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第六章
第46話
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清めの儀式を終え、短冊山は祭り前日には完全に立ち入り禁止となった。
そして夜が明けると、お祭り当日がやってくる――。
村中の人々が、一年間世話をした鯉神様を、盥や桶に入れて持って古墳に集合した。
願いを込める短冊舟は、遥と母さんが一人一人に手渡す役目だ。それをもらうと、みんな思い思いの願いを込めながら笹の片方を折って、舟を完成させる。
携帯電話などは持ち込まないので、みんな明り取りに提灯を手に提げている。揺らめくオレンジ色の光がとてもきれいだ。
自分の鯉神様の色や形を自慢しあい、どんな願い事をしたのかを談笑している姿を、俺は短冊山の頂上付近から見ていた。
俺は大麻《おおぬさ》を持ち、親父は太鼓の横で待機している。今いる場所からは、短冊山にやってくる多くの人の姿が見えた。
親父は古墳に向かってくる村人たちを見ながら、小声でどこの家の誰さんだという情報を俺にこっそり教えてくれる。
さすがに親父は村の全員を覚えていたのだが、俺は三分の一はあいまいだった。まだまだ修行が足りていないようだ。
上杉と川田は早くから来て、町内会の大人たちの手伝いをしている。もうすでに、願い事を終えているはずだ。
先ほど少しだけ言葉を交わしたが、茅野の姿は見ていないらしい。
彼女はやってくるだろうか。
「……蒼環、もうすぐ時間だね」
「うん。もうちょっとだけ待って」
俺は茅野の姿を探していた。古墳の周りは封鎖してあり、一か所しか入れないので入り口を見ていれば絶対に茅野を見つけられるはずだ。
村の人々が集まり終わり、そろそろ始めなくてはならないだろうと思っていた矢先、受付に小走りでやってきた小柄な人影を見つけた。
茅野だ。
来てくれたことにホッとしていると、父に名前を呼ばれた。
「蒼環、始めようか」
「うん」
星が輝くよりも少し前。その声とともに俺は立ち上がった。
太鼓の音とともに、みんなが古墳の周りに集まってくる。太鼓が鳴りやむと、辺りは信じられないくらいの静寂に包まれた。
短冊山は、今から何十年も何百年も前から、人々の願いをその地に沁みこませている。その厳かさが、自分の身にひしひしと伝わってきていた。
「ただいまより、短冊祭り前のご祈祷を捧げます。頭をおさげください」
短い祝詞を唱え終わると、俺は手に持っていた大麻で邪気を祓う。
静まり返った村人たちの姿は、とても神聖な雰囲気を漂わせていた。上杉や川田の姿が見える。クラスメイト達もいっぱいいる。
茅野はすみっこの木に隠れるようにしており、見様見真似で同じ動きをしていた。
ふと空を見上げると、夜空は磨き上げられた一枚のガラスのようだ。星々が瞬き、天の川が輝いている。
古墳の頂上に向かって祝詞を奏上し、遥が村人たちに福鈴をお授けする。シャリンシャリンと鳴る鈴の音は、夜の空気を涼やかにしていく。
祈祷が終わると、脇を流れている短冊川にみんなで向かう。初めに俺が供物を流し入れると、それが短冊舟と一緒に鯉を放流する合図だ。
はじめに村長、次に町の重役たちが鯉を放流する。それが終わると、村の人々が鯉を川に流していった。
(きれいだな……)
思わず笑みが漏れていて、俺はその光景を脳に焼き付けるように何度も瞬きした。
今まで俺は、七夕の儀式や伝説をほとんど信じていなかった。なにしろ、鯉が龍になるというところが胡散臭い。
それに、願いが叶うというのはただの確率と奇跡の問題であって、鯉神様のおかげには到底思えなかった。
鯉が龍になったのを見た人は誰もいない。
だからずっと俺は、伝統とはなにかと考えたこともなく、毎年同じことを繰り返していた。
今ならわかる。
伝統とは、人々の想いを未来に受け継ぐことだ。行為や儀式が大事なんじゃない。人の想いを次世代に伝えることが大事なんだ。
それは、自分たちの心を強くしていく。
「――のぼったぞ!」
誰かの声で、俺はハッと我に返った。
見ると、蛍の光が飛び交う中、川に流した鯉たちが、願い主たちの短冊舟を咥えて一斉に川上を目指し始める。
「行けー!」
「頑張れ!」
手を叩く音と指笛が聞こえてくる。多くの歓声とともに、鯉たちは上流へ向かって泳ぎ始めた。
鯉を追いかけて、小さな子どもが川岸をかけていく。大人たちも肩を抱き合ったり、楽しそうにしながら鯉を応援した。
幸い、ここ数日雨が降っていなかったから川の流れは穏やかだ。
鯉たちの姿が見えなくなると、誰ともなく両手を合わせる。
その光景はただただ静かで、それでいて希望に満ち溢れていた。
俺もその場で頭を下げる。鯉神様たちに想いを託し、祭事は無事に終わりを迎えた。
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