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第7章

第66話

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 遠藤が、万葉の通う居酒屋に最近ずっと通い詰めていることを知っているのは、居酒屋の乙女なマスターのみだ。しかし、遠藤が万葉の同僚であることは、全く知らない。

 今夜も遠藤は万葉のお気に入りだという居酒屋へと、常務こと師匠目当てに赴いた。今夜万葉が来ないことを知っていて、足を運んだのだった。

「あら、いらっしゃーい!」

 威勢の良いマスターの声に遠藤は微笑みながら、カウンターへと座る。温かいおしぼりで手を拭きながら、師匠が来るのを待ちつつ、ゆっくりと食べることにした。

 そうとは知らない師匠は、携帯電話の着信を確認する前に、マスターの元へと向かっていた。今夜は万葉は来られないと言っていたのだが、冷蔵庫が空っぽだったので立ち寄ることにした。

「こんばんは」

 引き戸を開けて中に入ると、すでにいた遠藤が目をまん丸くした。それに師匠は気がつかないまま、いつもの席に腰を下ろす。奇しくも、遠藤の隣だった。

「師匠、今日は美味しい牡蠣入ったけど食べる?」

「いただきます。あと何か適当にお願いします」

「あら、今日は万葉ちゃん来られないの?」

「残業だと言っていました」

 おしぼりで手を拭いて苦笑いしていると、自分のことをじっと見つめてくる視線に気がついて、師匠は横に座る人物を見た。

「こんばんは」

「あ、こ、こんばんは……」

 師匠に見とれていた遠藤は声をかけてもらえたことに驚いて、つい声を詰まらせた。師匠はそれだけ言ってにこりと笑うと、お通しを口へと運んだ。そして思い出したように携帯電話を取り出す。

「あ、あの。田中常務」

 画面を見ようとしたところで声をかけられて、師匠は隣に座る遠藤をまじまじと見つめた。

「はい、どうしましたか?」

「あ、あの私……」

 師匠は携帯電話を横に置く。見覚えのない顔だったので、勤めている会社の人間ではないのだろうという察しはついた。

「あの、田中常務のことずっと前から気になっていて」

「……」

 師匠は穏やかな表情をしているが、そこに柔らかい雰囲気は微塵もなかった。

「結婚しているのも知っています。でも、恵先輩にチャンスがあるなら、私にもあるかと思って」

「万葉さんの同僚ですか」

 師匠はお酒を頼むのを止めて、出された牡蠣を目前にして手を付けないまま、遠藤を見つめた。

「田中常務、私と付き合ってもらえませんか――?」



 ***



「遠藤を吹っ掛けたのは俺の責任だからな、俺も行く」

 会議が終わった後、慌てて飛び出そうとする万葉の手を、新海が引っ張った。

「どうしよう、師匠、電話も出ない……!」

「大丈夫だって。居酒屋にいるかも分かんないし、とりあえず落ち着け」

 うんと万葉は言ったものの、心はソワソワ落ち着かない。コートを羽織って新海とすぐに外へと出た。もうすぐ四月がやって来る。満開に近くなった桜が、あちこちで花吹雪を舞い散らせている。

 駅に着くと電車が遅れていて、万葉は思わず眉間に皺を寄せた。新海がちらりと時計を確認する。すでに時刻は二十時半を回っていた。

「急ぎたいときに限って……どうして電車まで遅れるのよ」

「落ち着けってことだよきっと。急いては事を仕損じる。遅れているって言っても三分くらいだ……ああほら、来たみたいだぞ」

 新海の視線の先を見れば、やって来る電車のライトが光って見える。万葉は携帯電話を確認しながら、焦る気持ちで電車を待った。
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