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第七章
第58話
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クラスのみんなは昨日、茅野とお別れをした。
土日は混雑するから、平日に行くと茅野が決めた。それは言い訳で、盛大にお別れをすると恥ずかしいからだ。
だから、見送りに来なくていいよと言った茅野の言葉を、俺たちは無視することにした。
普通に登校したあと、突然の腹痛と吐き気で早退する形で駅まで見送りにきた。川田はおそらく、仮病を使ったと思うけど。
すれ違う教師の廊下を走るなという注意に適当に返事をし、ここまで二人できた。明日以降、大目玉を食らう予定だ。その覚悟もできていた。
茅野は俺たちが来るとは思ってもみなかったんだろう。小さな肩掛けカバンを斜めにさげた彼女は、俺たちを見ると複雑な表情になった。
いつもとちょっと違うところと言えば、俺たちは制服、茅野は普段着というところだろうか。
ほんの少しの違いなのに、今はそれが大きく感じる。
茅野はなんだか、よりいっそう小さく見えた。
東京の人ごみの中で、茅野は生きていけるだろうか。埋もれてしまうんじゃないだろうか。
中学から通っていた一貫校に戻る形だが、クラスにはなじめるだろうか。いい友達ができるだろうか。
一人で泣いてしまわないだろうか。
バカみたいにいまさら、俺の頭に不安が過ぎる。心配が顔に出たのか、川田と上杉としゃべっていた茅野が、俺を見上げてきた。
遠くから汽笛の音が聞こえる。電車が来ようとしている。
「大丈夫だよ」
俺に、そして自分に向かって、茅野は言ったんだと思う。
「成神くん、大丈夫」
茅野の声を聞いた途端、俺の硬直していた足が動き出す。血液が体内を巡る音が聞こえる。
「わかってるよ」
俺は小さな彼女の身体を、ぎゅっと抱きしめた。
それは、信じられないくらい熱くて、生きている感じが伝わってくる。彼女の吐息が耳の近くにある。彼女の鼓動が大きく聞こえてきた。
「……帰っておいで。茅野の居場所はここだ」
行かないでほしいとは思わなかった。
茅野の戻るべき場所は、いつだってここにある。
それを彼女が忘れない限り、俺たちがこの世界に存在している限り、近くにいられなくても俺たちはつながることができる。
俺の耳から、世界中の一切の音が消えた。
しん、と静まり返った、真っ白な部屋にいるみたいだった。
「――好きだよ」
気持ちを伝えた瞬間。風を巻き込み、電車が汽笛を鳴らしながらホームに滑り込んで来る。汽笛を合図に、耳に音が戻ってくる。
ぐらりと揺らぐように、現実が流れ始めた。
俺は茅野を解放する。俺のことをじっと見つめてくる瞳と目が合った。まっすぐできれいだ。
電車の扉が開いたというのに、茅野はまだその場から動かずに俺をじっと見上げていた。
「亜子、早く乗らないと」
川田に言われて、茅野は目の前にある扉から車内に入った。
ほんの一歩しか距離はないのに、それがひどく遠く感じられる。扉の向こうとこちらとでは、世界が違っているかのような。
ホームに降りていた車掌さんが電車の中へ戻るのが視界の隅に映る。
「……帰ってくる」
茅野がつぶやいた。発車してしまわないかそわそわしていた川田も上杉も、俺も茅野をじっと見る。
「帰ってくるよ、私。絶対」
発車を告げるベルが、俺たち以外誰もいない駅に響く。
「私も好きだよ。成神くん」
彼女は一瞬下を向いて唇を噛んだ。そして、もう一度上を向くと、今度は俺のことを見た。
「だから、絶対に帰ってくる! 約束したから」
俺の中にあった、すべての不安が溶けて消えていく。
「待ってる。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
電車の扉が閉まった。
茅野がハッとした顔をして急いで窓に手をつく。そこからできる限り俺たちを見ようとしていた。
電車が走り出した。がたがた言いながら速度を増していく。
上杉が手を振りながら走り出した。川田もそれに続く。
彼らは電車と同じ速度で駆けていく。茅野も手を振っているのが見える。俺はその場で突っ立ったまま、流れていく光景を見守っていた。
大きく手を振りながら、上杉と川田は走った。でも、電車の速度が速くなるにつれ、だんだんと茅野との距離は離れていく。必死で追っても、追いつけない。
勢いよくホームの一番端の手すりにたどり着くと、上杉は「またなー!」と大声を出して手を振る。
もう茅野には見えないと知りながらも、電車が見えなくなるまでずっと手を振り続けた。
涙を流す川田の肩を上杉が抱き寄せながら、俺たちは帰路に就く。
いつもの道を歩くが、なんだかちょっと物足りない。一歩歩き出すたびに、茅野との思い出がまぶたの裏によみがえってくる気がした。
「……大丈夫」
よくわからないが、俺の口から突然そんな言葉が飛び出した。上杉と川田がこちらを向く。俺は一つ息を吐くと、晴れた空を仰いだ。
「大丈夫」
茅野は、都会の人ごみなんかに呑まれたりしない。決して一人でなんか泣いたりしない。
