17 / 49
そういうのを年寄りの冷や水って言うんだ
しおりを挟む
「次の夏、パパとクフベツが姿を消したんです」
とヨンジンが言った。
「気がつくと俺は小屋の近くの草むらに倒れてて、左の翼は半分に千切れてました。虫か獣に襲われたのかもしれない。何も覚えてないんです。何年も暮らしてたけど、あそこには危険な生き物なんかいなかったのに……」
ヨンジンはかすかに首を振り、ため息をついた。
「怪我が治って、大地の裂け目まで飛べるようになるまで7年かかりました。ちょうどエマニの実が実ったから持ってきたんです。貴重な物だってパパに聞いてたから。クフベツを探して旅をしてたら、大勢の翼をもたぬ者が都のほうに向かって歩いてて……」
「卵祭りがあるって聞いたんだね」
「はい」
ヨンジンはうなずいた。
「話し好きなひとたちで、いろいろ教えてくれました。クフベツと同じ名前のおひめさまがいるってことも、卵を拾えばおひめさまの近くに寄って話しかけられるってことも。だからここに来たんです」
「それで、クフベツさまは本当にあんたのねえさんだったのかい?」
「はい」
ヨンジンはキラキラした瞳で私をまっすぐに見た。
「祭壇に上った時、故郷の言葉で話しかけてみたんです。『一緒に帰ろう』って……。そうしたらとても驚いたような顔をして立ち上がった。顔も面影があります。それにあの深紅の瞳……。間違いありません」
「あんたとクフベツさまに、そんな縁があったとはね」
私はため息をついた。
「けど、いくらエマニの実と引き換えでも、クフベツさまを渡してはもらえないだろうね。モノやお金とは違うんだから」
「そうよ、そんなことをお願いしたら実を奪われて殺されてしまうかもしれないわ。クフベツさまを隠そうとしたデグーがどうなったか知らないの?」
「デグー?」
ヨンジンはハッとしたように顔を上げた。
「パパがどうなったんですって?」
「殺されたんだよ」
私が答えた。ヨンジンは一瞬息を止め、ぎゅっとこぶしを握って胸のあたりに当てた。
「そんなバカな。どういうことですか? パパがクフベツを隠そうとしたって……?」
「お人好しだね。ねえさんはそいつと一緒に姿を消したんだろう? そいつがクフベツさまをさらって隠してたんだよ。そればかりかずうずうしくエマニの実をお城に売りつけに来て、しっぽをつかまれたんだ。弓の名手のオルさまに射落とされたって話だよ」
ヨンジンは痛みをこらえるように長いことうつむいていた。アーユーラがチラッと私を非難するような目で見た。
「でも、クフベツがここにいるって確かめた以上、賭けてみます」
ヨンジンは決心したように立ち上がりながらそう言った。
「俺にはもうクフベツしかいないんだ。もしクフベツを取り戻せないなら、生きていたって意味ないんです」
エマをもつ者のこういう気性の激しさは私たちエマをもたぬ者にはよく分からない。生きていることに、そもそも意味なんてあるものかね?
