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お前たちが助けてくれたのか。ところでここはどこだい
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見渡す限り誰もいなかった。
時折、はるかな天の裂け目から卵が落ちてきて、柔らかな草に受け止められることがなければ、住む者もない秘境の地だ。
見はるかす草原の中で何か生き物に出会えるとしたら、奇跡にも近い偶然だった。
草また草の中にポツンと、小さな小屋があった。
住んでいたのは、恐ろしく年老いた翼をもたぬ者だった。この草原のどこかに落ちている卵があれば拾ってきて、温めるだけの生涯だった。
もっとも、大地の裂け目から卵が落ちてくることなど、めったにあることではなかった。
最後の翼をもつ者がいつの間にか帰ってこなくなってから、もうどのくらい経つのだろう。そのあと拾った卵は、中で腐っていた。諦めきれずに何日か抱いてみたが、最後には殻がもろくなって、破れたところから腐った汁が染み出てきたので草原に埋めた。
なぜここにいるのかも、もう忘れた。裂け目から足を滑らせたのか、卵の時に落ちてきたのか。誰に育てられたのか。ここで生まれたのか。
それは本当に久しぶりに拾った卵だった。翼をもたぬ者はその卵を大切に温めた。その卵が明日にも孵るという時、水を汲みに来たノル・ズーは、泉のほとりで新しい卵を見つけた。
この卵を持って帰ったら、生まれたばかりの子供の世話をしながら卵を温めることになる。この頃は年のせいかちょっと動くと足腰が痛くなる。もう乳も出なくなっていたから、卵が孵ったら毎日柔らかい草の実を集めてすり潰して与えなければならない。
しばらくためらったのち、翼をもたぬ者は卵を拾い上げた。これが自分の拾う最後の卵になるかもしれない。もしも置いて帰ったら、思い出すたびに胸が痛むだろう。
次の日に孵った子には生まれつき翼がなかった。おかあさんは子供をクフベツと名付けた。1年後に翼をもつ者が生まれた。おかあさんはこの子をヨンジンと名付けた。
ヨンジンの羽根が大人になるまで抜けなければいいとおかあさんは思った。そうすれば、2人はやがて結婚してたくさんの卵を産むだろう。
おかあさんはいつかこのエマニの原が、たくさんの子供たちであふれる日を夢見ながら死んだ。
死体が腐って悪臭を放つので、2人の子供は小屋をあとにして当てもなくさまよった。大地の底にあるエマニの原は雨が降らず、気温も安定していて水も木の実も豊富だった。
2人はおかあさんに教わった歌を歌いながら何日も歩いた。誰にも会わなかった。
同じような風景の続く草原を、当てもなく、もしかしたら同じところをぐるぐる歩いていたのかもしれない。別に構わなかった。
ヨンジンにはクフベツさまがいたし、クフベツさまにはヨンジンがいて、それで十分だったのだ。
唐突にクフベツさまがキャッと叫んでヨンジンにむしゃぶりつく。一瞬で心の弾みが伝染して、ヨンジンも奇声を上げてクフベツさまにつかみかかる。組み敷かれたクフベツさまは低くうなりをあげながら相手を引き倒す隙を窺っている。爪をヨンジンの細い肩に力任せに突き立て、脚でヨンジンの腹を蹴り上げようとする。
その瞬間、二人の体は宙を舞う。ヨンジンがとっさに舞い上がったのだ。ヨンジンの肩をつかんだまま宙づりになったクフベツさまが悲鳴をあげる。ヨンジンはあわてて舞い降りる。
「もう遊ばないから!」
クフベツさまは悔し涙でのどを詰まらせながらヨンジンをたたく。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
ヨンジンは転げまわって逃げながらかすれた声で謝る。クフベツさまのほうがまだ体も大きくて力も強い。飛んで逃げたらもっと怒られると思って……。
いつしかケンカに疲れると、頬を寄せ合ったまま泣き寝入りして、目覚めれば元どおりの仲のいい二人だ。いくら『もう遊ばない』と言ったって、他には誰もいないのだから……。
ある日二人は、草原に倒れている翼をもつ者を見つけた。
「死んでるの?」
ヨンジンが恐る恐る聞く。クフベツさまはかがみこんでじっと見ていたが、
「生きてる。でもとても弱ってる」
と言った。
「ヨンジン、ミワカゴの葉を取ってきて」
クフベツさまはヨンジンが熱を出した時におかあさんが取ってきた葉を覚えていたんだ。
「どこにあるの?」
「おかあさんの小屋の裏にあった木を覚えてない? うんと高く飛べば小屋が見えるんじゃないかな。あれからずいぶん歩いたから、遠く離れちゃったかもしれないけど」
ヨンジンは高く飛んでみた。するとすぐそばに小屋はあった。
『歩くってとても時間のかかることだな』とヨンジンは思った。
ヨンジンはあっという間にミワカゴの葉を取ってくるとクフベツさまに渡した。クフベツさまはおかあさんがやっていたのを思い出して、葉を石で潰して水でのばして翼をもつ者の口に入れてやった。木の実や草の実も潰して口に入れてやった。
ある朝二人が水を汲んで戻ってくると、翼をもつ者はふらふらしながら上体を起こした。
「お前たちが助けてくれたのか」
「そうだよ。元気になったんだね!」
二人は喜んで飛び跳ねた。翼をもつ者は二人の頭をかわるがわるなでてありがとうと言った。
「ところでここはどこだい」
二人は顔を見合せた。ここが何という場所かなんて知らなかった。考えたこともなかった。おかあさんの小屋と原っぱ、それが世界のすべてだったから。
