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第九章 消えた未来ととろけるチョコレートマフィン
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翌日はピクニックだというのに、善はリビングでパソコンをじっと眺めている。自分だけ寝るのもなんだかなあと思い、夜空もソファに腰を下ろしてしばらく読書をした。
さすがに二時を越えたくらいで限界になったため、おやすみの挨拶をしようと善を見る。彼は、一時間前と変わらない姿勢のままだ。
「肩こりますよ、同じ姿勢だと」
「ああごめんごめん。固まってたみたい、僕」
「……イタリア、お好きなんですか?」
善のパソコンのスクリーンセーバーは、イタリアの画像が何枚も何枚も流れては消えていく。
「行ったことないんだよね」
善がぽつん、と返す。
「みんな、イタリア料理や文化は大好きだけどさ、実際にイタリアに行った日本人って、どれくらいいるんだろうね」
美しい風景の写真をじっと見つめる。そこに集中すると、まるで自分がその世界に入り込んでしまったかのような気持ちになる。
「映画のセットじゃないんだもんね。夜空くんは、行ったことある?」
「はい。学生の時に、卒業旅行で」
それが、夜空の最初で最後の海外旅行になった。それ以降、まともに旅行はしていない。
「そっか」
美しい風景の写真だったのに、美味しそうなパスタとティラミスの画像になって、二人して笑いながら顔を見合わせた。
「明日はね、僕の婚約者だった人の命日なんだ」
彼女はイタリアが好きだった、と善は付け加える。
「二人で行く予定だったのに、行けないままになってしまったな」
「お墓参りですね」
善は小さく頷く。画像はコロッセオにかわっていた。
「僕の時間は、このコロッセオみたいに、止まったままかもしれない」
善の声は、ほとんど独り言のようで聞き取りにくかった。
「助かるよ。夜空くんが運転免許持っていてくれて。一人だと疲れるんだよね」
疲労のピークを越えてしまい、駐車場で寝ている時に警察官に起こされたという話まで聞かされると、夜空は善の体調が心配でしかたがない。
もともと、善はそれほど寝ているわけではない。食事もほとんど食べない。よくもまあ、それで風邪一つ引かずにすごせているなと思う。
今は平気だが、いずれ限界がやってくるような気がしていた。
「助手席で寝ていいですよ」
「嬉しいなあ。人と一緒に彼女のお墓参りに行くなんて、初めてだよ」
ということは、いつも一人なのだろう。
「夜空くん。今日は、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
いつものようにお辞儀をしあう。この挨拶が仕事を始める前の決まりになっていたのだが、今日は休日なのでなんだか変な気分だ。
水色のビートルに乗り込んで、携帯電話をナビ代わりにした。ラジオを小さめに流しながら、海沿いをほんの少し走ってから、高速道路に乗り込む。
「平日だから空いているね。休日だと、ものすごい人で困るけど」
彼女の実家が岐阜だと言っていたから、そのあたりなのだろうと察しはついていたが、日帰りで行くには遠い。
新メニューやデザートについて語り合いつつ、高速道路をおりてからは下道を走る。
気がつけば辺りはすっかり田舎の山道で、それはそれで遠くに来たような感じがして楽しい。
「海ばっかり見ているから、山に来ると気分があがるよね」
「そうですけど……お墓参りですよね?」
「うん。だけどさ、悲しい気持ちよりも、楽しい気持ちで来てくれたほうが彼女も喜ぶと思うんだよね」
夜空は思い切って彼女がどういう人だったのかを訊ねてみた。
「うーん、なんていうか、真面目なんだけどすっごく天然だったかなあ」
「善さんに天然って言われる人って、相当な気がしますけど」
「僕って天然かな?」
「自覚なかったんですか?」
ないない、と善は驚いている。
「すごくいい人だったよ。僕は本当に、パソコンの作業以外はなにもできなかったんだけど、料理も家事も全部彼女が教えてくれたんだ」
善は嬉しそうで、夜空はその笑顔が切なく感じた。
田舎道を走ること四十分弱で、善の婚約者だったという女性の墓へたどり着いた。
山あいの縁が美しく、秋の虫があちこちで鳴いている。まるで田舎のおばあちゃんちを連想する風景に、夜空の気持ちも緩んだ。
「ここから、歩いて二十分くらい。この山の真ん中くらいにあるんだ」
ちなみに寺は山頂だよと言われて、夜空は「え」と声を漏らす。
スニーカーで行くように言われたのはこのためだったのだ、と夜空は納得した。
「山登りですか」
「そう。日頃の体力の衰えを、年々感じる山登り。さて、お弁当持って行きますか」
善は途中の花屋で購入した可愛らしい色合いの花束を持って、リュックを背負った。夜空も荷物を持ち、草がぼうぼう生えた所に車を止めて涼しい山道に入った。
「夜空くんもお休みだったのに、一緒に来てもらっちゃって悪いね」
「遠出するのは楽しいですけど、今はそれ言ったら不謹慎ですよね」
善は笑って首を横に振った。
「……その日はものすごいスコールでね」
突然。
前を歩いていた善が話し始めた。
「歩くのさえ困難だった。そんな日に、飲酒運転の車に轢かれてしまったんだ」
善はひどく落ち着いた声音だ。
「あとから聞いた話で僕は知らなかったけど、子どもができない体質だったみたい。結婚する前にそれがわかって、悩んでいる時に事故に遭ってしまったんだ」
夜空は胸が痛い。自分の両親も事故で天国に行ってしまったから、他人事には思えなかった。
「僕は、彼女と一緒にいられればよかった。子どもについては、そこまで悩むことかどうかわからなかったけど、彼女にとってはつらいことだったんだよね」
いざ好きな人と結婚するという段階で、子どもができない体質だとわかったら、言いようのない衝撃だろう。
「彼女とは学生時代から一緒に暮らしていてね。デザインの会社に二人して就職したんだけど、二人で独立する予定だったんだ」
「初めて聞きました」
初めて話すからね、と善はふふっと笑う。
「お客さんもついて来てくれていて、なのに、二人で作業ができなくなって」
今受け持っている仕事がまだ残っているのだという。
納期を待ってくれる人と取引をしながら、善は一人で彼女と一緒に受け持った最後の仕事を片付けている最中だった。
明け方までパソコン画面の前にいる姿を、夜空は幾度となく目撃している。
善が一人で肩に乗せているものは大きい。
パソコンで仕事をしている時、見たことのない彼になるのは、きっと彼女との思い出と息をしているからなのだろう。
それは、吸う度に体中を痛みつけるようなものだったとしても、手放すことなんてできないのだ。
亡くなった人は、思い出の中でしか生きられない。
思い出を感じながら、責任と後悔を胸に未来のない仕事に打ち込むのは、一体どういう気持ちなのか。
それは、夜空には見当もつかなかった。
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