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8、裁きの懐中時計
第56話
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ダンケンと憂鬱な話をした翌日。
ヤン・モルートはほとんど眠れない夜を過ごして朝から開かれる会議に出席した。定例会議は週に一度行われており、決まった顔ぶれが集まる。
つまりは王都と、その周辺に住まう貴族が集合する。
直轄地を治めている地方豪族の使者たちが定期連絡を飛ばしてくるので、そこで問題を取り上げて速やかに対処する。
いつも通りつつがなくを心がけようと思って会議の間に入った瞬間、モルートは悲鳴を呑み込んだ。
長方形のテーブルの上には、先週までこの場に座っていたとある貴族の長い毛髪が、銀盆に載せられて飾られている。
彼の自慢だった髪を結んであるリボンは、血で赤黒く染まっていた。
趣味が悪いとしか言いようのない卓上飾りを目にした参加者たちは、顔色を悪くしながら着座していた。
辺りを見回せば、会議の参加人数が極端に減っていることに誰もが気づく。
次は自分が殺されるのではないかと、みなが怯えている。王宮には暗い影が感じられるようになった。
モルートは震えそうになる脚を必死で動かし、自分の席に平静を装って座った。やましいことをしているとレオポルドに悟られれば、それは自分の首を絞める行為だ。
(大丈夫だ、なにかあればダンケン様が守ってくださるに違いない。それに、ティズボン宰相も……)
こんな時のために、自分は今まで二人に裏で金を渡してきた。それが自分の生活をなによりも保証するものだと思っていたからだ。
それなのに、いままでずっと自分たちの言うことの大半を聞いていた陛下が、耳を貸さなくなるのは想定外だった。
成長とともにいくばくかは思考を違えることはあると予想していたが、まさかこれほど顕著に大きくそれてしまうとは思ってもいない。
いまや完全にレオポルドは圧政を強いる王になりつつある。
空席が目立つ中、レオポルドが現れて着座した。
いつにもまして鋭い眼光が感じられ、知られたくないことを隠している出席者たちは内心戦々恐々としているようだ。
誰もが口を開けない中、レオポルドは重圧から解放されたような嬉々とした表情で口を開いた。
「報告がある者は?」
各地からの使者から届いている手紙は、どれも状況変化なしだ。
もしなにかがあったとしても、自分たちに都合の悪いことであれば絶対に隠すに決まっている。今、下手にレオポルドを刺激して殺されたくないからだ。
それぞれの報告が終わり、再度会場が静寂に包まれる。
いつもならティズボンがうまくまとめていたのに、彼がいない今、重圧だけで死んでしまいそうだ。
そしてレオポルドがなにかを言おうとした時、ずっと震え続けていた貴族が一人、泡を噴いて倒れた。恐らくこの場の空気に耐えられなかったのだろう。
「時計よ、あの者はどうするべきだ?」
彼の質問には、爽やかな女性の声が答える。
『リンデンハウス伯爵ですね。彼はレオポルドさまの戴冠式後、悪意あることを周りに吹聴しておりました。気の置けない仲間とのパーティーでは、いつ玉座を退くかを賭博のネタにしていたようです』
「賭博をしていたのか。よくわかった」
レオポルドの冷たい声音に、モルートの背筋は凍った。
骨董遺物の声はほかの者たちには聞こえていないはずだが、耐性のあるモルートには雑音交じりではあるが聞こえていた。
「それで、お前はリンデンハウス伯爵に、どのような処罰を与えるのが適切だと思う?」
『僭越ながら端的に申し上げますと、物理的にお首を切ったらよろしいかと』
「悪いことを言えないようにしてしまうのが早いということか。賛成だ」
黙って聞いていたモルートは、今夜中にリンデンハウス伯爵と懇意だったものたちが夜逃げするだろうことを察知した。
来週の会議には、人はもっと減ってしまっているだろう。恐ろしいことだと思っていると、レオポルドは出席者たちについて懐中時計に訊き始める。
