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第一章 事の始まり
第3話
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「楊梅様、大変です!」
慌てた様子で室に入ってきたのは、護衛の杜凱泉だ。いつも落ち着き払っている彼が取り乱す姿は滅多にない。
不愛想を詰め込んだ顔はちょっとやそっとでは崩れることがないのだが、今日は焦りと驚きを前面に露骨に出していた。
「珍しいな、慌てて。天変地異か?」
「はい、まさしく」
冗談のつもりだったのに、凱泉の返事は楊梅の予想の斜め上だった。彼は陰で鉄面皮と呼ばれており、冗談を冗談で返すような性格ではない。よって、これは本当に緊急事態なのだと楊梅も姿勢を正した。
「詳しく説明し――」
「その前に身支度を」
凱泉は言いながら礼もそこそこに進み出てくると、奥にある甲冑に向かって勝手に歩いて行ってしまう。楊梅は美しい形の眉を寄せた。
「……つまり、それを着て出向かないといけない事態ということか?」
甲冑は手入れをしているが、実戦で使いたくないといつも楊梅は思っている。
なので、飾ってあるわけではなく、使いたくなくて押し込めていると言った方が合っていた。それを引っ張りながら、凱泉が緊張感のある声音で話す。
「市街地で化け物が出たのです」
「なんだって? ばけもの?」
聞き返しながら凱泉を見ると、彼の顔は厳しいまま固定されている。その表情から、嘘を言っているわけではないのは確実だ。
「拙の口から説明するより、見ていただいたほうが確かです」
楊梅が部屋を出ると、ぴりりとした空気が城郭内の東の方角に立ち込めているのを肌で感じた。
「……わかった。急ごう」
困ったことに、現在この楽芙の城郭を預かっているのは楊梅だ。本来の城主である養父の鄧将軍は野暮用のため、北に出向いている。
鄧将軍からは『なにがあっても市民を守るように』と厳しく言いつかっている。
そういうわけで、できれば将軍が留守の間には何も起きてほしくなかったのだが。世の中なかなかそう旨い具合にはいかないらしい。
「見たこともない化け物が、暴れているということです」
凱泉の短い報告を聞きながら私殿を出ると、城内に設置されている物見に上って市街地を見る。
そこには、目を疑う光景が広がっていた。
「……なんだ、あの鳥は…………?」
見たこともない巨大な鳥――それが西の高級住宅街の、黒い瓦屋根の上を舞いながら破壊していた。
「誰かが『顒』だと言っていたのを聞いたと、避難指示を出していた兵から聞いています」
「顒だって?」
そんなはずはないと言いたかったのだが、次の瞬間、名前の通りギョギョギョというおぞましい啼き声が遠くから聞こえてくる。
「たしか、どこかの書の中に『顒』という生き物の記述があったな」
楊梅は化け物を見つめながら記憶を辿って、その記述を思い出そうとする。
「……目と耳が四つずつで、身体は猛禽類だという山に現れる化け物……」
遠くに見えている化け物が、間合い良くこちらを向く。
楊梅も凱泉も息を呑み込んだ。怪鳥は、まさしく人面で目が四つ。鳥というにはあまりにもかけ離れている。
「額が弱みであるという噂も聞こえているようです」
「あれが『顒』で間違いないとして……しかし、なぜ市街地に? 人に襲いかかっているようにも見えない」
疑問とともに最後は小さく呟くようになりながら、楊梅は顎に手を当てた。人々を傷つける様子こそないものの、建物の上に降り立つだけで鋭い爪が瓦をえぐって破壊してしまう。
それはまるで、迷子になって焦っているうちに、怖くなって暴れてしまった子どものようにさえ思えた。
「凱泉、民衆の避難が最優先だ。下手に化け物に攻撃をして刺激をするな」
楊梅はしばらく様子を見たあとに判断を下した。
「今出ている兵たちはすべて避難誘導に回せ」
「かしこまりました」
「行け」
楊梅の命令を伝えるために、凱泉はすぐさまその場から去った。市民が退却を終えるまで、いましばらくかかるだろう。その間、楊梅は調べたいことがあった。
楊梅の養父は、かつて名を馳せた歴史上の大将軍の末裔だ。多くの戦術書が府庫内にある。
