33 / 73
第4章
第31話
しおりを挟む
「お邪魔します」
「どうぞ、散らかっていますけど……来るなら言ってくれれば、少しは片づけられたんですけどね。突撃されるとは思ってもみなかったから」
「片付けしている時間が惜しいです。早く万葉さんに会いたくって、我慢できなくて来ちゃいました」
見れば、心底嬉しそうな顔をした師匠の笑顔と、視線がばっちり合う。えくぼが師匠のご機嫌を表していた。
「……そういうところが、手練れた天然ジゴロです。おこた入っててください」
「いいですね、おこた。僕、大好きですよ」
「師匠、風邪は治りましたか? ご飯食べてないですよね?」
「風邪はもうばっちりです。お夕飯はまだです。どこかへ食べに行きますか?」
そこで万葉《かずは》は冷蔵庫を開けて見てみる。
「豚肉とキャベツの味噌炒めなら作れます」
師匠がおこたでぬくぬくしながら、「奥さんの手料理、最高ですね」と満足そうに身体を机の上にでれんと乗せている。相当機嫌がいいのが分かって、万葉は憎めなくて微笑むと、さっそく料理に取り掛かった。
「お手伝い、いりますか?」
「いいですよ。ご老体はお疲れでしょうから、休んでいてください」
「ではお言葉に甘えて。忙しかったご老体はおこたにいますね」
みかんがあったのを思い出してそれを一つ師匠に渡して、テレビをつける。トーク番組が流れだして、師匠は目を細めてそれを見た。その姿を横目に、万葉はパパッと料理をこしらえると、テーブルの上に並べた。
「わあ、美味しそうです万葉さん……お味噌汁いい匂い」
「こんなものしか用意できなくてごめんなさい」
「いえいえ、嬉しすぎて……。来てよかったです」
本当にうれしそうにしているので、万葉は今まで会えなかった文句や不安が、一瞬にして解けて行ってしまった。
美味しい美味しいと言いながら食べる姿に、万葉は気持ちが満たされた。食後にアイスクリームを半分こして食べたところで、お腹がいっぱいになった。
「はあ、お腹いっぱいです。ごちそうさまでした。それにしても、万葉さんのお部屋、物が少ないですね」
「そうですかね……まあ、必要最低限しか持っていないですけど」
彼氏と別れてから、デート服を一気に整理した。おかげで、通勤服しか持ち合わせていないのも、何かと物が少なくて済んでいるコツだった。趣味の書道も大掛かりな道具が必要なものではないし、本も電子書籍で購入するようになってからは、一気に物が減った。
「これくらいでしたら、僕が車借りてきてもいけそうですね、お引越し」
「え……師匠。まさか私の部屋の様子、下見に来たんですか?」
「会いたくて来たんですよ、って言いましたよね?」
ニコニコと食えない笑みで返されて、万葉はこれはどっちが本当か分からなくなる。
「でも、本当にお引越し考えないと。もう卒業シーズンで、業者さんは予約が取れなくなりますよ?」
言われて、そういえばこの部屋の更新が四月だったのを思い出す。今それを口に出したら、すぐさま師匠は車を借りて、今すぐ引っ越しだと言いかねない。なので、万葉はそのことを黙っておいた。
「そうですか……でも、ちょっと待ってください。引っ越しするなら、荷物をもう少し片づけたいです」
本当は、引っ越しするのがほんの少し怖かった。このまま一緒に暮らして、大丈夫だろうかと、不安がよぎる。
元々は万葉のエゴでした結婚だ。いつか師匠が、やっぱりわがままに付き合っていられないから別れましょう、と言ってくるリスクを考えておかないと、手ひどいしっぺ返しを食らいたくはない。
万が一好きになってしまってから、さようならを言われたら。万葉は心のどこかでそれを恐れている。手放しで結婚を喜べるほど、夢見る年齢でいられなくなっている自分がいた。
「どうぞ、散らかっていますけど……来るなら言ってくれれば、少しは片づけられたんですけどね。突撃されるとは思ってもみなかったから」
「片付けしている時間が惜しいです。早く万葉さんに会いたくって、我慢できなくて来ちゃいました」
見れば、心底嬉しそうな顔をした師匠の笑顔と、視線がばっちり合う。えくぼが師匠のご機嫌を表していた。
「……そういうところが、手練れた天然ジゴロです。おこた入っててください」
「いいですね、おこた。僕、大好きですよ」
「師匠、風邪は治りましたか? ご飯食べてないですよね?」
「風邪はもうばっちりです。お夕飯はまだです。どこかへ食べに行きますか?」
そこで万葉《かずは》は冷蔵庫を開けて見てみる。
「豚肉とキャベツの味噌炒めなら作れます」
師匠がおこたでぬくぬくしながら、「奥さんの手料理、最高ですね」と満足そうに身体を机の上にでれんと乗せている。相当機嫌がいいのが分かって、万葉は憎めなくて微笑むと、さっそく料理に取り掛かった。
「お手伝い、いりますか?」
「いいですよ。ご老体はお疲れでしょうから、休んでいてください」
「ではお言葉に甘えて。忙しかったご老体はおこたにいますね」
みかんがあったのを思い出してそれを一つ師匠に渡して、テレビをつける。トーク番組が流れだして、師匠は目を細めてそれを見た。その姿を横目に、万葉はパパッと料理をこしらえると、テーブルの上に並べた。
「わあ、美味しそうです万葉さん……お味噌汁いい匂い」
「こんなものしか用意できなくてごめんなさい」
「いえいえ、嬉しすぎて……。来てよかったです」
