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第一章 トゥオンとヴァン

第4話

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 トゥオンと家族みんなが、大事に大事に卵を育てた。

 そうして半月ほどが過ぎた時、コツコツと中から音が聞こえてきた。それは夜中だったのだが、トゥオンは音に目覚めるとすぐさま爺さまに知らせた。

「爺さま、卵から音がするの。コツン、コツンって」

 爺さまは急いでトゥオンの側にやってきてくれた。

 卵へ近づき音に聞き耳を立てる。そうしている間にも、コツ、コツと音が聞こえており、それはときには何度も激しく、時には頻度を下げて鳴った。

「もしかして、生まれるのかな?」

「そうかもしれない。トゥオン、しばらく二人で様子を見てみよう」

 父さまと母さまは、昼間の仕事が忙しくて熟睡している。トゥオンは爺さまの膝に抱えられながら、卵をじいっと見ていた。

 月が空の真上に来る頃……。

 キーンという音とともに卵の一部に亀裂が入った。眠くて船をこぎそうになっていたトゥオンは、飛び起きて爺さまと顔を見合わせる。

「爺さま! 卵にひびが!」

 トゥオンの胸はドキドキして、張り裂けそうな気持になった。

 毎日、朝から晩までずっと面倒を見てきた命が、今まさに孵ろうとしているのが、感じ取れる。

 胸の高鳴りと同時に、全身の産毛が逆立つ。

 卵は割れたためか、中からつつく音がキーンキーンと変化している。

「爺さま、すっごくドキドキするよ」

「トゥオン。鳥のひなというのは、目を開けて最初に見たものを親と思いこむ性質があるんだよ」

「そうなの?」

「そうだよ。だから、もしあの卵の中の子が鳥だったなら、トゥオンは卵の近くにいて見てあげなくてはならない」

 言われてトゥオンはあの子には生みの親がいないことを思い出した。

「トゥオンが、あの子の親代わりになりなさい」

「いいの? トゥオンが親になっても……」

「覚悟を決めて、持って帰ってきただろう?」

 卵を拾った時、爺さまは最後まで面倒を見る覚悟があるかトゥオンに訊ねた。

 あの子のお母さんに、無事に育てるからとお祈りを捧げて持って帰ってきた。

「なにが一番必要で大事かを、その都度考える約束をしたね。爺さまは、生まれてくる子には親代わりになってくれる人が必要だと思う。トゥオンはどう思う?」

 生まれたばかりであれば、ひな鳥でなくても親が必要だというのはトゥオンにもわかる。

「……トゥオンがあの子の親代わりになる。だって、トゥオンのところに来てくれたから!」

 爺さまは優しい笑顔で頷くと、トゥオンの頭を撫でた。

「じゃあ、一番近くで見守ってあげなさい」

 言われた通り、トゥオンは卵に近寄る。

 すると、ひび割れた殻の一部がキーンと金属のような甲高い音を出してさらに割れた。

 卵の破片が、床に落ちてトゥオンの横を通り過ぎて跳ね返っていく。

 爺さまは欠片を指でつまみあげた。ランプに近づけて観察してから、こすり合わせるようにして感触を確かめる。

 爺さまが確認している時、トゥオンは短く「あ」と声を発した。

「トゥオン、どうした?」

 トゥオンが振り向くと、爺さまはほんの少しピリリと緊張した雰囲気を纏っていた。

「爺さま、見えた――黒い子だ!」

 爺さまは警戒した様子で、一歩トゥオンと卵に近寄る。

「すごく硬い卵の殻だ……これは、なんの生き物だ?」

 爺さまは言いながらごくりとつばを飲み込んでいる。

 卵が割れる音は、鳥のものではない。

 金属を弾くような、キーンキーンという音が立て続けに聞こえ、割れた殻は床に落ちると、これまた甲高い金属音を出している。

「トゥオン、少し離れていたほうが……」

 爺さまの額に緊張が走った。爺さまの大きな手がトゥオンを守るように伸ばされて身体を支えてくる。彼の反対の手は、腰に挿した短剣に伸ばされていた。

 それに気づかず、トゥオンは卵を夢中になって見つめ続けていた。

 キーンキーンと金属音が響き、大きな破片が落ちた。

 中から、生き物が動くのが見えた。

「……爺さま、鳥って角があるの?」

「角?」

「そう。ふたっつ、角があるの」

 出てきたそうに身体をうずうずさせている卵の中身を見るなり、トゥオンは手を伸ばした。

 待ちなさいと爺さまが言う間もなく、トゥオンは生き物をひっぱりだしてしまう。

「わあ、真っ黒……それに、鱗……羽根……爺さま、この子は本当に鳥?」

 なんとトゥオンは、黒い生き物をひょいと抱き上げてしまった。

 トゥオンが持ち上げたそれを見て、爺さまは絶句した。

「トゥオン、今すぐそれを手から離しなさい!」

 なんで、とトゥオンが振り返って言おうとするその奥で、真っ黒い小さな生き物が、横に大きく裂けている口を開けた。

 危ない、と爺さまが手を伸ばした時、トゥオンは温かいなにかを感じて手の中へ視線を戻す。

「わあ! 爺さま見て、この子私のこと舐めてる! お乳が欲しいのかな?」

 爺さまは目の前の光景に開いた口が塞がらないようだ。トゥオンはそんな爺さまに気付かず、黒い生き物の大きな舌に舐められてクスクス笑った。

 舌はザラザラしていて、ちょっと痛い。でも温かくてくすぐったかった。

「よしよし、私トゥオンっていうよ。あなたの名前は?」

『――――ヴ、ァ……ッン!』

「ヴァン? ヴァンっていうの? 素敵な名前ね。トゥオンが今からヴァンのお母さん代わりだよ」

 ヴァンが目を開けると、瞼の裏側から澄み切った川の水のような、美しい青い瞳が現れる。

 グルグル喉から音を立てているが、トゥオンを襲ってくるような様子は微塵もなかった。

「ねぇヴァン、お腹空かない? 今、水牛のお乳持ってきてあげるね!」

 たった今ヴァンと名付けられた黒い生き物は――『竜』だった。

 爺さまが息を呑んでいるの横で、トゥオンは生まれたばかりのヴァンをぎゅっと抱きしめた。

「無事に生まれてきてくれてありがとう」

 ヴァンは宝石のような真っ青な瞳をぱちくりと瞬かせる。

 首をかしげながらトゥオンを見ると、物欲しそうにヴヴヴと鳴き声を上げた。

「爺さま、ヴァンはお腹が空いているみたい。水牛のお乳をもらってもいい?」

 嬉しそうに顔中で笑う孫の姿と、見たこともない伝説の生き物とを見比べて、爺さまはゆっくりと頷いたのだった。
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