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第六章 ネギの一本焼きと遣らずの雨

第34話

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 しかしこうして仲良しの夫婦の姿を見ると、心に届くなにかを感じる。

 お互い自立しつつ、同じ道を各々で進んでいく姿が垣間見える。

 素晴らしい関係を築くには、お互いの努力と譲歩が必要で、相性だってもちろんある。

 運命の相手は必ずいるだろうけれど、出会える確率はどれくらいなんだろうか。
 夫婦が小休憩している姿を見ていると、ふと、編集長に会いたくなってしまった。

 もう、二週間も会えていない。

 あんなに毎日顔を合わせていたのに、パタリと見なくなると、それはそれで寂しかった。

 老夫婦二人と並びながら歩き、町の歴史などを話していると、急につんつんと背中をつつかれた。

 何事かと振り返ると、にこやかな笑顔の編集長が立っていた。

「えっ……編集長!?」

 絃の大きな声にカナディアンの夫婦が驚いたようだ。そんな二人にごめんなさいと断ってから、絃は編集長へ向き直った。

 久しぶりに見た彼は、疲れている様子はない。ただただいつもと同じように微笑みながら、眼鏡の奥の少々たれた瞳で絃を見てくる。

 ぎゅん、と胸が締め付けられるような気がした。

「どうして、というか最近会わないですし、編集長は仕事忙しいんですよね? ……じゃなくて今、私が仕事中で」

 色々と言いたいことがあり、感情がかき乱された。そのため、自分でもなにを言っているのかわからなくなっている。

「ちっとも居酒屋に来ないから心配して……それに、あの日本酒だって一緒に飲む約束してたのに」

 感情と言葉を抑えきれないでいると、編集長の両手が伸びてきて、絃の両頬を包み込んだ。

「……!?」

 その一瞬で、言いたかった言葉が消えてしまった。びっくりして固まっていると、編集長の笑顔が覗き込んでくる。

「絃さん。今夜にしましょう」
「はい?」

 相変わらず突拍子もない言葉と仕草に、絃は盛大に混乱した。

「今夜です。一緒に、先日購入したお酒を飲むの。十九時には行けますから、今日にしましょう」
「今日ですか!? 突然過ぎません?」

 こんがらがった思考がまとまらず、絃は目を白黒させた。

 編集長はいつも通りの柔和な雰囲気で、大真面目にうなずく。

「僕は今夜、絃さんに会いたい。おこたでぬくぬく、ぬる燗を飲みながら一緒に過ごしたいんです」
「ええと……はあ。あの……」
「楽しみにしています。お仕事頑張ってください」

 編集長の手が離れていって、一呼吸後にまわりの喧騒が耳に届く。

 固まったままの絃の横で、編集長は「観光中に邪魔をしてごめんなさい」と夫婦に話しかけていた。

 ぼうっとその姿を見ていると、いいのよ、彼女なの? と訊かれている。

「あの、彼女じゃなくて」

 絃が違うと否定するよりも早く、大事な人ですと編集長はすかさず答えた。

「編集長。なんで誤解を生むような言い方を……!」
「では今夜。またね、絃さん」

 楽しんで、と手を振って編集長は足早に去って行く。彼の後ろ姿に、文句も言えないまま絃は眉をひそめて一息つき、夫婦に向き直った。夫婦はというと、ニコニコしている。

 その後ずっと、老夫婦たちの嫌みのない質問攻めにあい、絃は複雑な気持ちでいっぱいになりながら案内を続ける羽目になった。

 ……大事な人ってなんだ。

 大事な飲み友達だというつもりだろうか。

 今夜たっぷり文句を言ってやるぞ、と絃は意気込む。

 言いたいことの百個は用意しながら、和やかな夫婦との束の間のひと時を楽しんだ。
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