骨董姫のやんごとなき悪事

神原オホカミ【書籍発売中】

文字の大きさ
上 下
40 / 67
6、叫びの婦人

第38話

しおりを挟む


 *


 その日、お茶の時間に、ノアはココの私室に訊ねてきた。ノアは忙しい合間を縫って、かいがいしくココの世話をしてくれる。

 昔からお兄ちゃん気質があったのだが、今もそれは健在だ。隙があればココの手を取り、髪にキスをし、頭を撫でてくるのをやめない。

 時々、ココにはノアの姿が大型犬のように見えて仕方がなかった。

「ココ、元の姿に戻った調子はどう?」

「快適に生活させてもらっているわ」

「良かった。今後、この城はココが好きに使っていいからね」

 ありがとうと微笑むと、ノアはココを見ながらうっとりと目を細める。どうやら彼は、本気でココのことを敬愛しているようだ。

「部屋も明るくて広いし、食事もおいしい。呼べば家令《スチュワード》が壁をすり抜けてきてくれて……まあ、それは少々、びっくりするけど」

「この城のどこでも出入りできるからね。ちなみに彼も、絵の住人なんだ」

 正面玄関に飾られている絵画の中に描かれている家令が、なぜか知らないうちに意思をもってしまいこの城で従事している。

 絵の具の一部に天使の涙が混ざっていたのかもしれないし、描いた人物が骨董遺物を身に着けていた影響かもしれない。

 もしくは、絵に意思を持たせようと故意に描かれたのかもしれないが、それはどちらでも良かった。

 理由は不明だが、有能なので働いてもらっている。あまりにも仕事ができるので、ノアは生身の人間を雇わずに済んでいる。

 骨董遺物だから、死んだり逆らったりする心配もないし、主人の言うことをよく聞き裏切りもしない。

 人の生活を便利にするのが道具の役割だとすれば、家令は見事にそれを体現していた。

「……それでココ、絵画の婦人のほうはどう?」

「最近はおとなしいのよ」

 数日間しゃべり通してから、婦人は満足したのか絵の中で眠ることも増えてきている。

 今日にいたっては、ノアが来る前から彼女は絵の中でうたた寝をしてしまっていた。

「最近は寝ていることもかなり増えたわ」

「ちなみに、以前は夜中の叫び声が一週間に一度は聞こえていたんだけど……今週からは起こされなくて済みそうだね」

 週に一度叫ばれていたのかと、ココは婦人のパワフルさに驚いてしまった。

「まあたしかに。彼女、ずっとおしゃべりしているの。それに、オペラや劇の話も身振り手振りでするものだから、面白くって」

「ココが喜んでくれているのが、わたしにとっては一番うれしいことだよ」

「シュードルフから解放されて万々歳よ」

 それに、あのステイシーをやり込めたことで、ココは非常にすっきりしている。

「計画をすすめなくちゃね」

「そうだね。ひとまず、絵画婦人はココに任せるよ。いざとなったら黙らせられるのはココだけだから」

 ノアの予想通り、それからさらに一週間経っても婦人の絵から叫び声が発せられることはなかった。

 ところが――。

 叫ばれなくなったことに安心していたのも束の間。

 週が明けてから婦人は口数が極端に減り、寝ていることがさらに増した。

 それは、今までのおしゃべりな彼女からしたら考えられない光景だ。

 ティータイムに誘ったというのに、今日は疲れているからと絵画の中で寝てしまっている。

 叫ばないのはいいが、彼女に元気がなくなってしまうのは寂しかった。

「婦人に、なにかあったのかい?」

 湖を一望できるテラスでお茶を楽しみながら、ノアがココに話しかけてきた。

「少し疲れているだけと言うのよ。だから、婦人が話さなくなってしまった明確な原因はわからないわ。たぶん、本人にもわからないと思う」

「医者に診せるわけにもいかないし、画家に修復っていうのも違うしなあ」

 ノアは、形のいい唇を金の縁取りが美しいコップに押し当て、お茶でのどを潤していた。

「でも、あれが本来の絵画の姿よ。私としゃべることで、元の状態に戻っていっただけ」

「そういうことか」

「本来はそれほど話さないものなのよ、きっと」

 絵の中で寝ているだろう婦人をちらりと見てから、ココに向かってノアが残念そうな表情で口を開く。

「調べたんだけど、あの絵は、ティズボン家のひいひいお婆様の肖像画だそうだよ」

「あら。ノアの大嫌いなティズボン家ね」

 貴族に疎い一般市民でも、ティズボン家は聞いたことがあるに違いない。現当主であるゴドリー・ティズボンは前王時代から仕えていた重鎮だ。

 彼は有能だという噂ではあるが、先王がノアの母を無理やり手籠めにしたことを、咎めることもしなかった。

