はハルマヤ様の体を洗って差し上げることもあるんだから。これはエマに違いないわ」
アーユーラは誇らしそうに微笑んだ。
「私、エマをもつむすめになったのよ」

「私は一度お城に戻るわ」
アーユーラはヨンジンの所に戻ってきて言った。
「エマニの実と引き換えに、クフベツさまを返してもらえるように頼んでみる。でも先にオルさまの手にエマニの実が渡ったらこの計画は失敗よ。ハルマヤさま以外の誰が来ても売らないでね」
「わかりました」
ヨンジンは不安そうだったけど、今はアーユーラを信じるしかないと覚悟を決めたようだった。

「その実を何粒かもらっていくわね。本当だって証拠に」
「何粒か?たくさん持ってきたんだけど」
ヨンジンが言った。やっぱり少し世間知らずなところがあるんだね。
アーユーラはニヤッと笑ってこう言った。
「相手が欲しい物を全部渡してしまったら交渉できないでしょう? 身代わりのひとが見つかったら、残りの実を持っていってクフベツさまを渡してもらえばいいわ」
ヨンジンはなるほどというようにうなずいた。

「おかあさん、ヨンジンのことはよろしくね」
「お前はもう来られないのかい」
私は不吉な予感がした。
「ええ、身代わりに結婚するんだもの」
「結婚したら、もう外には出られないってことかい?」
結婚したあとおひめさまたちがどうなるのかまでは私も知らなかった。結婚したあとはもう卵祭りに顔を出すこともないし……そう、考えてみたら結婚したあとのおひめさまを見たことは一度もなかったんだ。
「これが最後のお別れってこと?」
「おかあさん、いろいろありがとう」
答える代わりにアーユーラはそう言って私を優しく抱きしめた。

「あの時はすまなかったね」
それは長いこと胸につかえて言えなかった言葉だった。
「やだ、なんのこと?」
「私も若かった。子供を亡くしたばかりでね……」

あれはアーユーラにまだ真っ白な羽が生えていた頃だった。

それまで晴れていた空が突然掻き曇って大粒の雨が落ちてきた。森に遊びに出かけた子供たちのうちアーユーラだけがまだ帰ってきていなかった。
慌てて探しに行くと、アーユーラは森の中で雨にうたれて倒れていた。翼がぐっしょり濡れていた。

私は上の子を失くしたばかりだった。その子が死んだのも雨に濡れたせいだった。
私はアーユーラにつきっきりで幾晩も寝ずに看病した。疲れがたまって、ブレーキが利かなくなったのかもしれないね。
アーユーラの容体がようやく持ち直した晩、私は眠っているこの子の翼を切り落としたんだ。
柔らかい小さな翼を根元から切り落とした時の、あのあっけないほど軽い手ごたえは、今でもこの手に残っている。
翌朝目を覚ましたアーユーラは私のところへやってきて、べそをかきながらこう言った。
「おかあしゃん、私、翼をなくしちゃった」
まだよく口が回らないくらい幼い頃だった。私はアーユーラを膝の上に抱き上げてこう言った。
「翼なんかないほうがいいんだよ。おかあさんが切っておいた。翼があると、またお熱が出るからね」
アーユーラは私を見て、今にもワッと泣きだしそうな顔をした。けれどあわててうつむいて、丸っこい拳で頬っぺたの涙をごしごしぬぐうとこう言った。
「なんだ、そうだったの」
アーユーラは私の顔を見てにこっと笑った。
「おかあしゃん、ありがとう」

「お前はとてもかわいい子だった。あの時私にはお前しかいなかった。だからお前の翼を……」
「バカね。翼のことなんか、気にしてないってば」
アーユーラは屈託なく笑った。
「お前を失うのが怖かった。今だって怖いんだよ」
私は泣いた。別れは何度も経験したのに、そのたびに新しい涙が湧いてくるものだね。
「お前の生き方を否定する気はないんだよ。ただ見てると歯がゆいんだ。もっと得な生き方とか楽な生き方とか、あるはずじゃないのかい」
アーユーラは泣いている私を困ったように見てほほえむだけだった。
「いくら人を喜ばせるのが好きと言ったって、自分が死んでしまってはどうしようもないじゃないか」
「私、精いっぱい生きたつもりよ。翼はなくても幸せだった。私がこんなふうに生きてきたのは、こんなふうにしか生きられなかったからなの」
アーユーラはいたわるように私の背中をさすった。
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