「まあいいや。俺の名前はデグーだ」
時折、はるかな天の裂け目から卵が落ちてきて、柔らかな草に受け止められることがなければ、住む者もない秘境の地だ。
見はるかす草原の中で何か生き物に出会えるとしたら、奇跡にも近い偶然だった。
草また草の中にポツンと、小さな小屋があった。
住んでいたのは、恐ろしく年老いた翼をもたぬ者だった。この草原のどこかに落ちている卵があれば拾ってきて、温めるだけの生涯だった。
もっとも、大地の裂け目から卵が落ちてくることなど、めったにあることではなかった。
最後の翼をもつ者がいつの間にか帰ってこなくなってから、もうどのくらい経つのだろう。そのあと拾った卵は、中で腐っていた。諦めきれずに何日か抱いてみたが、最後には殻がもろくなって、破れたところから腐った汁が染み出てきたので草原に埋めた。
なぜここにいるのかも、もう忘れた。裂け目から足を滑らせたのか、卵の時に落ちてきたのか。誰に育てられたのか。ここで生まれたのか。
それは本当に久しぶりに拾った卵だった。翼をもたぬ者はその卵を大切に温めた。その卵が明日にも孵るという時、水を汲みに来たノル・ズーは、泉のほとりで新しい卵を見つけた。
この卵を持って帰ったら、生まれたばかりの子供の世話をしながら卵を温めることになる。この頃は年のせいかちょっと動くと足腰が痛くなる。もう乳も出なくなっていたから、卵が孵ったら毎日柔らかい草の実を集めてすり潰して与えなければならない。
しばらくためらったのち、翼をもたぬ者は卵を拾い上げた。これが自分の拾う最後の卵になるかもしれない。もしも置いて帰ったら、思い出すたびに胸が痛むだろう。
次の日に孵った子には生まれつき翼がなかった。おかあさんは子供をクフベツと名付けた。1年後に翼をもつ者が生まれた。おかあさんはこの子をヨンジンと名付けた。
ヨンジンの羽根が大人になるまで抜けなければいいとおかあさんは思った。そうすれば、2人はやがて結婚してたくさんの卵を産むだろう。
おかあさんはいつかこのエマニの原が、たくさんの子供たちであふれる日を夢見ながら死んだ。
死体が腐って悪臭を放つので、2人の子供は小屋をあとにして当てもなくさまよった。大地の底にあるエマニの原は雨が降らず、気温も安定していて水も木の実も豊富だった。
2人はおかあさんに教わった歌を歌いながら何日も歩いた。誰にも会わなかった。
同じような風景の続く草原を、当てもなく、もしかしたら同じところをぐるぐる歩いていたのかもしれない。別に構わなかった。
ヨンジンにはクフベツさまがいたし、クフベツさまにはヨンジンがいて、それで十分だったのだ。
唐突にクフベツさまがキャッと叫んでヨンジンにむしゃぶりつく。一瞬で心の弾みが伝染して、ヨンジンも奇声を上げてクフベツさまにつかみかかる。組み敷かれたクフベツさまは低くうなりをあげながら相手を引き倒す隙を窺っている。爪をヨンジンの細い肩に力任せに突き立て、脚でヨンジンの腹を蹴り上げようとする。
その瞬間、二人の体は宙を舞う。ヨンジンがとっさに舞い上がったのだ。ヨンジンの肩をつかんだまま宙づりになったクフベツさまが悲鳴をあげる。ヨンジンはあわてて舞い降りる。
「もう遊ばないから!」
クフベツさまは悔し涙でのどを詰まらせながらヨンジンをたたく。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
ヨンジンは転げまわって逃げながらかすれた声で謝る。クフベツさまのほうがまだ体も大きくて力も強い。飛んで逃げたらもっと怒られると思って……。
いつしかケンカに疲れると、頬を寄せ合ったまま泣き寝入りして、目覚めれば元どおりの仲のいい二人だ。いくら『もう遊ばない』と言ったって、他には誰もいないのだから……。
ある日二人は、草原に倒れている翼をもつ者を見つけた。
「死んでるの?」
ヨンジンが恐る恐る聞く。クフベツさまはかがみこんでじっと見ていたが、
「生きてる。でもとても弱ってる」
と言った。
「ヨンジン、ミワカゴの葉を取ってきて」
クフベツさまはヨンジンが熱を出した時におかあさんが取ってきた葉を覚えていたんだ。
「どこにあるの?」
「おかあさんの小屋の裏にあった木を覚えてない? うんと高く飛べば小屋が見えるんじゃないかな。あれからずいぶん歩いたから、遠く離れちゃったかもしれないけど」
ヨンジンは高く飛んでみた。するとすぐそばに小屋はあった。
『歩くってとても時間のかかることだな』とヨンジンは思った。
ヨンジンはあっという間にミワカゴの葉を取ってくるとクフベツさまに渡した。クフベツさまはおかあさんがやっていたのを思い出して、葉を石で潰して水でのばして翼をもつ者の口に入れてやった。木の実や草の実も潰して口に入れてやった。
ある朝二人が水を汲んで戻ってくると、翼をもつ者はふらふらしながら上体を起こした。
「お前たちが助けてくれたのか」
「そうだよ。元気になったんだね!」
二人は喜んで飛び跳ねた。翼をもつ者は二人の頭をかわるがわるなでてありがとうと言った。
「ところでここはどこだい」
二人は顔を見合せた。ここが何という場所かなんて知らなかった。考えたこともなかった。おかあさんの小屋と原っぱ、それが世界のすべてだったから。
「まあいいや。俺の名前はデグーだ」
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