(書物に妖魔の詳細と、確実な退治法が書かれているかもしれない)
楊梅は駆け足で蔵書庫へ向かった。
「楊梅様、大変です!」
慌てた様子で室に入ってきたのは、護衛の杜凱泉だ。いつも落ち着き払っている彼が取り乱す姿は滅多にない。
不愛想を詰め込んだ顔はちょっとやそっとでは崩れることがないのだが、今日は焦りと驚きを前面に露骨に出していた。
「珍しいな、慌てて。天変地異か?」
「はい、まさしく」
冗談のつもりだったのに、凱泉の返事は楊梅の予想の斜め上だった。彼は陰で鉄面皮と呼ばれており、冗談を冗談で返すような性格ではない。よって、これは本当に緊急事態なのだと楊梅も姿勢を正した。
「詳しく説明し――」
「その前に身支度を」
凱泉は言いながら礼もそこそこに進み出てくると、奥にある甲冑に向かって勝手に歩いて行ってしまう。楊梅は美しい形の眉を寄せた。
「……つまり、それを着て出向かないといけない事態ということか?」
甲冑は手入れをしているが、実戦で使いたくないといつも楊梅は思っている。
なので、飾ってあるわけではなく、使いたくなくて押し込めていると言った方が合っていた。それを引っ張りながら、凱泉が緊張感のある声音で話す。
「市街地で化け物が出たのです」
「なんだって? ばけもの?」
聞き返しながら凱泉を見ると、彼の顔は厳しいまま固定されている。その表情から、嘘を言っているわけではないのは確実だ。
「拙の口から説明するより、見ていただいたほうが確かです」
楊梅が部屋を出ると、ぴりりとした空気が城郭内の東の方角に立ち込めているのを肌で感じた。
「……わかった。急ごう」
困ったことに、現在この楽芙の城郭を預かっているのは楊梅だ。本来の城主である養父の鄧将軍は野暮用のため、北に出向いている。
鄧将軍からは『なにがあっても市民を守るように』と厳しく言いつかっている。
そういうわけで、できれば将軍が留守の間には何も起きてほしくなかったのだが。世の中なかなかそう旨い具合にはいかないらしい。
「見たこともない化け物が、暴れているということです」
凱泉の短い報告を聞きながら私殿を出ると、城内に設置されている物見に上って市街地を見る。
そこには、目を疑う光景が広がっていた。
「……なんだ、あの鳥は…………?」
見たこともない巨大な鳥――それが西の高級住宅街の、黒い瓦屋根の上を舞いながら破壊していた。
「誰かが『顒』だと言っていたのを聞いたと、避難指示を出していた兵から聞いています」
「顒だって?」
そんなはずはないと言いたかったのだが、次の瞬間、名前の通りギョギョギョというおぞましい啼き声が遠くから聞こえてくる。
「たしか、どこかの書の中に『顒』という生き物の記述があったな」
楊梅は化け物を見つめながら記憶を辿って、その記述を思い出そうとする。
「……目と耳が四つずつで、身体は猛禽類だという山に現れる化け物……」
遠くに見えている化け物が、間合い良くこちらを向く。
楊梅も凱泉も息を呑み込んだ。怪鳥は、まさしく人面で目が四つ。鳥というにはあまりにもかけ離れている。
「額が弱みであるという噂も聞こえているようです」
「あれが『顒』で間違いないとして……しかし、なぜ市街地に? 人に襲いかかっているようにも見えない」
疑問とともに最後は小さく呟くようになりながら、楊梅は顎に手を当てた。人々を傷つける様子こそないものの、建物の上に降り立つだけで鋭い爪が瓦をえぐって破壊してしまう。
それはまるで、迷子になって焦っているうちに、怖くなって暴れてしまった子どものようにさえ思えた。
「凱泉、民衆の避難が最優先だ。下手に化け物に攻撃をして刺激をするな」
楊梅はしばらく様子を見たあとに判断を下した。
「今出ている兵たちはすべて避難誘導に回せ」
「かしこまりました」
「行け」
楊梅の命令を伝えるために、凱泉はすぐさまその場から去った。市民が退却を終えるまで、いましばらくかかるだろう。その間、楊梅は調べたいことがあった。
楊梅の養父は、かつて名を馳せた歴史上の大将軍の末裔だ。多くの戦術書が府庫内にある。
(書物に妖魔の詳細と、確実な退治法が書かれているかもしれない)
楊梅は駆け足で蔵書庫へ向かった。
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