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3、鏡のレディ
第18話
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ステイシーが居候している公爵家の部屋には、必要最低限のものしか置かれていない。正しく言うと、置けないだ。
自身の変貌の拒絶反応で、彼女は癇癪を起こして物を投げ飛ばしてしまう。侍女たちには暴言と暴力をふるい、手が付けられない状況だった。
公爵家のメイドたちは怪我をするのを恐れ、食事や入浴の介助以外では極力彼女に近寄ろうとしない。
そしてこの数日で彼女の心身は病み、すっかりやつれてひどい姿になっている。
大勢で行くとステイシーの癇癪を強く引き起こすので、ニールとノアが彼女の部屋に向かっていた。
「本当にこの手鏡で、ステイシーの気持ちが安定するのでしょうか?」
「骨董遺物は、もともとは守護天使様の恵みであり贈り物です。正しく使い、悪用さえしなければ、問題ありません」
――もちろん、この言葉はおおむね嘘だ。
強い力を持つ骨董遺物を正しく使えるのは、耐性を持っている者しかいない。
そしていくら耐性を持っていたとしても、この手鏡は制御が利かない――ココ以外は。
心配そうにしているニールに向かって、ノアは笑顔を見せる。
「大丈夫ですよ」
ランフォート伯爵がそういうのなら、とニールは安心したようだ。
泣き叫ぶ声がずっと続いているステイシーの部屋の扉を、ニールが遠慮がちにノックする。声をかけるとピタッと声が止んだ。
「ステイシー、入ってもいいかい?」
「こんな、こんな姿を……見せるわけには!」
叫びすぎて、彼女の声はかれてしまっている。それでもなお、涙も嗚咽も止まらないらしい。
「ランフォート伯爵が、ステイシーに持ってきてくれたものがあって」
それを聞くなり、中からバタバタと音が聞こえる。ぴたりと扉の前で止まったところで、ニールが外鍵を恐る恐る外した。
内側に引かれた扉の隙間から、人とは思えない姿になった、ひどい顔色のステイシーが顔をのぞかせる。
鏡の背を見せると、彼女はひきつけを起こしそうな表情になった。
「落ち着いて。これは『真実を映す鏡』らしい。この鏡には、君の元の姿が映し出されるんだ」
ニールの必死な声が届いたのか、ステイシーの枯れ枝のようになった腕が扉の隙間から伸びてくる。ニールは布に包み込んだ手鏡を差し出す。
ステイシーはシルクの包みを手に取って中身を確認した。
瞬間、彼女の瞳はうっとりしはじめ、口元に笑顔が浮かんだ。
「素敵!」
手鏡を取り出したステイシーは、そこに映りこんだ自分を見るなり歓喜の声を上げた。
「すごい、すごいわっ!」
彼女は鏡をじっと覗き込んだまま、頬に手を当てて喜び始めた。
くるくる回りながら、自分の姿を見て「きれい……」と感嘆のため息を漏らす。
見た目もなにも変わっていないのに、いきなり少女のように喜び始めたステイシーにニールは驚いた。ノアはほっとしたように口元に笑みを乗せる。
「ステイシー嬢の真の姿が映し出されているのでしょう。ご満足していただいているようですし、わたしも安心しました」
ニールも現状を理解するなりホッとしたように息を吐く。ノアに深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、ランフォート伯爵」
「いえ、こんなことでしかお役に立てず申し訳ありませんが」
あははは、とステイシーの幸せそうな笑い声が室内から聞こえてくる。
彼女は手鏡を放さず、ずっと持ったまま笑い転げていた。
「……あの鏡は一日数時間だけ、お使いいただくのがいいかもしれませんね」
「どうしてですか!? あんなにステイシーも嬉しそうにしているのに」
「副作用が確認できなかったとはいえ、骨董遺物に変わりはありません。いくら天使様のお恵みとはいえ、あの様子でしたら使いすぎないほうがいいと思います」
一応釘はさしたぞ、とノアは内心でほくそ笑んだ。
「取り上げるなんてとても」
「薬にも用法と容量があります。骨董遺物もしかりです。多用するとなにが起こるかわかりません。くれぐれも気を付けてお使いくださいね」
ニールは納得しかねたような顔だったが、しぶしぶといった様子で頷く。
こうしてステイシーの命が削り取られるカウントダウンが始まったことは、ノアとココだけの秘密だ。