 それどころか、身ごもったアンジェリーナに堕胎することを提案し、雀の涙ほどの金銭を投げてよこしたという。

 子どもだったノアは母から聞いた話のすべてを理解できたわけではなかったが、アンジェリーナの苦しそうな表情から、つらかったのだということくらいはわかった。

 ランフォート伯爵になってからティズボンにそれとなく訊ねたところ、ティズボンはノアの母のことさえ記憶から忘れ去ってしまっていた。

 ティズボン宰相には、ぜひ消えてもらいたいとノアは心の底から願っていた。

「先々代のランフォート伯爵が手に入れたようだね。夜中に音がして不気味だから捨てようとしていたらしい」

「不気味ねぇ……まあ、骨董遺物《アンティークジェム》ですものね」

 声が聞こえるココであれば、物音を立てる理由を直接骨董品たちに聞くことができる。

 しかし、聞こえない人からすれば、それはただ単に不気味な絵画として目に映るはずだ。

「先々代は、物音がするのはおかしなことではないとディズボン家に伝えていたようだけど。受け入れられなかったんだろうね」

 だからといって、むやみやたらと不気味がり、原因を調べもせず廃棄しようとするとはなんとも言い難い。

 それも先祖の絵画を捨てようとするなど、薄情すぎるというものだ。

「婦人はそんなことをされて、きっと寂しかったはずだ」

 今もうたた寝をしているティズボン婦人を見ながら、ノアは小さくため息を落とした。

 心配性でちょっぴりお節介なのにどこか憎めない絵画婦人。

 ここ数日一緒に生活をしてみて、ココは彼女のやかましさに慣れつつある。そして、骨董遺物であるからこそ親近感も持っていた。

 ティズボン家の住人達が、絵から物音がするのはおかしくないときちんと理解していれば、絵は本来飾られるべきお屋敷の壁にいただろう。

 子孫を見守り、にぎやかに話している家族たちを微笑ましく感じながら日々過ごせたはずだ。

「ココと話ができて、彼女も嬉しいと思うよ。シュードルフの末裔だからというのを抜きにしてもね」

 骨董遺物たちにとっては、自分たちを造り出したシュードルフ一族は生みの親だ。その末裔であるココと話せるのは光栄なことでもある。

「そうね。私も楽しいもの」

 絵画婦人は、ティズボン一族だけでなく、人のことを決して悪く言わない。

 それどころか、いつも楽しそうにいろいろな話をしてくれる。彼女の愛情や優しさをココは感じはじめていた。

 それなのに、ティズボン一族ときたら。

 ココの胸中では、婦人の絵をないがしろにし、都合が悪くなったら捨てるという選択をしたティズボン一族への言いようのない怒りが込み上げてくる。

「できる限り、婦人の話し相手になるわ」

 ココの提案にノアはうなずいた。

「そうしてくれるとわたしも嬉しいよ」

 しかしそれからこの先、ランフォート城内で婦人の叫び声が聞こえてくることはなくなった。

 彼女の絵は本来あるべき場所……ディズボン家に戻されたからだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

とある令嬢の断罪劇

古堂 素央
ファンタジー
本当に裁かれるべきだったのは誰? 時を超え、役どころを変え、それぞれの因果は巡りゆく。 とある令嬢の断罪にまつわる、嘘と真実の物語。

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです

秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。 そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。 いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが── 他サイト様でも掲載しております。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します

怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。 本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。 彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。 世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。 喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

処理中です...