「でも私、一つだけ試してみたいことがあるの」
アーユーラが慌ててヨンジンを押しとどめた。
「その実を一粒分けてくれない?」
「その実をどうする気だい」
私はアーユーラを近くの木蔭に引っ張っていって尋ねた。
「食べてみるの」
「お前が?」
私はびっくりして、
「それ一粒にどれだけの価値があるか、お前が知らないわけはないだろ。ヨンジンが命懸けで持ってきた実を食べると言うなら、それなりの理由があるんだろうね?」
「ハルマヤさまの研究によると、これを食べたエマをもたぬ者の体にはエマができるんですって」
「まさか!」
てっきりただの迷信だと思っていたが、天才の呼び声も高いハルマヤさまの研究と聞いては一笑に付すわけにもいかない。
「でも、なんでお前はエマが欲しいんだい」
「私が欲しいっていうわけじゃないのよ」
アーユーラは困った顔をして、
「おかあさんにだけ言うわね。ハルマヤさまに頼まれたの。ハルマヤさまの代わりにおとうさまと結婚してほしいって」
と言った。
「じゃ、ハルマヤさまはどうするんだい」
「研究を続けたいそうよ。でもそれじゃ卵を産むひとがいなくなっちゃうから、私が身代わりになることにしたの」
「ハルマヤさまの身代わりはお前ができたとして、クフベツさまはどうなる? ヨンジンのところに戻してやれないのかい?」
「もし私にハルマヤさまの身代わりが務まるなら、クフベツさまも誰かと代わってもらってもいいってことでしょう? 結婚したいという翼をもたぬ者はたくさんいるんだもの。おかあさんはどう?」
「私が? いやいや、私は遠慮しとくよ」
私はあわてて顔の前で手を振った。いくら私が好奇心旺盛だからと言っても、この年で恋をして卵を産みたいとは思わない。そういうのを年寄りの冷や水って言うんだ。アーユーラはいい子なんだけど、ちょっとズレてるところがある。
「ハルマヤさまもクフベツさまを逃がしたいと言ってたから、協力してくれると思う。でもまずハルマヤさまを先に逃がしてあげないと。ハルマヤさまは今夜ご結婚だから、今すぐ逃がしてあげないともう間に合わない」
「今年はもうエマニの実がないから、誰かが売りに来るまで結婚はできないって聞いたよ」
「ヨンジン以外にもエマニの実を売りに来る翼をもつ者がいないとは限らないでしょ」
アーユーラは、濃紫色の実を口に運ぶと、止める間もなくかみ砕いた。
「ちょっと、ヨンジンに断りもしないで……うまくいかなかったらどうするつもり? それに来年クフベツさまの身代わりになりたい翼をもたぬ者がいたとしても、どうやってお城に送り込むの?」
「そんな先のことまで心配したってしょうがないわ。私が成功しないことには、どうせ身代わりになんかなれないってことだもの。この1粒は私がもらったんだから、私が試してみたっていいでしょ」
アーユーラは平気な顔で言った。昔から言いだしたら聞かない子なんだ。
「それで、どうだい?」
私はアーユーラの顔を恐る恐るのぞきこんだ。
「変な味」
アーユーラは顔をしかめた。
「そういうことじゃなくて、エマは?」
「うーん、別に体は何ともないわね……」
と言いながらもアーユーラは急にふらふらとしゃがみこんだ。
とヨンジンが言った。
「気がつくと俺は小屋の近くの草むらに倒れてて、左の翼は半分に千切れてました。虫か獣に襲われたのかもしれない。何も覚えてないんです。何年も暮らしてたけど、あそこには危険な生き物なんかいなかったのに……」
ヨンジンはかすかに首を振り、ため息をついた。
「怪我が治って、大地の裂け目まで飛べるようになるまで7年かかりました。ちょうどエマニの実が実ったから持ってきたんです。貴重な物だってパパに聞いてたから。クフベツを探して旅をしてたら、大勢の翼をもたぬ者が都のほうに向かって歩いてて……」
「卵祭りがあるって聞いたんだね」
「はい」
ヨンジンはうなずいた。
「話し好きなひとたちで、いろいろ教えてくれました。クフベツと同じ名前のおひめさまがいるってことも、卵を拾えばおひめさまの近くに寄って話しかけられるってことも。だからここに来たんです」
「それで、クフベツさまは本当にあんたのねえさんだったのかい?」
「はい」
ヨンジンはキラキラした瞳で私をまっすぐに見た。
「祭壇に上った時、故郷の言葉で話しかけてみたんです。『一緒に帰ろう』って……。そうしたらとても驚いたような顔をして立ち上がった。顔も面影があります。それにあの深紅の瞳……。間違いありません」
「あんたとクフベツさまに、そんな縁があったとはね」
私はため息をついた。
「けど、いくらエマニの実と引き換えでも、クフベツさまを渡してはもらえないだろうね。モノやお金とは違うんだから」
「そうよ、そんなことをお願いしたら実を奪われて殺されてしまうかもしれないわ。クフベツさまを隠そうとしたデグーがどうなったか知らないの?」
「デグー?」
ヨンジンはハッとしたように顔を上げた。
「パパがどうなったんですって?」
「殺されたんだよ」
私が答えた。ヨンジンは一瞬息を止め、ぎゅっとこぶしを握って胸のあたりに当てた。
「そんなバカな。どういうことですか? パパがクフベツを隠そうとしたって……?」
「お人好しだね。ねえさんはそいつと一緒に姿を消したんだろう? そいつがクフベツさまをさらって隠してたんだよ。そればかりかずうずうしくエマニの実をお城に売りつけに来て、しっぽをつかまれたんだ。弓の名手のオルさまに射落とされたって話だよ」
ヨンジンは痛みをこらえるように長いことうつむいていた。アーユーラがチラッと私を非難するような目で見た。
「でも、クフベツがここにいるって確かめた以上、賭けてみます」
ヨンジンは決心したように立ち上がりながらそう言った。
「俺にはもうクフベツしかいないんだ。もしクフベツを取り戻せないなら、生きていたって意味ないんです」
エマをもつ者のこういう気性の激しさは私たちエマをもたぬ者にはよく分からない。生きていることに、そもそも意味なんてあるものかね?
