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第三章
第21話
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「え、と」
茅野が胸中で「しまった」と思っているのが手に取るようにわかる。
「成神くん、今の聞かなかったことにして!」
「それって結構、無理あるだろ……」
茅野は下を向いた。どうやら相当落ち込んだらしい。
大失態だ、茅野。
俺は、そういうのを知りたくなかった。
「成神くんには、ついうっかりしゃべっちゃうみたい」
「うっかりしすぎ」
「ごめん」
俺に謝ったところで、もう覆水盆に返らずだ。俺ははあ、と息を大きく吐いた。
「一つ教えて」
覗き込むと、少し悲しそうな茅野の目が印象に残った。
「さっきのって、ほんと?」
茅野は眉間にしわを寄せたあと、小さくうなずいた。
「まじか」
意外だった。
川田は上杉に対してあたりがきついことがあるから、俺はてっきり、あきれていると思っていたのに。
あの異常なぐらいの舌戦も、すぐカッとなるのも、上杉に対する「想い」の反動だったとしたら。
俺は自分の鈍感力にゾッとした。
「成神くん。ほんとに誰にも言わないで。お願い」
「大丈夫。言ったりしないよ」
俺は茅野に向かって笑って見せた。言ったりしない。そんな野暮なことしたくもない。
茅野もにこりと笑って手を差し出してきた。よく見ると、小指が立っている。
「指きり?」
「うん」
「俺って、そんなに信用ない?」
「そういうんじゃないってば」
「冗談だよ」
俺たちは指きりげんまんをした。これは、二人だけの秘密だ。
窓の外で夕日が赤く染まっていて、教室に黒くて長い俺と茅野の影を落とす。
窓枠の影も異常なほど伸びている。それを見ていると別世界にいるみたいな不思議な感覚になった。
「……くん、成神くん?」
「ん?」
茅野の声が耳に届いて、俺は目を瞬かせた。
頭の中を整理するためなのか、俺は意識がどこかに飛んでいたようだ。茅野はふざけて俺のほっぺたを摘んで引っ張った。
「大丈夫、成神くん」
「ごめんごめん……やば、とっくに十分たってる」
頬をつまんでいた茅野の手を引きはがしながら握る。そのまま手を繋いで、教室を出た。
「少しのんびりしすぎたな。早く行こう」
「うん」
辺りに生徒や校務員がいないのを再度確認しつつ、静かに階段を上る。
屋上へ続く階段だ。この先は、まだ見ぬ聖地って感じがする。
「っくしゅん!」
俺のくしゃみに、茅野が肩をびくりと震わせた。
「ごめっ……急ごう」
心配そうな顔をして、茅野が覗き込んでくる。俺は彼女の手を引っ張って、駆け出す手前の速さで階段を上った。
「成神くん、先に行って」
小さな声で言われ、俺は埃でむずむずする鼻を押さえながらドアノブを回した。
扉を抜けた瞬間、気持ちのいい風が吹きぬける。
はっとして前を見ると、そこには空があった。
風が強い。そのおかげで、雲が散らされている。
「はは……」
思わず俺は笑顔が漏れていた。
みんなは大きな室外機の向こう側にあるフェンスにいる。早く茅野にも見せたいと後ろを振り向いたところで、強風にあおられて扉が閉まる音がする。
「わっ!」
扉を抑えきれなかった茅野が、申し訳なさそうにこっちを見てきた。
「ご、ごめん……どうしよう、音響いちゃったかな?」
「いいよ、そんなの」
怒られるなら、怒られたっていい。そう思えるくらいに気持ちがよかったから、俺は再び茅野の手を取った。
「すごいな」
「すごいね!」
茅野は気持ちよさそうに深呼吸をする。
俺は茅野と一緒にみんなのところへ向かった。屋上の緑の地面と同じ、緑のフェンスが見える。
――その向こうに続く、果てしない空。
それは明らかに近くて、手を伸ばせば雲に届きそうな気がした。
言葉にならないというのは、こういう時に使うのがきっと正しいんだ。
「どう、感想は?」
川田と上杉も、じっと青空を見ている。二人の横に並んで、俺は隣にいる茅野に視線を落とした。
彼女はフェンスに両手でしがみついている。強い風に今にも吹き飛ばされそうな小さい身体で、自然をいっぱいに感じていた。
「……すごいっ!」
茅野の珍しく大きな一言が、全員に伝わって笑顔が広がる。
俺も嬉しくて、きっといつも以上に笑っていたと思う。
しばらくすると、青空の色がどんどん変わっていく。
夕日が真赤に空を染め上げて、雲を優しい色へ染めていった。
山も川もたんぼも畑も家も、そして俺たちも、柔らかい色に包まれていく。
黒い影が大きく伸びた。夕焼けに切り取られた俺たちの影絵はとてもきれいだ。
強い風が駆け抜けて、俺たちの感情を一気に吹き飛ばしていく。
俺たち全員が言葉を失うほど、素直にきれいだと感じていたんだ。
「きれいね、私たちの住んでいる場所は」
いつも厳しい顔をしている川田も、今は優しい笑顔になっている。
ゆるく流れる雲。
だんだんと小さく山に隠れていく夕日。
輝き始めた一番星。
