16 / 73
第2章
第14話
しおりを挟む
食べ終わって片づけを済まし、ハーブティーにリラックスをしていると、ゴーンゴーンと古めかしい柱時計が、夜も程よい時間を告げていた。
「げ。またこんなに居座っちゃった……師匠、私帰ります!」
慌てて立ち上がってコートを引っ掴むと、その手をぎゅっと握られた。見れば、何を言っているの?と声を出さずとも師匠の顔が物語っている。
「……帰ります、家に」
「ダメです」
振りほどこうとして、その手の力の強さに驚いた。線が細いとばかり思っていたし、老い先短いといつもおちょくっていたのに、その強さは紛れもなく男性の力だった。
「遅すぎます。先ほども言いましたが、ここは、貴女の家でもあります……泊まって行って下さい、外は冷えますから」
「でも、着替えも歯ブラシもないです」
「僕ので良かったら着替えはありますし、歯ブラシも予備くらいあります……ぬかりました。お泊りの予定で来て下さいと言うべきでしたね」
万葉は、気持ちがぐらりと傾きかけたが、やっぱりキチンと帰らなければと、自分の中の何かが頑なに泊まることを拒絶した。
「師匠、やっぱり私帰ります……」
「ダメです……と僕が説得しても貴女は納得しないでしょうね。分かりました、送っていきますから、ちょっと待っていてください」
「え、自分で帰れますよ!」
師匠が振り返って、眉根を上げる。不満がたっぷり含まれた表情に、万葉は黙った。
「でも、師匠だって夜出歩いたら、ご老体に障ります……」
まともに見ることができずに皮肉でそう言うと、師匠が戻ってきて万葉を和室のソファへと引っ張って座らせる。覆いかぶさるようにして覗き込んでくると、にっこりと笑った。
「ご心配ありがとうございます。ですが、送っていきますから。それ以上何か文句を言うなら、塞ぎますからね、その口。そうなったら、僕は貴女を絶対にこの家から帰らせない。分かりましたか、奥さん?」
「……っ!」
ぴたっと伸ばされた人差し指が万葉の唇に触れて、思わず小刻みに首を縦に振って頷いた。
「じゃあいい子に待っていてください。上着を取ってきますので」
万葉は固まり、そして動けないまま心臓だけが早鐘のように鳴り響く。両手で口元を覆って、万葉は悶絶した。
準備を終えた師匠がやってきて、外へ出ると、帰ると言ったことを後悔するほどに寒かった。しかし、言い出したことを覆すのは今さらすぎる。万葉は師匠と二人並んで、家へと向かった。
他愛のない話をしながら、今度は万葉の持ってきたワインに合うつまみで飲もうと話が盛り上がっているところで、家についてしまった。
「師匠、今日はありがとうございました」
「いえいえ。あんなので良ければ、またいつでも作りますから」
万葉は再度お礼を言って頭を下げると「おやすみなさい」と言った。
「あ、万葉さん――これ、忘れてしまうところでした」
そう言って師匠が袂から取り出したのは、一本の鍵だった。
「これは?」
「僕の家の合鍵です」
それに万葉はぎょっとした。受け取ってしまってから、恐れ多くて返そうかと手が震えたところ、両手を師匠が握ってきた。
「いつでも帰ってきてくださいね、奥さん」
万葉の顔面が沸騰して真っ赤になる。それを面白がるようにニコニコ笑うと、師匠は手を振る。万葉は顔が赤くなったのを見られたくなくて、手を振り返すと早足にその場を去った。
「――絶対、面白がっていると思う、あの顔は……!」
師匠のペースに飲まれっぱなしになっている自分が悔しいのだが、どうしたらいいのか分からないまま、高鳴る胸に戸惑いつつ、万葉は部屋へと戻った。
「げ。またこんなに居座っちゃった……師匠、私帰ります!」
慌てて立ち上がってコートを引っ掴むと、その手をぎゅっと握られた。見れば、何を言っているの?と声を出さずとも師匠の顔が物語っている。
「……帰ります、家に」
「ダメです」
振りほどこうとして、その手の力の強さに驚いた。線が細いとばかり思っていたし、老い先短いといつもおちょくっていたのに、その強さは紛れもなく男性の力だった。
「遅すぎます。先ほども言いましたが、ここは、貴女の家でもあります……泊まって行って下さい、外は冷えますから」
「でも、着替えも歯ブラシもないです」
「僕ので良かったら着替えはありますし、歯ブラシも予備くらいあります……ぬかりました。お泊りの予定で来て下さいと言うべきでしたね」
万葉は、気持ちがぐらりと傾きかけたが、やっぱりキチンと帰らなければと、自分の中の何かが頑なに泊まることを拒絶した。
「師匠、やっぱり私帰ります……」
「ダメです……と僕が説得しても貴女は納得しないでしょうね。分かりました、送っていきますから、ちょっと待っていてください」
「え、自分で帰れますよ!」
師匠が振り返って、眉根を上げる。不満がたっぷり含まれた表情に、万葉は黙った。
「でも、師匠だって夜出歩いたら、ご老体に障ります……」
まともに見ることができずに皮肉でそう言うと、師匠が戻ってきて万葉を和室のソファへと引っ張って座らせる。覆いかぶさるようにして覗き込んでくると、にっこりと笑った。
