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第二章 出立
第16話
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二人は重々しい雰囲気に複雑な顔をしてトゥオンの部屋に入ってくる。正装しているところを見ると、今までずっと、商隊の隊長たちと話をしていたのかもしれない。
両親の顔には、濃い疲労の影が見える。そしてそれと同時に、少々迷っているようにも感じられた。
「父さま、母さま。どうだったの?」
トゥオンは早く話を聞きたくてうずうずしていた。床の上にある円形のマットに座り、三人で顔を突き合わせる。
父さまが深く息を吐きながら口を開けた。
「ウルン大帝国から、我らの一族を平和的に属国にしたいと申し入れがあった」
「えっ!?」
まさか、そんな話をしていたとは思ってもみなかった。
「それって、侵略と変わりないんじゃ……?」
父さまは太くて立派な眉毛を少しだけ寄せ、さらに続けた。
「そうだ。言葉は違えど、言っていることは帝国に従えということ。そして従わない場合は日を改めて宣戦布告し、戦になると言われた」
「そんな……」
静かだが、ほんの少し怒りを含んだ父さまの声に、トゥオンは恐怖と悲しみが襲ってくる。
しかし、侵略で無いというのなら、彼らがたかだか数千人規模の村に一万を超える大群でやってくるはずがない。
こんなに武力では差があるぞと見せつけ、こちらの戦意を喪失させる目的なのだろう。いきなり襲ってこなかったのはよかったとはいえ、結局ラナカイ村や山岳民族たちにとって、太刀打ちできるものではない。
トゥオンが絶句していると、父さまは今まで見たことがないくらい深いしわを眉間に刻んだ。
「かの国は食糧難となっているそうだ。領地を拡大し、資源を持ちたいらしい」
「そのために、この山岳地帯を制圧するの?」
いいや違う、と父さまは首を横に振る。
たしかに、ここは大国の民たち全員に行き渡るほど、豊富に作物が取れるわけではない。せいぜい村人たちが困らないよう、蓄えるのが限度だ。
「じゃあ、なんで?」
「ウルン大帝国は、竜の住む聖域の土地を手に入れようとしているんだ」
「…………!?」
トゥオンは口を開けたまま、固まった。
「人の手が及んでいない、肥沃な土地。それが竜の住む聖域だ。そこの土地を手に入れれば、たしか二大国の民たちの飢えをしのぐことはできるだろう。この先何年も」
「でも……」
「大地は、独占するものじゃない」
それは、爺さまがよくトゥオンに言い聞かせていた言葉だ。
すべての生命はこの大地に住まわせてもらっている。誰かが独り占めするためでも、支配するものでもない。だから、必要な分を必要なだけ、知恵を絞り生活していく。
爺さまの教えは、トゥオンだけでなくラナカイ村の人々の胸に刻み付けられている。
だからこそ、土地を侵略し、独占しようとするようなウルン大帝国の動きには反感を覚えた。
トゥオンだけではない。もちろん両親は納得できないのが見て取れる。おそらく、村の皆だってそうだ。
しかし、一番納得できないのは、ヴァンとともに過ごしているトゥオンに違いなかった。
ヴァンは、トゥオンと姉弟として育ったが、、竜の住む聖域が故郷であることに変わりはないのだから。
「我々北方民族は、竜を神とあがめる。しかし、ウルン大帝国では、竜は災いとされる。考えかたの違いは、今はどうにもできないし、今どうにかするものではない」
「でも、そうだとしても」
自分たちの国が貧しくなったからと言って、他国や他の土地を踏みにじる行為が、まかり通っていいのだろうか。
彼らには、仮らの大義がある。民を守らなくてはならない。それはトゥオンにもわかる。でも――。
国が貧しくなるのは、国のトップの政策が悪いのは当たり前のこと。そして、それを許した国民の責任だ。
自国の責任は、自国で解消するべきだ。
そうやって、山岳民族たちは繁栄と衰退を繰り返した。消滅した部族だってたくさんいる。でも、みんな自分で責任を取ってきた結果だ。
他国に干渉してしまえば、必ずゆがみが生じる。個人間では微々たるものやいざこざで済むが、国同士になるとそれは戦争になってしまう。
お互いの正義を掲げて、相手を侵略する理由にする。
正義は、自分たちにとって都合のいいようにしか使われないのだ。
「ダメだよ、ヴァンの故郷だから。人がそれを奪ってはいけない」
トゥオンが唸るように奥歯を噛みしめると、ギリギリと音が出た。
「――……トゥオン」
父さまは穏やかな口調でトゥオンの名前を呼んだ。
怒りに頭の中が真っ白になりかけていたトゥオンは、ハッとして父さまを見る。薄茶色の瞳には、深い慈愛が宿っていた。
「はい、父さま」
トゥオンは自然と姿勢を正していた。父さまと呼んだけれども、族長に向き合う気持ちだ。
父さまは自慢の娘を満足そうに眺めて頷く。
「トゥオン。ヴァンを連れて、村から逃げなさい」
