38 / 68
6、叫びの婦人
第35話
しおりを挟む
――時は少しさかのぼる。
ココがランフォート城にやってきてすぐのことだ。
壁をすり抜ける家令《スチュワード》に案内され、ココは驚くほど豪華な部屋に通された。
「……なるほど。これが私の部屋ね?」
ココの髪色にも似た壁紙が全面に貼られており、よく磨かれた床の木材は間違いなく最高級品だ。
つるされたシャンデリアも、壁にかけてあるランプもため息が出るほどの美しさ。
おまけに厚手のカーテンで囲われた天蓋付きのベッドの大きさは、ココが五人並んだとしても、余るほどだ。
「広すぎるけれど、いい間取りね」
見回していると、家令はこの部屋がココのものだというジェスチャーをする。彼はそもそも口がないのでしゃべれないのだ。
身振り手振りで部屋の中を一通り案内してくれたあと、必要ならば呼んでくれと小さな呼び鈴を指さし、彼はすっと壁の中に消えていった。
ひとまず夕食まではゆっくりしていいと言われていたので、ココはふかふかのベッドに腰を下ろし、そのまま上半身を投げ出した。
「ふふ、いい場所ね」
今まで過ごしていたシュードルフ邸の小部屋と、この部屋のクローゼットが同じくらいの大きさだ。
文字通り、一瞬でココの生活は一変した。
窓を開けると広々としたテラスがあり、目の前には澄んだ青い湖と針葉樹の森が広がっている。
夕日が沈んでいくのが遠くに見え、西側の湖がオレンジ色の光を反射している。
絵本の中のような幻想的な風景を堪能していると、夕食の準備が整ったことを知らせるために、呼び鈴が勝手に動き出して鳴る。
恐ろしく豪華な食事は食べきれないほどで、ゆっくり咀嚼しているとあっという間に夜になっていた。
この錆びたような身体では、すでに疲労が限界に達している。醜い見た目に比例するように、体力も年々そぎ落とされているようだ。
城内の探検は明日にしようと決め、ココはひとまず睡眠をとることにした。
布団はまるで雲に包まれているほどの柔らかさで、入るとすぐに眠気に襲われて一瞬で夢の中に入った。
――しかし、泥のように眠っていたココを起こしたのは、女性の叫び声だった。
耳をつんざくような叫び声が、どこからか聞こえてくる。
周りが湖で静かなのも相まって、女性の叫び声は響いて聞こえていた。
「誰かが侵入してきた……?」
しかし、普通の人間ならばまずランフォート城に入ることすらできない。おそらく、門番の甲冑に焼き殺されて終わりだ。
なんにしても、緊急事態が発生しているのだけはわかる。
寝間着の上からガウンを着こむと、ランプを持って部屋から外に出た。
再度、女性の叫び声が聞こえてくる。
城の天井が高いこともあって、いくつもこだまして聞こえてきて場所が特定できない。
壁に飾ってある甲冑に訊ねると、律儀な様子で声の出どころまで案内してくれた。
「ノア?」
甲冑とともに向かった先には、すでに先客がいた。声をかけると、美しい青年は作業していた手を止めて振り返った。
「ごめんココ、起こしちゃったよね」
「すごい悲鳴ね。どうしたの?」
きょろきょろしていると、ノアは重たく息を吐いた。
「ここは城の西側の階段。騒いでいるのはこちらのご婦人だよ」
ノアの後ろに飾られていたのは、金縁の額にはめられた絵画だ。
白髪を結い上げたいかにも裕福そうで上品な婦人が、頬を真っ赤にして泣いている姿が描かれている。
と思ったら、その絵が急にハンカチで目元をぬぐい始めた。
「まさか、その絵が悲鳴の正体?」
「彼女はたまに発作を起こすんだ」
叫ぶのはやめてくれと、画面の中の女性に向かってノアは困った顔を向ける。しかし、婦人は鳴き止む様子がない。
「ココが起きてくる前に対処しておきたかったけど、間に合わなかったね」
うんざりしたように話すノアの手には、絵を覆うための木製のカバーと、それを壁に打ち付けるためにハンマーが握られている。
隣に立っている家令《スチュワード》は、持っていた釘をノアに渡そうとしていた。
「絵をふさぐの?」
「迷惑だからね。発作が収まるまではしばらくおさらばだ」
