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第十一章 なんでもない日々の奇跡の肉じゃが

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 お鍋がコトコトと煮立ってきたところで、朝代はまたもや驚くべき行動をとった。
 あいているボウルに、お鍋からいったんすべての具材を取り出してしまったのだ。
 まだ具材が煮えていないのにと思ったのだが、朝代はこれがポイントだという。

「菜箸でひっくり返したり、かき混ぜちゃうとね、煮崩れの原因になるの」

 朝代はボウルに取り出した肉じゃがを、愛おしそうに見つめる。お鍋の中が焦げていないことを確認すると、一つ一つ丁寧に具材を元に戻していった。
 再度火にかけて、また煮込んでいく。
 いい具合に仕上がったら、ボウルに入れてからお鍋に戻す。
 これを数回繰り返してしばらく煮込むと、ジャガイモが竹串にすっと刺さるようになった。
 まるで魔法のように、一つも煮崩れなど起きていない照りてりでホクホクの肉じゃがが姿を現している。
 水を入れずに作ったことで、玉ねぎの水分だけで煮たことになる。それが味を凝縮させ、水っぽくならない引き締まった肉じゃがとなっていた。

「こうやって、手間暇かければ、すっごく美味しいお料理になるのよ。今は圧力鍋や電子レンジで作る人も多いそうだけれど……私が教わったのはこれが基本なの」

 面倒よねと朝代は笑うが、そういう料理があったっていいのだとつけ加えた。
 花柄のうつわに、朝代はきれいに肉じゃがを盛り付けていく。茹でたきぬさやを載せると、納得いく出来栄えに満足そうに頷いた。

「基本はこうだけど、あとは自分で応用すればいいの。味付けもそうだし、彩りもキヌサヤじゃなくてもいいの。翌日以降にはお味を変える工夫とか、リメイクしてビーフシチューにするとか」

 夜空は必至でメモを取る。お客さんに笑顔で食べてもらいたいと思う気持ちが大きく膨らんでいた。

「さあ、熱いうちに食べてみましょう」

 みんなで小皿に取り分けると味見をした。

「これは……美味いな」

 ひねくれものの祥が、一番に感想を述べた。
 好美は熱くてはふはふしながら、口元に手を当てて頷く。光治もいつも完璧な味だと、恋人の作った料理を嬉しそうに頬張っていた。
 野菜を呑み込み終わった夜空は、驚いてしばらく声が出せないでいた。

「……本当に、善さんが作るのと、おんなじ味がします。朝代さんが善さんに教えたんじゃないですよね?」

 朝代に尋ねると、彼女は首を横に振る。

「私が教えたのは、自分たちの子どもよ。あと、ずいぶん昔に、隣に住んでいた女の子に教えたことがあるくらいかしら」

 朝代は首を傾げながら、誰に教えたか思い出そうと目をつぶっている。
 しばらく黙って待っていると、朝代はゆっくり目を開けた。

「そうね、やっぱりそう。娘と、隣のおうちの子にしか教えていないわね。その女の子は、両親がお仕事忙しいから、うちでよく面倒を見ていたのよ」
「朝代さんに面倒見てもらえたら、絶対いい子になります」

 好美が羨ましいと口を尖らせる。朝代は困ったように笑った。

「そうかしらねえ。古臭い子になっちゃわないかしら?」

 朝代は思い出すように一点を見つめた。

「あの子も、もしかしたら古臭い子になっちゃったかもしれないわね、私が和食ばかりを教えたから」

 心配だわと言いながら、朝代は教えたという女の子の話を始めた。

「お隣の女の子はね、中学校に入ってから引っ越ししちゃったの。今はどうしているかわからないわ……すごく可愛らしい子で、いつもニコニコしていたのよね」

 集まったみんなで肉じゃがをたんまりと食べて、朝代にお礼を言う。楽しかったからいいのよ、と朝代は嬉しそうにしていた。
 片づけを済ませて帰るころになって、朝代が思い出したように「ああ」と嬉しそうに声をあげた。

「やっと思い出したわ、あの子の名前!」

 それは、すでに好美が帰宅し、光治と朝代も店を出て行こうとしている時だった。
 夜空は順平に持って行こうと思い、肉じゃがをタッパーに詰めていた手を止める。
 思い出してすっきりした顔をしている朝代が、光治の腕に優しく手を添えながら、ニコニコ笑う。

「ちなみに、その子の名前はなんていうんですか?」

 祥ならば、もしかするとその子の消息がわかるかもしれない。そんなことを考えていたのだが、夜空は次の瞬間耳を疑った。

「えっ、朝代さん……いまなんて?」

 夜空は驚愕したあとに、手が震えた。

「あかりちゃんよ、あかりちゃん。たしか、苗字は広瀬……だったと思うわ」
「広瀬……あかり?」
「そうそう。あらいけない、こんな時間になっちゃったわ。夜空さん、お誘いいただいてありがとうね。とっても楽しかったわ」
「あっ、いえ。こちらこそありがとうございます」

 手を止めてカウンターから出たが、夜空の足は力が抜けておぼつかない。
 店の外まで出て、朝代と光治に深々とお辞儀をしながら見送る。

「広瀬、あかり……善さんの……」

 呟くなり、夜空はその場にしゃがみこんでしまった。
 夜空は目から流れてくる熱い涙を両手で覆い隠した。
 善と一緒に墓参りをした時に、墓標には〈広瀬家〉と書いてあった。
 そして、善が婚約してそして事故死した女の子の名前は、あかりだ。
 善は、そんな彼女から料理を教わり、そして今も生かされていると言っていた。

「神様……」

 サンキャッチャーの鈴の音が聞こえてきて、夜空は祥が店内から出てきたのを感じる。

「……祥さん、奇跡ってあると思いますか……?」

 見上げると、祥は見たことがないくらい、優しい笑顔をしていた。

「これが奇跡じゃなかったら、なにを奇跡って言うんだよ」

 夜空はそうですねと泣き笑いになりながら、立ち上がる。
 顔をごしごしと袖口で拭いたが、まだ涙が止まらなかった

「あかりさんは生きていたんですね。みんなの心の中で……そして、こうやって、生きた証が受け継がれていくんですね」

 そうだな、と言った祥の声は掠れていて、すぐに海風がさらっていく。

「煙草吸いたい。散歩付き合えよ」

 熱い目頭を押さえ、祥と並びながら黙々と海沿いを歩く。
 受け継がれたものを、人が生き抜いた証を感じながら、一歩一歩地球を踏みしめる。
 この残酷な世界にある、見逃してしまうほど小さな優しさを見つけることができた今日。
 なんにもない日常こそが、奇跡の連続なのだと、そう誰かが教えてくれた気がした。
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