「……!?」
それは、トゥオンが予期していなかった言葉だった。
「逃げる?」
「そうだ。逃げなさい」
ここにいてはいけない、と有無を言わせない一言がつけ加えられた。
両親の顔には、濃い疲労の影が見える。そしてそれと同時に、少々迷っているようにも感じられた。
「父さま、母さま。どうだったの?」
トゥオンは早く話を聞きたくてうずうずしていた。床の上にある円形のマットに座り、三人で顔を突き合わせる。
父さまが深く息を吐きながら口を開けた。
「ウルン大帝国から、我らの一族を平和的に属国にしたいと申し入れがあった」
「えっ!?」
まさか、そんな話をしていたとは思ってもみなかった。
「それって、侵略と変わりないんじゃ……?」
父さまは太くて立派な眉毛を少しだけ寄せ、さらに続けた。
「そうだ。言葉は違えど、言っていることは帝国に従えということ。そして従わない場合は日を改めて宣戦布告し、戦になると言われた」
「そんな……」
静かだが、ほんの少し怒りを含んだ父さまの声に、トゥオンは恐怖と悲しみが襲ってくる。
しかし、侵略で無いというのなら、彼らがたかだか数千人規模の村に一万を超える大群でやってくるはずがない。
こんなに武力では差があるぞと見せつけ、こちらの戦意を喪失させる目的なのだろう。いきなり襲ってこなかったのはよかったとはいえ、結局ラナカイ村や山岳民族たちにとって、太刀打ちできるものではない。
トゥオンが絶句していると、父さまは今まで見たことがないくらい深いしわを眉間に刻んだ。
「かの国は食糧難となっているそうだ。領地を拡大し、資源を持ちたいらしい」
「そのために、この山岳地帯を制圧するの?」
いいや違う、と父さまは首を横に振る。
たしかに、ここは大国の民たち全員に行き渡るほど、豊富に作物が取れるわけではない。せいぜい村人たちが困らないよう、蓄えるのが限度だ。
「じゃあ、なんで?」
「ウルン大帝国は、竜の住む聖域の土地を手に入れようとしているんだ」
「…………!?」
トゥオンは口を開けたまま、固まった。
「人の手が及んでいない、肥沃な土地。それが竜の住む聖域だ。そこの土地を手に入れれば、たしか二大国の民たちの飢えをしのぐことはできるだろう。この先何年も」
「でも……」
「大地は、独占するものじゃない」
それは、爺さまがよくトゥオンに言い聞かせていた言葉だ。
すべての生命はこの大地に住まわせてもらっている。誰かが独り占めするためでも、支配するものでもない。だから、必要な分を必要なだけ、知恵を絞り生活していく。
爺さまの教えは、トゥオンだけでなくラナカイ村の人々の胸に刻み付けられている。
だからこそ、土地を侵略し、独占しようとするようなウルン大帝国の動きには反感を覚えた。
トゥオンだけではない。もちろん両親は納得できないのが見て取れる。おそらく、村の皆だってそうだ。
しかし、一番納得できないのは、ヴァンとともに過ごしているトゥオンに違いなかった。
ヴァンは、トゥオンと姉弟として育ったが、、竜の住む聖域が故郷であることに変わりはないのだから。
「我々北方民族は、竜を神とあがめる。しかし、ウルン大帝国では、竜は災いとされる。考えかたの違いは、今はどうにもできないし、今どうにかするものではない」
「でも、そうだとしても」
自分たちの国が貧しくなったからと言って、他国や他の土地を踏みにじる行為が、まかり通っていいのだろうか。
彼らには、仮らの大義がある。民を守らなくてはならない。それはトゥオンにもわかる。でも――。
国が貧しくなるのは、国のトップの政策が悪いのは当たり前のこと。そして、それを許した国民の責任だ。
自国の責任は、自国で解消するべきだ。
そうやって、山岳民族たちは繁栄と衰退を繰り返した。消滅した部族だってたくさんいる。でも、みんな自分で責任を取ってきた結果だ。
他国に干渉してしまえば、必ずゆがみが生じる。個人間では微々たるものやいざこざで済むが、国同士になるとそれは戦争になってしまう。
お互いの正義を掲げて、相手を侵略する理由にする。
正義は、自分たちにとって都合のいいようにしか使われないのだ。
「ダメだよ、ヴァンの故郷だから。人がそれを奪ってはいけない」
トゥオンが唸るように奥歯を噛みしめると、ギリギリと音が出た。
「――……トゥオン」
父さまは穏やかな口調でトゥオンの名前を呼んだ。
怒りに頭の中が真っ白になりかけていたトゥオンは、ハッとして父さまを見る。薄茶色の瞳には、深い慈愛が宿っていた。
「はい、父さま」
トゥオンは自然と姿勢を正していた。父さまと呼んだけれども、族長に向き合う気持ちだ。
父さまは自慢の娘を満足そうに眺めて頷く。
「トゥオン。ヴァンを連れて、村から逃げなさい」
「……!?」
それは、トゥオンが予期していなかった言葉だった。
「逃げる?」
「そうだ。逃げなさい」
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