森に帰る鳥の影。
すべてがまるで絵本の中のように輝いていた。
茅野が胸中で「しまった」と思っているのが手に取るようにわかる。
「成神くん、今の聞かなかったことにして!」
「それって結構、無理あるだろ……」
茅野は下を向いた。どうやら相当落ち込んだらしい。
大失態だ、茅野。
俺は、そういうのを知りたくなかった。
「成神くんには、ついうっかりしゃべっちゃうみたい」
「うっかりしすぎ」
「ごめん」
俺に謝ったところで、もう覆水盆に返らずだ。俺ははあ、と息を大きく吐いた。
「一つ教えて」
覗き込むと、少し悲しそうな茅野の目が印象に残った。
「さっきのって、ほんと?」
茅野は眉間にしわを寄せたあと、小さくうなずいた。
「まじか」
意外だった。
川田は上杉に対してあたりがきついことがあるから、俺はてっきり、あきれていると思っていたのに。
あの異常なぐらいの舌戦も、すぐカッとなるのも、上杉に対する「想い」の反動だったとしたら。
俺は自分の鈍感力にゾッとした。
「成神くん。ほんとに誰にも言わないで。お願い」
「大丈夫。言ったりしないよ」
俺は茅野に向かって笑って見せた。言ったりしない。そんな野暮なことしたくもない。
茅野もにこりと笑って手を差し出してきた。よく見ると、小指が立っている。
「指きり?」
「うん」
「俺って、そんなに信用ない?」
「そういうんじゃないってば」
「冗談だよ」
俺たちは指きりげんまんをした。これは、二人だけの秘密だ。
窓の外で夕日が赤く染まっていて、教室に黒くて長い俺と茅野の影を落とす。
窓枠の影も異常なほど伸びている。それを見ていると別世界にいるみたいな不思議な感覚になった。
「……くん、成神くん?」
「ん?」
茅野の声が耳に届いて、俺は目を瞬かせた。
頭の中を整理するためなのか、俺は意識がどこかに飛んでいたようだ。茅野はふざけて俺のほっぺたを摘んで引っ張った。
「大丈夫、成神くん」
「ごめんごめん……やば、とっくに十分たってる」
頬をつまんでいた茅野の手を引きはがしながら握る。そのまま手を繋いで、教室を出た。
「少しのんびりしすぎたな。早く行こう」
「うん」
辺りに生徒や校務員がいないのを再度確認しつつ、静かに階段を上る。
屋上へ続く階段だ。この先は、まだ見ぬ聖地って感じがする。
「っくしゅん!」
俺のくしゃみに、茅野が肩をびくりと震わせた。
「ごめっ……急ごう」
心配そうな顔をして、茅野が覗き込んでくる。俺は彼女の手を引っ張って、駆け出す手前の速さで階段を上った。
「成神くん、先に行って」
小さな声で言われ、俺は埃でむずむずする鼻を押さえながらドアノブを回した。
扉を抜けた瞬間、気持ちのいい風が吹きぬける。
はっとして前を見ると、そこには空があった。
風が強い。そのおかげで、雲が散らされている。
「はは……」
思わず俺は笑顔が漏れていた。
みんなは大きな室外機の向こう側にあるフェンスにいる。早く茅野にも見せたいと後ろを振り向いたところで、強風にあおられて扉が閉まる音がする。
「わっ!」
扉を抑えきれなかった茅野が、申し訳なさそうにこっちを見てきた。
「ご、ごめん……どうしよう、音響いちゃったかな?」
「いいよ、そんなの」
怒られるなら、怒られたっていい。そう思えるくらいに気持ちがよかったから、俺は再び茅野の手を取った。
「すごいな」
「すごいね!」
茅野は気持ちよさそうに深呼吸をする。
俺は茅野と一緒にみんなのところへ向かった。屋上の緑の地面と同じ、緑のフェンスが見える。
――その向こうに続く、果てしない空。
それは明らかに近くて、手を伸ばせば雲に届きそうな気がした。
言葉にならないというのは、こういう時に使うのがきっと正しいんだ。
「どう、感想は?」
川田と上杉も、じっと青空を見ている。二人の横に並んで、俺は隣にいる茅野に視線を落とした。
彼女はフェンスに両手でしがみついている。強い風に今にも吹き飛ばされそうな小さい身体で、自然をいっぱいに感じていた。
「……すごいっ!」
茅野の珍しく大きな一言が、全員に伝わって笑顔が広がる。
俺も嬉しくて、きっといつも以上に笑っていたと思う。
しばらくすると、青空の色がどんどん変わっていく。
夕日が真赤に空を染め上げて、雲を優しい色へ染めていった。
山も川もたんぼも畑も家も、そして俺たちも、柔らかい色に包まれていく。
黒い影が大きく伸びた。夕焼けに切り取られた俺たちの影絵はとてもきれいだ。
強い風が駆け抜けて、俺たちの感情を一気に吹き飛ばしていく。
俺たち全員が言葉を失うほど、素直にきれいだと感じていたんだ。
「きれいね、私たちの住んでいる場所は」
いつも厳しい顔をしている川田も、今は優しい笑顔になっている。
ゆるく流れる雲。
だんだんと小さく山に隠れていく夕日。
輝き始めた一番星。
森に帰る鳥の影。
すべてがまるで絵本の中のように輝いていた。
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