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第四章 江戸前蕎麦に地獄割り①

第22話

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「僕の舌を信用していただいているようで、なによりです。では次のお休みに一緒に食べに行きましょう」
「……はい!?」

 珍しく絃は素っ頓狂な声を出してしまった。絃のびっくりした顔を、編集長は柔らかな表情で見つめてきていた。

「なにを、とんでもないことを言ってるんです?」
「迎えに行きます」

 編集長の中では、すでに出かける予定が決定したようだ。

「絃さんのお休みいつですか?」

 連絡先も知らない、お互いによく知らないままでちょうど良いのに。蕎麦ごときで、後腐れのない飲み友達という関係を壊そうとしてきたことに驚いた。

「プライベートですので」
「わかっていますよ。でも、お蕎麦が美味しいお店を知っているんです。僕は絃さんと一緒に食べたい」

 他の人を誘えばいいと言おうと思ったところ、タイミング良くわさび茶漬けが運ばれてきた。

 これで答えを濁して、とんずらしよう。

 しかしテーブルに置かれたそれを、すい、と横から伸びてきた編集長の手がさらっていく。

「……編集長、私のわさび茶漬けです」
「美味しいもの好きですよね、絃さん。僕とじゃ嫌ですか?」
「嫌じゃないですけど。でも」
「でも、なんです?」

 これは、答えなければきっと永遠に押し問答になると絃は察した。

 結局、彼を納得させるような言い訳が思い浮かばない。

 それどころか、今になって編集長のストレートな「一緒に食べたい」という誘い文句を思い出して、顔に血が上ってくるのがわかる。

「…………行きます」

 絃はため息とともに観念した。

 携帯電話を取り出して、スケジュールをチェックすると「月曜日」と伝える。基本的に、観光案内が入っていない日が、絃のお休みなので不定期に近い。

 平日だから無理かなと思っていると、わさび茶漬けがするすると絃の手元に戻された。

「編集長も、お休みですか?」
「僕も不定期なので、調整がききます」

 お店の定休日ともかぶっていないと、編集長は嬉しそうだ。

「では十時に迎えに行きます。お迎え場所はどちらにします?」

 家の場所を聞いてこないところが、なんともマナーが行き届いている。

 しかし、むしろ絃のほうが編集長にとっては得体のしれない他人に違いないはずだ。絃は彼の職業も運営しているサイトも知っているのに、編集長はおそらく絃のことを知らない。

 絃は名刺を取り出し、プライベート用の携帯電話の番号を書いた。

「場所は城戸のコンビニでもいいですか? 駅からちょっと遠いんですが」
「大丈夫ですよ」

 編集長も携帯電話で地図を開いて、場所を二重確認した。彼は上機嫌に口元を緩ませている。いつもにこやかではあるが、今日は特に嬉しそうだ。

 絃がたっぷりのわさびをとかしたお茶漬けをすすっていると、編集長は片付けやすいようにお皿をきれいに並べ始めた。

 様子を察した大将が、お茶を出してくれる。

「お蕎麦楽しみですね、絃さん」

 温かいお茶を飲みつつ、編集長は満足そうだ。

 強引な誘いかただったが、そうでもしないと絃がてこでも動かないことを知っているのだろう。正しい誘いかたに間違いなかった。

「では絃さん、明後日また」
「はい。お休みなさい」

 編集長は立ち上がるとお会計を終えて、お店から出て行く。彼がさくっと出て行くということは、このあとも仕事が残っているのだと察しがついた。

 絃はわさび茶漬けをふうふうと冷ました後に、ゆっくり味わいながら食べる。シャクシャクしたわさびの茎が美味しい。

 最後の一口を入れると、お茶碗の底にたまっていたわさびが、ツーンと鼻の奥にきいてきた。
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