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第一章 事の始まり
第5話
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楊梅は大弓の片づけを兵たちに任せると、馬に乗って素早く路を駆け抜けた。
楊梅が大路の真ん中に倒れ込んだ怪鳥に近づくと、脇から栗毛の馬に乗った凱泉が興奮した様子でやってくる。
「凱泉、被害は?」
「怪我人が多数、建物の損壊は把握しきれていません。しかし、死者は一人も出なかったようです」
「そうか」
楊梅は凱泉を連れて、先ほど射止めたばかりの化け物に近づく。
「さすがにございます、楊梅様」
「弓はわたしの取り柄だからな」
楊梅はこの城郭で『橡楊梅ほどのぼんくらはいない』ともっぱら噂される人物だ。しかし、その本質は別のところにあると知るのは、今は凱泉のみである。
「楊梅様でなければ、惨事になっていたと思われます」
「かもしれない」
「ですが、たった一本の矢で仕留められるなど……人のなせる業とは思えません」
楊梅は、困ったような表情を凱泉に向けた。
「弓矢で倒すのにちょうど良い化け物だったな」
「ご謙遜を」
「……しかし、本当に眉間が急所だったとはな」
困った顔さえも美しい楊梅と並び、絶命している化け物に凱泉も近づく。
顒の死骸は恐ろしい顔のまま固まっており、夢に出てこられたら悲鳴を上げてしまいそうだった。なまじ人の顔をしているだけに、不気味さが際立っている。
「急所が眉間だとわからなければ、もっと被害が拡大していたかもしれませんね」
「その者には褒美をとらせよう。どのような人物だったか教えてくれ」
凱泉は慌ててあの時のことを思い出す。困惑していた上に顒が近かったので記憶はあいまいだ。
「申し訳ありませんがあまり覚えておらず……ごく一般的な少女だったとしか」
「少女?」
「ええ。十四、五ほどで痩せて細く、際立って目立つ特徴はなかっ――」
そこまで言ってから、凱泉は顎に添えた楊梅の手を見てハッと思い出した。
「そうだ……手袋をしておりました」
「その情報だけでは、多くの人間が当てはまると思うが」
「楊梅様が今お付けしているような、革の手袋をしていたのです。それも、片方だけ」
「片方だけ?」
顒の弱点を凱泉にわかりやすく伝えようとした少女は、額を指し示す動作をした。その時見えた、使い古しているのにやけに硬そうな革の手袋を嵌めた右手が印象に残っていた。
「暖をとるためのものではなかったように思います」
「……なぜその少女が弱点を?」
二人が黙って考え込んでいると、顒の死骸の周りを囲っていた兵の一人が異変に気付いて声を出した。
「なっ――大変です!」
楊梅と凱泉が兵の視線の先を追うと、怪鳥の姿が靄に包まれたようにぼやけていく。霧に呑まれていくようにふにゃふにゃと歪みだしたかと思うと、路を塞いでいた巨躯が突然弾け飛ぶようにして消えた。
顒の身体があった場所からその姿は消失してしまい、カランカランと音をたてて眉間に刺さっていた矢が転がって地面に落ちる。
あまりの出来事に全員が呆然としたままでいると、辺り一帯に濃いにおいが立ち込めた。
「なんなんだ、いったい……?」
楊梅は地面に落ちた矢を拾い上げる。そこには妖魔の血と一緒に、べったりと黒い液体がついていた。
「このにおいは――……墨汁?」
突如として姿を消した化け物と、立ち込める濃い墨のにおい。さらに、鏃についた濃密な墨汁。
明らかに普通では考えられないことが起きているのだけは、その場の誰もが理解していた。
「凱泉、その少女をなんとしてでも見つけ出してくれ」
「御意に」
凱泉は己の主に深く礼をした。
楊梅が大路の真ん中に倒れ込んだ怪鳥に近づくと、脇から栗毛の馬に乗った凱泉が興奮した様子でやってくる。
「凱泉、被害は?」
「怪我人が多数、建物の損壊は把握しきれていません。しかし、死者は一人も出なかったようです」
「そうか」
楊梅は凱泉を連れて、先ほど射止めたばかりの化け物に近づく。
「さすがにございます、楊梅様」
「弓はわたしの取り柄だからな」
楊梅はこの城郭で『橡楊梅ほどのぼんくらはいない』ともっぱら噂される人物だ。しかし、その本質は別のところにあると知るのは、今は凱泉のみである。
「楊梅様でなければ、惨事になっていたと思われます」
「かもしれない」
「ですが、たった一本の矢で仕留められるなど……人のなせる業とは思えません」
楊梅は、困ったような表情を凱泉に向けた。
「弓矢で倒すのにちょうど良い化け物だったな」
「ご謙遜を」
「……しかし、本当に眉間が急所だったとはな」
困った顔さえも美しい楊梅と並び、絶命している化け物に凱泉も近づく。
顒の死骸は恐ろしい顔のまま固まっており、夢に出てこられたら悲鳴を上げてしまいそうだった。なまじ人の顔をしているだけに、不気味さが際立っている。
「急所が眉間だとわからなければ、もっと被害が拡大していたかもしれませんね」
「その者には褒美をとらせよう。どのような人物だったか教えてくれ」
凱泉は慌ててあの時のことを思い出す。困惑していた上に顒が近かったので記憶はあいまいだ。
「申し訳ありませんがあまり覚えておらず……ごく一般的な少女だったとしか」
「少女?」
「ええ。十四、五ほどで痩せて細く、際立って目立つ特徴はなかっ――」
そこまで言ってから、凱泉は顎に添えた楊梅の手を見てハッと思い出した。
「そうだ……手袋をしておりました」
「その情報だけでは、多くの人間が当てはまると思うが」
「楊梅様が今お付けしているような、革の手袋をしていたのです。それも、片方だけ」
「片方だけ?」
顒の弱点を凱泉にわかりやすく伝えようとした少女は、額を指し示す動作をした。その時見えた、使い古しているのにやけに硬そうな革の手袋を嵌めた右手が印象に残っていた。
「暖をとるためのものではなかったように思います」
「……なぜその少女が弱点を?」
二人が黙って考え込んでいると、顒の死骸の周りを囲っていた兵の一人が異変に気付いて声を出した。
「なっ――大変です!」
楊梅と凱泉が兵の視線の先を追うと、怪鳥の姿が靄に包まれたようにぼやけていく。霧に呑まれていくようにふにゃふにゃと歪みだしたかと思うと、路を塞いでいた巨躯が突然弾け飛ぶようにして消えた。
顒の身体があった場所からその姿は消失してしまい、カランカランと音をたてて眉間に刺さっていた矢が転がって地面に落ちる。
あまりの出来事に全員が呆然としたままでいると、辺り一帯に濃いにおいが立ち込めた。
「なんなんだ、いったい……?」
楊梅は地面に落ちた矢を拾い上げる。そこには妖魔の血と一緒に、べったりと黒い液体がついていた。
「このにおいは――……墨汁?」
突如として姿を消した化け物と、立ち込める濃い墨のにおい。さらに、鏃についた濃密な墨汁。
明らかに普通では考えられないことが起きているのだけは、その場の誰もが理解していた。
「凱泉、その少女をなんとしてでも見つけ出してくれ」
「御意に」
凱泉は己の主に深く礼をした。
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