「ハーバー侯爵については?」
『――石打ち』
「ラウネル将校は?」
『――磔』
「トーランド領主は?」
『――生き埋め』
時計の声は彼らの耳には聞こえないが、そのやり取りが聞き取れているモルートにとっては、今この時間こそが拷問に近かった。
「……よくわかった」
モルートの対面に座っていた者たちの名前と処刑方法を訊き終わったところで、レオポルドは一息ついた。
陛下が時計となにをしゃべっていたのかわかっていない参加者たちは、首をかしげるばかりだ。
「では本日はこれまで」
レオポルドの一声に、皆がそそくさと席を立ち、足早に逃げ帰るようにしている。時計と話している内容はわからなかったとしても、なにかが起こるのではないかと理解したのだろう。
そんな中、モルートは意を決してレオポルドの前に進み出た。
「陛下、お話がありまして……その骨董遺物に、少々依存しすぎているのではございませんか?」
「ほう」
「陛下は耐性をお持ちとは存じますが、先ほどのように骨董品の進言だけで物事を決めてしまわれるのは、なにかと早急すぎると存じます」
「そうか、モルートにはこの者の声が聞こえているのか」
それにモルートは静かにうなずいた。
「先ほどの件も、普段であれば裁判にかけるような案件でございます」
「潔白を証明できる裁判官がいればの話だ」
きっぱり言われてしまい、モルートはうつむいた。
とっくに上級裁判官たちは汚職が露見して処罰されている。通常のことができない状態にまで、国内は混乱しているのだ。
「正確で効率的でよいではないか。それに、こんなにも多く悪がはびこっていたことにわたしは驚いている。素早く一掃する機会だ」
たしかにそうかもしれないが、それを続けていけば国民の大半が処刑されてしまう。なにしろ、一般人までレオポルドは虐殺し始めているのだから。
処刑リストの中に、自分が入っていることは間違いない。
遅かれ早かれ、レオポルドが時計に『モルートについて』と聞いた瞬間が、モルートの人生の最後になる。
ならば、はったりをかけてみるしかあるまい。モルートは姿勢を正した。
「……陛下、もしやその骨董遺物は欠損しているのではありませんか? 秒針の様子がおかしいかと。見せていただけませ――」
『レオポルド様、この者の言うことを信じてはなりません』
今までレオポルドが話しかけなれば答えなかったのに、突然、骨董遺物が話し始めた。
意志を持っているのか、とモルートは驚きとともに唇を噛んだ。
『このモルートという者は、聖天使教会の大司教でありながら、ここでははばかられるようなことを数多くしております』
時計のいきなりの暴露に、モルートの全身から血の気が去っていった。
近づこうとしていたのをやめ、伸ばしかけていた手を引っ込めてしまう。モルートの歯の奥がガタガタと鳴った。
時計がたとえ真実でないことを言っていたとしても、今のレオポルドならばモルートよりも時計の進言を信じるに決まっている。まともなことを言ったところで、言い訳ととらえられるのは間違いなかった。
国王はあまりの汚職の量に心が揺らぎ、そして疑心暗鬼になったあとに性格が豹変した。
今や彼は、時計にしか心を開こうとしていない。
「しゃべるのをやめなさい。おかしなことを言うようならば、わたしがあなたを破壊しますよ」
モルートの牽制に、時計は『都合が悪くなったのですね』と冷静に返してくる。レオポルドは口元をゆがめながら笑った。
「どんなことをしていたんだ、モルート。自ら話してみろ」
「その、わたしは……」
それ以上は言葉が続かなかった。
『教会の地下に答えが眠っておりますよ、レオポルドさま。モルート氏は預かった子どもたちを――……』
レオポルドの冷たい瞳に射貫かれ、モルートは言葉を失った挙句、踵を返して退散した。
「ははは! モルート、お前もか!」
レオポルドの壊れたような笑い声が追いかけてくる。モルートは全身を冷や汗でびっしょりにしながら、一目散に逃げだした。
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