彼女は強い。この村で俺たちは強くなった。俺にはそう思えたんだ。
土日は混雑するから、平日に行くと茅野が決めた。それは言い訳で、盛大にお別れをすると恥ずかしいからだ。
だから、見送りに来なくていいよと言った茅野の言葉を、俺たちは無視することにした。
普通に登校したあと、突然の腹痛と吐き気で早退する形で駅まで見送りにきた。川田はおそらく、仮病を使ったと思うけど。
すれ違う教師の廊下を走るなという注意に適当に返事をし、ここまで二人できた。明日以降、大目玉を食らう予定だ。その覚悟もできていた。
茅野は俺たちが来るとは思ってもみなかったんだろう。小さな肩掛けカバンを斜めにさげた彼女は、俺たちを見ると複雑な表情になった。
いつもとちょっと違うところと言えば、俺たちは制服、茅野は普段着というところだろうか。
ほんの少しの違いなのに、今はそれが大きく感じる。
茅野はなんだか、よりいっそう小さく見えた。
東京の人ごみの中で、茅野は生きていけるだろうか。埋もれてしまうんじゃないだろうか。
中学から通っていた一貫校に戻る形だが、クラスにはなじめるだろうか。いい友達ができるだろうか。
一人で泣いてしまわないだろうか。
バカみたいにいまさら、俺の頭に不安が過ぎる。心配が顔に出たのか、川田と上杉としゃべっていた茅野が、俺を見上げてきた。
遠くから汽笛の音が聞こえる。電車が来ようとしている。
「大丈夫だよ」
俺に、そして自分に向かって、茅野は言ったんだと思う。
「成神くん、大丈夫」
茅野の声を聞いた途端、俺の硬直していた足が動き出す。血液が体内を巡る音が聞こえる。
「わかってるよ」
俺は小さな彼女の身体を、ぎゅっと抱きしめた。
それは、信じられないくらい熱くて、生きている感じが伝わってくる。彼女の吐息が耳の近くにある。彼女の鼓動が大きく聞こえてきた。
「……帰っておいで。茅野の居場所はここだ」
行かないでほしいとは思わなかった。
茅野の戻るべき場所は、いつだってここにある。
それを彼女が忘れない限り、俺たちがこの世界に存在している限り、近くにいられなくても俺たちはつながることができる。
俺の耳から、世界中の一切の音が消えた。
しん、と静まり返った、真っ白な部屋にいるみたいだった。
「――好きだよ」
気持ちを伝えた瞬間。風を巻き込み、電車が汽笛を鳴らしながらホームに滑り込んで来る。汽笛を合図に、耳に音が戻ってくる。
ぐらりと揺らぐように、現実が流れ始めた。
俺は茅野を解放する。俺のことをじっと見つめてくる瞳と目が合った。まっすぐできれいだ。
電車の扉が開いたというのに、茅野はまだその場から動かずに俺をじっと見上げていた。
「亜子、早く乗らないと」
川田に言われて、茅野は目の前にある扉から車内に入った。
ほんの一歩しか距離はないのに、それがひどく遠く感じられる。扉の向こうとこちらとでは、世界が違っているかのような。
ホームに降りていた車掌さんが電車の中へ戻るのが視界の隅に映る。
「……帰ってくる」
茅野がつぶやいた。発車してしまわないかそわそわしていた川田も上杉も、俺も茅野をじっと見る。
「帰ってくるよ、私。絶対」
発車を告げるベルが、俺たち以外誰もいない駅に響く。
「私も好きだよ。成神くん」
彼女は一瞬下を向いて唇を噛んだ。そして、もう一度上を向くと、今度は俺のことを見た。
「だから、絶対に帰ってくる! 約束したから」
俺の中にあった、すべての不安が溶けて消えていく。
「待ってる。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
電車の扉が閉まった。
茅野がハッとした顔をして急いで窓に手をつく。そこからできる限り俺たちを見ようとしていた。
電車が走り出した。がたがた言いながら速度を増していく。
上杉が手を振りながら走り出した。川田もそれに続く。
彼らは電車と同じ速度で駆けていく。茅野も手を振っているのが見える。俺はその場で突っ立ったまま、流れていく光景を見守っていた。
大きく手を振りながら、上杉と川田は走った。でも、電車の速度が速くなるにつれ、だんだんと茅野との距離は離れていく。必死で追っても、追いつけない。
勢いよくホームの一番端の手すりにたどり着くと、上杉は「またなー!」と大声を出して手を振る。
もう茅野には見えないと知りながらも、電車が見えなくなるまでずっと手を振り続けた。
涙を流す川田の肩を上杉が抱き寄せながら、俺たちは帰路に就く。
いつもの道を歩くが、なんだかちょっと物足りない。一歩歩き出すたびに、茅野との思い出がまぶたの裏によみがえってくる気がした。
「……大丈夫」
よくわからないが、俺の口から突然そんな言葉が飛び出した。上杉と川田がこちらを向く。俺は一つ息を吐くと、晴れた空を仰いだ。
「大丈夫」
茅野は、都会の人ごみなんかに呑まれたりしない。決して一人でなんか泣いたりしない。
彼女は強い。この村で俺たちは強くなった。俺にはそう思えたんだ。
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