容赦なく絵にカバーをかぶせ始めたノアの姿に気づいた婦人は、ハッとした顔をしたあとに両手を大きく左右に振っている。
『ちょ、ちょ、ちょっと待っていただけませんことー!?』
ココの耳に、婦人のものと思われる声が届く。
「ノア、待って」
彼の腕を引っ張って作業を中断させると、画中の婦人がほっとしたような顔をするのが見えた。
ココがランフォート城にやってきてすぐのことだ。
壁をすり抜ける家令《スチュワード》に案内され、ココは驚くほど豪華な部屋に通された。
「……なるほど。これが私の部屋ね?」
ココの髪色にも似た壁紙が全面に貼られており、よく磨かれた床の木材は間違いなく最高級品だ。
つるされたシャンデリアも、壁にかけてあるランプもため息が出るほどの美しさ。
おまけに厚手のカーテンで囲われた天蓋付きのベッドの大きさは、ココが五人並んだとしても、余るほどだ。
「広すぎるけれど、いい間取りね」
見回していると、家令はこの部屋がココのものだというジェスチャーをする。彼はそもそも口がないのでしゃべれないのだ。
身振り手振りで部屋の中を一通り案内してくれたあと、必要ならば呼んでくれと小さな呼び鈴を指さし、彼はすっと壁の中に消えていった。
ひとまず夕食まではゆっくりしていいと言われていたので、ココはふかふかのベッドに腰を下ろし、そのまま上半身を投げ出した。
「ふふ、いい場所ね」
今まで過ごしていたシュードルフ邸の小部屋と、この部屋のクローゼットが同じくらいの大きさだ。
文字通り、一瞬でココの生活は一変した。
窓を開けると広々としたテラスがあり、目の前には澄んだ青い湖と針葉樹の森が広がっている。
夕日が沈んでいくのが遠くに見え、西側の湖がオレンジ色の光を反射している。
絵本の中のような幻想的な風景を堪能していると、夕食の準備が整ったことを知らせるために、呼び鈴が勝手に動き出して鳴る。
恐ろしく豪華な食事は食べきれないほどで、ゆっくり咀嚼しているとあっという間に夜になっていた。
この錆びたような身体では、すでに疲労が限界に達している。醜い見た目に比例するように、体力も年々そぎ落とされているようだ。
城内の探検は明日にしようと決め、ココはひとまず睡眠をとることにした。
布団はまるで雲に包まれているほどの柔らかさで、入るとすぐに眠気に襲われて一瞬で夢の中に入った。
――しかし、泥のように眠っていたココを起こしたのは、女性の叫び声だった。
耳をつんざくような叫び声が、どこからか聞こえてくる。
周りが湖で静かなのも相まって、女性の叫び声は響いて聞こえていた。
「誰かが侵入してきた……?」
しかし、普通の人間ならばまずランフォート城に入ることすらできない。おそらく、門番の甲冑に焼き殺されて終わりだ。
なんにしても、緊急事態が発生しているのだけはわかる。
寝間着の上からガウンを着こむと、ランプを持って部屋から外に出た。
再度、女性の叫び声が聞こえてくる。
城の天井が高いこともあって、いくつもこだまして聞こえてきて場所が特定できない。
壁に飾ってある甲冑に訊ねると、律儀な様子で声の出どころまで案内してくれた。
「ノア?」
甲冑とともに向かった先には、すでに先客がいた。声をかけると、美しい青年は作業していた手を止めて振り返った。
「ごめんココ、起こしちゃったよね」
「すごい悲鳴ね。どうしたの?」
きょろきょろしていると、ノアは重たく息を吐いた。
「ここは城の西側の階段。騒いでいるのはこちらのご婦人だよ」
ノアの後ろに飾られていたのは、金縁の額にはめられた絵画だ。
白髪を結い上げたいかにも裕福そうで上品な婦人が、頬を真っ赤にして泣いている姿が描かれている。
と思ったら、その絵が急にハンカチで目元をぬぐい始めた。
「まさか、その絵が悲鳴の正体?」
「彼女はたまに発作を起こすんだ」
叫ぶのはやめてくれと、画面の中の女性に向かってノアは困った顔を向ける。しかし、婦人は鳴き止む様子がない。
「ココが起きてくる前に対処しておきたかったけど、間に合わなかったね」
うんざりしたように話すノアの手には、絵を覆うための木製のカバーと、それを壁に打ち付けるためにハンマーが握られている。