鏡のレディを見ている間、ステイシーの命が削られているなんて、誰も想像していないに違いない。
自身の変貌の拒絶反応で、彼女は癇癪を起こして物を投げ飛ばしてしまう。侍女たちには暴言と暴力をふるい、手が付けられない状況だった。
公爵家のメイドたちは怪我をするのを恐れ、食事や入浴の介助以外では極力彼女に近寄ろうとしない。
そしてこの数日で彼女の心身は病み、すっかりやつれてひどい姿になっている。
大勢で行くとステイシーの癇癪を強く引き起こすので、ニールとノアが彼女の部屋に向かっていた。
「本当にこの手鏡で、ステイシーの気持ちが安定するのでしょうか?」
「骨董遺物は、もともとは守護天使様の恵みであり贈り物です。正しく使い、悪用さえしなければ、問題ありません」
――もちろん、この言葉はおおむね嘘だ。
強い力を持つ骨董遺物を正しく使えるのは、耐性を持っている者しかいない。
そしていくら耐性を持っていたとしても、この手鏡は制御が利かない――ココ以外は。
心配そうにしているニールに向かって、ノアは笑顔を見せる。
「大丈夫ですよ」
ランフォート伯爵がそういうのなら、とニールは安心したようだ。
泣き叫ぶ声がずっと続いているステイシーの部屋の扉を、ニールが遠慮がちにノックする。声をかけるとピタッと声が止んだ。
「ステイシー、入ってもいいかい?」
「こんな、こんな姿を……見せるわけには!」
叫びすぎて、彼女の声はかれてしまっている。それでもなお、涙も嗚咽も止まらないらしい。
「ランフォート伯爵が、ステイシーに持ってきてくれたものがあって」
それを聞くなり、中からバタバタと音が聞こえる。ぴたりと扉の前で止まったところで、ニールが外鍵を恐る恐る外した。
内側に引かれた扉の隙間から、人とは思えない姿になった、ひどい顔色のステイシーが顔をのぞかせる。
鏡の背を見せると、彼女はひきつけを起こしそうな表情になった。
「落ち着いて。これは『真実を映す鏡』らしい。この鏡には、君の元の姿が映し出されるんだ」
ニールの必死な声が届いたのか、ステイシーの枯れ枝のようになった腕が扉の隙間から伸びてくる。ニールは布に包み込んだ手鏡を差し出す。
ステイシーはシルクの包みを手に取って中身を確認した。
瞬間、彼女の瞳はうっとりしはじめ、口元に笑顔が浮かんだ。
「素敵!」
手鏡を取り出したステイシーは、そこに映りこんだ自分を見るなり歓喜の声を上げた。
「すごい、すごいわっ!」
彼女は鏡をじっと覗き込んだまま、頬に手を当てて喜び始めた。
くるくる回りながら、自分の姿を見て「きれい……」と感嘆のため息を漏らす。
見た目もなにも変わっていないのに、いきなり少女のように喜び始めたステイシーにニールは驚いた。ノアはほっとしたように口元に笑みを乗せる。
「ステイシー嬢の真の姿が映し出されているのでしょう。ご満足していただいているようですし、わたしも安心しました」
ニールも現状を理解するなりホッとしたように息を吐く。ノアに深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、ランフォート伯爵」
「いえ、こんなことでしかお役に立てず申し訳ありませんが」
あははは、とステイシーの幸せそうな笑い声が室内から聞こえてくる。
彼女は手鏡を放さず、ずっと持ったまま笑い転げていた。
「……あの鏡は一日数時間だけ、お使いいただくのがいいかもしれませんね」
「どうしてですか!? あんなにステイシーも嬉しそうにしているのに」
「副作用が確認できなかったとはいえ、骨董遺物に変わりはありません。いくら天使様のお恵みとはいえ、あの様子でしたら使いすぎないほうがいいと思います」
一応釘はさしたぞ、とノアは内心でほくそ笑んだ。
「取り上げるなんてとても」
「薬にも用法と容量があります。骨董遺物もしかりです。多用するとなにが起こるかわかりません。くれぐれも気を付けてお使いくださいね」
ニールは納得しかねたような顔だったが、しぶしぶといった様子で頷く。
こうしてステイシーの命が削り取られるカウントダウンが始まったことは、ノアとココだけの秘密だ。
鏡のレディを見ている間、ステイシーの命が削られているなんて、誰も想像していないに違いない。
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