本当にうれしそうにしているので、万葉は今まで会えなかった文句や不安が、一瞬にして解けて行ってしまった。
美味しい美味しいと言いながら食べる姿に、万葉は気持ちが満たされた。食後にアイスクリームを半分こして食べたところで、お腹がいっぱいになった。
「はあ、お腹いっぱいです。ごちそうさまでした。それにしても、万葉さんのお部屋、物が少ないですね」
「そうですかね……まあ、必要最低限しか持っていないですけど」
彼氏と別れてから、デート服を一気に整理した。おかげで、通勤服しか持ち合わせていないのも、何かと物が少なくて済んでいるコツだった。趣味の書道も大掛かりな道具が必要なものではないし、本も電子書籍で購入するようになってからは、一気に物が減った。
「これくらいでしたら、僕が車借りてきてもいけそうですね、お引越し」
「え……師匠。まさか私の部屋の様子、下見に来たんですか?」
「会いたくて来たんですよ、って言いましたよね?」
ニコニコと食えない笑みで返されて、万葉はこれはどっちが本当か分からなくなる。
「でも、本当にお引越し考えないと。もう卒業シーズンで、業者さんは予約が取れなくなりますよ?」
言われて、そういえばこの部屋の更新が四月だったのを思い出す。今それを口に出したら、すぐさま師匠は車を借りて、今すぐ引っ越しだと言いかねない。なので、万葉はそのことを黙っておいた。
「そうですか……でも、ちょっと待ってください。引っ越しするなら、荷物をもう少し片づけたいです」
本当は、引っ越しするのがほんの少し怖かった。このまま一緒に暮らして、大丈夫だろうかと、不安がよぎる。
元々は万葉のエゴでした結婚だ。いつか師匠が、やっぱりわがままに付き合っていられないから別れましょう、と言ってくるリスクを考えておかないと、手ひどいしっぺ返しを食らいたくはない。
万が一好きになってしまってから、さようならを言われたら。万葉は心のどこかでそれを恐れている。手放しで結婚を喜べるほど、夢見る年齢でいられなくなっている自分がいた。
16
お気に入りに追加
124
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

私は幼い頃に死んだと思われていた侯爵令嬢でした
さこの
恋愛
幼い頃に誘拐されたマリアベル。保護してくれた男の人をお母さんと呼び、父でもあり兄でもあり家族として暮らしていた。
誘拐される以前の記憶は全くないが、ネックレスにマリアベルと名前が記されていた。
数年後にマリアベルの元に侯爵家の遣いがやってきて、自分は貴族の娘だと知る事になる。
お母さんと呼ぶ男の人と離れるのは嫌だが家に戻り家族と会う事になった。
片田舎で暮らしていたマリアベルは貴族の子女として学ぶ事になるが、不思議と読み書きは出来るし食事のマナーも悪くない。
お母さんと呼ばれていた男は何者だったのだろうか……? マリアベルは貴族社会に馴染めるのか……
っと言った感じのストーリーです。
あなたと恋に落ちるまで~御曹司は、一途に私に恋をする~
けいこ
恋愛
カフェも併設されたオシャレなパン屋で働く私は、大好きなパンに囲まれて幸せな日々を送っていた。
ただ…
トラウマを抱え、恋愛が上手く出来ない私。
誰かを好きになりたいのに傷つくのが怖いって言う恋愛こじらせ女子。
いや…もう女子と言える年齢ではない。
キラキラドキドキした恋愛はしたい…
結婚もしなきゃいけないと…思ってはいる25歳。
最近、パン屋に来てくれるようになったスーツ姿のイケメン過ぎる男性。
彼が百貨店などを幅広く経営する榊グループの社長で御曹司とわかり、店のみんなが騒ぎ出して…
そんな人が、
『「杏」のパンを、時々会社に配達してもらいたい』
だなんて、私を指名してくれて…
そして…
スーパーで買ったイチゴを落としてしまったバカな私を、必死に走って追いかけ、届けてくれた20歳の可愛い系イケメン君には、
『今度、一緒にテーマパーク行って下さい。この…メロンパンと塩パンとカフェオレのお礼したいから』
って、誘われた…
いったい私に何が起こっているの?
パン屋に出入りする同年齢の爽やかイケメン、パン屋の明るい美人店長、バイトの可愛い女の子…
たくさんの個性溢れる人々に関わる中で、私の平凡過ぎる毎日が変わっていくのがわかる。
誰かを思いっきり好きになって…
甘えてみても…いいですか?
※after story別作品で公開中(同じタイトル)
私を溺愛してくれたのは同期の御曹司でした
日下奈緒
恋愛
課長としてキャリアを積む恭香。
若い恋人とラブラブだったが、その恋人に捨てられた。
40歳までには結婚したい!
婚活を決意した恭香を口説き始めたのは、同期で仲のいい柊真だった。
今更あいつに口説かれても……

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました
入海月子
恋愛
有本瑞希
仕事に燃える設計士 27歳
×
黒瀬諒
飄々として軽い一級建築士 35歳
女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。
彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。
ある日、同僚のミスが発覚して――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる