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第3章
第20話
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師匠に記入してもらった会社への提出書類を、きっちりコピーを取って、総務部へと届けに行ったのはそれから二日後だった。なんだかんだでバタバタしてしまい、総務部へ行くのも遅れてしまった。
提出するとものすごく驚かれた顔をしたのだが、絶対に誰にも言わないでと念押しし、さらに会社でこのことは総務しか知らないのだから、噂が広まったら総務のせいにするし会社を辞める、と勢いよく言っておいた。
鬼気迫る万葉の表情に恐れをなした総務部の若い女性は、笑顔を引きつらせて、上司に伝えておきますと返事をする。
離職率も高い中、こうして長年勤めている万葉は重宝されているのだ。それを逆手にとって、言おうものなら七代先まで呪うくらいの勢いで緘口令をしいた。
「脅してごめんなさい。でも、本当に内緒にしてもらいたくて……自分の口から言えるようになったら報告に来ます」
あまりにも怖く迫りすぎたなと万葉が反省すると、女性はほんの少しほっとした顔をする。
「いいえ、事情があるのは分かりましたし、プライベートなことを他の人に話すのは良くないのも分かっています。上司もその辺はしっかりしていますので、安心してほしいです」
その言葉に、万葉の方がほっとした。離婚するかもしれないから黙っておいてほしいというわけではないのだが、未だに実感も湧かない結婚を、周りからとやかく言われたくはなかった。
(堂々と、真っ向から、自分の口で言いたい……師匠の事好きだって、自慢の旦那さんだって。でもまだ……)
師匠のことをちゃんと旦那ですと言える自分になってから、しっかりした気持ちでみんなに伝えるということが、今万葉ができる精一杯の師匠への誠意だと思っていた。
今のところずいぶんと甘やかされている気もするのだが、しっかりしなくちゃと気を引き締めるのは、このままだとずぶずぶと師匠に、はまってしまいそうだったからだ。
「だって、あのおじ様、見れば見るほどきれいな顔しているし……おまけに甘やかされすぎて、恋愛耐性ゼロの私からしたら極甘すぎるような気がする……」
と、総務部を後にして廊下でため息をついていると、噂をすれば何とやら、ポケットに入れていた携帯電話がぶるぶると震えた。見ればディスプレイに〈田中紫龍〉の文字がある。
慌てて廊下の隅に身体を寄せて出ると、穏やかな息づかいが聞こえてくる。
『もしもし、万葉さん? 僕です』
「僕僕詐欺の師匠ですね。こんにちは、どうしましたか?」
『あはは、そうそう。僕僕詐欺の僕ですよ。今夜、お夕飯をご一緒しませんか? 好きな物を作っておきます』
「いいんですか!? 私手伝いますよ?」
『大丈夫ですよ、僕が作っておきますから。ちなみに、お泊りの予定でどうぞ……ああ、大丈夫ですよ。僕は上の階で寝ますから安心してください。嫌なら断ってもらっても大丈夫ですが、地団太が』
「分かりました!」
地団太をこの人に踏ませてはいけないと、万葉の中の何かが警鐘を鳴らす。例え見た目が優男で物腰が柔らかくて温厚でも、こういう人ほどいざという時に、華麗なる攻めの一手で盤面を覆すのだ。
「泊まりの準備します!」
『お待ちしています』
嬉しそうに言われて、万葉は電話を切ると複雑な顔をした。
「まずい、これは師匠の甘やかされ大作戦にドはまりしている気がする……」
ふうと息を吐くと、それでも美味しいものが食べられて、あのぬくもりのある家に行けるのならと心は踊る。
提出するとものすごく驚かれた顔をしたのだが、絶対に誰にも言わないでと念押しし、さらに会社でこのことは総務しか知らないのだから、噂が広まったら総務のせいにするし会社を辞める、と勢いよく言っておいた。
鬼気迫る万葉の表情に恐れをなした総務部の若い女性は、笑顔を引きつらせて、上司に伝えておきますと返事をする。
離職率も高い中、こうして長年勤めている万葉は重宝されているのだ。それを逆手にとって、言おうものなら七代先まで呪うくらいの勢いで緘口令をしいた。
「脅してごめんなさい。でも、本当に内緒にしてもらいたくて……自分の口から言えるようになったら報告に来ます」
あまりにも怖く迫りすぎたなと万葉が反省すると、女性はほんの少しほっとした顔をする。
「いいえ、事情があるのは分かりましたし、プライベートなことを他の人に話すのは良くないのも分かっています。上司もその辺はしっかりしていますので、安心してほしいです」
その言葉に、万葉の方がほっとした。離婚するかもしれないから黙っておいてほしいというわけではないのだが、未だに実感も湧かない結婚を、周りからとやかく言われたくはなかった。
(堂々と、真っ向から、自分の口で言いたい……師匠の事好きだって、自慢の旦那さんだって。でもまだ……)
師匠のことをちゃんと旦那ですと言える自分になってから、しっかりした気持ちでみんなに伝えるということが、今万葉ができる精一杯の師匠への誠意だと思っていた。
今のところずいぶんと甘やかされている気もするのだが、しっかりしなくちゃと気を引き締めるのは、このままだとずぶずぶと師匠に、はまってしまいそうだったからだ。
「だって、あのおじ様、見れば見るほどきれいな顔しているし……おまけに甘やかされすぎて、恋愛耐性ゼロの私からしたら極甘すぎるような気がする……」
と、総務部を後にして廊下でため息をついていると、噂をすれば何とやら、ポケットに入れていた携帯電話がぶるぶると震えた。見ればディスプレイに〈田中紫龍〉の文字がある。
慌てて廊下の隅に身体を寄せて出ると、穏やかな息づかいが聞こえてくる。
『もしもし、万葉さん? 僕です』
「僕僕詐欺の師匠ですね。こんにちは、どうしましたか?」
『あはは、そうそう。僕僕詐欺の僕ですよ。今夜、お夕飯をご一緒しませんか? 好きな物を作っておきます』
「いいんですか!? 私手伝いますよ?」
『大丈夫ですよ、僕が作っておきますから。ちなみに、お泊りの予定でどうぞ……ああ、大丈夫ですよ。僕は上の階で寝ますから安心してください。嫌なら断ってもらっても大丈夫ですが、地団太が』
「分かりました!」
地団太をこの人に踏ませてはいけないと、万葉の中の何かが警鐘を鳴らす。例え見た目が優男で物腰が柔らかくて温厚でも、こういう人ほどいざという時に、華麗なる攻めの一手で盤面を覆すのだ。
「泊まりの準備します!」
『お待ちしています』
嬉しそうに言われて、万葉は電話を切ると複雑な顔をした。
「まずい、これは師匠の甘やかされ大作戦にドはまりしている気がする……」
ふうと息を吐くと、それでも美味しいものが食べられて、あのぬくもりのある家に行けるのならと心は踊る。
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