「でも私、一つだけ試してみたいことがあるの」
アーユーラが慌ててヨンジンを押しとどめた。
「その実を一粒分けてくれない?」
「その実をどうする気だい」
私はアーユーラを近くの木蔭に引っ張っていって尋ねた。
「食べてみるの」
「お前が?」
私はびっくりして、
「それ一粒にどれだけの価値があるか、お前が知らないわけはないだろ。ヨンジンが命懸けで持ってきた実を食べると言うなら、それなりの理由があるんだろうね?」
「ハルマヤさまの研究によると、これを食べたエマをもたぬ者の体にはエマができるんですって」
「まさか!」
てっきりただの迷信だと思っていたが、天才の呼び声も高いハルマヤさまの研究と聞いては一笑に付すわけにもいかない。
「でも、なんでお前はエマが欲しいんだい」
「私が欲しいっていうわけじゃないのよ」
アーユーラは困った顔をして、
「おかあさんにだけ言うわね。ハルマヤさまに頼まれたの。ハルマヤさまの代わりにおとうさまと結婚してほしいって」
と言った。
「じゃ、ハルマヤさまはどうするんだい」
「研究を続けたいそうよ。でもそれじゃ卵を産むひとがいなくなっちゃうから、私が身代わりになることにしたの」
「ハルマヤさまの身代わりはお前ができたとして、クフベツさまはどうなる? ヨンジンのところに戻してやれないのかい?」
「もし私にハルマヤさまの身代わりが務まるなら、クフベツさまも誰かと代わってもらってもいいってことでしょう? 結婚したいという翼をもたぬ者はたくさんいるんだもの。おかあさんはどう?」
「私が? いやいや、私は遠慮しとくよ」
私はあわてて顔の前で手を振った。いくら私が好奇心旺盛だからと言っても、この年で恋をして卵を産みたいとは思わない。そういうのを年寄りの冷や水って言うんだ。アーユーラはいい子なんだけど、ちょっとズレてるところがある。
「ハルマヤさまもクフベツさまを逃がしたいと言ってたから、協力してくれると思う。でもまずハルマヤさまを先に逃がしてあげないと。ハルマヤさまは今夜ご結婚だから、今すぐ逃がしてあげないともう間に合わない」
「今年はもうエマニの実がないから、誰かが売りに来るまで結婚はできないって聞いたよ」
「ヨンジン以外にもエマニの実を売りに来る翼をもつ者がいないとは限らないでしょ」
アーユーラは、濃紫色の実を口に運ぶと、止める間もなくかみ砕いた。
「ちょっと、ヨンジンに断りもしないで……うまくいかなかったらどうするつもり? それに来年クフベツさまの身代わりになりたい翼をもたぬ者がいたとしても、どうやってお城に送り込むの?」
「そんな先のことまで心配したってしょうがないわ。私が成功しないことには、どうせ身代わりになんかなれないってことだもの。この1粒は私がもらったんだから、私が試してみたっていいでしょ」
アーユーラは平気な顔で言った。昔から言いだしたら聞かない子なんだ。
「それで、どうだい?」
私はアーユーラの顔を恐る恐るのぞきこんだ。
「変な味」
アーユーラは顔をしかめた。
「そういうことじゃなくて、エマは?」
「うーん、別に体は何ともないわね……」
と言いながらもアーユーラは急にふらふらとしゃがみこんだ。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる