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第2章
第11話
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万葉が家に帰ると、そこにはいつもの風景、いつもの日常が広がっていた。
「ただいま」
鍵を玄関において靴を脱いで入る。先ほどの温かいぬくもりのある家とは違って、万葉の家はどこにでもあるワンルームだ。
意外なことに、万葉の家と師匠の家はそれほど距離が離れておらず、駅近の万葉の家から十分ほど歩いた静かな高級住宅街の一角が、師匠の家だった。
「こんなに近くに住んでいるとは……しかも、けっこうな豪邸の一軒家。師匠って、一体どんな人なんだろ?」
師匠の家は室内も和風で、キッチン以外の一階は畳に縁側に障子が揃っていた。和室に敷かれた布団と、井草の匂いがたまらなく懐かしく感じる、木と人のぬくもりのある家。それは、師匠自体を示しているかのようで、とても心地の良い空間だった。
万葉は携帯を取り出すと、そこに打ち込んでくれた文字を目で追う。一昨日結婚を決め、昨日夫となった人物の名前を知ったのは結婚後。
「田中紫龍……確かに、古風すぎる」
そもそもあだ名が師匠なのも、書道教室の先生をしているからで、それならばあのいで立ちもこの名前も、妙にマッチしているなと考えていると、急に携帯電話が鳴り始めた。
見れば、ディスプレイには師匠の名前、田中紫龍の文字が浮かぶ。万葉は慌てて通話ボタンを押した。
「もしもし――?」
『もしもし、万葉さん? 僕ですよ、僕』
師匠の声音くらい、万葉は耳に沁みついている。話し方のまろさに似合わず、ちょっとだけエッジの効いた、はきはきとした印象の声なのだ。
「新手の僕僕詐欺ですね、師匠」
『あはは、なんですか、それは。それより、無事にお家につきましたか?』
心配してくれていたのだと、万葉は少し感動した。家まで送るという師匠の申し出を、丁重に断って出てきたのだが、それはこれ以上迷惑をかけたくないの、と恥ずかしくて何を話していいのか分からないからだった。
「つきました。ありがとうございます」
『なら良かったです。話は違いますが、今晩、お夕飯を一緒に食べませんか?』
「夕飯ですか?」
『はい。僕が作ります。今夜はお酒はお休みですけど、美味しいお料理を作ってお待ちしていますから、僕の家でいかがでしょうか?』
特に予定もなく、断る理由もない。それに、結婚してしまった手前、相手をよく知ることは最速で必要な事柄だった。
「行きます、いいんでしょうか?」
『もちろんです。では、十九時に来てください。渡したい物もありますから』
「了解です!」
万葉は電話を切ると、途端に気分が上がってきた。散らかった部屋を片付けて、空気の入れ替えをしようと伸びをする。
「っていうか、手ぶらで行くんじゃ失礼だよね」
万葉は時計をちらりと見つめ、そしてから師匠の好きな物を後で手土産にしようと、心を弾ませた。
「よし、片づけしてお風呂入って、買い物に行こう!」
結婚してしまったのだから、もう後戻りはできない。今できる最善を目指すだけだ。万葉は腕まくりをすると、部屋の窓を全開にして空気を入れ替えた。
「ただいま」
鍵を玄関において靴を脱いで入る。先ほどの温かいぬくもりのある家とは違って、万葉の家はどこにでもあるワンルームだ。
意外なことに、万葉の家と師匠の家はそれほど距離が離れておらず、駅近の万葉の家から十分ほど歩いた静かな高級住宅街の一角が、師匠の家だった。
「こんなに近くに住んでいるとは……しかも、けっこうな豪邸の一軒家。師匠って、一体どんな人なんだろ?」
師匠の家は室内も和風で、キッチン以外の一階は畳に縁側に障子が揃っていた。和室に敷かれた布団と、井草の匂いがたまらなく懐かしく感じる、木と人のぬくもりのある家。それは、師匠自体を示しているかのようで、とても心地の良い空間だった。
万葉は携帯を取り出すと、そこに打ち込んでくれた文字を目で追う。一昨日結婚を決め、昨日夫となった人物の名前を知ったのは結婚後。
「田中紫龍……確かに、古風すぎる」
そもそもあだ名が師匠なのも、書道教室の先生をしているからで、それならばあのいで立ちもこの名前も、妙にマッチしているなと考えていると、急に携帯電話が鳴り始めた。
見れば、ディスプレイには師匠の名前、田中紫龍の文字が浮かぶ。万葉は慌てて通話ボタンを押した。
「もしもし――?」
『もしもし、万葉さん? 僕ですよ、僕』
師匠の声音くらい、万葉は耳に沁みついている。話し方のまろさに似合わず、ちょっとだけエッジの効いた、はきはきとした印象の声なのだ。
「新手の僕僕詐欺ですね、師匠」
『あはは、なんですか、それは。それより、無事にお家につきましたか?』
心配してくれていたのだと、万葉は少し感動した。家まで送るという師匠の申し出を、丁重に断って出てきたのだが、それはこれ以上迷惑をかけたくないの、と恥ずかしくて何を話していいのか分からないからだった。
「つきました。ありがとうございます」
『なら良かったです。話は違いますが、今晩、お夕飯を一緒に食べませんか?』
「夕飯ですか?」
『はい。僕が作ります。今夜はお酒はお休みですけど、美味しいお料理を作ってお待ちしていますから、僕の家でいかがでしょうか?』
特に予定もなく、断る理由もない。それに、結婚してしまった手前、相手をよく知ることは最速で必要な事柄だった。
「行きます、いいんでしょうか?」
『もちろんです。では、十九時に来てください。渡したい物もありますから』
「了解です!」
万葉は電話を切ると、途端に気分が上がってきた。散らかった部屋を片付けて、空気の入れ替えをしようと伸びをする。
「っていうか、手ぶらで行くんじゃ失礼だよね」
万葉は時計をちらりと見つめ、そしてから師匠の好きな物を後で手土産にしようと、心を弾ませた。
「よし、片づけしてお風呂入って、買い物に行こう!」
結婚してしまったのだから、もう後戻りはできない。今できる最善を目指すだけだ。万葉は腕まくりをすると、部屋の窓を全開にして空気を入れ替えた。
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