うららかな恋日和とありまして~結婚から始まる年の差恋愛~

神原オホカミ【書籍発売中】

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第1章

第5話

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 しかも、と万葉は熱燗を口に含んだ。

「新海が見せてきた中間成績で、この間まで私が首位だったのに、後輩にまた抜かれそうで……あああ、もう考えないで飲もう!」

「それはまた辛いですね」

「苗字変えたくなったら結婚してやる!だなんて新海にからかわれて、こっちとしては何とも言えない複雑な気持ちです」

 両肘をついて手の間に顎を乗せると、万葉は肺ごと出てしまうかのような深いため息を吐いた。

「苗字変えたいですよ、この仕事している限りは。だけど、下の名前は変えられても、苗字って変えられないし……よっぽどのことか、結婚以外は」

 万葉はぶり大根の大根を箸先で割って、口へと運んだ。じわっと濃いめの味が口の中に広がる。

「私だって普通の名字になりたいです、でも結婚しかないから難しいです。相手がそうそう見つかるわけでもなくて、仕事の方が好きで、恋愛すらまともにしていませんし……彼氏みたいなのがいたの、三年も前ですよ。もはや師匠よりも私の方が枯れていますよ」

 あーあ、と万葉は落胆して、日本酒のおかわりを頼んだ。

「万葉さん、いつもよりペース早いです。それくらいにしておかないと、明日の仕事に障りが出ますよ?」

「いいんですよ、まだ若いんで、内臓もピッチピチなんです」

「ピチピチは死語ですよ、万葉さん」

 万葉は言われて師匠をじっとりと見つめた。隣に座る食えない男は、始終穏やかな笑みをたたえたような表情をしているが、これが師匠の通常の顔だ。

「はあああああ……とりあえず、今から恋愛とか面倒だし、すっ飛ばしたいです。そんな感じで良ければ、誰か私と結婚してくれないですかね?」

「――僕としますか、万葉さん?」

 喧騒が一気に万葉の耳からすっ飛んでいって、その場にまるで二人しかいないかと思うほどに耳が痛くなる。言われた言葉が理解できずに、万葉は固まった。

「ん? ……えっと。師匠、つまりは?」

「僕と結婚すれば、苗字を変えることができます。僕の名字は田中です。普通の名字になるのは嫌ですか?」

 万葉は言っていることが理解できなくて、思考も時間も止まる。新海には冗談で言われ慣れているが、まさか自分よりも十四も年上の人から、何食わぬ顔で言われるとは予想だにしていない。

 しかもそれが、連絡先も知らない飲み友達だとは。苗字でさえ、先ほど知ったばかりで、本名さえ知らない男の人と結婚など、笑い話かドラマか漫画だ。

「嫌というか……理解できませんけど。私が……師匠の奥さんになる……?」

「そうです。嫌でしょうか?」

「嫌じゃないですけど……師匠、冗談ですよね?」

 それに師匠はふと微笑んだが、目の奥が笑っていなかった。

「冗談で結婚するほど、僕は相手に困っているわけじゃないですよ?」

 二人の会話を聞いていたマスターが、目を瞬かせて近寄ってきた。

「なになに、二人はついに結婚するの!? ちょっとやだ、ロマンチックね、アタシのお店で結婚の誓いが見られるなんて」

「マスター、まだ結婚すると決まったわけじゃ」

 万葉の制止も聞かずに、そういえば雑誌の付録で婚姻届けがあったわよとマスターはバックルームへとものすごい速さで引き下がっていき、そして十秒も経たずに婚姻届を手に持ってにこやかに戻ってきた。

「マスター、ちょっとええっ!? なんで持って来てるの、本物の婚姻届!」

「あらいいじゃないの、こっちに万年筆もあるから……はい、万葉ちゃん!」

 何を血迷ったことを言っているんだこの人たちは。驚いたのだが、自分でも気が付かないうちに、万葉はマスターからペンを受け取っていた。
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