隣に立っている家令《スチュワード》は、持っていた釘をノアに渡そうとしていた。
「絵をふさぐの?」
「迷惑だからね。発作が収まるまではしばらくおさらばだ」
容赦なく絵にカバーをかぶせ始めたノアの姿に気づいた婦人は、ハッとした顔をしたあとに両手を大きく左右に振っている。
『ちょ、ちょ、ちょっと待っていただけませんことー!?』
ココの耳に、婦人のものと思われる声が届く。
「ノア、待って」
彼の腕を引っ張って作業を中断させると、画中の婦人がほっとしたような顔をするのが見えた。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
婚約者に見捨てられた悪役令嬢は世界の終わりにお茶を飲む
めぐめぐ
ファンタジー
魔王によって、世界が終わりを迎えるこの日。
彼女はお茶を飲みながら、青年に語る。
婚約者である王子、異世界の聖女、聖騎士とともに、魔王を倒すために旅立った魔法使いたる彼女が、悪役令嬢となるまでの物語を――
※終わりは読者の想像にお任せする形です
※頭からっぽで
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】待ち望んでいた婚約破棄のおかげで、ついに報復することができます。
みかみかん
恋愛
メリッサの婚約者だったルーザ王子はどうしようもないクズであり、彼が婚約破棄を宣言したことにより、メリッサの復讐計画が始まった。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
おかえりなさい。どうぞ、お幸せに。さようなら。
石河 翠
恋愛
主人公は神託により災厄と呼ばれ、蔑まれてきた。家族もなく、神殿で罪人のように暮らしている。
ある時彼女のもとに、見目麗しい騎士がやってくる。警戒する彼女だったが、彼は傷つき怯えた彼女に救いの手を差し伸べた。
騎士のもとで、子ども時代をやり直すように穏やかに過ごす彼女。やがて彼女は騎士に恋心を抱くようになる。騎士に想いが伝わらなくても、彼女はこの生活に満足していた。
ところが神殿から疎まれた騎士は、戦場の最前線に送られることになる。無事を祈る彼女だったが、騎士の訃報が届いたことにより彼女は絶望する。
力を手に入れた彼女は世界を滅ぼすことを望むが……。
騎士の幸せを願ったヒロインと、ヒロインを心から愛していたヒーローの恋物語。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:25824590)をお借りしています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
【完結】男爵令嬢は冒険者生活を満喫する
影清
ファンタジー
英雄の両親を持つ男爵令嬢のサラは、十歳の頃から冒険者として活動している。優秀な両親、優秀な兄に恥じない娘であろうと努力するサラの前に、たくさんのメイドや護衛に囲まれた侯爵令嬢が現れた。「卒業イベントまでに、立派な冒険者になっておきたいの」。一人でも生きていけるようにだとか、追放なんてごめんだわなど、意味の分からぬことを言う令嬢と関わりたくないサラだが、同じ学園に入学することになって――。
※残酷な描写は予告なく出てきます。
※小説家になろう、アルファポリス、カクヨムに掲載中です。
※106話完結。
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
婚約破棄で命拾いした令嬢のお話 ~本当に助かりましたわ~
華音 楓
恋愛
シャルロット・フォン・ヴァーチュレストは婚約披露宴当日、謂れのない咎により結婚破棄を通達された。
突如襲い来る隣国からの8万の侵略軍。
襲撃を受ける元婚約者の領地。
ヴァーチュレスト家もまた存亡の危機に!!
そんな数奇な運命をたどる女性の物語。
いざ開幕!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる