恋のぼり *君と過ごした夏は大きな奇跡に包まれていた*

神原オホカミ【書籍発売中】

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第四章

第29話

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 どうして、塩原のような他人の確証のない言葉に、こんなに振り回されないとならないのか。

 目の前にいる本人と、きっちり話をすべきなのに。

「あのさ」

 塩原に言われたことを訊ねようとした時、上杉と川田が戻ってきた。彼らの両手には、いっぱいお菓子と飲み物が載っている。

 一度おやつ休憩をはさんだあと、また勉強が始まった。糖分補給したおかげか、宿題ははかどった。

 集中していたというのに、上杉が大きく伸びをしたことで俺の集中力も切れた。

「だめだー! 俺、一抜け!」

 上杉がダウンした。まあ、彼にしてはかなり頑張ったほうではないかと思う。

「休憩しましょ」

 川田の提案で、みんなそれぞれ伸びをし始める。漫画本に手を伸ばした上杉を、すかさず川田が止めにはいり、そのまま口論に発展した。

 俺は二人の言い争いを見ながら、麦茶をちびちび飲んでいた。

 カリカリと鉛筆の音が聞こえたので茅野を見ると、泣きそうな顔をして教科書とにらめっこしている。

 今日の茅野は、なんだかいつもより口数が少ない。それに、茅野が将来なにになりたいのか、すっかり聞きそびれてしまっている。

 話しかけようか迷いながら、俺は茅野を見る。

 初めて見る彼女の表情に、俺はドキッとした。彼女は泣きそうだった。

 こういう時どうするべきか、声をかけたほうがいいのか迷う。頭の中をたくさんの言葉が通り抜けていく。

 思いつく言葉のどれもこれも、口から出てこないまま引っ込んでいった。
 茅野はいまだに様子がおかしい。

 しかも、それに気づいているのは俺だけかもしれない。どうすればいいんだろうか。

「おい、ナル。ちょっとついてきて」
「えっ!?」

 いつの間にか俺は汗をびっしょりかいていた。自分でも気づかないうちにフリーズしていたらしい。頭の中がもやもやと白く濁っているような感覚だ。

「どこ行くの?」
「聞くのかよ、野暮だな。まあいい教えてやる……つ・れ・しょ・ん!」
「バカ言ってないで、早く行ってきなさい!」
「訊いたのは琴音のほうだろ~」

 川田に向かって、上杉は「いー!」ってしてみせた。
 トイレは廊下の突き当りだ。先を歩いていた上杉がくるんと振り向いた。

「……なあ、ナル」
「ん?」
「なんか茅野おかしいだろ。帰りにでもそっと聞いてみろよ。お前になついてるし」
「わかった」
「……それから、さっきは琴音が悪かったな」

 突然謝られて、俺は上杉をまじまじと見た。

「川田が俺になんかしたっけ?」
「将来の話だよ」
「あー……まあ、わかっちゃいるけど」
「きついよな、ナル。お前、絶対に家継ぐしかないもんな」

 こんな状況なのに、と言われて俺は肩を落とした。

 ――将来どうするって?

 それは、なれる選択肢がある人間の言葉だ。

 でも。

「……川田は正しいよ。俺がもっとしっかりしなくちゃいけない」

 焦りとも怒りとも説明できないなにかが、俺の身体を血液の代わりに廻っている気がした。

 昔から、将来の話をされると逃げ出したくなる。

 いつだって、胸がそわそわする感じは、夏とともにやってくる。

 そういう時俺は、とても心が窮屈だ。

 伝統なんて、形に残らないものになんて、価値があるのだろうかと常に自問自答している。

 自分しか継承者がいない事実は変えようがない。でも、できることなら妹に、遥に継がせてくれればいいものを。

 誰も、俺の立場をわかってくれない。

 俺が継承者の立場を放棄することは許されない。

 そうやって厳しく育ててきたというのに、家を継ぐのが当たり前だと言われてきたのに、夢を持つことさえできなかったのに。

 開発によって役目が終わると言われたら、いったい俺はどうすればいいんだ。

 いまさらほかのことを目指せっていうのか?

 ぽん、と肩を叩かれて俺は顔を上げた。

「気負いすぎるなって、ナル。お前意外とまじめだからな」

 上杉が俺よりも俺のことを知っていてどうすんだよ。俺は情けなくて笑みがこぼれた。

「お前が頑張ってんの知ってるよ。背負ってるものが俺より大きいことも知ってる」
「そんなこと」
「だからさ、たまには吐き出せよ。友達だろ」

 上杉が俺の心の中にある黒いモヤモヤの塊をぽろっと取った。

「悩み聞くくらい、俺にだってできる」

 上杉に比べて、俺の許容量のなんと少ないことか。

 彼のように面倒見がよくて明るいやつが、成神を継いでくれたらいいのに。俺みたいな暗くてぼうっとしているようなやつじゃなくてさ。

 喉から手が出るくらい、俺は上杉のことが羨ましかった。

「ありがとう。もう大丈夫」
「うっす。じゃあ、トイレの間ここで待っててな」

 ニヤリと上杉は笑った。俺はほっと息を吐いた。いつの間にか、心の中がほんわりとあったかくなっていた。
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