「ご心配ありがとうございます。ですが、送っていきますから。それ以上何か文句を言うなら、塞ぎますからね、その口。そうなったら、僕は貴女を絶対にこの家から帰らせない。分かりましたか、奥さん?」
「……っ!」
ぴたっと伸ばされた人差し指が万葉の唇に触れて、思わず小刻みに首を縦に振って頷いた。
「じゃあいい子に待っていてください。上着を取ってきますので」
万葉は固まり、そして動けないまま心臓だけが早鐘のように鳴り響く。両手で口元を覆って、万葉は悶絶した。
準備を終えた師匠がやってきて、外へ出ると、帰ると言ったことを後悔するほどに寒かった。しかし、言い出したことを覆すのは今さらすぎる。万葉は師匠と二人並んで、家へと向かった。
他愛のない話をしながら、今度は万葉の持ってきたワインに合うつまみで飲もうと話が盛り上がっているところで、家についてしまった。
「師匠、今日はありがとうございました」
「いえいえ。あんなので良ければ、またいつでも作りますから」
万葉は再度お礼を言って頭を下げると「おやすみなさい」と言った。
「あ、万葉さん――これ、忘れてしまうところでした」
そう言って師匠が袂から取り出したのは、一本の鍵だった。
「これは?」
「僕の家の合鍵です」
それに万葉はぎょっとした。受け取ってしまってから、恐れ多くて返そうかと手が震えたところ、両手を師匠が握ってきた。
「いつでも帰ってきてくださいね、奥さん」
万葉の顔面が沸騰して真っ赤になる。それを面白がるようにニコニコ笑うと、師匠は手を振る。万葉は顔が赤くなったのを見られたくなくて、手を振り返すと早足にその場を去った。
「――絶対、面白がっていると思う、あの顔は……!」
師匠のペースに飲まれっぱなしになっている自分が悔しいのだが、どうしたらいいのか分からないまま、高鳴る胸に戸惑いつつ、万葉は部屋へと戻った。
19
お気に入りに追加
124
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
あなたと恋に落ちるまで~御曹司は、一途に私に恋をする~
けいこ
恋愛
カフェも併設されたオシャレなパン屋で働く私は、大好きなパンに囲まれて幸せな日々を送っていた。
ただ…
トラウマを抱え、恋愛が上手く出来ない私。
誰かを好きになりたいのに傷つくのが怖いって言う恋愛こじらせ女子。
いや…もう女子と言える年齢ではない。
キラキラドキドキした恋愛はしたい…
結婚もしなきゃいけないと…思ってはいる25歳。
最近、パン屋に来てくれるようになったスーツ姿のイケメン過ぎる男性。
彼が百貨店などを幅広く経営する榊グループの社長で御曹司とわかり、店のみんなが騒ぎ出して…
そんな人が、
『「杏」のパンを、時々会社に配達してもらいたい』
だなんて、私を指名してくれて…
そして…
スーパーで買ったイチゴを落としてしまったバカな私を、必死に走って追いかけ、届けてくれた20歳の可愛い系イケメン君には、
『今度、一緒にテーマパーク行って下さい。この…メロンパンと塩パンとカフェオレのお礼したいから』
って、誘われた…
いったい私に何が起こっているの?
パン屋に出入りする同年齢の爽やかイケメン、パン屋の明るい美人店長、バイトの可愛い女の子…
たくさんの個性溢れる人々に関わる中で、私の平凡過ぎる毎日が変わっていくのがわかる。
誰かを思いっきり好きになって…
甘えてみても…いいですか?
※after story別作品で公開中(同じタイトル)
私を溺愛してくれたのは同期の御曹司でした
日下奈緒
恋愛
課長としてキャリアを積む恭香。
若い恋人とラブラブだったが、その恋人に捨てられた。
40歳までには結婚したい!
婚活を決意した恭香を口説き始めたのは、同期で仲のいい柊真だった。
今更あいつに口説かれても……

婚約者に選んでしまってごめんなさい。おかげさまで百年の恋も冷めましたので、お別れしましょう。
ふまさ
恋愛
「いや、それはいいのです。貴族の結婚に、愛など必要ないですから。問題は、僕が、エリカに対してなんの魅力も感じられないことなんです」
はじめて語られる婚約者の本音に、エリカの中にあるなにかが、音をたてて崩れていく。
「……僕は、エリカとの将来のために、正直に、自分の気持ちを晒しただけです……僕だって、エリカのことを愛したい。その気持ちはあるんです。でも、エリカは僕に甘えてばかりで……女性としての魅力が、なにもなくて」
──ああ。そんな風に思われていたのか。
エリカは胸中で、そっと呟いた。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました
入海月子
恋愛
有本瑞希
仕事に燃える設計士 27歳
×
黒瀬諒
飄々として軽い一級建築士 35歳
女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。
彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。
ある日、同僚のミスが発覚して――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる