黄龍国仙星譚 ~仙の絵師は遙かな運命に巡り逢う~

神原オホカミ【書籍発売中】

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終章

第53話

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 皇太后軍の負傷兵たちの手当ても終わり、亡くなったものたちは城壁外の墓地に埋葬した。数は多くなかったが、それでも人の命の呆気なさを莉美は痛感した。
 運命に吞み込まれることがあったとしても、自分がどう生きていくのか、どう生きたいかを考えるには十分だった。

 残留を決めた敵兵たちの取り調べにも時間がかかり、彼らが残していった武器や食料を目録に書き記さねばならず大忙しだ。
 しかし戦の後片付けは市民たちには関係のない話のため、彼らはとっくに活気を取り戻している。大通りの店は活気づき、市もあちこちで立って人で溢れていた。

 中には皇太后軍を打ち破ったことに懐疑的な者も多少は居たものの、鄧将軍を捕らえようとしていたということが広まると、皇太后は一気に悪者であると位置づけられた。

 民は自分たちの暮らしが良くなることを望む。だから、暮らしを壊してくる方が敵であると瞬時に見分けられる賢さが楽芙の民たちには備わっている。鄧将軍の、鄧将軍の知られていない実績の一つだろう。

 楊梅は城の物見から彼らの姿を見ては、嬉しそうにしていた。彼が城下に遊びに行くのはまだ先になりそうだ。またすべて片付いたら、油条を一緒に食べに行きたいと莉美は思っていた。

 そんな矢先、鄧将軍が城郭に戻ってくる前にすべきことがあると、楊梅に呼び出されたのはあの争いから六日経ってからだ。
 楊梅が部屋に呼んだのは凱泉と燕青と莉美の三人。彼の居室に行くと、楊梅と凱泉がいた。莉美が入っていくと、楊梅がニコッと微笑んだ。

「三人と、友盃の儀を交わしたくてな」

 円桌えんたくの上には酒の入った瓶と四つの杯が置かれている。

「今、外を出歩くわけにはいかず……私室ここですまないな」
「場所はいいのですが……一人阿呆が足りません」

 凱泉が時間を守れない阿呆は無視する提案をしたその時、キュキュキュンと鳴き声が聞こえてきた。

「――……燕」

 扉を開けて空を見上げると、晴れた青い空を背景に、一羽の濃紺の鳥が素晴らしい速さでこちらに向かって飛んでくる。

「退いてくれっ……!」

 燕青の怒声が燕のくちばしから発せられた。

「あの阿呆め」

 凱泉は吐き捨てると、莉美の袖を引っ張る。燕は莉美がたった今居た場所めがけてすっ飛んできた。
 振り返った時にはどすんというすごい音とともに楊梅の寝台が揺れている。天蓋から垂れている絹はびりびりに破け、中から敷き布を身体に巻き付けたあられもない姿の燕青が現れた。

「いい加減、貴様は速度をわきまえたらどうだ!」
「うるっせーな、いい風だったんだよ! なんだまったく、漣芙から急いで来てやったというのに!」

 楊梅は苦笑いしながら、着物を取り出してくる。それを凱泉が恭しく手に取って、燕青に投げつけた。

「だいいち、どうして裸になる必要があるんだ!?」
「なりたくてなってるわけじゃねーっつってんだろ! 何回説明したらわかるんだよ、頭まで筋肉か?」
「なんだと!?」

 凱泉から袍をひったくると、燕青は次々着ていく。莉美はひとまず後ろを向いて小さくなっていた。耳元で楊梅がささやく。

「いつものことだから、燕青用の着物を、わたしと凱泉の部屋に数着用意してあるんだ」

 楊梅に説明され、莉美は「な、なるほど」と声を詰まらせた。いつものことなのか、とちょっと心配になる。
 着替え終わったのはいいが、まだ着衣の乱れがある燕青は剣呑な目つきでふん、と鼻を鳴らした。

「燕に変化できるのはいいが……いかんせん服の問題は厄介だな」
「わたしも、お前の服を投げつける仕事なんぞ、厄介ごと以外のなんでもない」

 またもや二人がいい争いを続けそうなので、楊梅が困ったように割って入った。
 あまりにも燕青が寒そうにしているので、ひとまず窓を閉める。

「ところで燕青。裸になってどこでなにを聞いてきたんだ?」
「裸になったのではなく、燕になったんだよ!」

 燕青が楊梅に対してムッとして言い返す。似たようなものじゃないかと凱泉が呟いたのを、燕青はどうにか言い返さずに堪えた。

「鄧将軍は捕縛されずに未州に入った。漣芙で滞在するらしいから、城に戻ってくるまでは半月後くらいだ」

 ニヤッと燕青は笑う。

「ほぅら、いい報せだろ? 燕は雨を呼ぶんじゃなくて、吉報を知らせんだよ」
「なるほど、それは良い話だ」

 ずっと鄧将軍のことを心配していた楊梅は、ほっと一息ついた。

「で、用事って言うから来たんだがなんだ、酒か?」
「貴様は礼儀という言葉は知らないのかっ!」

 怒り狂い始めた凱泉と燕青をさておき、楊梅は穏やかな表情で酒を注いだ。

「お前たちにも、覚悟を決めてもらおうと思ってな。お前たちには、わたしの生涯の友になってほしい」

 それには莉美が驚いて顎を落とした。一歩引きさがろうとするのを、楊梅の手に捕まれて阻止されてしまう。

「聞け、莉美。お前が居なければあの戦は勝てたかどうかわからない」
「絵を、私は絵を描いただけで……」

 莉美は怖気づいていた。

 何しろ、目の前にいるのは通常の人ではない。莉美の左手を掴んでいる彼の右手には、お印が……つまりは、皇帝になる人物だ。
 生半可な気持ちで、友盃の儀などを結ぶわけにはいかない。たとえそれが、ただの口約束だったとしても。

 近くで絵を描ければいいと思っていた。求められるのなら、ずっと絵を描こうと思っていた。

 戦前の二日間、死に物狂いで絵と向き合ったのが脳裏をめぐっていく。
 それ以前の不甲斐ない自分に嘆き、そして一つ一つ問題を解決していった充実感。楊梅と、凱泉や燕青と一緒に過ごした日々。

 すでに宝物のように思えるそれらを、いまさら手放すことはできないというのはわかっている。

 そしてその想いは、楊梅も一緒だということも。

 求められることが、必要とされることが自信になっている。大好きなことができる喜びも味わった。これ以上望んだら、罰が当たると思えるほどに。
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