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第2章
第21話 鍵
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「じゃあ、涼音さん、明日また来ますから」
片づけを済ませると、芽生は忘れ物がないかを確認して、玄関へと向かった。
「早く寝てくださいね。明日の朝までに必要な物とかあれば、連絡入れておいてください。揃えてから来ますので」
すると、涼音がカードのようなものを取り出して、芽生の手を引っ張った。
「勝手にいつでも入ってきていい。無くすなよ」
手のひらにそのカードを渡されて、それが家の鍵だと気がつくまでに、芽生はたっぷり三秒は時間がかかった。
「いいんですか? 悪用するかもしれないって思わないんですか?」
「お前がするわけないだろう、お人好しが人間の皮被って歩いているような奴が」
「……褒めてるんですよね?」
涼音は芽生の頭に手を乗せると、くしゃくしゃと撫でた。
「これを持っているのは世界でお前だけだ。意味、分かるか?」
涼音がぐい、と迫ってきて、芽生の腕を強く掴む。それに芽生は慌てた。
「え、つまり、無くしたら弁償ってことですよね? これ高そう……心配になってきちゃった」
「お前の頭の中、本当に地味な思考回路だな。こう言えばわかるか?」
手が伸びてきて芽生の髪の毛を耳にかけたかと思うと、涼音のきれいな顔が迫ってくる。思わず後ずさりしようとすると、耳元に息がかかった。
「お前だけ特別ってことだ——芽生」
唇がほんの少しだけ芽生の耳に触れる。涼音が離れて、そして腕を組みながらにやにやとした。芽生はその不意打ちに耳まで真っ赤になって、耳を押さえて下唇を噛んだ。
「な、な、な……」
「じゃあ、明日も来いよ、芽生。早く行かないとバイト遅刻するぞ」
「なっ、あ、え?……また明日、し、失礼します!」
時計を見てぎょっとする。そして涼音を見ることができずに、視線をそらしたまま芽生は挨拶すると逃げるように部屋を出て、エレベーターへと駆け込んだ。
「なにすんの、あの人——!」
ささやかれた声が、いまだに耳の奥底で響いている。ほんの少し触れた唇の感触に、芽生は心臓が早鐘のようになっているのを感じた。
「もう、なまじ顔がいいからドキドキさせないでよ」
芽生はぎゅっと目をつぶって、エントランスから外へと出た。途端に涼しい風に髪の毛を巻き上げられる。あざ笑うかのようなその風のいたずらに芽生は髪の毛を押さえつけながら、早足で帰宅した。
芽生が返った部屋で、涼音は手のひらに残る芽生のほそっこい腕の感触を、まだ感じ取っていた。
「あいつ、あんな細いのかよ……」
よくもあんな細い腕で、大量に買い物などしてきたものだと涼音はあきれた。本当は引き留めて、もう少し一緒にいたかった。しかし、女性に言い寄られてきても、自分が言い寄ったことなど涼音はない。
「どうしたらいいんだ?」
芽生を手元に置いておきたい独占欲が、涼音の中で渦巻いていた。その凶暴な感情は今まで持ったことがなく、押さえつけるべきなのか、それとも打ち明けるべきなのかさえ分からない。
「……三十にもなって、これじゃどうしようもないな」
涼音は髪の毛をくしゃくしゃと掻くと、ソファへと戻った。女性を大事にする方法なんて、分からなかった。欲しいものは手に入れる。無駄だと思うものは省く。仕事はどうすべきか分かるのに、芽生はどうすべきか分からなかった。
コーヒーを飲もうとしてコーヒーメーカーに近寄ると、『飲んだら罰金一万円』と手書きで書かれたメモが張り付けてあって、涼音は脱力した。薄すぎるコーヒーにも飽きたので、お湯を飲みながら夜をやり過ごすことにする。
誰かが訪ねてくるのが楽しみな日曜日など、何十年ぶりだった。
片づけを済ませると、芽生は忘れ物がないかを確認して、玄関へと向かった。
「早く寝てくださいね。明日の朝までに必要な物とかあれば、連絡入れておいてください。揃えてから来ますので」
すると、涼音がカードのようなものを取り出して、芽生の手を引っ張った。
「勝手にいつでも入ってきていい。無くすなよ」
手のひらにそのカードを渡されて、それが家の鍵だと気がつくまでに、芽生はたっぷり三秒は時間がかかった。
「いいんですか? 悪用するかもしれないって思わないんですか?」
「お前がするわけないだろう、お人好しが人間の皮被って歩いているような奴が」
「……褒めてるんですよね?」
涼音は芽生の頭に手を乗せると、くしゃくしゃと撫でた。
「これを持っているのは世界でお前だけだ。意味、分かるか?」
涼音がぐい、と迫ってきて、芽生の腕を強く掴む。それに芽生は慌てた。
「え、つまり、無くしたら弁償ってことですよね? これ高そう……心配になってきちゃった」
「お前の頭の中、本当に地味な思考回路だな。こう言えばわかるか?」
手が伸びてきて芽生の髪の毛を耳にかけたかと思うと、涼音のきれいな顔が迫ってくる。思わず後ずさりしようとすると、耳元に息がかかった。
「お前だけ特別ってことだ——芽生」
唇がほんの少しだけ芽生の耳に触れる。涼音が離れて、そして腕を組みながらにやにやとした。芽生はその不意打ちに耳まで真っ赤になって、耳を押さえて下唇を噛んだ。
「な、な、な……」
「じゃあ、明日も来いよ、芽生。早く行かないとバイト遅刻するぞ」
「なっ、あ、え?……また明日、し、失礼します!」
時計を見てぎょっとする。そして涼音を見ることができずに、視線をそらしたまま芽生は挨拶すると逃げるように部屋を出て、エレベーターへと駆け込んだ。
「なにすんの、あの人——!」
ささやかれた声が、いまだに耳の奥底で響いている。ほんの少し触れた唇の感触に、芽生は心臓が早鐘のようになっているのを感じた。
「もう、なまじ顔がいいからドキドキさせないでよ」
芽生はぎゅっと目をつぶって、エントランスから外へと出た。途端に涼しい風に髪の毛を巻き上げられる。あざ笑うかのようなその風のいたずらに芽生は髪の毛を押さえつけながら、早足で帰宅した。
芽生が返った部屋で、涼音は手のひらに残る芽生のほそっこい腕の感触を、まだ感じ取っていた。
「あいつ、あんな細いのかよ……」
よくもあんな細い腕で、大量に買い物などしてきたものだと涼音はあきれた。本当は引き留めて、もう少し一緒にいたかった。しかし、女性に言い寄られてきても、自分が言い寄ったことなど涼音はない。
「どうしたらいいんだ?」
芽生を手元に置いておきたい独占欲が、涼音の中で渦巻いていた。その凶暴な感情は今まで持ったことがなく、押さえつけるべきなのか、それとも打ち明けるべきなのかさえ分からない。
「……三十にもなって、これじゃどうしようもないな」
涼音は髪の毛をくしゃくしゃと掻くと、ソファへと戻った。女性を大事にする方法なんて、分からなかった。欲しいものは手に入れる。無駄だと思うものは省く。仕事はどうすべきか分かるのに、芽生はどうすべきか分からなかった。
コーヒーを飲もうとしてコーヒーメーカーに近寄ると、『飲んだら罰金一万円』と手書きで書かれたメモが張り付けてあって、涼音は脱力した。薄すぎるコーヒーにも飽きたので、お湯を飲みながら夜をやり過ごすことにする。
誰かが訪ねてくるのが楽しみな日曜日など、何十年ぶりだった。
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